1-9.知遇
「では、もう一つ……」
ウィステリアが質問を続けようとすると、同時にリンが言葉を発した。
「外」
窓の外に目を遣ると、広野に薄らと無数の動く影が見て取れた。次第に強くなる振動も伝わる。
「動物……いや、魔物の群集か」
このままではその内正面からぶつかってしまう。
「数は正確には分からんが大小合わせて十万はありそうだ、接触までは三百秒余りといった所かな」
「どうしましょう、一旦止まってどこかに隠れますか?」
ウィステリアは立ち上って狼狽していた。
クロウは冷静に言う。
「いや、このまま直進でいい、リン、密度の薄い所を抜けるんだ」
クロウはウィステリアの肩を宥めるように叩き、着席を促す。
「すみません、取り乱しました」
ウィステリアは胸に手を当てて深呼吸をする。
落ち着きを取り戻しつつあるが、冷汗は止まっていなかった。
つい先程コッコの凄まじい実力を目の当たりにし、クロウの思考力を知り、現在もそのクロウの落ち着き様を目の前にしていても、蠅龍と対峙した恐怖体験に加え魔物自体未だ見慣れないウィステリアにとってこの状況は耐え難い恐怖だった。
それでも堪えた、この者達ならきっと大丈夫だろうと、必死で自分に言い聞かせた。
「ウィステリア、よく見て置いた方がいい、これは魔物と接するいい経験になる」
クロウの言葉にウィステリアは困惑する、酒精を目にかけられた記憶からクロウには平気で人を甚振る者という印象を持っていた。
然し自分には経験が無さ過ぎるというのは自覚して居るし、この先そういった経験不足が障害となるだろう事は間違いなかった。
ウィステリアは窓の外を観察する事にした、注意深く何一つ見逃さない意気で。
その時、何頭かの魔物が横切る音がした。
次第にその数も増え、強くなる振動はいくつかのグラスを割る。
ウィステリアは驚いて頭を腕で庇う。
コッコは寝返りをうつ程度の反応だ。
「少し目紛るしいが、良く見ると魔物の方が馬車を避けているのが分かるだろう」
クロウは変わらない口調で話を続ける。
「凄い、魔物が道を開けてくれているみたい」
ウィステリアも恐怖心を押し殺して窓の外を眺めていた。
長く、時折強くなる振動は恐怖心を駆り立てる。
震える肩を右手で強く抑えていた。
「この速度で正面からぶつかり合えば並の魔物なら即死だからな」
「そうよね……」
殊この車に至っては鋼鉄製で、牛だろうと象だろうと頭蓋骨を粉砕し瞬時に肉塊とし踏み倒して行くだろう事は明らかだった。
それでも、仮に衝突したならば繰り返す衝撃に耐えられず、あっという間にがらくたになるだろう事も明らかではあるが。
「でも恐らく彼らは、我が身可愛さで避けている訳じゃないんだよ」
「どういう事ですか?」
「自分の命だけを優先するならそもそもこんな大移動なんて危険な事はしない」
多くの、それも多種族の言わば冷戦状態と言えるその大移動は、食う事も休む事も許されない。
若し、少しでも隙を見せたなら途端に命を取られかねない。
そんな地獄の道を敢えて選んだ。
彼らは大きな賭けに出たのだ。
「言われてみれば、確かにその通りです」
「この馬車を避けている理由は一言で言えば、利益がないからだろうな」
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暫くして魔物の群れを抜けると、休息も束の間に次の群れ、またその次の群れ、何度も大群に遭遇し、通過してきた。気が付けば疾うに日も昇っている。
「今度は動物の群集か、動きも鈍いし、他のものと違って一方向へ進んでいる様子もない、あれはここらで拠点を置くつもりなんだろうな」
今までと打って変わって長閑な光景がそこにはあった、共生するには少し個体数は多いが動物達が草原に、丘に、森に、山に、そこかしこで新生活を始めようとしていた。
「彼等は動かなくて良いのでしょうか?」
「恐らく別の場所からここに移動してきた者達だ、ここがあれ等の新しい生活環境になるのだろう」
どこを見ても自然、然し大地は踏み倒され木々は薙ぎ倒され、そこは到底生物にとって住み良い環境とは言えなかった。
「この様な環境で生きて行けるのでしょうか」
「無理だろうな、通過してきた魔物達もそうだが、あれ等の多くは死ぬだろう、だが生きるものも居る、それ等が新しい環境を形作るんだ」
突然の環境の変化は生物にとって多大なストレスとなる、より良い環境へと住処を移したところで安息はないし和らぐ程度でストレスである事に変わりはない。
その上同じ境遇にある別の個体、別の種、天敵、激しく繰り広げられる生存競争に打ち勝つことは大概の生物には難しい。
「この光景は二度と見られないのでしょうか」
ウィステリアは憂いていた、窓の外にある他の存在が危機的状況にある事を。
「だろうな、中には絶滅する種も多数あるだろう」
クロウも半ば嘆いていた。
風前の灯が如くある生命を尻目にかけて、鋼鉄の馬車は通過する。
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あれから一晩かけ、山を一つ超えて一行は牡丹国へと辿り着く。
其処はまるで、理想郷だった。
「どうして、これ程の事態なのに……以前私が見た時と何も変わらない」
それは整備された鉄の街とはまた違った、自然の美しさがあった。
青い山には白くきらめく川が動植物を育み、深い谷には滝が虹を作る。
その在り方は美しすぎた、不自然な程に。
少し離れた周囲は魔物に住み倒され、無様な廃地となっているというのに。
「さあな、ある程度想像はつくが流石に正確な事は俺にも分からないよ」
近づくに連れて空気は澄んでゆき、動物性の本能を擽る様ないい香りがしてきた。
建造物は木造で自然と調和した意匠が成されている。
また住まう人々も美しく、自然の力に溢れ輝いている様に見える。
「さて、こんな時期にすんなりと入国出来るものだろうか、予兆蝶の事だから手筈は整えてありそうだが」
国の入口の関所には、頑強とは言えない木造の門があるだけだった。
きっと他の部分で防犯は間に合っているのだろう。
馬車を停めてクロウが車を降りると、二人の人がこちらに向かって寄ってきていた。
「待っていたよ、君達が藤国の王女と鴉の名を冠する帽子の男だね」
話しかけてきたのは背に虫の翅を生やした小柄な男性。
その隣には甲冑を身に纏う者が立っている、兜で顔は確認出来ないが静かにこちらの様子を伺っている様子だ。
「ああ、やはりある程度話は付いているようだな」
「君達は先ず何故呼ばれたのかが知りたい事だろうと思うけど、取り敢えず女王様の所へ急いで」




