1-8.処遇
「何なんだあれは……魔法が全く通用しない」
腕を失った肩を止血しながら人の亡骸を歩く男は、徐に死体から剣を抜き取って巨大な怪物の眼球に投げつける。
「これでも喰らえ……!」
剣は勢いよく飛び、見事命中した。
然し、怪物の眼球は剣を弾き返し、屈辱にも怪物は、彼の攻撃を気に留めず見向きもしなかった。
彼はと言うと、不運にも弾かれた剣に当たって絶命してしまっていた。
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桜国、国防省内を絶え間なく人が駆け回る。
指揮官室では指揮官ウォームスと近衛隊隊長フィルが話していた。
「魔法が効かん龍なんぞ見たことがない、加えてあの巨体に物理攻撃をも弾かれてしまっては手の打ちようが……」
女王の留守中に嘗てない脅威に晒され、ウォームスは焦燥に駆られていた。
「松国、梅国、菖蒲国の援軍が到着しなんとか侵攻を食い止めていますが、このままではじり貧です」
「分かっている、女王が戻るまで何としてでも守りきらねばならん」
ウォームスは頭を抱え、ため息をついた。
「先ずは敵の情報を収集しなくてはいけませんね、現場で戦っていた者を呼び出しましょうか」
「いや、怪我人を歩かせたくない、直接出向こう」
ウォームスが立ち上がろうと椅子に手をかけた瞬間、扉を強く開かれ大きな音がした。
「指揮官はここに居るか」
入口を潜るようにして入ってきた大男は、角を生やし髭を蓄え黄金の鱗を煌めかせていた。
後ろを桜国近衛の兵が付いてくる。
「すみません隊長……止められませんでしたぁ」
男を見て、ウォームスは再び腰を下ろした。
「私が桜軍の指揮官、ウォームス・マーチンだ」
「私は近衛隊隊長のフィル・シルフィと申します、何用ですか?」
大男は二人を一瞥して勢いよく話し始める。
「我は紅葉国防衛大臣ノーヴァ・ファイアプレイス、錯綜に惟みれば一つ指針を要すると考え参った」
「君が紅葉国の……、敵について何か分かるのか?」
ノーヴァはウォームスの目を見据えて、今度はゆっくりと話す。
「奴はマナイーターと呼ばれる魔物だ」
ノーヴァが口にした途端、室内に無風が漂う
「マナイーターだと!?ただの虫ではないか!」
ウォームスは反射的に身を乗り出した。
フィルは額に中指を立てて考え込む。
「……しかし、それなら魔法が通用しないのも合点が行きますね」
マナイーターとは魔力を捕食し高度な魔法を使って食いつなぐ魔力生物の害虫。
大きさは保有する魔力によって増大し、基本的に魔法が通用しない。
「奴に弱点は無く、力で劣れば勝ちはない
早急に部隊を外側へ回し奴等の目を民から遠ざけるべきだ、国を背に戦う事は無い」
ノーヴァの言葉に反応してウォームスは冷や汗をかいた。
「奴等……?」
抱いた疑問を解消しようと、ウォームスは眉間に皺を寄せながら問う。
ノーヴァは重い息を吐いてから鋭い眼差しでそれに答える。
「我々は数日前に奴等と対峙した、その際にあれは十頭確認されていた」
フィルとウォームスは目を見開いて驚愕した。
「十頭……!?そんなものがもし押し寄せてきたらこの国は一溜りもないぞ!!」
ウォームスの声は震えていた。
「落ち着け、我が国では少なくとも一頭の討伐に成功している」
「なんと、あれを倒したのか」
一筋の光明を見て目に光を取り戻すウォームスに反し、ノーヴァの表情は少し曇る。
「結果我々の国は滅亡したが、奴らの生態からして残りの九頭全てがこの地にやってきているとは考えにくい、多く見積もっても三頭程だろう」
「三頭か……我々に食い止められるかどうか」
「我も力になろう」
ウォームスは全部隊に伝令をし、ノーヴァは戦地に赴いた。
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その頃クロウ等は野営を取り止めて南西の方角へと馬車を走らせていた。
「牡丹国のある方角だな、彼処は蝶人の多い国だ、もしかすると予兆蝶はそこに隠れていたのかもしれないな」
「美しく空気の澄んだ国ですね、一度訪れたことがあります」
馬車の中で話していると、コッコはクロウの膝枕でうたた寝していた。
戦闘を終え、外を周り、水浴びもせずに今に至るコッコの体は僅かに粘性を帯び獣臭がする。
クロウはそんなコッコを優しく撫でてやっていた。
「お前も少し休んだ方がいいよ、この先いつ戦闘になるか分からない」
ウィステリアは眠れないでいた、昨日やっと長い日々を終えたばかりで休息が欲しいところではあるが、立て続けに未知がなだれ込む状況に寝ては居られなかった。
「一つどうしても気になっている事があります、それだけ教えては貰えませんか」
「一つでいいのか?もっとあるんだろ、だから眠れないんじゃないか」
図星をつかれて気後れしつつ、ウィステリアは尋ねる。
「はい、では全て教えて欲しいです、先ずは暴食の蝿龍の件を」
「それは良いが、これは真剣な話し合いでも説教でもないただの勉強だ、休めながらに聞いてくれ」
クロウは傍らにあった枕を投げて渡す。
ウィステリアは受け取ると戸惑いながら膝の上に置いた。
それを見て呆れるように笑った息を漏らすと、クロウはゆっくりと話し始めた。
「何故生かして置く必要があったのか、だろう?」
「そうです、あれは人類にとっての脅威では無いのですか?」
「結論から言うと人類にとって大した脅威ではないな、勿論直接的にはという話で間接的に及ぼされる脅威というのはその限りではないが」
「確かに一頭だけでは街を一つ壊滅させるくらいが関の山かも知れません、然し複数が集まれば脅威となりうるのではないですか?」
「暴食の蝿龍は一つの群れに一頭だけ居る特異個体だ、複数集まる事はまず無いだろうが、仮にあったとして、それでも人類にとっての脅威とはならないだろうと思うよ」
「何故です?」
「動物的本能に依存した生物は単純でね、生態さえ分かれば大した脅威にはなり得ないんだ、蝿龍の場合は優れた魔力にしか食指が動かないという欠点がある」
「それで私は追われていたのでしょうか?いえ、でも殺された者達は皆……」
ウィステリアは惨状を思い出して悔し気に顔を顰める。
「そりゃ食べられるさ、奴は食べたいもの以外でも食べられるものは全て食べる、故に暴食と呼ばれているんだ」
「それでは、私の序でに彼等は殺されたというのですか……?」
「少なくとも護衛に付いたという騎士達は、お前を守ろうとしなければ死なずに済んだかもしれない、だがその場合お前が生きていたかどうかは分からないし、それは騎士達の望む事じゃないだろう」
ウィステリアは俯いた。
「お前の傍で死んだんだ、どうあってもお前の所為に出来る理由は付く」
ウィステリアは暗い表情のままに顔を上げてクロウに向き合う。
「はい、すみません続けて下さい」
「ともかく暴食の蝿龍は直接的には人類の脅威とはなり得ない、それを前提にして考えると今度は寧ろ人類にとっても必要不可欠な存在である可能性が見えてくる」
「共存関係ですか」
「どうだろうな、人類にとってというより世界の秩序を維持する為に必要といった印象かも知れない、特に今回の様な事態では重要な役割を果たしてくれる」
「それは私にも分かります、遺体の分解ですね、確かにこれだけ多くの動物や魔物の死骸があれば必要になりますね……」
ウィステリアは窓の外を眺める、常に移り変わるその光景に死骸の映らない瞬間は無い。
人間なんかより動物や魔物のほうが余程多い、当然だが放っておけば人間にとっても大変な事になるだろう。
「あれ?でも暴食の蝿龍は生きた獲物を襲って食べる個体ですよね、死骸を喰らうのでしょうか」
「いや、確かに暴食の蝿龍自体は遺体の分解といった役割を持ってはいないな」
「では生かしておく必要は無かったのではありませんか?」
「それは違うな、何故暴食の蝿龍という存在が魔蝿の群れに必要なのかという事を考えてみろ」
「……小さく大したエネルギー量を必要としない魔虫で、遺体を喰らう食性では食に困る事は無さそうですね、であれば天敵への対策として? 」
「それも無くはないだろうが、抑々か弱い虫だ大半は食われることを想定して生きているし、どれだけ食われたとしても絶滅する事は無いだろう、それに絶滅するまで喰おうという魔物も恐らくはいない」
「では何故……?」
「分からないよな、だがお前の考えも一つの答えだよ、真相を知る為には結局は机上の空論を唱え仮定する程度のことしか出来ないし、俺が考えているのも飽くまで仮説だ」
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クロウは一旦席を立つと、珈琲を入れて戻ってきた。
二つあるカップの片方をウィステリアに渡し、また元の位置に着席するとクロウは話し始める。
「根底にある摂理を組み立てる所から説明するが、お前の中にある常識を少し和らげておいてくれ」
「大丈夫です、既に私の中の常識は蕩け始めています」
クロウの存在を感知してコッコはまた膝に枕して寝入る。
クロウはコッコの頭を撫でながら珈琲を一口飲んで話を続けた。
「先ず頭に入れて置いて欲しいのが、一つの存在は物質からそれぞれに一定量の記憶を有しているという事、そしてそれは物質とそれが形成する存在自体が大きく高次元にある程に情報量も多くなると考えてくれ」
ウィステリアは眉間に皺を寄せていた。
「それは……生物に限らず土や水等と言った物質にも記憶があるという事ですか?」
「そうだ、元素や微粒子に至るまでの全ての存在にそれはあると考えてくれ」
「思考力の無い物質にそんな事が可能なのでしょうか」
「思考力があるんだよ、大なり小なりな」
「それは信じがたいですね、想像できません」
ウィステリアは難しい顔をしながら話の合間に珈琲を飲む。
クロウは少し考えてから話始める。
「先ず一番小さな存在が一定の記憶と単純な思考の元に生き、一定の法則で高次元の存在へと変わっていく、それは最初の小さな存在より大きく、且つ最初の小さな存在を含んだ存在となるが、最初の小さな存在の記憶や思考力は生きたままで次の、より大きい存在としての記憶と思考力も併せ持つ事になるんだ」
「脳を持つ生物はそれを統率して一つの思考として纏め上げているという事?」
「そうだ、常に無数にある記憶と思考の取捨選択をしながらな」
「少しだけですが、漸く理解出来ました」
一息をついて珈琲を飲んだ後、クロウは淡々と話を続けた。
「要はその、記憶等の情報を取り出したり保存したりする事で物質はより高次元の存在へと進化する事が出来、環境に適応する為に多くの情報を仕入れる必要があるんだ、だから食べる、それだけで記憶の欠片は得られる、そいつ自身とそいつが食べてきた全ての物質の記憶の断片が、そいつを食べる事でまた断片となって得られるとすれば」
「蝿の様な存在は死体から物質的な記憶を抜き取って、様々な生物へ伝える役割も担って居る事になる」
「……興味深い話ですね」
「まあな、時間があればもう少し深く追究しても良いんだが、今回は何故暴食の蝿龍を殺さなかったのかという問題だからこの位にしておくとしよう」
「えっと……蝿や魔蝿がそのような役割を担っている可能性がある事は分かりましたが、何故暴食の蝿龍が魔蝿の群れに必要なのかがまだ分かりません」
「それは、特別に高次元の相手に伝えたい記憶を集める為だよ、そしてこれは彼等自体にある意思ではなく環境的に生じる世界の総意のようなものだ」
「その、高次元の存在とは……龍ですか?」
「いや、龍より上の存在だ、暴食の蝿龍や他の龍種を主食にしている者達」
「……災神五芒星?」
「まあ一番上はそうだが、彼の者達は例外だ」
「そうなんですね」
「これに当てはまるのは龍より上の存在で五芒星より下の魔物達だ、例えば四象や巨龍種といった五芒星の庇護下にある魔物」
「その物達は龍を食べる事で、下の世界を把握しているという事ですか?」
「そう、その通りだ、彼等は滅多に動く事をしないし碌に食事も取らないで生きている、然し存続の為には環境を肉体的に把握し常に適応していく必要があるんだ」
「なるほど」
「そんな彼等から龍を、食事を奪えばどうなると思う?」
「……まさか」
ウィステリアは想像して戦慄を覚えた。




