第16話 ライドン・ヘンダーソン基地の攻防4
『飛鷹』
『レッドローズ』からの窘める口調。
「わかっているさ。遠慮はしねぇ」
相手は雫を殺した奴らだ。理念があり、信念もある。しかしその理念や信念を認めて、人々が殺されるのを黙ってみているつもりはない。
『ブルーティア』はレフトセンテンスを拾い、構える。
「遅い」
横から声が聞こえてきて、『ブルーティア』は真横に飛びながらクレセントムーンを下に向けた。金属が激しくぶつかる音ともに、腕に衝撃が走る。敵の姿はないが、斬檄だったのは間違いない。
背筋にぞくりと嫌なものを感じ、レフトセンテンスを背中に回す。今度は背後から金属がぶつかる音がした。横目で確認したが、敵の姿はない。
『ブルーティア』は後ろに跳んだ。足元をナイフの軌跡が見え、嫌な汗をかく。
ビルに背を預け、周囲を確認する。
敵の姿はないが、とっさに頭を下げた。頭があった空間をナイフが横切り、ビルの壁面に一文字の痕を残す。ほんの一瞬でも遅れれば、首と胴体は永久にわかれていただろう。
「姿を消しているわけじゃないよな?」
『光学迷彩の類いではないわね。速いだけよ。仮面ライダーカブトがクロックアップするようなものね』
「それは一番厄介じゃないか」
仮面ライダーカブトはクロックアップすると一千倍に加速できる。一千倍の速度で動く相手と戦うのは厳しい。しかも常に死角の攻撃だ。自分の力に溺れることなく、用心深く一撃を加えてくる。
はっきり言って最悪の相手だ。
「援護してくれ」
『レッドローズ』に救援を頼む。
『駄目よ』
「はっ?」
一瞬、自分の耳を疑った。
危機的な状況で、なぜ助けようとしない?
『あなたの剣が鈍ったかどうか、見極めさせてもらうわ。多少なりとも知ってしまった相手を殺すことが出来るかどうか』
「俺がぬるま湯に浸かって戦士としての覚悟が鈍ったと?」
『昔のあなたならば、片手にナイフがない相手を容赦なく斬ったわ。卑怯者の誹りを受けようとも、生きて帰る覚悟があった。実戦を離れて、実力が落ちたかもしれないわね。挟持も確認したいわ』
「――言ってくれるなッ」
『ブルーティア』は舌打ちを一つ。
飛太刀二刀流の剣士としての実力と挟持、そして覚悟なんて言われたら、自力で倒すしかないではないか。
敵は超高速で動き、ナイフで斬檄を放ってくる。いまのところ紙一重でかわしているが、狙われたのはどこも急所だ。一撃で絶命するところを、目に捕らえられないほどの速さで動いて斬りつけてくる。厄介極まりない相手だ。
――いや、急所を狙ってくるからこそ助かっているともいえるか。攻撃が予想しやすいからな。
目で捉えられない相手の攻撃を防ぐのは、光学迷彩で姿を消した相手と戦うのと大差ない。人間の感覚の七十%を司る視覚を奪われるのは、暗闇のなかで戦うのと同じだからだ。
頼りになるのはナイフを振るう瞬間に聞こえる微かな風切り音。それをもとに急所のどこを狙ってくるかを勘で予想し、防いでいる。しかし何度も通じる相手ではなかった。
右手首、左足首、右太もも、左腕。
小さな致命傷とはほど遠い傷が付けられていく。
『iPowered』が傷を即座に防いでくれるので出血も少ない。だが肉体的なダメージは少なくても、体を切り刻まれるのは精神的に辛い。少しずつだが血が流れていくので、いずれは血が足りなくなり意識を失うだろう。人間は体重の何%の血を流したら死ぬんだったかな、なんてことを考えて、思わず苦笑を漏らした。
コツコツと真面目に鍛練を積むのを苦に思わないタイプなのだろう。時間を掛けても自分を確実に殺す覚悟を感じられた。攻撃のパターンを読み取られないように、敢えてリズムを崩して斬りかかってくる。俺の剣を受ければ、致命傷になることを理解している。かなり慎重だ。
――ここで死ぬのか。
ふと、頭のなかに浮かんだ言葉に僅かな安堵を抱き――そんな自分に怒りを覚えた。いま自分は試されている、もしここで死んだら負けたことになる! そんなことは許されない!
上空に飛ぶ。敵の武器は二本のナイフのみだ。ひとまず距離を取れば逃げられる。
その目論見は甘かった。
背後から接近してくる気配と警報音。
『クロックロイド』に体当たりを喰らったのだと理解したのは、体を捻りながら『クロックロイド』を反射的に斬ったあとだ。
『クロックロイド』の体当たりは予想外で、かなりの衝撃だ。瓦礫をジャンプ台として使い、『クロックロイド』は跳んだのだろう。
――こんな芸当が出来るとはな。
予想外の攻撃に驚き、『クロックロイド』が前後左右から瓦礫をジャンプ台にしてきてさらに驚いた。
『ブルーティア』は下に逃げる。
逃げた先に『ミニッツリピーター』がいた。
『ミニッツリピーター』の回し蹴りを喰らい、『ブルーティア』は地面を何度もバウンドした。
「……ナイフだけだと思っていたんだがな」
『ミニッツリピーター』がゆっくりと歩いてくる。
その足取りに油断はない。不意を突いて一撃で倒すことは出来そうにない。
「これが私の得意とする戦い方だ。部下を手足のように使い、隙をつくり止めを刺す。生身ならば貴様は即死だったのだが、そのスーツでは即死は出来ないようだな」
「元軍人か?」
「然り」
『ミニッツリピーター』は頷く。
「もっと早く貴様を殺すことは出来た。すぐにこの手を使わなかった理由がわかるか?」
「さあてね。知りたくもねえよっ」
「貴様はあいつを殺したからだ。私怨なのはわかっている。死だけが我らを平等にする。愚かな感情だ。だが何十年も苦楽を共にした親友を殺されて、怨みを抱くなというのも不可能なのだよ!」
そうかよ、といいたくなる。お前らの勝手な大義名分のおかげでどれだけの人間が命を落とした? まったくほんとうに――
「くだらないぜっ」
「――なに?」
「くだらねえって言ったんだよ! てめえらも俺もなんなんだよ、感情に流されて戦いやがって! 私怨だと? そうだよ、俺も恨みを晴らすために戦っているんだ! まったく馬鹿だよな!」
「貴様は私を侮辱するつもりか」
「賢い選択だと思っているのか?」
「まさか」
『ミニッツリピーター』はあっさりと認めた。
「我らは誰もが愚かだと思っている。だが、これ以外の方法は老兵には思い浮かばない。罪は自覚している。我らは所詮、機械仕掛けの囚人達だ。裁きは世界を変えたあとに受けよう。
だから理想を果たさなければいけない。世界を変えたあとに、我らが裁きを受けるために。障害となる貴様は消えてもらう」
『ミニッツリピーター』の姿が消えた。
ナイフが急所を狙い、クレセントムーンとレフトセンテンスで捌く。
しかしダメージと疲労の積み重ねで、自分の体が重く感じる。
『ミニッツリピーター』が後ろに跳ぶ。『ミニッツリピーター』の背後に隠れていた『クロックロイド』が肉迫し、『ブルーティア』は『クロックロイド』をクレセントムーンで斬り払った。
『ミニッツリピーター』が『ブルーティア』の懐に潜り込み、肝臓に向かってナイフを突き立てようとする。『ブルーティア』はレフトセンテンスを手放し、『ミニッツリピーター』の右腕を掴む。
クレセントムーンも放して『ミニッツリピーター』の右腕を摑み、体を半回転させる。『ミニッツリピーター』を背中に背負う形から一気に地面に叩きつける
――背負い投げだ。
舗装された基地のアスファルトが砕けて舞い上がった。『ミニッツリピーター』の手に持ったナイフを捻り、『ミニッツリピーター』の心臓に突き刺した。
『ブルーティア』は後ろに跳んだ。
『ミニッツリピーター』がこの世にいた痕跡を消しさるかのような、大爆発を起こした。『トゥルービヨンド』と同じだ。『ザ・クロック』の指揮官以上は倒した時点で離れたほうがいい。
機密保持のために爆発しているのだろうが、自分を倒した敵を道連れにすることも目的にしているのかもしれない。この爆発の中心にいて、無事とは限らないのだから。
※
サウスブロックの一階はリクライニングルームで、ボーリング場やビリヤード台、カラオケルームなど様々な娯楽施設があった。
その一角にはソファーがあり、飛鷹は腰掛けて天井を仰いでいた。
「お疲れのようね」
スワーラが声を掛けてくる。両手に持っていたカップの片方を手渡してくれたので受け取った。
「ありがとう」
カップからは緑茶の芳醇な臭いが漂ってきて、なんだかほっとする。
「緑茶は落ち着くな。なぜかねえ」
「香りは記憶を呼び覚ますわ。良い記憶も悪い記憶もね。きっとあなたは緑茶の香りに良い記憶が関連しているのね」
「そうかもな。実家で美味しい物を食べたあとで、最後の一杯として飲むのが緑茶だった」
「まだホームシックを感じるのは早いと思うけど」
「激務だったんでね。まだ一日も経っていないのに、『ザ・クロック』の最高幹部のふたりを倒したんだぜ。復帰戦としては十分すぎる」
飛鷹は自分の手を見下ろした。
昨日と見た目は変わらない。臭いも触れた感触も変わらないはずだ。しかし自分の手は血で再び汚れた。汚れていたことを思い出した。
こんな手で自分は雫と接していたのかと思うと、とても罪深く感じる。
「あいつは自分を老兵といった。自分が機械仕掛けの囚人とも」
「経験は豊富だけど、実戦を遠ざかった兵士たちが発起した。そう情報部でも分析しているわ」
「早いな」
「私たち以外の部隊でも新生『ザ・クロック』の幹部を撃破したけど、戦った隊員たちの話ではベテランの動きだったと報告があったのよ」
「大人しく引退していればいいのに、どうしてこんなことを」
「先が見える老人だからこそ、焦りがあったのかもしれないわね。迷惑この上ない話だけど」
スワーラは肩をすくめて苦笑する。
「ほんとだぜ」
飛鷹もため息交じりに言う。
「怒らないの?」
「その気力もないさ。ライドン・ヘンダーソン基地のあとでも、五回も戦ったんだぜ。幹部ふたりの首をあげたんだ。少しは休ませてくれてもいいだろうに」
「『インタグルド』は物量でいえば圧倒的に不利だわ。来たるべき決戦のために、少しでも戦力は温存しておかなければいけない。つまり、私たちが出撃して倒せば最小限の被害で済む」
「理屈としてはわかるが、かなり疲れた。いくらなんでももう戦えない」
「大丈夫よ。あなたは若いわ」
「『インタグルド』は相当のブラックだったんだな」
「秘密組織だから労働署の監査は入らないわよ」
「うへぇ。戻ってくるんじゃなかったぜ」
飛鷹は肩をすくめた。
「その代わり給料は破格だわ」
「知っている。この年齢で億の預金がある奴はそういないだろうからな。世界を守った対価としては安い気がするけどさ」
怪我をしたあとのフォローもしっかりしていた。『ザ・クロック』事変のあとに入院していた病院は充実した施設とレベルの高い職員を確保した一流の病院で、だからこそ自分は日常に復帰することができた。
もしごく普通の病院だったら、未だ入院中だ。
「なぜみんな戦っているんだろうな?」
自然とそんな言葉が零れた。
「人が戦う理由は様々よ。生活のため。お金のため。国家のため。家族を養うため。プライドのため。『ザ・クロック』の犠牲になる人々を減らしたい。家族を守りたい。
色々な理由があり、死にたいとは誰も思っていなかった。でも、死んだわ。即死したもの。病院でひっそりと息を引き取ったもの。私が最期を看取ったもの。色々いた。
どんなに素晴らしい、志が高い、と言われる理由があっても、死神は考慮してくれない。正義だから生かすなんて親切なことはしない。訓練を積んで、豊富な実戦経験があったとしても、まるで努力や経験をあざ笑うかのように死神は命を狩りに来る。生死を分けるのはただ、運だけよ」
スワーラの言葉は数多の戦いを経験したベテランの重みがあった。
『ザ・クロック』事変のあとも、戦い続けた彼女とは歴然とした差があるのを実感する。
「あなたはあなたの目的のために戦えばいいわ。誰も人が戦う本当の理由を操ることなんて出来ない。どんなに圧力を掛けても、最後に戦うと決めるのはあなたの意思よ。それが復讐のためだとしても構わないわ。私たちはとても助かるから」
「利用されているようで釈然としないな」
「お互い様よ。あなたは力を得て、『インタグルド』は『ザ・クロック』から人たちを守る戦力を得られる。どちらも損はしないわ」
「そうだな」
悔しいがその通りだ。
「しかし人を殺すのは気分が悪いぜ」
「また慣れるわ」
「そうだな」
『ザ・クロック』事変のとき、最初は人を殺すのが嫌だった。しかし人は慣れる生き物だ。段々となにも感じなくなっていった。
今度の新生『ザ・クロック』との戦いでも同じになるのだろう。人を殺していくうちに、なにも感じなくなる。人として正しいのかどうかはわからない。ただ殺さなければ復讐は果たせないし、仲間が死ぬ。それが嫌だから殺すしかない。
「あんたは最初に人を殺したとき、嫌だったか?」
「罪悪感は抱かなかったわ。猟師だった祖父と一緒に狩りをしていたからでしょうね。スコープの先にある獲物が命を落として、なんの感慨もなかった。いつもは鹿や鳥、ときには熊を殺すけど、人間が追加されただけ。
人間を鹿や鳥と同じ扱いにするなと怒るひともいるでしょうけど、私からすれば変わらない。スコープの先にある命に違いはないわ」
歴史に名を残すような超一流のスナイパーは幼少の頃から狩りをしていた場合が多い。彼女もそのパターンのひとりというわけか。
「大勢の大を生かすために、害となる小を殺す。人間という種を生かすためには必要な事よ」
「割り切った考え方だな」
「悩みがあればいつでも相談に乗るわ」
スワーラは立ち上がり、背中を向けて歩き出す。
「あんたも相談してくれよ。いつでも相談に乗るからさ」
「ふふっ、ありがとう」
スワーラは振り向きながら、微笑んだ。
美人はただ微笑むだけで絵になるのだから羨ましい。




