第10話 人集り
夜の博麗神社。
月が綺麗に輝き月光が静かに境内に降り注ぐ中、何本も立てられた松明が煌々と大地を照らしている。そんな中、宴に集まった人や妖怪は、昼間の陰気を吹き飛ばすかのように飲み、歌い、笑っていた。
紅魔館、永遠亭、白玉楼の面々やアリス、藍、橙。それにチルノなどの妖精もいれば鬼もちらほらと見える。
この宴に参加している全ての者は、紫の隙間によってつれて来られたらしい。つれて来られたといっても一応任意の参加であるらしく、出欠の確認はしたとのこと。しかし、あの紫に誘われて断れる奴なんて、そうそういるものではない。
それに、何だかんだいって幻想郷にはお祭り好きな人が多い。よって、こういう集まりを開けば、予想以上に人が集まるなんてことは、ある種当たり前である。だからこそ、ひっそりと会を開く方が実は難しかったりするのだが。
まぁそんな明るく騒がしい幻想郷の宴なのだが、私はどうにもその輪の中に入る気になれず、いつもは霊夢が座っている古びた賽銭箱の横に座り、盛り上がる宴をぼんやりと見ていた。
この宴が始まる少し前に、主役である霊夢は目を覚ました。その時には既に紫の隙間を利用して場所を博麗神社に移しており、私は紫の横で忙しなく動き回る式やら従者やらを見ながら、お茶を啜っていたのを覚えている。
霊夢はそれまで眠っていたのだから、これまでの経緯を全く知らない。当然、霊夢は私たちに何があったのかを尋ねてきた。
…確かに、馬鹿正直というのもどうかと思う。時と場合により、つかなければならない嘘もある。だが、その時の紫の第一声は、大分時間が経過した今でも耳を疑ってしまう。
“魔理沙の勘違いよ”
なんで? 何故私の勘違いということになるの? と、反論しようとするも、紫と霊夢の会話に入り込む隙を見つけられず、私はただただ二人の会話を聞いているだけだった。
その会話によれば、紫が悪戯で霊夢を隙間送りにしたのを見た私が早とちりして、この騒動を起こしてしまった、ということらしい。それで幻想郷中に迷惑をかけたから、自分にも責任の一端があるということで、宴を開いて詫びようと、そういうことらしい。現実は紫の言ったそれとは全く違うが、その話しを聞いて妙に納得している霊夢を見ると、“魔理沙なら早とちりしそうだ”という認識が幻想郷に広まっているのは間違いがないようだ。
おまけに、これは宴の準備をしていた妖夢に聞いた話なのだが、どうやら今回の宴に招かれた人は、全員霊夢と同じ説明を受けたのだそうだ。つまり、悪いのは私、ということで全体的に落ち着いたらしい。そんなことで落ち着かれても腑に落ちないが、そんなことをグダグダ言っても、最早悪者に決定した私が何を叫ぼうとも、負け犬の遠吠えにしか聞こえないだろうから、おとなしくしておくことにした。それに、妖夢が最後に“でも、私たちは全てを知っていますから”と言ってくれたおかげで、幾許か気持ちは楽になった。
そんな、紛れもない嘘を霊夢が信じ切ったところで、紫は霊夢の耳元に寄ってこそこそと何かを囁いた。私の位置からは少し距離が開いていて、紫が何を言っているのかはさっぱり聞こえてこない。ただ、それを聞く霊夢の様子があまりに真剣で、言葉の一つ一つを全て飲み込もうとしているように見えたのが、とても強く印象に残っている。
「魔理沙〜!」
どこからか聞こえてきた自分を呼ぶ声で、ふと我に返る。顔を上げ、辺りを見渡せば、アリスが小走りにこちらに近づいて来るのが見えた。アリスは少し酒が回っているのか顔が朱色に染まっていて、若干足下がふらついているようだ。
「どうしたんだアリス?
えらく酔っぱらっているみたいだが」
「どうしらもこうしたも…
魔理沙の早とちりだったんじゃないのぉ。それれこんなお酒飲めるなんて、まさにいたせりつくせりねぇ」
…駄目だ。完全に出来上がってる。会話どころか、脈絡すら見つけることが出来ない。それによく見てみれば足下はふらふらしているどころか千鳥足だし、近づいてみればかなり酒臭い。一体、どれくらい飲んだのやら…
「アリス……。少し飲み過ぎじゃないか?」
「飲み過ぎぃ?
らってぇ、藍が飲め飲めって何杯も注いでくるからぁ」
藍…。アリスを酔わせて何をするつもりだったんだ。
「ねぇねぇ!
お人形劇やってよ!」
と、いつの間にやら横から割り込んできたのは、藍の式である橙だった。橙は猫の妖怪だが、その声は正しく猫撫で声。その仕草も相まって、かなり可愛い。これを主人が見たら、間違いなく……うん。
そんな、あまりにも可愛すぎる橙に半ば引きずられるように、アリスはがやがやとした人集りの中に戻っていった。…それにしても、いくらアリスが人形劇が上手だといえども、あんなへべれけのアリスがまともに人形を操れるのかは、ひたすら疑問である。
ただ、嫌がるアリスを引きずる橙がこちらを振り向いてウィンクしたのだが、それにはどんな意味があったのだろう。 ……藍が酔わせ、橙が連れて行く。あいつらの計画通りなのか…?
「魔理沙もなかなか大きな勘違いをしたものね」
アリスが連れて行かれた人集りの中から今度は、パチュリーが歩いてくる。その様子から見るに、こちらはあまり酔ってはいないようだ。
「なんか巷じゃあ、私が悪いことになってるみたいだな」
「……?」
「………。
いやはや、私の勘違いだった、スマン!
でも、そのおかげでこんな宴に出られたんだからいいだろ?」
「…確かにね。
私は別にどうでも良いけれど、特に妹様は喜んでいるわね。
紫がね、式も使わずに直接紅魔館に来て、あの時に冥界にきた人全員を招待したのよ」
そう語るパチュリーは、盛り上がる人集りを見ながらそう呟いた。その顔には笑みが浮かび、静かながらも、とても楽しそうな印象を受ける。
「レミィもね、悩んでいたみたい。最近は妹様とも接する時間があまり無かったみたいだし。喧嘩続きだったしね。
魔理沙の起こした一騒動が仲直りの良いきっかけになったみたいだし、それに妹様はこういう宴は初めてだから、はしゃいではしゃいで…。大変だったのよ?」
そこまで言うと、パチュリーは溜息混じりに一息ついた。が、それも束の間。パチュリーが息を吐ききる頃には、真横に咲夜が立っていた。これには、流石の私もパチュリーも驚き、僅かに声が漏れる。どうやら、咲夜は能力を使ってここまで移動してきたらしい。
「パチュリー様、お薬の時間ですので…」
そういう咲夜だが、手にはなにも持っていない。少しの間彼女らは会話をしていたが、その内にパチュリーは咲夜に押されるようにして、人集りへと戻っていった。パチュリーはかなり嫌がっているようにも見えたが、それにも勝る力で咲夜が押し切ったらしい。それにしても、咲夜も橙と同じように私にウィンクしていったのだが…。一体どんな意味があるのだろうか。
私が陣取っていた寂れた賽銭箱の周辺には、いつの間にか私しかいなくなっていた。明るく楽しそうな宴は、手を伸ばせば届きそうな距離で盛り上がっている。事実、私が立ち上がってから数歩歩けばすぐに、宴の中心地に行くことは可能だ。だが、何故だか宴に参加する気分ではなかった。こんなことを言うと“柄じゃない”と言われそうだが、今は少し感傷に浸っていたい。
たぶん、短い期間に色々なことが起こりすぎて、自分の中で整理しきれていないのだろう。だから今、何をしていいのかわからずに、こんなところに座っているに違いない。
…そう思い、頭の中で起こった出来事を順に追ってはみるものの、集中力が続かず、すぐに別のことを考えてしまう。“この問題は時間が解決してくれるのを待つしかない”という答えに私が行き着くのには、あまり時間はかからなかった。
「あなたも大変よね」
「…霊夢、もう動いて大丈夫なのか?」
霊夢は宴ではなく、建物の中から現れた。手には酒ではなくお茶の入った湯飲みを二つ持ち、私の傍らに座りながら、湯飲みの一つを私に手渡してきた。
私の質問に霊夢は答える様子もなく、深呼吸をするかのように何度か呼吸をしてから、おもむろに言葉を発した。
「…どう? 異変の犯人に仕立て上げられた気分は」
「…!
紫の話が嘘だと、知っていたのか?」
「紫があの表情をするときは、決まって嘘をついている時だから。それに、私にだって紫に隙間送りにされるまでの記憶があるんだから。話に筋が通っているかいないかくらい、わかるわ」
…私には、紫が霊夢に説明する時の表情は極々自然なものに見えていたのだが。
「そうか…
…それで? 空は飛べるようになったのか?」
霊夢の超人的な観察眼の話をしても仕方がないので、私なりの本題に話を切り替えることにした。
この質問は、霊夢が目覚めてからから今まで、聞くのを躊躇っていた質問だった。やはり、目を覚ました人間にいきなり能力が回復したか聞くのも悪い気がしていたし、何より今の今まで、二人きりになることがなかった。霊夢との関係を改めて考えさせられた今回の一件だった為に、私は霊夢と二人きりになって会話出来る時間を探していたのだ。
そんな私が初めにした質問には、霊夢は軽く俯きながら首を横に振った。どうやら、未だに能力は元に戻らないらしい。霊夢によれば、目が覚めてから何度か飛ぼうと試みたらしいのだが、僅かに浮く程度が限界なのだそうだ。
「…何か、能力が使えなくなった理由とかは、わからないのか?」
この質問にも、首は縦に振れることはない。…まぁ、その原因がわかれば自分で何とか出来ることも出てくるだろうし、おおよそわからないだろうと予測しての質問だったのだが。
「…なぁ、霊夢。少し唐突かもしれないが、私と初めて会った時のこと、覚えているか?」
“えぇ”と、虚空を見つめながら呟く霊夢。その様子をみる限り本当に懐かしがっているような、そんな感じだった。
「確か、飛ぶのもやっとな魔法使いさんが、ふらふらしながらやってきて、私の目の前に勢いよく着地したのよ。おまけに着地にも失敗して、思いっ切り膝を擦りむいてたっけ」
……そんなだったかなぁ?
「そうだったかな…
大分昔のことだし、あんまり覚えてないぜ」
「そう? 私ははっきりと思い出せるけど。
あの頃の魔理沙は変に強がってて、無理して自分を作ってたわよね。ま、それは今でも変わらない部分もあるんだろうけど」
そう言って霊夢は笑った。屈託のない、いつもと変わらない笑顔。
でもそれは、本当の笑顔ではないはずだ。確かに、私は無理をしていた。それを霊夢自身に指摘されたことも事実だし、未だにアリスやパチュリーに対しては自分を演じながらの付き合いになっている。だが、今無理をしているのは私ではない。それは目の前で静かに笑っている、霊夢のはずなのだ。
「霊夢は、どうなんだ?」
霊夢の顔は未だに笑顔のままだ。だが、笑顔が少し強ばったようにも見える。
「…どういう意味かしら」
「今、霊夢は無理をしていないのか?」
その問いに、返事はない。聞こえてくるのは、がやがやとした宴の賑わいだけ。その空気とは隔絶されたかのように、私たちの周りにだけ、じっとりとした空気が立ちこめる。ただ、その空気に臆する訳にはいかない。私が運命を変える為には、この瞬間が一番大切なのだ。
「私には、霊夢のように人の心を見透かすことが出来る訳じゃないし、今の霊夢を見て無理をしているかなんてわからない。それに、霊夢が背負っている博麗の名の重みも、期待も、重圧も、何一つわからない。ただ、莫大な量の仕事をこなしていることは、何となくだが知っている。私が博麗神社に来た時に霊夢の仕事が無かった時の方が珍しいし、何よりこの広い幻想郷を一人で管理しているんだ。それでいて仕事が少ない訳がない。それだけの仕事を一人でやるのは、辛いんじゃないか?」
いつの間にか霊夢の顔からは笑顔は消え去っていて、真面目な表情へと変わっている。だが、霊夢が少しうなだれているからか、いつもの覇気が感じられない。
「……でも、それが私の仕事だから」
「それは、私が手伝うことは出来ないのか?」
「…魔理沙は、博麗の巫女じゃない」
ある種予想通りの、それでいて一番返って来て欲しくない答えだった。博麗の巫女には、私はどう足掻いてもなることは出来ない。それなのにそれを理由に断られたら、私にはどうすることも出来ない。
…いつもの私なら、不仲になることを恐れてこれ以上口を出すことはないだろう。だが、それでは何の解決にもならない。霊夢が博麗の巫女という、霊夢にしか出来ないことがあるのならば、私には私にしか出来ないようなことがあるはずだ。もしも霊夢に協力者がいないのなら、私がそれになれば良い。私はそれになることが出来るはずだ。
「…確かに、私は博麗の巫女じゃない。弾幕戦だって霊夢程強くないし、異変を解決するとか、結界を管理する方法も知らない」
一旦、言葉を切る。そして、大きく息を吸って、私はまた話し出す。
「でも、私にとって霊夢は大切な友達なんだ。霊夢が私のことをどう思っているのかはわからないけど、私は霊夢のことを親友と読んでも良い、幻想郷で一番の友達だと思っている。
それなのに、霊夢が死ぬ思いをしているというのに、私だけが何もせずに見ているだけなんて嫌なんだ!
辛いなら辛いって言えよ! 私が手伝うから! 霊夢から見たら足手纏いなのかもしれないけど、私に出来ることなら何でもするから!!」
最後の方はつい、大声になってしまった。言っている内に段々と歯止めがきかなくなっていた。
そして、ふと自分の顎から水が滴っていることに気付いた。私はいつの間にか泣いていたのだ。自分では止めることの出来ない涙が、ぼろぼろと溢れては零れていく。
「………
さっきの、“私が手伝うことは出来ないのか”っていう質問。あれは、少し前に紫にもされたことがあるわ。
でも、紫の話は断ったわ。妖怪は人間を襲うものであり、人間は妖怪を退治するものでなければならない。それが、幻想郷の掟。妖怪である紫が人間の私の手伝いをするのは、許されることではないの」
「なら、私なら問題は…」
「…私はあなたを失いたくないの!!」
霊夢はそう叫んだ後、隠すこともなく涙を流した。…これが、霊夢の本音。今まで私を拒んできた根源。その意外さに、私はたじろぐことしか出来ない。
「魔理沙、あなたが言ったように、私から見てもあなたは大切な友達よ。私は仕事柄話す相手は多いけれど、魔理沙ほど深く話す人なんて片手で数えられるくらいしかいないわ。“人間の友達”と絞ると、あなたくらいしか残らないの。
私の仕事の内、博麗の巫女の仕事は魔理沙じゃ絶対に変わることは出来ないわ。これは博麗の血を持つ私がやらなければならないことで、いかなる人妖であろうとも変わることは無理。
でも、もう一つの仕事である妖怪退治は、当然危険が付き物なのよ。死ぬことだって有り得るの。それで魔理沙に頼んで、もしものことがあったら、私、耐えられない…」
霊夢は膝を抱えてうずくまり、ついには嗚咽まで聞こえてきた。霊夢の行動に初めは少し戸惑いはしたものの、妙に冷静な…というよりは喜んでいる自分に気付く。
これは、私にとって初めての経験だったのだ。霊夢から、“友達”だと言われるなんて。私の中で、“友達と思っているのは私だけ”という疑問が吹き飛んだ瞬間でもある。
あの冷静な笑顔の下には、どんな感情があるのかわからなかった。自分が霊夢の為にしたことが、本当に正しいと信じれたことはなかった。でも、今なら全てがわかる。信じられる。霊夢が友達だということがわかったから。
「霊夢…」
そっと、霊夢の肩に手をかける。その小さな肩は細かく震え、私が触れた瞬間にびくりと跳ねたのがわかる。数瞬後、霊夢は顔を上げた。
「私がそんな簡単に死ぬと思うか?
それに、私の逃げ足の速さを馬鹿にするなよ? 逃げるだけなら、閻魔からすらも逃げ切ってやるぜ。
それにな、別に霊夢の仕事全てを変わろうって言ってる訳じゃない。私に出来ることばかりじゃないし、出来ないことも多いと思う。でも、簡単な仕事一つなくなるだけでも違うと思うし、協力するにしても、一人にかかる重さは軽くなると思うぜ」
もう霊夢の涙は流れていなかった。代わりにあったのは、いつもの笑顔。…いや、いつもよりも優しさに溢れているだろうか。そんな表情が、私をずっと見続けてくる。嘘は言っていないと思うが、そこまで凝視されると流石に恥ずかしくなってくる。それに耐えられなくなった私は思わず、“別に私は、幻想郷を救いたいからじゃなく、霊夢の友達だから、手伝いたいんだ”とか言ってみたが、よくよく考えてみれば意味としてさほど変わらず、逆に顔を赤らめてしまう結果となってしまった。
そうしている間に二人とも泣きやんでいて、代わりに笑いの発作に襲われ始めた。堪えようとするのに、何故かくすくす笑いが抑えられない。暫く、二人はおなかを抱えて笑い続けた。
「………なら、そうね。
最近、とある魔法使いの本がよく盗まれるって話を聞くんだけど、その原因を探ってもらえないかしら?」
「…え…あ〜っとだな、その……」
…泣き終わった瞬間これかよ。いつぞやに魔法使いは人の揚げ足を取るのが好きだとか考えたことがあるが、今日からはそれに巫女という言葉を足した方が良いかもしれない。
「…ありがとう。ありがとね、魔理沙」
言葉に詰まる私に小さな声でそう呟きながら、霊夢は私に縋るように体を預けてくる。小さな頭が肩の上に乗り、まるで呼吸が、動作の一つ一つが、手に取るようにわかる。
未だ、宴は盛り上がっている。妖しく光輝く月の下、本番はこれから、と言ったところだろうか。
主役の欠ける宴の中、私の心は何ともいえぬ充実感に満たされていた。