(1)
今頃あっちは夏だなと蒸し暑いのだろうなと地元が懐かしく思える。
ここでは気温湿度が管理されている。偉い人曰く、全ての人が過ごしやすい気候なのだと。植物園や動物舎の温度が自己で調整出来るのを除けば、学内は定められている温度らしい。服に施した魔法も相まってかもしれないが、とても過ごしやすい。特に寝苦しい夜を過ごさない事がとてもありがたい。高い買い物をしただけはある。だが、どこか、やっぱり物足りない。ホームシックに近いような、少しセンチな気持ちになった。
今日はやけに混み合っていた。講義が5つ重なっていた事もあるが、それにしても何処からこの人数が湧きでてきたものか。落ち着いてランチもままならない。そんな雑音に包まれている。
“ファミレスでは集中するのに適した雑音だ“なんてどこかで聞いた受け売りだが、そこよりも声は響いた。決して騒いでいる人がいる訳で話無い。そんな、なぞなぞみたいな答えは、音楽がかかっていないからだ。相殺するものは何もないから音が直接的に響く。食事は慎ましく取りたい派の僕はいつもより少し速めに箸を進めた。
「なんだか騒がしいですね。やっぱり下のコンビニに……いや、B定食の魅力には勝てないですね。残すのも申し訳ないですし。今日はハンバーグドリアにボロネーゼとプロシュートのクリームパスタですよ! 食べるしかないじゃあないですか」
体育会系の食事量の彼女は、今日の所は少しばかり心が同調した。
「知っていましたか? なんでも、魔法をかけた音楽は洗脳になるらしいですよ?」
「へぇー、そうなんだ」と僕は知っていた知識に相槌を打った。
最近は扱いにも慣れてきた。僕が飼い慣らされているという表現が正しいかもしれないけれども、少しずつこの環境に心が適応してきた。
このまま、ここで教授をしていくのも悪くは無い。そう思える時が来た。
僕の穴だらけの論理が続く限り、ね。
「相席、いいですか?」
そんな言葉に僕は「いいですよ」と答える。
ぐるるるると犬のように唸っている彼女に「デザートたべたいな」と小さく言ってみた。「しょうがないですね……手出ししたら、分かっていますよね?」と二人の女の子がおびえる様な声色でガンを飛ばしてから下のコンビニへと向かった。
「今日のワンコは一段と怖かったねー」
「だから、後にしようって言ったじゃない」
「でも、学食冷めちゃうよ? それに……」
「それに?」
「ううん。なんでもない」
「気になるじゃん」
「いいから、いいから。それより聞きたい事あったんじゃないの?」
「そうだった。時間あんまりないよね? 時間大丈夫ですか?」
「答えられる範囲でなら」
「それじゃあ。これなのですけれども――」
この子は魔法陣学科の生徒だ。
もう一人は見覚えが無いので友人であろう。
名前はエレナ? じゃなくって……、エリザ? いや、エリザベス。多分エリザベスであろう。ともかく他の人からはエリーと呼ばれている。
名前が伏せられている事もあり、中々、名前を聞き出すことが出来ないので想像で補っている。間違えるのはかなり失礼なので、あくまでも想像と心に刻み込んでいる。
皆さんより年下なのであだ名で呼んでも許される点は少しラッキーだった。これが年上だったりしたらセクハラで訴えるなんて事もあったかもしれない。
それでも不用意に名前を呼ばない癖みたいなものは付いてしまったのは、僕的にはなんかモヤモヤした何かが残る。それでも成り立っているので深くは考えない事にした。
「ここなのですけれど、この魔法陣をエネルギー源の代わりにして、こっちを素材にして、これに繋がっているので素材供給したら永久的に発動できませんか?」
「そうだね。」
「そしたら、そしたら。もっとすごいものが作れませんか!?」
身を乗り出して意見を求めてくる。こんなに異性の人と顔と顔の距離が近いのはいつぶりだろうか? 決して嫌って事は無いが……、どうも熱中している人を見るとなぜか冷静になってしまう。隣の人はにやけているし。
「さすがだね。学年十位。でもさ、距離近くない?」
「す、すみませ……その熱が入るといつもこうなんです」
素早く、元の座っていた姿勢に戻った。よほど恥ずかしかったのか、みるみる内に小さくなっていったように感じた。
友人が「いい感じじゃない?」みたいな事をと耳打ちしているのが、とぎれとぎれにこちらにも聞こえていた。
どちらかと言えば、高校時代の自分は友人側のタイプかな。
このまま終わるのでは、自分のコケンにかかわるので少しだけ。
「さっきのだけれど、永久機関ってのはちょっと難しいかな? これからやるんだけれど、このページ。そうそう。簡単にいうと陣から放出エネルギーが出るんだ。そのエネルギーで陣は摩耗してしまうんだ。摩耗を防ぐ陣は他のエネルギーに変換させれば理論上可能だけれども、それが陣の魔法発動の阻害になってしまう。このエネルギーの逃げ口を作っても、その大きなエネルギーを消費する陣が必要になる。逃げ口のための逃げ口を作るって所でループするんだ。そこが現在というか今後も不可能な状態なんだ。」
少し涙目になっているのに気がついた。
やばい。少し語りすぎた。大人気なかった。
友人もポカンとしているのも、今しがた目に入った。
気をつけていたのだが、どうしても得意分野に入ってくると饒舌になってしまう。
語り足りないのは心の奥深くに沈めておこう。
「その理論上は間違ってないし、まだ研究が進む可能性があるかもしれない分野だ。まだ習っていない事の予想を立てるのは大事な事で、これからの自分に良い影響を与えると思うよ。そういう姿勢って重要だからね。だからこれからも頑張って。困ったことがあったら、いつでも相談に乗るからさ」
なんて口下手。
近日中に会話術の本でも注文するかな。
「が、頑張ります」
涙が垂れるのは防げたようだ。
ばれないように、肘でつつかれていたのが見えたのは内緒だ。
「女の子を泣かせた後、優しくするなんて、女の敵ですね。最低です」
ヌッとテーブルの下から顔を出した。
死角から出てかなりビクってなった。
「コンビニに行っている間にイチャつくなんて最悪ですね。免疫の無い女の子に飴と鞭ですか。女たらしの才能がありますね」
「そこまでいわなくてもっ!」
聞こえてきた声が予想より大きく、また驚いた。
面を食らったようなワンコの顔は中々に趣深かった。
「あっ、デザートみんなの分買ってきたのでよかったらドウゾ」
「アリガトウ」
ワンコは気がきくやつで根は優しいのである。
ワンコ、わんこ、わんこ――本名は全く思い出せなかった。確か名前の頭文字がWとNとKから来たあだ名だったと記憶している。それと犬っぽい。
「ワンコちゃんと教授って――」
「ああ! 次、始まっちゃうよ! ほらいくよ」
「ああ、ちょっと!」
彼女たちは急いで次の講義へと向かうのだった。入り口で「ワンコちゃんごちそうさまー!」と叫んでいたのを僕たちは見送った。
少しの沈黙が少しむずがゆくこちらから喋りはじめてしまった。
「デザートごちそうさま。それともっと早くに帰ってきたのだろう? 空気読んでテーブルの下に居たのか?」
「……そんなことないです。」
「次の授業はいいのか?」
「まだ数分ある。その――褒めてくれない?」
「ありがとう」
「……足りません。また後で会いに行くので考えておいてください」
その顔はとても満足げになっていた。
新しい教科書の表紙を見る。なんとも嬉しいものである。今日来たばかりなのでまだ開いてはいないが、研究室に戻る前に表紙だけは我慢できずにカバンからわざわざ出してしまった。これ以上は表情に出てしまうので我慢、我慢。新しくゲームを買った少年のごとく僕の心はときめいていた。教科書の構想はすでに出来ており、もろもろの事を考えたら渡せても夏休み前くらいかと考えていたが、こんなにも早く渡せるとは思っていなかった。
行動力があるとはすごい事である。「じゃあ作っちゃいましょう」の一言で終わりだもの。僕が用意しといたのはもうすぐ完成する教科書のデータだけで他を全部ぱぱぱっとやってしまった。生徒的には早く渡って満足そうだったからよしとするが、自分的にはよろしくなかったので、教科書の巻末に名前を載せる事を提案してみた。それに感激するほど嬉しむ奴もいたのだよ、これが。それで全員の名前が分かるだろって? まあ、あだ名で載せる人もいるくらいです。全員が本名で載せていないかもしれないので一概には言えないです。それに購買でも買えるし、こんなものでしょう。
達成感はあるようで今日の授業はいつもより熱心だった気がする。
今日の所は、対策プリントでも作りますか。
名目上は教授ですから。