第3話 油断大敵
「全く…咲夜の奴…」
無理矢理椅子に座らされた私の前に、パチュリーが淹れてくれた紅茶が出された。その横には、豪華な装飾が施された銀の盆に色とりどりのクッキーが乗せられている。これだけのお茶菓子が用意されるとは、流石は紅魔館のお屋敷、と言ったところだろうか。
そんな優雅な机上に対し、パチュリーはいつまでも小言を漏らしながら、私の横の椅子にどかっと腰掛ける。どうやら咲夜にからかわれたことがよっぽどお気に召さないらしい。ぶつぶつと呟く言葉の端々に、それらを臭わせる単語が見え隠れしている。
「…咲夜って、あんなこと言う奴だったっけ?」
このまま放っておくとどこまでも愚痴ると勝手に判断し、とりあえず横槍を入れることにした。
「…咲夜め…ちょっと私の弱点を見つけたから……って、なんか言った?」
…真横で言ったはずの言葉が耳に入ってないっていうのも、怒りのせい…なのだろうか?
「だからな、咲夜ってあんなにパチュリーと絡むというか…。話す奴だったっけ?」
「う〜ん…
前々から話さなかった訳ではないんだけど、ああいう風にからかわれるようになったのはここ最近かなぁ」
「へぇ…
でもなんか意外だな。パチュリーっていうと、あんな感じで絡まれたとしても、“別に気にしません”みたいな感じで受け流す感じがするのにな。
…さっきみたいに、顔真っ赤にしてあたふたするパチュリーなんて、初めて見たぜ」
私のその言葉に先のやりとりを思い出したのか、パチュリーの頬が段々と紅潮していくのがわかる。だが、今度は先程とは違い、紅くなっていく速さが遅く、じんわりと染まっているといった感じだ。パチュリー自身、ぶつぶつと小言を言う様子もなくなったが、またしても帽子を目深に被り、椅子の上で膝を抱え込むようにして俯いてしまった。
「…まぁ、そんなに気にするなよ!
別に対したことじゃねぇんだし、それで死ぬようなこともないだろ?」
その言葉に対する返事も待たずに、私はパチュリーの頭を乱暴に撫でてやる。途中、帽子がずれて落ちそうになったが、焦ることなく帽子を机の上に置くことで万事解決。行動続行!
ただ、頭部を守る物が何もなくなったのに乱暴に撫でるのも気が引けて、髪を手櫛で解かすだけにした。たぶん、乱暴にしたら腰辺りまである長い髪が絡まるだろうし、何より痛い思いをさせるのだけは、嫌だ。
パチュリーの髪は、綺麗な紫色をしている。癖があるわけでもなくただただ真っ直ぐなその髪は、どことなく妖しい雰囲気を醸し出す。まさしく“魔女”と言う言葉が一番しっくりとくるのかもしれない。
そんな髪を撫でていると、揺らめく髪から良い香りが漂ってくる。何かの花の香りだろうか。刺激が強い訳ではないが、確かな存在感を持った、どこまでも気持ちが落ち着くような香り。
その香りに包まれている内に、もっと近くで、いつまでもその香りを感じていたい衝動に駆られるが、そこは何とか耐えて私はパチュリーの頭から手を離した。
それと同時に、パチュリーは顔を上げた。
足も椅子から下ろして普通に腰掛けている体勢になり、首を少しこちらに向けている。先程まで紅潮していた頬は少し薄くはなったものの、未だ紅色を残していた。表情はたぶん笑顔。満面とはいかないが、微笑んでいることは間違いない。ただ、その表情はどこか悲しげで、今にも泣き出しそうな風に受け取ることも出来る。
「パチュ…リー?」
「どうしたの?」
「い、いや、何でもない」
「ふ〜ん…
躊躇うなんて、魔理沙らしくないわね。さっき、私のことを“らしくない”なんて言った癖に。それだったら、魔理沙の方も“らしくない”んじゃないの?」
そんなこと言われても、“泣いてるのか笑ってるのか、どっちなんだ?”とは流石に聞けないし、出端を挫かれたために後の言葉は続かないしで…。
それにしても、魔法使いってものはどうして人の揚げ足を取るのが上手いのだろうか。アリスにしてもパチュリーにしてもそうなのだが、こちらが言った言葉を使いながら、見事に足下を掬ってくる。その時のこいつらの顔ときたら、満足そうなことこの上ない。あー、なんか悔しい。
が、こんな時に反論しようものなら、当然また揚げ足を取られる訳であって、こちらに害こそあれど利はない。こんな時は、とりあえず笑っておくに限る。
出来る限り大声で豪快に笑う。それが、いつものやり方だから。笑って誤魔化すのは、いつもの私。それを知ってか知らずか、パチュリーも自然と笑っていた。
「さて、それで?
今日は何の用でここに来たの?」
二人で一頻り笑った後、パチュリーが問いかけてくる。
私がここに来た時の反応を見てもわかる通り、パチュリーには私がここに来る理由どころか、今日ここに来るということさえも伝えていない。つまり彼女からしてみれば、突如私がやってきて、紅茶を飲みながらくつろいでいるということになる。ということで、そんな質問が飛び出すのも無理はないことだろう。
ただ、私がここに来た理由は一つしかない。
「それはもちろん、本を借りに来たんだぜ」
こんな、魔法使い垂涎の場所に来て本を持ち帰らないなど、まさに愚の骨頂。
当然、私は本を借りていくだけだ。私が返す気になれば、いつでも返しに来る。ただ、その日がいつまで経っても訪れないだけなのだ。それなのに、私が本を“盗んだ”扱いになっているし、毎度のこと返却するように強く要求される。
ここに来た当初は、普通に取引をしながら本を借りていた。借りる本の題名や貸し出し日を冊子に記入するだけで、持ち帰っても良いという制度で、きちんとその手続きもしたはずなのだが、どうもパチュリーは気に入らないらしい。彼女曰く、貸し出しには“返却期限”なるものが存在するらしく、私が借りた本はそれを大幅に超過しているらしいのだ。一番長く借りられるようにしてくれ、とは頼んだのだが…。規則は規則、と、その意見は門前払いにされてしまった。
と言う訳で、私は例のごとく冊子に記入することなく本を持ち出したのだが、それもすぐにバレてしまった。数え切れない程の書物があるにも関わらず、パチュリーはその全てを記憶しているらしい。私が無断で借りた本がパチュリーにバレるまで、長くとも1週間はかからない。…流石、ずっと図書館に閉じこもっていることはある。
「…勝手に取って行ったら?」
「…へっ!?」
紅茶を啜りながら、パチュリーがぼそっと呟いた一言。その一言があまりにも突飛したものだった為に、どうにも気の抜けたような返事をしてしまった。
「パチュリー、今、なんて言った?」
「どうぞ、勝手に持って行って下さい、って言ったのよ」
そう言うパチュリーの顔には、これと言って怪しいと思うところは見当たらない。ただ、その見当たらないところこそが、底知れない怪しさに満ちている気がする。
「そんなに怪しがらなくても…
ただ、魔理沙の魔法に対する情熱が、私の本に固執する考えを溶かしただけよ」
「…パチュリー?
一体、いつからそんなにクサい台詞を言うようになったんだ?」
「あら、クサかったかしら?
私はただ思ったことを言っただけですけど」
いつの間にか、パチュリーの頬からは赤みが抜け、いつも通りの透き通るような白い肌に戻っていた。それに加え、一言一言に宿る冷静さと、それに混じるどこか楽しそうな雰囲気が、怪しさを倍増させる。
それでも、パチュリーを信じてみても悪いことはない。もしも彼女の言葉通りなら、私は簡単に本を借りることが出来る。つまり、自由に本を読みたければこの好機に賭ける以外、残された道はない!
「サンキューなパチュリー!
ならお言葉に甘えて、遠慮なく借りて行くぜ!」
先に断言しておくが、危険を侵さずに得られる物はないと、私は自負している。だからこそ、この罠かもしれない甘い誘惑にも、自らが進んで足を突っ込むのだ。
私は何列も続く本棚を飛び回り、適当に目についた本を鞄へと詰め込んでいく。その様子をパチュリーが見に来ることはなく、私はただ放置されている感じだった。そのおかげか、気になる本は幾つか発見出来たのだが、同時に不安も大きく募るようになる。私はこれらの本を借りて、本当に良いのだろうか…?
「持って帰る本は決まったかしら?」
パンパンに膨らんだ鞄を背負い、私は元いた机まで戻った。そこには先程と全く変わらない姿勢で本を読むパチュリーがいるだけで、なにも変わってはいない。
「…本当に、持って帰っていいのか?」
正直、鞄よりも私の不安の方が一杯だ。
「いいわよ。別に」
素っ気ない態度。やっぱり、何か隠されている気がする。ただ、ここまでくると、こちらとしても後には引けない。
「よしっ!
なら私は帰って、こいつらと格闘するかなぁ!」
「それじゃあね。お大事に…」
その言葉を背中に受けつつ、私は扉へと向かう。途中どうしても不安になって一度振り向いたのだが、パチュリーはじーっとこちらを見ているだけで、何も反応はしなかった。
あぁ、何かが隠されている気がして、怖い。
……私はよく他人から“大胆だ”とか“強気だ”とか言われるが、自分ではそんなことはないと思っている。私だって色々と怖がっていることもあるし、特に今のような、先の見えないことをする時には、得も言われぬ恐怖感に襲われるのだ。そのせいで、今やろうとしていることを止めたいと思うことも多々ある。…とはいっても、負けるのも嫌だから、どれだけ苦痛でも先には進むのだが。
そんな、自分の心と必死に戦っているのが仇となった。気付いた時に目の前に浮かんでいたのは、扉を包み込むようにして描かれた白く輝く魔法陣。当然、魔法陣が浮かぶと言うことは、何らかの魔法が発動する。
私の腹部には拳大の白い光の球が浮かび、それは徐々に膨らみながら私を押してくる。その膨らむ速さが遅ければ問題はないのだが、光の球は急激に膨らむ。そう、瞬きをする程の間に、見上げなければならないほど、大きく。
と、視覚で確認出来た時にはもう遅い。声を発する間もなく、私の体は数メートル先まで押し飛ばされる。そして、宙に浮く足が地面に再びつこうとした直後、背後に新たな魔法陣が形成された。いやはや、反撃を許さぬ見事な連続攻撃だ。
新たな衝撃に備えてぎゅっと身を縮め…たのだが、背面からは何とも柔らかい感触が体全体を包み込んでいる。その柔らかい感触がある以上、そこに何かあることは間違いないのだが何も見えない。ということは、空気でも使ったのだろうか?
勢いを殺された私は、静かに床の上に着地することが出来た。私はそれ以上の魔法陣が存在しないことを確認した後、この魔法を仕組んだであろう魔法使いの方に向き直った。
「思いっきり押し飛ばした割には、優しい補助までつくんだな」
「別に良いのよ。これで本が盗まれないことがわかったから。…ふふふ、この魔法をかけてから、引っかかったらどうなるのか知りたくて知りたくて…」
パチュリーはそこまで言うと、腹を抱えて笑い出した。何が壷に入ったのかはわからないが、よっぽど私が魔法に引っかかったのが面白かったようだ。たぶん。
「…まぁ、魔法陣って奴は一度発動すると効力が失せるからな。今度こそ、本を借りて帰らせて貰うぜ!」
一人笑い続けるパチュリーを残し、私は再び扉へと向かった。
魔法は、呪文を詠唱したり魔法陣を描いたりと形式は様々だが、発動するのは大体一回限りである。中には、様々な条件を満たした上で何度も発動したり効果が持続したりする上級魔法もあることは知っている。
が、まさか、自分がたった今経験した魔法がそれだとは、夢にも思わなかった。扉の周りに、先程と同じ魔法陣が現れようとは…。
「…あ、ちなみに二つ目の魔法は一回しか発動しないから」
笑うのを止めたパチュリーが、光の球に押され始めた私に言った一言がそれだ。…と言うことは、つまり?
「うわああぁぁぁぁああ!!?」
術者の言う通り、押し飛ばされたにも関わらず空気の壁は発生しなかった。それどころか、現状は更に悪い方向に傾いている。…私が飛ばされている方向に、何も障害物がない。机も椅子も、本棚でさえ存在しない。ということで障害物にぶつかることはなくなったが、私は一体どこまで飛ばされれば良いのだろうか…。
それから少しの間、私は空中旅行を楽しんだ。魔法で勢いを相殺して着地しようかとも思ったが、下手に手を出して力の関係を崩しては駄目だと思い直し、当面流れに身を任せることにした。
私は、こんな場面で使えるような衝撃を和らげるなどの補助呪文をほとんど知らない。私の専門は力でごり押すタイプの攻撃系呪文なのだから。
そんな私がもしこんな所で得意な魔法を使おうものなら、図書館が無惨なことになってパチュリーから立ち入り禁止宣言が出されてしまうだろう(もしかしたら、レミリアからの紅魔館侵入禁止宣言かもしれない)。
魔法の効果も切れてきたのか、私の体は徐々に地面へと近付いていた。この調子でいけば、大根下しならぬ人間下しとなるか、全身複雑骨折によって再起不能になるかだ。それ以外にも色々な死に方が予測出来るだろうが、それはあくまで何もしなければの話。むざむざ死ぬことも嫌なので、無理矢理に着地姿勢へと体を捻る。…よし、体は傾いているが、この体勢ならば死ぬことは避けられるだろう。
床と足とが接するタイミングを見極め、思いっきり床を蹴り上げる。元々の勢いと蹴り上げた力とを合わせながらも相殺させる。僅かに回転は残るものの、この程度の勢いなら死ぬことはない。
捻れた体勢のまま、もう一度床を眺めた。たぶんこれだけの距離があれば、足から着地する事も可能だろう。
そう判断した瞬間に、捻っていた体をさらに捻り、無理矢理着地の姿勢へと変化させる。この体勢で着地するのはいささか本望ではないが、脳天から不時着するよりかは遥かにマシだ。
私は垂直に落下する速度に合わせ、膝を使って衝撃を吸収する。無茶な姿勢だった為に平衡が取れなかったが、そこは手を使うことで解決した。
「お見事」
衝撃で膝が笑っている私の背後から、まるで見計らったかのようなタイミングでパチュリーが現れた。それもやるせなく拍手をするというおまけ付きで。
「…いやはや、死ぬかと思ったぜ」
ズレた帽子を被り直しながら、私はパチュリーに向き直った。
「手加減をしてないんだから、そう感じても無理はないわ。…それにしても、あれだけ吹き飛ばされて無傷で済むなんて、少しショックだわ…」
手の平に魔法陣を再構築しながら、小首を傾げて表情を歪ませるパチュリー。
本来なら、攻撃を受けたことに対して怒ったりするのかもしれない。特に、あの魔法陣に手抜きをしていなかった様子を見るに、逆に怒らない方がおかしいのかもしれない。
ただ、私も魔法使いの端くれ。仕掛けられたものが“魔法”である以上、見抜けなかった私にも問題がある。パチュリーの様子がいつもと違うことや魔法陣の形状からもっと考えていれば、こんなことにはならなかったはずなのだ。…私もまだまだ未熟なものだ。
「箒に乗る練習の時に、毎回のごとく落っこちてたからな。もう少し速度があったり、高度が高かったりしても大丈夫だぜ!」
笑顔でそう言った私に対し、パチュリーは溜め息をつきながら手を差し出してきた。ただ、そうだからといって、私と握手したい訳ではないようである。
「…本を返して。
でないと、この図書館から出られないわよ?」
今度はこちらが溜め息をつく番だ。折角家で本が読めると思ったのに、返却しなければならないなんて…。
だが、一生この図書館から出られないのも辛いものがある。それくらいだったら、図書館に読みたい時に読みに来ればいい話だ。
そう結論付けた私は、渋々ながらも鞄から本を取り出してパチュリーに返した。名残惜しいが、仕方がない。
…それにしても、アリスといいパチュリーといい、ここ最近はこういった具合で本を持ち帰れなくなる割合が増えた気がする。
もしかしたら、私の本を借りる癖への対処法を二人が見つけだしたのかもしれない。まぁ、本を借りれなくなった分他のお喋りが増えたり、魔法をお互いに評価しあったりする機会が増えたのも事実だ。そうなってからは、ただ普通にだらだらと過ごすより、なにかしらの交流がある方が楽しいのだと感じているのだが。
「…ねぇ、お昼ご飯でも食べていかない?
今日はレミィはいないし、特に問題はないでしょう?」
レミリアがいない…?
レミリアと言えば吸血鬼であり、元来夜しか行動しない種族のはずである。それなのに、こんな太陽が輝く日中に不在とは…。ただ、それは昼食を断る理由にはならないし、それに断る必要もないだろう。どうせ、帰っても一人で何かを作って食べるだけだろうし。
「なら、折角だしご馳走になろうかな。
それに、さっき吹っ飛ばされたばかりだし、断ったら今度は一体何をされるかもわからんしな」
“何をされるかわからない”と言っても、誘いを断ったところでパチュリーから攻撃されることはないだろう。その意志が伝わるよう、なるべく悪戯っぽく聞こえるように言ってみた。
それともう一つ付け加えるならば、紅魔館で出される飯は美味いのだ。それに、自分では作る気すら起こらないような超面倒臭い料理や、滅多なことではお目にかかれないような食材まで登場するため、飽きることがない。…詰まるところ、食べたいと言うのが私の本音なのかもしれない。
「そうね、これを断ったら魔理沙がまた図書館の端まで飛んで行っちゃうかもね。
…そうと決まれば、咲夜に魔理沙分も準備してもらいましょう」
笑顔ながら、なかなか怖いことを言うパチュリー。また、それがただのはったりではなく、現実に再現出来るのだから困りものである。
「吹き飛ばされるのだけはもう勘弁だぜ…」
たぶん、口から漏れたこの言葉は、私の本音に違いない。
…そう言えば、パチュリーはここ最近になって、急に明るくなった気がする。私がこの図書館に来た当初は、挨拶どころか一言も口を聞いてくれないことも多かった。それが今となっては、魔法をかけられたり昼食に誘われたりと、何かと交流が増えている。
やっぱり、毎日のように押し掛けていると慣れられるのかなぁ…とか思いながら、私は少し前を歩くパチュリーの後ろをついて行くのだった。