狂戦士さんと樹海
「……凄いな」
木々に囲まれた周囲をキョロキョロと見回し、その光景に思わず唾を飲み込む。
樹海の内部。まだほんの入り口に過ぎないが、生まれて初めて見るスケールの大自然に圧倒される。
海外旅行に行った時に日本を遥かに越えた自然というものを経験したことがあるし、こちらに来てからは迷宮を始めとした広大な自然物や、田舎にある人の手が入っていない自然というものに触れて多少は慣れていたはずだが、ここはまさしくそれらとは別格……いや、あえて別天地だと言わせてもらおう。
樹海に入る少し前から大きな木ばかり生えており、その時点で最早森と呼んでいいと思っていたが、本格的に内部に入ってからはあれらの木などほんの序の口に過ぎなかったのだと思い知らされた。
水辺も多く、動物が多く暮らしていくには悪く無い場所なんだろうな。私の知識ではおよそ見たことも聞いたこともないような大樹もたくさん見かける。妙にうねうねとして絡まり合っている樹があるが、一体どんな樹なんだろう。
一つだけ言えることは、この巨大さになるのに一体どれほどの年月を重ねてきたのか、私程度では到底想像も着かないということだけだ。
それらの樹々に日光が遮られ、日の入る位置が制限されているが、それすら眼前の神秘的な光景を強調する一要因でしかない。キラキラとした光の帯びが幾つも天から降りてきているかのようだ。
苔むした地面は歩く度に足元でシャリシャリとした小気味いい音を出し、少し癖になりそうだ。
ただ、少々虫が多いのが気になる。当たり前ではあるのだが、元からそこまで得意ではないのだ。むしろ苦手な方であると言っていい。……光の粒の様な何かが辺りを飛んでいるのだが、ホタルのようなものだろうか……もしかして、妖精なんて居たりしちゃうのだろうか、ワクワクしてしまうな。
「……幻想的、だな。うまく表現できないが、私などではそうとしか言えない。先程から、ドキドキとした胸の高鳴りを、止めることが出来ない」
ふぅ、無意識に止めていた息を吐き、そっと胸の鼓動を抑えるように心臓辺りに手を添える。脂肪が邪魔をしているが、振動が手から全身にはっきりと伝わってくる。
「ふふふ、凄いだろう? オレは未開地の中でもこの樹海が一等好きでな。一歩を足を踏み入れるだけで、口では到底説明できない自然の素晴らしさを体感できるだろう?」
私の独り言を聞いたのか、シスが振り返ると、両手を大きく広げて、目の前の自然を誇示するかのように言う。
でも、確かにコレは凄い。
「しかし、この辺りは道のようになっているんだな? 人の手が全く入っていない、というわけではないのか……?」
先程から小気味いい音を出し続けている足元は、明らかに人の手で加工された石材で出来た通路だった。深い森の中を一直線に走るその通路の表面は苔の緑に覆われ、半ば……いや、殆ど自然に呑まれてしまっている。
「かつて攻略しようとした時の名残がそのまま残っているのだ。最も、見ての通り苔だらけで欠けている、いつの時代のものかも分からんような代物だが。深層付近まで行くと全く見ないが、この通路以外にも色々と人の手が入った物があるぞ」
そう言ってシスがジャリジャリと苔の生えた石の道を足で擦る。
「まぁ人によってはこうした人の作った物が混じるのを、無粋に感じるかもしれんな」
何かを思い出したように、どこか憮然とした表情で足を空中に蹴り上げながらシスが呟く。パラパラと土に混じって蹴り上げられた苔が散らばる。
「でも、私は嫌いじゃないな、こういうの。人工物が自然物に呑まれているのってどこかロマンを感じないか?」
苔の侵食が進んでいるのが時の経過が想像させてくれていい味を出していると思う。確か元の世界でも廃墟が好きで回って写真をとっている、なんて趣味の人達が居たな。これは廃墟とはまた違うだろうが。
「分かるか! オレもだぞっ!」
その言葉がなにやらシスの琴線に触れたらしく、無駄にキラッキラとした瞳でこちらにぐいっと、目の前に寄って来て、開いている手をぐっと握ってくるシス。
下から覗き込んでくるその表情は大層可愛いのだが、どちらかというと夢見る少女というより、虫取りに励む元気いっぱいな少年の様な印象を受ける。
「あ、あぁ……昔の人の足跡が感じられるような、時の流れの残り香がするいい風景だと思うぞ。後、力込め過ぎな。痛い痛い」
どんどん私の手を握る手に力が篭ってきたので、少し強引に離す。私が痛みを感じるって相当だぞ。
シスはそれに謝罪すると、興奮しすぎたことを恥じるかのようにコホンと喉を整えて、少し離れて再び演説でもするかのように両手を広げて言葉を続ける。
「そう、古来より連綿と繋がり現代まで形を残してきた、人の営みの連鎖の象徴。それが目の前にあるというのに、何故台無しだなどという言葉がでるのか? オレには全く理解できん! まぁ、人の感性は十人十色なので、わざわざ否定するつもりはないが? わざわざ否定するつもりはないが!」
と、言いながらも、プンプンという擬音が出そうなくらい怒っているのが見て取れる。誰だ、面倒な事をこの人に言ったのは。
「いやぁ、クルスはよく分かっている! 全く! どこかの誰かはその辺りの風情が全然理解できなくて困るなー」
再び私の側に近寄ると、お互いの片手をスリスリと絡めつつ。バンバンとお尻と腰の間辺りを叩かれる。本来親愛の表現なのだろうが、力が強すぎてスパンキングにしか感じない。
「そりゃ俺の事か? 悪かったよ、初めて一緒に来た時にこんなの残ってんだなー、なんか台無しだな。なんて呟いてよ」
頬を引くつかせたジオが、前で立ち止まりながら声をかけてくる。
先程から耳をピクピクさせて聞いていたのだが、なるほどシスの言っているどこかの誰かはジオのことだったらしい。兄妹で感じ方が異なるみたいだな。
「いえいえ、オレが未開地の風景を心の底から愛しているのを知っていた上で、連れて行ってくれというから危険を押して連れて行ってあげた一等お気に入りの夜景達を、暗くて良く見えねーな、昼のほうがいいんじゃね? と言って回った兄様の感性には、もう二度と何も期待なんてしてませんから」
「わ、悪かったって……いい加減機嫌直してくれよ。な?」
二人して兄妹喧嘩の様な何かを繰り広げている。一気に蚊帳の外に置かれたな。
シスが少し拗ねているのがなんだか可愛いな、会った時からなんだか凄く大人な態度だったからな。まぁ、年齢を考えれば何もおかしくないのだろうが、外見を考えるとこの方が合っている。
やはり兄妹間では若干甘えがあるのかな。そしてそれは流石にどうだろう、ジオ。押し付けてきたならともかく、趣味嗜好を馬鹿にしたら戦争だからな?
まぁ、ジオが謝ってるからかそれとも弄っているからか、段々と機嫌は良くなってるからいいか。
ところでシス、腰付近を叩いていた手がすりすりと尻を撫でる方向に移行しているのはなんでかな?
「しかし、案外敵に会わないな……」
入ってからそれなりの距離を歩いているが、未だに魔獣と出会う気配がない。迷宮なら確実に怪物の一団とエンカウントしている距離だ。
「いたた……特におかしいことではないな」
頭を両手で押さえながらシスが言葉をかえす。
「場所にもよるが、この樹海は迷宮の様にひたすら戦闘、って感じじゃないわな。知性が高い奴はそもそも勝てそうにない人間にはそうそう近寄ってこねーし、根本的に戦闘が得意じゃない種族もいるからな」
「逆に言うと、それを押して出てくる奴はこちらを狩れると踏んだか、野生としての本能が強い様な獣系統の奴だ。草食獣だからといって甘く見るなよ、この樹海で生き延びている以上、それなりの力は持っている。基本戦闘になると思って身構えておけ。……おや」
そこでシスが言葉を区切る。
そして、すっ、と得物であるバルディッシュを振りやすい様に体勢を整えた。
「噂をすれば、という奴だな。さっそく来たようだ」
「一体何が……」
そこで気付く。
初めは分からなかったが、前方から衝撃を伴う音が近づいてきている。あれは……
「鹿、か?」
とんでもなくでかい、何故か樹々の様な枝葉の生えた角を頭から生やした、屈強なフォルムの大きな鹿だった。足の太さは人一人分くらいあるな。あの角のでかさでは樹々の多いこの樹海では引っかかってしまって相当生きづらそうなのだが。
ガサガサと回りの樹々の枝葉を揺らしながら、かなりの速度でこっちまで一気に突っ込んでくる。とは言え周囲の樹が邪魔をして一直線に、とは行かないようだが、重さを感じさせない軽やかな跳躍で避けながら確実に距離を詰めてくる。
「妙だな、あの魔獣は比較的温厚で、人を襲うと言うのはあまり聞いたことが無いのだが」
そもそも食えないしな、とシスが続ける。
「そうなのか?」
「うむ、どちらかと言うと食料の側だな。より強大な魔獣に喰われる方だ」
熊系統のとかな、という言葉に少々背筋が冷える。流石にあのクラスの魔物はそうそう出ないよな……? 居ないとは言わないが。
「のんきに話してる場合じゃねーぞ、くるぞ」
槍を腰付近で構え、少し姿勢を下げたジオの言葉に少し他所に行っていて意識を呼び戻す。
まずは目の前の相手に対処しなくては。
「とは言え、折角出てきたのだ。有りがたく素材を頂くとするか」
「あぁ。そういえば、素材の事を考えるとあまり傷つけないほうがいいのか?」
「オレは剥ぎ取りが苦手だから、あまり期待するなよ! そもそもこの武器で繊細に戦うのは無理だ!」
確かにこれ以上無いほど真っ二つ系の武器だったな、シスは。
突っ込んでくる鹿に対して、位置関係からまずはジオが対応する。
「おりゃ!」
鋭い突き。
それに対して鹿は槍の矛先から足を逃す様にずらす。
動物にしては反応が早いな。
「甘ぇ!」
ジオが鹿の足を刈り取るようにして突き出した槍を薙ぐ。これには反応出来ずに備え付けられた刃が足の肉を切り抉るが、切断するまでには至らない。
苦悶の鳴き声を上げつつも、敵対者に対して自慢の角を振るわんと、ジオに向けて突撃を敢行しようとする。
「させん」
私は前進して、鹿に対して鞭を持った腕を大きく振るう。
びゅんという風切音と共に、鞭がぶち当たった鹿の角を弾き、そのまま余った部分がシュルシュルと蛇のように角に絡みつく。
……実を言うと頭を狙ったのだけど、狙いが外れた。思ったよりも長いし狙いがずれやすい。慣れるまで少しかかるかもしれないな、失態だ。ここだと適当に使うと樹々に絡んだりする可能性もあるしな。
まぁ当たっただけ良しとしよう。これで後ろに逃げ出した場合私との力比べになるわけだな……と思ったのだが、後方に逃げられないことを悟ったのか、前進を続けてくる。
「ふっ」
ので、むしろ力強く引っ張ってやる。
急激に力を加えられた鹿は宙空へと引きずられ、足をもつれさせてバランスを崩して横向きに倒れる。鹿の様な獣は一度倒されれば中々立ち上がるのに時間がかかる。
「完璧な仕事だ」
そして、ここで最も警戒すべき相手に無防備な姿を晒してしまう。
バルディッシュを振りかぶったシスは、軽く勢いを付けた跳躍と共に体重をかけた一撃を鹿に喰らわせる。
「ぉぉぉぉおおお!!」
大気を震わせる気合の篭った声と共に、抵抗出来ない鹿の頸部に一気に斧を振り下ろすシス。
ただの一振りで硬い筋も骨も関係なく、一切合財まとめて切り落とす。……あと少しずれていたら鞭も切り落とされていたんじゃないだろうか。
それと共に大地に振り下ろされた斧が地面を大きく掘り起こす。盛大に苔混じりの土埃が舞い上がる。よかったな、石の通路の上じゃなくて。ぺっ、苔が口に入った。
その衝撃のあまり、切り落とされた鹿の頭部が宙を舞う。テレビに出てくる剥製で見たことがあるなぁ、と言った感想がでそうな姿であった。
あまりに豪快な切断に切られた傷口さえ一瞬時間を忘れたようで、一拍置いて、両方の首の断面から血が一斉に吹き出す。
流石にこれだけ戦力が揃っているとあっさりだな。まぁそこまで強い相手でもなかったというのがあるが。鞭の初陣だったのだが、拘束するだけで終わってしまった。
「どちらかと言うと進行の邪魔なので跳ね除けにきた、といった感じだったな。私達が道を退いたらそのまま何もせず通ったかもしれん。もしかすると、何かから逃げていたのかもな」
「何かから……?」
なんだろうか。その相手によってはここでのんびりしているわけには行かなくなる。
「じゃあ早くコレ終わらせねーとな。お前たちもこっち手伝うって選択もあるんだぜ? つーか初めてのクルスはともかく、お前は手伝えよ」
何故か素材の剥ぎ取りはジオがやっていた。皮を剥いだり鞣したりしていては時間を使いすぎて確実に泊まることになるので、角の使える部分だけコンパクトにして持っていくらしい。つまり何人も居ても邪魔でしかない。
側で見てるんだが、ジオもシスよりマシとはいえうまいわけではないらしい。こういうのは専門のやつを雇わねーとなぁとぶつぶつ言っていた。
「ちまちました作業は向いていないんだ。どうしても面倒になってくると一気に引き裂きたくなってしまってなぁ……」
シスは性格が豪快すぎる。裁縫や刺繍は確実に無理だな。とはいえ……
「分かる」
うん、気持ちは分かる。
うんうんと頷く。
「面倒になって槍の穂先に突っ込んできた奴もいると、いつもより肩身が狭いなぁ……」
ジオが何やら作業しながらぼやいている。そういえば試験の時試合途中でなんで急に突っ込んできたのか教えてやってたな。
お前がこの場で一番繊細な作業に向いているということになってしまったな。まぁ槍も怪物や魔獣相手だと割りとチクチクと使うことになるし、間違ってはないよね。




