第2話 予想違い
「よう、美鈴!」
私はいつものように門の前に立つ紅魔館の門番に、片手を上げて挨拶する。毎日とはいかずとも、ここに足繁く通う私はたぶん、ちょっとした有名人だろう。少なくとも、屋敷にいる人たち全てに、顔と名前程度は知れ渡っているはずだ。
「さて、門を開けてくれないか?」
余所者を入れないように、しっかりと閉じられた門。鉄で出来ているらしく作りは頑丈そうで、鍵も開けにくそうなややこしそうな物がいくつもついている。
「与太者を入れる筈はないだろう。帰れ」
「与太者?
余所者じゃなくて?」
おどけたように見せながら言葉を返すが、美鈴は腕を組んだまま、鼻息も荒く頑固としてその場を動かない。どうやら、私と取り合うことが無駄なことであることを、ここ数ヶ月でやっとお勉強したらしい。
「美鈴?」
私が彼女の名を呼ぶと、美鈴は目だけを動かしてぎょろりと私を睨みつけてくる。…おぉ怖い怖い。
「じゃーんけーん…」
わざとらしく、また、過度なまでに大きな動作で、美鈴にじゃんけんを挑む。
じゃんけんとは不思議なもので、不意に挑まれるとついつい応戦してしまう。ルールも簡単、道具もいらない。その手軽さが、それの原因なのかもしれない。それに、不意のじゃんけんの勝敗は、その人の癖と直感が左右する。まぁ私は美鈴の癖のことはよくわからないが、直感でなら負ける気はしない。私の直感に勝てる奴と言えば、霊夢くらいのものだ。
「ぽんっ!」
案の定、美鈴はじゃんけんに応戦してきた。その表情から見るに、まさしく予期していなかった私の行動に勝手に身体だけが反応してしまったようで、何とも驚いたような何か抜けているような、微妙な表情を浮かべている。
そして結果も、グーを出した私に対し美鈴はチョキを出したので、綺麗に一発で勝負がついた。
「私が勝ったんだから、開けてくれよ」
「負けてしまったのだから仕方が…。ないとでも言うと思ったのか!」
ノリツッコミを思わせる口調で美鈴が叫ぶ。ただ、じゃんけんに負けたことが悔しいのか、僅かに頬が紅潮していた。
「なら上を通るからいいや」
私はそう言いながら、箒に乗って門を乗り越える。初めからこうして突破しても良いのだが…。私なりに、美鈴とのこのいつもの会話を紅魔館に入る時のノックと勝手に決め、美鈴をいつもからかって…ゴホン、挨拶をしてから通っているのだ。
「って待てーーーい!!」
それに気付いた美鈴は大声を上げるものの、もう後の祭りである。私がそんな命令に従うこともなく、更にややこしく設置された鍵を開ける為に、美鈴は大量の鍵を片手に四苦八苦しているようだった。
…侵入者を拒むための鍵が門番を阻んでいるのだから、どこか皮肉な話である。
「じゃあな〜美鈴。
また帰る時にな〜」
必死に鍵と格闘する美鈴を一頻り眺めた後、私は少し軋むドアを開けて紅魔館へと入った。
私が向かう所は一つしかない。この屋敷の地下にある、大図書館だ。そこには、私やアリス、いや、この幻想郷の中で一番多いと言い切れる程の魔術書が保管されている。それらを学ぶ者にとって、一度は行ってみたい場所には必ず名が上がる、とても有名な場所である。
ただ、その図書館の場所は、紅魔館という吸血鬼を主とする館の地下にある。
それまでの道のりは、銀の投げナイフを乱射するメイドがいたり、運命を操る、夜しか出歩かない不良吸血鬼幼女(この館の主だが)がいたりするので、普通の人ならば、たどり着くのが早いか殺されるのが早いかと言ったところ。まさに、入館の為には命を賭けなければならない、ある種、幻とも言える図書館なのである。最も、門番はさっきの単純馬鹿なので、紅魔館に入ること自体は簡単なのだが。
…そういえばこの前、“美鈴は単純馬鹿だ”と霊夢に言った時に、“アンタに言われるようじゃよっぽどね”と溜め息混じりに言われたのだが、一体どういうことなのだろうか…?
「何をしているのですか?」
薄暗い廊下。その端にある階段を下りようとしていると、嫌に落ち着いた声が廊下に響き渡った。その声に、身体が無意識の内にピクリと反応した。…どうやら、投げナイフ使いのパッド…。いや、メイドに私の侵入がバレたらしい。
「よう、咲夜!
今日はちょっとばかり図書館に用があってな」
そう言いながらも、私は歩みを止めない。声色もなるべく明るくして言ったつもりだが、内心はそんな余裕はない。
咲夜は、良い意味でも悪い意味でも主に忠実だ。当然、美鈴に挨拶をしたとはいえ屋敷に勝手に上がり込んでいる私を、みすみす見逃してくれるなんてことはないだろう。まぁ勝負をすれば、負けることも無いだろうが、騒ぎを聞きつけて不良吸血鬼が来ると流石に分が悪い。こんな時は、逃げるに限る。
「…何故逃げるのです?」
そう言いながらこちらへ向かってくる咲夜は、ティーポットとティーカップを乗せたワゴンを押していた。当然そんな状態では、即座に私に向かって攻撃することは不可能であろう。となればやっぱり、この絶好の機会を生かして図書館まで逃げるしかない。あそこまで行けば、パチュリーが助けてくれるはず。たぶん。
「そりゃあなぁ、急げば急ぐ程本が読める時間が長くなるだろ?」
「まぁそう言わずに。私も向かう場所は同じなのですから。
折角ですので一緒に行きませんか?」
メイド服から出る、白く細い腕で、咲夜はワゴンを軽々と持ち上げる。ただ、片手で持ち上げているために、重力によって上に乗っている物が落ち……ない。
…そう言えば、咲夜の能力は時間か何かをいじるような能力だったような。ならば、自身の能力でワゴンの上だけ、時間を止めているのか…?
私は戸惑いながらも、重そうなワゴンを持つ咲夜を待った。不安も多々残るが、咲夜がこちらを攻撃しようとする様子がなかった為に、とりあえず信用することにしたのだ。
「…カップとかだけ、時間を止めているのか?」
ただ待つのが苦手な私は、ひとまずの疑問を咲夜にぶつける。
「企業秘密です」
その言葉とともに、階段を下りきった咲夜は、持ち上げていた腕を下ろす。それに従って、ワゴンは床に着地した。
それを見届けると、私は図書館に向かって歩き出す。後ろからはワゴンの車輪が転がる音が響いているため、咲夜もちゃんとついてきているようだ。ただ、それを押している咲夜の歩調は、私よりも少しだけ速い。必然的に咲夜は私に追いつくことになり、追いつくと同時に私と同じ歩調で歩き出した。
図書館まではあと少し。この調子で行くと、もう数分といったところだろうか。
「…何故、私を攻撃しない?」
「それは、紅魔館を訪れたお客様ですから。お客様を攻撃するなんて、滅相もない」
さらりと、表情一つ変えずに言い切る咲夜。
先に断言しておくが、紅魔館は絶対に、今咲夜が言ったような甘ったるい場所ではない。抹殺するときは躊躇無く抹殺する。…まぁ、生け捕りにされて、不良吸血鬼のご飯にされる可能性もあるだろうが、どのみち殺されることに変わりはない。
となれば、今の咲夜の言葉は冗談なのか脅しなのか、判断出来ない。表情からも読みとれないし、なんと返事をしていいのか、今からどうすればいいのか、皆目見当もつかない。
そんなこんなで私が黙っていると、咲夜は少し微笑みながら言葉を続けた。
「…冗談ですよ。
攻撃しなかった理由は、あなたが私を見つけたにも関わらず、スペルカードを構えることもなく、攻撃する動作が見られなかったからです。戦って勝てるかどうかも確かではない相手ですし、無駄な戦いは避けた方が良いかと思いまして」
…ということは、私が攻撃していたら応戦していた、ということか。
確かに、弱肉強食の世界である幻想郷では、武には武を持って対応することが一般的である。
戦闘を回避するための説得なども可能ではあるが、言葉が通じない可能性やこちらの言葉に相手が耳を貸さない場合も考えられる。また、武の場合ははっきりとした白黒がつくために、後々の争いも発生しにくい。それらの理由から、幻想郷において“武こそ力”という方程式が成り立つといっても、あながち間違いではない。
それだからこそ、今回の咲夜の対応は少しおかしい。“相手が攻撃する可能性が低く、争うことも避けたかったから攻撃しなかった”。そんな、ともすれば幻想郷の思考から逸脱するようなことを、咲夜は本当に思っているのだろうか?
とは疑ってみるものの…。これだけの証拠では断言は出来ないが、その意見が咲夜の本音であることを裏付けるような出来事が、ついさっき起こったばかりじゃないか。
階段からこの廊下に入り、私が咲夜の前を歩いていた時。あのときに、もしも咲夜が私に向かってナイフを投げていたら、確実に私の頭ないし心臓は貫かれていた。もちろん私も背後を警戒していたが、その隙を縫いながら、音もなくナイフを抜きそのまま私の急所を狙って投擲することくらい、咲夜にとって呼吸をすることと同等に出来ることだろう。
それをしなかったということは“相手に勝てる好機を自ら放棄した”ということになり、言い換えれば“戦うことを放棄し”ということと何ら変わらない。
…自分の中ですら結論は出ていないために言い切ることは出来ない。だが、もしかしたら、私は咲夜という存在を、今まで誤解していたのかもしれない。
「まぁそれと…」
考え込む私に、咲夜は暖かな笑顔で話しかけてくる。
「それと?」
「もしあなたと一戦交えようものなら、後でお仕置きが待っているでしょうから。
まだ私が負けたのならさほどキツくないお仕置きでしょうけど、勝とうものなら、一体私はどうなってしまうのやら…」
そう言うと咲夜は、少し俯きながらも満面の笑みを浮かべている様子だった。ただ、咲夜の言った言葉が何一つ理解出来ない私にとって、その笑みですら、理解に苦しむのだが。
「…?
不法侵入者を退治したのに、何故お仕置きをくらうんだ?
それに、レミリアがそんなことを…?」
私が首を捻りながらそう呟くと、咲夜は“戯れ言ですよ”と付け加えて、顔を上げつつ正面に向き直った。その顔からはいつのまにか笑みが消え、いつもの表情に戻っている。
「それでは、お客様からお先にどうぞ」
図書館の一歩手前で、咲夜は立ち止まって私を急かした。
…ただ、その表情には、先程の微笑みとはどこかが違う、どこかわざとっぽい、何かを楽しむような笑みが浮かんでいる。
そんな咲夜の態度を気にしつつも、私はいつも通りに図書館のドアをノックした。
「パチュリー!!
遊びに来たぜ〜!!」
図書館の中から騒がしげな音が響き、何かをパチュリーがしているのだろうと予想がつく。粗方、机の上に溜まった本を適当に片付けているのだろう。
暫く待っていると、図書館の中から駆けるような足音がし始め、それは段々と大きくなる。そして、その音が止むと同時に鍵がはずれる音がして、図書館の扉が開いた。
木製の、大きい扉からひょっこり顔を出したのは、この図書館の主、パチュリー・ノーレッジである。
紫色の髪にどこか寝間着のような服装。容姿も幼いが、魔女である為に、彼女は私とは比べ物にならないほど長く生きている。また、その生涯のほとんどをこの図書館で過ごしている為に、蓄えている知識が半端ではない。威力ならば勝てるだろうが、技術や知識で勝負したならば、確実に私が負けるだろう。
「魔理沙っ!
来るときは少しくらい前に……」
そこまで言うと、パチュリーの動きは完全に停止した。図書館から出てきた時には確実に私のことを見ていたのだが、今は違う。目線から予測するに、私の後ろにいる咲夜を凝視しているようだ。
「パチュリー?
いきなり固まって、一体どうしたんだ?」
私の問いかけにも、パチュリーは答えない。動く様子も全く見受けられないが、陶器のように白く透き通る肌の特に頬辺りが、段々と、まるで紅を塗ったかのように赤くなり始めている。
「パチュリー様。先程は走っておられたようですが、今日は体調が宜しいのですか?」
確かにパチュリーは重度の喘息持ちで、走るどころか時には歩くことさえも辛そうな時がある。となれば、今日は調子が良いのだろう。
「さっ、咲夜!!
何でこんな所に!?」
完全に固まっていたパチュリーが、堰を切るようにして話し出す。ただ、咲夜のことを聞いているだけなのに、身振り手振りしながら、何とも一生懸命な様子である。
…今まで、何度もパチュリーとは話してきたが、こんな焦るパチュリーを見るのは初めてだ。顔を真っ赤にして目を泳がせているところなんか、なかなか見られるものではないだろう。
「お茶をお持ちしましたので。
…それにしても、いつも私がお茶を運ぶ時には、扉どころか鍵すらも開けて下さらないのに…」
「えっと、あっと…
…それは、それは…!」
「まぁ、私は鍵を持ってますからね。鍵をお持ちでない魔理沙様は、パチュリー様が中から鍵を開けない限り、図書館には入れませんからね」
悪びれる様子もなくさらりと言う咲夜だが…。主従関係を見て上に立つのはパチュリーなのだが…。
今、どっちが主導権を持っているのかは……わからない。
「もう…!
魔理沙は早く中に入って!」
頭から湯気が出そうな程真っ赤になったパチュリーは、淡い紫色をした帽子を深々と被り、私の背中を無理矢理に押しながら図書館へと入る。
「咲夜、お茶は私が何とかするから!
もう下がっていいわよ!」
パチュリーはわたわたとしながらも、半ば強引に咲夜を追い返している。その咲夜の“ごゆっくりどうぞ”と言う声が聞こえるのと、パチュリーが図書館の扉を閉めるのはほぼ同時だった。
………今日は咲夜の新たな一面を見たが、パチュリーのそれも見れた気がする。まさか、パチュリーがあんなに真っ赤になりながらあたふたするなんて、予想どころか想像すらしていなかった。
“焦ったり、真っ赤になるパチュリーも中々可愛かったなぁ”なんて思いながらも、私はパチュリーに押されるがままに、図書館の中央にある机へと向かうのだった。