狂戦士さんと天敵
ウーズの大行進を無事にやり過ごし、私達は樹海の中を歩き続けていた。
命の危機を躱して一安心、という所だろうか。シスの言う通りならあんな群れに会うことは殆ど無いようだが、最近少々運がないような気がする。私のせいじゃないといいけど。
そんな事を考えていた私だが、この時の私は気づいていなかった。ここまでのエンカウントがむしろ私にとっては極めて幸運な内容だったということに……。
"それ"が来たのは極々普通に樹海の中を歩いていた時。ウーズの群れをやり過ごしてからまだ十分経ったか経ってないかと言った所か。
入り口からこの辺りまでは苔生してこそいるもののしっかりとその姿を見せていた石造りの道も、一部完全に埋没しており飛び飛びになっている箇所がある。その事がここから先がより一層樹海の深部に潜り込んでいくという意識を強くする。
段々と樹々の合間が狭まり、より密集してきた時に、私は何やら危険が近づいてきている時の感覚を感じ取った。
大きな何かが木の上から落ちてくる。咄嗟に避けると、それは私にほど近く、大体三歩ほど前方に落下して、着地した。
奇襲と呼ぶにはいささか緩慢だが、落ちてくる位置によっては先手を取られていただろう。
まずいな、上への警戒が少々薄かったか。
どうしても人間と言うのは上からの危険に弱いものだとは聞くが、先ほどウーズの群れを抜けたばかりで少々気を抜いていたか、もしくは上方への警戒が緩んでいたかもしれない。
気合を入れなおし、落ちてきた相手と対峙する。
その相手の大きさは縦よりも横に長いという違いはあれど、概ね私と同程度だろうか。
黒光りした甲殻を携え、細身でありながら逞しい脚…………を六本も備えた生き物。
昆虫。
それを認識した瞬間、ぞぞぞぞぞっと背筋に寒気が走った。
「ひぃ!」
自分の喉から出たとは信じられないほどか細い悲鳴が口元から勝手に漏れていた。元々中性的な声ではあるが、こんな声は出したことがない。
ただ、今この瞬間だけはそんな事を考えている暇はない。
何を隠そう……いや、前にも言ったかもしれないが、私は…………虫が苦手……否。
正直、大ッッッ嫌いなのだ!
流石に現代日本で見かけるような虫達ならある程度我慢できる。が、今目の前に居るのは自分とそう変わらないサイズの化物である。
というか、こんなの好きな奴がいるはずがないだろう!? 人間サイズの虫なんて、見るだけで大ダメージだ。この間のタコといい勝負だ、方向性は違えど。
一応言っておくなら、虫が全てダメというわけではない。
ただ、中でも特に節足は、特に今私の目の前に居るタイプの虫は一等駄目だ。
細部をマジマジと見た日にはぞわぞわという根源的な気持ち悪さが身体中を駆け巡り、数日は消えない。蜂とかならまだ我慢できるんだが……やはり細部は気持ち悪いが。
って、固まっている場合じゃないな。
「ふん!」
飛び込んできたシスの強力な蹴りが甲殻にへこみを入れ、虫を大きく蹴り飛ばす。
ひぃ! なんでアレに躊躇無く蹴りをかませるんだ? 怖い! 私にはシスが分からない!
「どうした!? クルス! くっ、兄様! カバーを頼む!」
「あいよっ!」
どうやら私の悲鳴を聞き着けて咄嗟に敵との距離を離してくれたようだ。物凄く助かる。具体的に最近起きた出来事で言うと対熊さん時のリズリットさんの付与魔法くらい助かる。
駆け出していたジオがそのまま私達の間に割って入る。正直虫の前に立たないで良くて少しほっとしている。
「何があった!? 奇襲で毒でも受けたか!!」
シスが虫から目を離さずに聞いてくる。
「なななななななな、なんでもない」
「嘘つけ」
うん、自分でも無理があると思った。めちゃくちゃ目が泳いでるし。
でも正直言いだすのは恥ずかしいというかなんというか。
だが、今はとにかく一刻も早く目の前の相手を跡形もなく消し飛ばすのが先だ。
「気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪い! 」
鞭をめちゃくちゃに断続的に振るって一秒でも早く殲滅する。羽を広げてブーンとこちらに飛んでこられたら心臓が止まってしまうかもしれない。
鞭が命中する度に大きな破裂音と弾けた硬い甲殻の一部が飛び散り、怖気が走って思わず身体を仰け反らせてしまう。
かなり硬い甲殻だが、当たる度にバシバシ砕けている辺り私の馬鹿力ならそれなりのダメージになっているのではないだろうか。というかそうであって欲しい。とりあえず当たる度に動きが止まっているのは分かる。
相手は中々のキモ……じゃなくて俊敏な動きで回避しようとしているのだが、生憎この場には優秀な冒険者しかいなかった。
「よっ、とぉ! ひっくり返しちまえばこっちのもんだなぁ!」
ジオが 腹の下に槍を入れて払うようにして横転させる。どうやら体重は然程重いわけでもないようだ。
ただひっくり返すのだけは勘弁して欲しい。基本虫の腹にはトラウマの元しか詰まっていない。うぷっ。
まぁ、足をジタバタしている所を見ると相応に効果も高いのだろう。
「はぁぁああ!!」
そしてその動けなくなった無防備な腹にシスの斧が叩きこまれた。
微妙に発狂しかけていたら、シスが倒してくれたらしい。
「ふぅ、終わったか……。さて、何があったんだ、クルス」
「いや……何でもない。ただ、さっさと依頼を終わらせたいな、と思っただけだよ」
うん、本当にさっさと終わらせて帰りたくなった。虫系統の怪物は人類圏では最優先で駆除されるため、運が悪いか元々そういう依頼を受けるかしなければ遭遇しなくて済む。
が、樹海なのだから当然虫の魔獣も居るに決まっているよな……すっかりど忘れしていた。もっと獣系統の魔獣とかに会えないかというワクワク感が頭の回転を麻痺させていたらしい。最近ピコピコさせている子に会うことが多かったからなぁ。
さっさとフレンジを使用すべきだったかもしれない。その状態ならゾンビだろうが虫だろうが斬りかかれるのだから。後で謎の液体に濡れた鎧や身体にへこむことになるし、お風呂に入る時間も増えるけど。
正直な話をすると、遠距離攻撃手段を必要としたのもこいつら対策である。
小さな虫でも出来る限り直接斬りかかるのはとんでもなくハードルが高かったのだ。そう考えると手元にあるのが鞭で良かった。
「いや、先ほどの行動で何でもないは無理があるぞ」
ですよね。
「そ、その……」
「どうした?」
羞恥に頬が染まっているのを自覚する。だが、今後もこの系統の敵が出てくる可能性を考えると、ここで誤魔化すことは命の危機にすらなりうる。大人の男として恥ずかしい限りだが、意を決して告げることにする。
「その、虫が、苦手……なんだ……」
「ふーん」
「なんだそんなことか」
返ってきた二人の反応はふーん、くらいのものだった。別に珍しくもないらしい。まぁ、やっぱり等身大の虫は気持ち悪いんだろう。




