君の居ない朝が来る
きっと、ここで何人も祝福されたのだろう。今では残骸となった、取り壊されることすらない、廃教会。
傾いた十字架、くすんだヴァージンロード、ズタズタのカーテンに、所々が腐り落ちている床。割れた窓ガラスから、夕日が射し込んでいる。
慎重に、穴だらけの床を踏みしめる。ギシッ、と不穏な音が鳴るたびに、彼女はびくっと体を弾ませる。可愛いな。
「よく見つけましたね、こんなところ」
「廃墟の愛好家というのは、案外多いんだよ」
物が経年劣化して生み出される匂い。田舎のおばあちゃんの家にある柱時計とか、物置きの中とか、そんな匂い。
もしくは、民俗資料館とか、古いものが並べてある博物館とか、そんな匂い。私は嫌いじゃないけど、人は選ぶだろう。
「ここで、沢山の人が結婚したんでしょうね」
「私たちみたいな人達はいなかっただろうけどね」
「まぁ、そうですよね。少なくとも、この国の法律では認められていませんからね」
履き慣れたスニーカーで、ガラスの破片を踏んだ。見上げると、形骸化したシャンデリアが、光ることなくぶら下がっていた。落ちてきたらどうしよう。
「あ、見てよ。ウェディングドレスがある」
「本当ですね。貸し出しもしていたのでしょうか」
恐らく、ここが廃墟になる前は、綺麗な純白のドレスだったのだろう。刺繍はほつれ、ほとんど茶色く汚れてしまっている。それでも綺麗に感じるのは、この服が特別なものだからだろうか。
彼女は、試着でもするみたいに、自分の体の前にウェディングドレスを合わせる。似合いますか、なんて微笑む。
「もっと綺麗なやつを着せてあげたいケド」
「無理ですよ。そんなことはわかっています」
「……うん、そうだね」
「ちょっと、着てみても良いですか?」
「良いけど、汚いよ。肌とか荒れちゃうかも。他には無いの?」
「白いドレスがこれしかなくて。憧れだったんです、白のウェディングドレス」
「そう。じゃあ、私は黒のスーツでも探そうかな」
「貴女もドレスにしませんか。ほら、この赤いやつとか」
彼女が選んだドレスは、本当に真っ赤で、それこそ血にでも染まっているかのようだった。これも劣化しているからか、赤黒くなっている。しかし、白と比べると、どのくらい汚れているのかがわかりにくい。
ドレスを受け取り、お互い、その場で着ていた服を脱ぎ捨て、汚れたドレスを身に纏った。なんだかチクチクする。
「廃墟は好きだけど、こういうことをするのは初めてだよ」
「ふふ、お似合いですよ」
「君こそ、とても似合っている。いや、それだと逆に失礼か」
二人で笑い合いながら、入ってきたドアを振り返る。
「腕を組んで、入場しませんか」
「いいね。親も神父もいないけど」
ドレスを踏まないように、慎重に歩く。ドアから出て、改めて振り返る。目の前に広がる、朽ちたヴァージンロードと、椅子と、シャンデリア。鼻腔をくすぐる、彼女の甘い匂いと、終わりの匂い。
腕を組み、ゆっくりと入場する。本当なら、二人の好きなBGMでも流れる場面だろうか。両家の親族や友人の拍手に包まれ、はにかみながら歩くのだ。
神父が立っているであろう、壇上に上がる。片言の日本語で、永遠の愛を誓わせるに違いない。
彼女を抱きしめ、キスをする。特別なキスだ。日常で行われるものとは一線を画す、誓いのキス。健やかなる時も、病める時も。どちらかが死ぬ時も。絶対に離れないという誓い。
「私、幸せです」
「何、泣いてんの」
大粒の涙を流しながら、それでも笑顔を見せる彼女が、とても愛おしい。このまま、永遠にこうしていたい。
「あの、これ」
「……うん」
彼女は、首から下げていたペンダントを開き、錠剤を二錠、取り出した。一人を殺して余りあるほどの、猛毒だと彼女は言う。牛なら五頭はいけるだろう、と。
見た目は、病院で貰える薬とか、サプリメントとかと相違ない。
「死んで永遠にしよう、なんて。浅ましいですかね」
「そんなことないよ。両親に絶縁されて、誰からも理解されず。もう生きていられないでしょ」
嘘だ。
世界中から無視されたって、君がいれば私は、それだけで生きていける。水と空気と君だけで、私は幸せでいられるのに。
でも、君が私と一緒にいるだけでは物足りないなら、仕方がない。
「では、口に含んでください。せーので飲みましょう」
「うん」
お互い、錠剤を口に入れる。これを飲み込めば、ボロボロのドレスに身を包んだまま死に、廃墟愛好家が踏み込んでこない限りは、ずっと発見されないだろう。もしかすると、その時には白骨化していたりして。
「せーの」
「ごくん」
彼女の喉元が、大きく動くのが見えた。飲んだんだ。
私も数秒遅れて、飲み込む。すぐには死なないだろう。でも、少し経てば、とけ て
あれ、
なんだ、ねむたい。
きみといっしょに、
ねむるようにしねるなら、
やっぱりわるくないかもしれない。
割れた窓ガラスから覗く空は、真っ黒だった。時計は持っていないから、時間はわからない。
ここは天国か、それとも地獄か。あの世なんて実在したんだ。そうと分かれば、彼女を探そう。
しかし、探すまでもなく、目の前に彼女はいた。薄汚れたドレスに身を包んだまま、静かに息を引き取っていた。
「……え、どうして。私、飲んだよ。ちゃんと飲んだ。飲み込んだよ、だから、え、どうしてどうして、なんで……」
愛って、呪いだ。
君は、私に呪いをかけて、一人で勝手に逝ってしまったんだ。
不思議と、涙は出なかった。
もしかして、君はわかっていたのだろうか。私が、死ぬ必要は無いと思っていることに、気がついていたのだろうか。だから、自分だけ、死ぬことにしたのだろうか。もう、確認することもできない。冷たくなった君は喋らない。
ドレスを脱ぎ、元々着ていた服に着替える。彼女の服は、そのままにしておこう。もし目を覚ました時に、服が無かったら驚くだろうから。
彼女の死因を閉じ込めていたペンダントを、外して自分の首にかける。形見として貰っておこう。
財布も何も持っていないようで、本当に死ぬつもりだったことが窺える。私だって、そのつもりだったのに。ひどい。
君の居ない世界なんて、考えられなかったのに。
毎朝、目が覚めた時に、隣に居てくれるだけで良かったのに。
今頃になって、涙が頬を伝う。大声で叫びたい。
割れた窓ガラスから見える空が、少しずつ白んできた。もうすぐ夜明けだ。
君の居ない朝が来る。
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比較的ハッピーな百合も書いているので、良ければ合わせてご覧ください。
「先輩にはログボが無かったので後輩の私が毎日キスすることになった」
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