プロローグ:魔法学校1
シャッ、シャッ、シャッとペンの音が空しくこだまする。
採点というものはどうも苦手であり、面倒くささが後から追いかけてくる。苦手と面倒くさいが頭の中でループし、そんな悪循環が僕の心を締め付ける。人に評価をするほど偉い人間なのか、疑問に思う事で余計に時間がかかる。腰が痛い、早くベッドに入りたいと、また無駄な事を考える。
「コーヒー入りましたよー。うわー、まだかかりそうですね」
資料を避けつつ、コトンと音を立て左斜め前に置かれる。
「休憩にしますか」
机に向かうのは未だに慣れない。肩甲骨をほぐすストレッチをしながら休憩のタイミングを計る。
「ダメです」
コーヒーを飲むために書類を片付けているところに「ダメです。これ以上遅らせたら遊べなくなるじゃないですか」と立て続けに言われた。これが俗に言うダメ押しだ。
「別に休日はいらないのだが」
「この、仕事人間め。私と遊ぶ約束はどうなるの」そう約束をした覚えがなく、「ここ数日、遅くまで研究室に一緒に居たじゃない」そう頼んだ覚えもなく、「ああ、もういけず。こんなにラブコールしているじゃない」そんな言葉達を左から右へと聞き流した。
「そんなクールなところも素敵」
「僕をからかわないでくれ。やればいいのだろう?」
「さっすがー。デートしてあげる」
「はぁ」とため息を一つつき、幸せを逃がす。
「なによー。もう、不満なの?」
コーヒーを垂らさないように飲みながら、僕はレポートの採点を続ける。
魔法学校で教員をしている私ですが、『魔法学校』といえば何を想像しますか?
生徒が魔法の修行する所なんてイメージをお持ちでしょう。
正解です。
しかしそれは一つの側面だけで、勉強として学ぼうとする形は限りなく存在する。
ここは大学で、法学、医学、工学、文理学、経済学、教育……など分野が分かれる。
それぞれには学びたい分野があり、住み分けってものがある。
講義だって他の大学となんら変わらなく、大半が講義室で椅子に座って授業。まあ、実習は多少派手なのかな? 教える側なので言えるが、そんな毎回毎回派手にできるものではない。魔法使用には書類とか書かなくてはならないのでちょっとした手間が掛かる。
それでも想像しているものよりは遥かに地味で普通の講義である。
結局のところ学校なのである。
大きく異なる所は授業内容で、常に未知が含まれている。
誰も開拓していない所を歩くようなものが大半だ。
未知の分野に正解は無いが、不正解は存在する。
だからこそ僕は正しい事を教えているのかどうか、それは常に僕に付きまとう。
空腹でコーヒーを胃の中に入れたせいか、少し胃がきりきりとした。
それからさほど時間はたっていないが、切が良い所なので休憩がてらに食事を取ることにした。
採点がまだ残っていたが夕食の時間には遅く、少し目眩がした。
脳が栄養補給を所望したため、疲労困憊の体を動かす。
「もう限界。はよ食べ行こう。いつもより遅いからあまり食べられないかもなー」
そんな事を言っている彼女には少し感謝していた。
彼女が居なかったらレポートの採点は終わっておらず、やらなかったまである。なんだかんだ僕が教授として上手くいっているのは、この子のおかげなのだと、ぼーっとする頭で後頭部を見上げた。
夜風が冷たく何か羽織っておけばよかったと少し後悔しながら、食堂まで五分の距離。
蛍光灯がチカチカと瞬く。
鼻歌交じりに『学食』と歌っていのがやけに耳に残った。
「今日は私のおごりね。感謝しなさい」
「今日もだけどねー」
「ひもね」
「ひも言うな。お金が無いのだよ」
無い事は無いのだが、学食だけ毎食食べたら給料の大半をつぎ込みそうな位の値段である。そのため金銭面的には注意を払わなくてはならない。それなりにやって行けば程々の貯蓄にはなるのだが、気を抜いてしまえば素寒貧だ。
性格も相まって、僕はお誘いに強く断れない。
「不幸な貧民に飯を与える。ここまで悦な事があろうか」
「自腹で下のコンビニ行ってくる」
「まってまって、おねぇさんに払わしてください。そうそうコンビニばっかりは体に悪いの。君は特に好きなものしか食べないから栄養が偏るの。だから、私におとなしくおごられなさい!」
僕はこんな小さな意地悪を時々仕掛ける。顔を少し歪めて焦ったふりをする姿、それが妙に人間くさくていつ見てもなんだか心が落ち着く。
食堂に着くとトテトテと券売機の方角へ向かう。
「なんでなのよーーー」
そう食堂で哀れな声が響いた。
僕は後ろから「コンビニ行くか?」と声をかける。
「うぅ……うぅ……」
ボタンを押しても食券が出る気配が無く、ボタンをカチカチと連打を繰り返す。
壊れている訳ではなく、赤いランプで売り切れの表示が点灯しているのだ。
「もう行こうか?」
「……うん」
機械に当たるのは満足したようでトボトボと歩き始める。あからさまにテンションが下がっており、さすがに全部売り切れの表示は流石に可哀想だった。
「A定食、B定食、C定食……」
そう呪文のように繰り返し、階段を下りる度におどろおどろしい声が後ろから響き渡る。
入店音が鳴った後、彼女はテンションを戻すために「限定商品食べるぞーー。うおーー」と叫ぶ。恥ずかしいからヤメテなんて感情はもうとっくに捨てさっていた。
僕が適当にパンと温かいカップスープとデザート2つを持ってレジに向かうと「無いんですか? 在庫も? 本当に無いんですか?」と店員にせまっており、店員は「すみません。すみません」の一点張り。
やはり、面倒くさい奴だなと思ったが、店員はその何倍もそう思っていたに違いない。
「再入荷。そうよ、再入荷。それまで待ちましょう。確か2時だったわよね? それまで待ちましょう。」
「夕飯を一緒に食べるのではなかったのか?」
店員を見かねて僕はそう問う。
彼女はすごく悩み黒い携帯を取り出し、「今すぐ限定の季節パスタを持ってきなさい。え? 無い? 無いじゃないでしょ? 持ってきなさい」そう言った所ですぐさま携帯を奪い「すみません。無理を言ってしまい。えぇ、えぇ。言い聞かせますので心配しないでください。夜分遅くに申し訳ありません」勝手に電話を切り、彼女に電話を投げ返す。
「今日の所はこれで我慢しろ」と適当に菓子パンを渡した。
「……総菜パンがいい」
総菜パンを適当に手にして、先ほど渡した菓子パンも一緒にレジに出し財布から白いカードを会計のパネルに当てていたのが出入り口からちらりと見えた。
僕は空腹に耐えかねて、コンビニ備え付けのお湯の出るウォーターサーバーで入れて飲み歩く、品があるとは言えないが背に腹は代えられない。
「さあ、タダで食べられるのだから、私に感謝しながら食事にありつきなさい」
僕は彼女が満足なら気分を害する余計な事は言わない。
決して餌付けされて飼い慣らされているからではない。
出会った時、そう決めたからだ。