最終話 願い
宴から数日経った。
今日も幻想郷は晴れていて、これといった騒動は起こっていない。これは霊夢に聞いたことだから、間違いはないだろう。
あれから私は、それまでと変わらずに放浪を続けている。ふらふらとアリスの所に行ってみたりパチュリーの所に行ってみたり。本にのめり込んでみたり会話に花を咲かせたり。ただ、霊夢の所に行くことだけは、欠かしていない。無論、何か霊夢の手助けが出来ないかを探りにだ。今日も今日で、いつものように鳥居を潜って、境内へとたどり着いた。天気は今日も快晴で、木々の葉の隙間から漏れる陽が眩しい。
ただその日は一つだけ、いつもと違っていた。いつも霊夢が座ってお茶を啜っている縁側に、先客がいたのである。
「ご機嫌よう」
紫だった。こんな昼日中から妖怪が出歩くなんて、珍しいこともあるものだ。その横には霊夢が座っていることから、どうやらお話し中だったらしい。
「…お邪魔だったみたいだな」
「いえ、そんなことはないわ。一緒にお話ししましょ」
紫はいつもの胡散臭い笑みを浮かべながら、その場から少し避けて、私が座る場所を作った。そこに座って良いものか少し迷ったが、霊夢の顔をちらと見やると僅かながら頷いたので、お邪魔することにした。
私が一言も話さない内に、霊夢は“お茶を煎れてくる”と席を外した。紫が“一緒にお話し”と言った割には、その場に残ったのは、紫と私だけである。
「…ごめんなさいね、あなたを犯人にしちゃって」
「良いんだ。悪者にされるのは慣れっこだし。それに、そんなに純白な人生を送っている訳じゃないしな」
どちらかと言えば純白ではなくて、灰色がかった褐色といった感じだろうか。他人の本とかを色々やっちゃってるし。
「…霊夢を悪者にする訳にはいかなかったの。あの子が能力を失ったってことがもしも幻想郷に知れたら、その分あの子の危険は増すもの。あの子には味方も多いけど、敵も多いのよ」
霊夢に叩かれる妖怪は星の数程いる。それを根に持つ輩も多いのが現実だ。そんな、霊夢に恨みを抱く輩はこの絶好の機会を逃すことなく、憂さ晴らしに来ることだろう。その危険性を考えれば、べらべらと話して回ったという、私の取った行動の浅はかさが身に沁みる。
「それを言われると、何も言葉が返せないぜ…
……そういえば、どうして霊夢は能力が使えなくなったんだ?」
これも、前々からの疑問だった。霊夢にも一応聞いてみたのだが、“理由はわからないがいきなり飛べなくなった”とのことだった。
そんな本人にもわからないような質問だが、私よりも何倍も長く生きている紫ならわかるのではないかと、そう思ったのだ。
「そうね…。答えなんてわかるもんじゃないから、これはあくまで私の仮想として聞いてね。
霊夢はその能力故に、外部からの圧力に屈することはないわ。だから、脅しとかがあった訳じゃないと思うの。なら、内部から崩れるしか、残された方法はないと思わない? 何かの憂いから自分が生み出した重圧に、自らが負けたんじゃないかしら」
「……霊夢を内側から崩すほどの憂いって、一体何なんだ?」
紫は少し大げさに、肩をすくめてみせた。どうやら、その辺りまでは流石の紫でもわからないらしい。
「それよりもあなた。
他の人たちの気持ちに気付いてあげなさいよ。霊夢もそうだけど、あの魔女の二人とかの気持ちに。…まさか、気付いてないって訳じゃあないでしょう」
「…そうだな。自信は無いながらも、多分そうなんだろうなぁ…っていう予測は立てているんだが。
何というかその…私は誰の物でもなく、みんなのもの…とでもいうのか。
こう言うと自己陶酔みたいで嫌なんだが、私が原因で、人が悲しんだりするのは嫌なんだ。だから、中途半端だとしても“この関係がいつまでも保たれるように”って願っていたりするんだよな」
私が言い終わると、紫はおもむろに笑い、そして立ち上がると、そのまま縁側から歩きだし、いつもの日傘をさして、止まる。傘のせいで、私からは紫の表情はわからない。
「…本当に救わなくちゃいけないのは、あの子じゃなくてあなただったのかもしれないわね」
霊夢より、私を…?
その紫の言葉を理解することが出来ず、私は黙ったままだった。そんな中、立ち止まっていた紫はまた静かに歩きだした。
「茶は飲んで行かないのか?」
「…私は帰るから私の分まで、あなたたちでゆっくり楽しんで頂戴な」
「霊夢も無理をしているのだろうが…
私の目の前にも、自分を無理に誤魔化している奴がいる気がするんだけどな」
その答えに返答はないまま、紫は隙間の中に消えて行った。その隙間に消え行く背中からは、どこか哀愁が漂っている気もする。
「あれ、紫は?」
暫くして、お盆に三人分のお茶と煎餅を乗せた霊夢が縁側へと帰ってきた。
「紫なら、少し前に帰ったぜ。何か用事があったらしい」
「そうなの…。それなら、仕方ないわね」
霊夢の声色は少し残念そうで、溜息をつきながら何もない庭を見渡している。
暖かそうに湯気を立てる、誰のでもなくなった三つ目の湯飲み。その存在は今の今まで、霊夢を優しく包み込み、守っていたに違いない。
しかし、今からはそんなことはなくなるだろう。その湯飲みの存在が消えることはないが、あくまでも遠くから見守ってくれるだけ。これからは今までのように暖かく包み込んでくれることは、もうないだろう。
今からは、私がその意志を継ぐ。友である霊夢を支えていく。私は前の湯飲みほど立派にはなれないかもしれない。霊夢を傷つけることもあるかもしれない。それでも“少しでも私が霊夢の力になれるように”と、こっそりと心の中で、降り注ぐ陽に、吹き抜ける風に、そう願うのだった。
…いつまでも、どこまでも。笑顔が途絶えませんように。そして、私という存在が、その笑顔を少しでも引き出せる存在でありますように…………