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目の前には指でなすった血の跡が無数にある。
ガラスから光が入り黒いラインの向こうには一面の白い世界。
……
血潮は体から抜け落ちて床に広がり倒れる僕より大きな水たまりを作る。
傷は塞がることは無く、広がることも無い。
床からは暑さ寒さも感じない。
何も感じない。
僕は死んでいるのか?
きっと死んでいるだろう。
他の誰よりも死んでいる。
意識はだんだん薄れて、ロウソクの火のように簡単に吹き消せそうなほど生命が薄れて行く。
トクン、トクンと残りの血液が体をめぐっているのだけが感じられる。
それは微弱で、微弱であるはずなのだけど、この空間にそれしか無かったから、感じられた。
それも時間と共に薄れてきて。
眠るともまた違う、薄まっていく。
脳が深く息を吐き続けているそんな感覚。
あれからどれ程時間がたったのだろうか?
時間の感覚が取れないが、指先の原型が無いほど引っ掻いたのは覚えている。
一日、二日、三日……。もっと長く、永く。
何故出ようとしていたか、目的を思い出せない程に。
何だっけ?
いいや。
もう、いいや。
………………
…………
……
「助けに来ましたよ」
ガラス片が僕の顔に当たる。
分厚いガラスをバリンと大きな音とともに割って入って来た。
天使。そんなシルエットが逆光と共に目に入る。
僕は床に散らばったガラス片と同じく、その一部であるかのようだった。
重い。鈍い。
痛みで意識を取り戻した時には割れた装置の外側が目の前にある。
僕は生きていた。生き返った。
「目覚めましたか?」
「羽?」
床に映る影もまたそうだった。
「そう見えますか? 羽。うん。羽ですね。不格好、ですね」
「まだ動けそうにないんだけれど、もう少しだけこのまま、でいいかな?」
「いくらでも良いですよ。っていっても私もそんなに長くは持ちませんが」
見上げるとその人には片腕が無く、血まみれで自分なんかよりもボロボロで。
「何……っで……」
無理をして話していた声は涙で更に擦れる。
「案外、泣き虫さんなんですね」
「何で僕なんかの為に」
「なんか、じゃないですよ。私には貴方しかいないですから。
元々その為に作られた存在です。
こっちに来てからは何の為に生きているかわからなくて、ただただ日々が過ぎていくだけ。
製造した彼女を恨もうと思いましたが、恨む心は芽生えず。
どうあがいてもお人形でした。
ここで厄介払いされるのだなってなんとなくですがそう思いました。
胸の内に残っていた記憶が消えるのは自分が全否定される様で。
貴方という唯一の関係を切られて、痛かったんです。
廃棄してくれればどんなに楽だったか。
私は人造物です。
何年とも分からない寿命を何も無いここで過ごすんです。長いですよ。辛いですよ。
普通の人が作り出せる一を作れない私がゼロからのスタート。
取り上げられた私には何もなくて。
怖いですよ」
こっちに来てから感情を表に出す姿は初めて見た。
そして、初めて出会ったあの時も含めて。
無機質的な所に見覚えを、懐かしさを感じていた。
姿は違えど、重ねていた部分は確かにあった。
それを、今更思い出したんだ。
「僕と過ごした時間はつまらなかったかい?」
「わかりません」
「無駄だった?」
「わかりません」
「何も思わなかった?」
「わかりません」
「……」
「……けど」
「けど?」
「離れるのは怖かった」
「僕とこれからも一緒にいてくれないか? ってこんな体勢でっかっこ悪いな」
「……ええ。本当に」
「残りの人生、僕と一緒にいてくれませんか?」
「明日、目を覚まさなくなるかもしれませんよ?」
「うん」
「もしかしたら、この体のまま、足手まといのまま、十年以上生きるかもしれませんよ?」
「うん」
「私が目覚めず、話さないんですよ? いい年して一人で過ごすことになるんですよ?」
「いいよ」
「良くない。良くないです。私は、私は!」
「それじゃあ……、誰かいい人が見つかるまで一緒にいてくれないか? 空気の美味しい山奥とかもいいかも、海辺もいいね。釣りとかやってみたい」
「ズルいですね。人が少なそうなところばっかりじゃないですか」
「ねえ。手握ってくれない?」
「嫌です。頭をなでるのに忙しいので」
僕はその手の甲に手を重ねた。
「少し眠るけど。逃げないでね」
「逃げられませんよ。頭でロックされちゃっていますし。そんな力も残っていません。あなたが目覚めるとき時には私はもう……。いえ。私も眠くなってきたので少しだけ……。
いい夢を見させてくれてありがとう。
大好きだよ」
僕はそれに答えられなかった。
単純な答えを頭の中だけに繰り返す。
そして、僕も眠る。
『ねぇ。あの子に会いました?』
『あの子?』
『おっかしいなー? すぐにわかると思うんだけれど……。会ってからのお楽しみって事で。ってもう時間じゃん! ごめ。またかけなおすわ。じゃあねっ』




