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狂戦士とタコとイカ

 神秘的な広間、巨大な石柱が左右対称に一定間隔で連なっている。

 構造的に無理がありそうだが、辺りからちょうどよい程度に日の光が差し込み、淡く彩られた水面と

岩場は、一種幻想的な侵しがたい光景を作り出していた。


 水に浸かった私達の足が動く度に起きる波紋が、無数の輪を描き柔らかな光を包むように広げていく。岩にぶつかり弾けた波紋の粒が、空中で光を反射して輝き立体的な美しさを演出している。

 ……今でも十二分に綺麗だが、陽光ではなく月光が辺りを照らしていれば、感動に足を奪われて誰一人として動けずにいたかもしれない。


「な、なんっすか、ここ……」

「……。」


 超常的な雰囲気に気圧されたのか、ラタトスクが唖然と呟く。


 ……だが、私は知っていた。

 この荘厳とした空気は、祭壇が近くにあることを示している。

 私がこの装備たちを手に入れた祭壇とは随分と趣が違うが、この神々しい感覚は似通っている。

 となると、この迷宮に安置されている神魔の遺体とやらは、神の側だということになるのだろうか。


 であれば、この場所のどこかに祭壇へと通じる道がある。

 前の迷宮では、装備を手にとった時に、まるで迷宮という空間の歪みが正されるような感覚と共に、飲み込まれた地面に倒れていたが……。


 しかし、何故……?

 非活性の迷宮は攻略できない。それは基本的にそもそも祭壇にたどり着く道が見つからないからである。


 私が制圧した迷宮の様に、ごく僅かな例外もあるが、この迷宮は間違いなく非活性の迷宮であった。

 そもそも活性迷宮であれば今頃制圧の依頼でギルドは大騒ぎになっていただろう。そして迷宮にたどり着いた時に怪物が外に出ようとしていれば私達が気付く。


 では、私達がこの迷宮にたどり着いてから今までの僅かな間に活性状態に移行した、ということになるのだろうか……?


 もしくは極めて好意的に解釈すれば、この迷宮はとうの昔に活性状態であり、何故か怪物が迷宮の外で出て行かずこのようなまず人が気づかない場所に祭壇があったので、誰にも気づかれなかった、ということになるが……。


「そんなことがありえるのか……?」


 口の中でポツリと呟く。広い空間である為か、小さな音は周囲に溶けるように消えて聞いき、皆には聞こえていなかったようだ。


「なんか凄い所に出ちゃったっすけど、敵とかは居なさそうな感じっすね……? あ、でも、大分奥の方で変な音がするっす」


 私達より感覚が鋭いラタトスクが周囲を見て、そう結論付ける。どうやら奥に何か居るようだ。

 とはいえ、その言葉で張り詰めていた緊張が多少解ける。死にかければ当然だが。


 急に袖口を何かに引かれる。

 すわ、また触手かと一瞬身構えたが、そういうわけではなさそうだ。


「あ、あの、ごめんなさい、おね、お兄さん。不用意に抱きついたりしちゃって、俺……」


 話をする余裕ができたからか、マルコが何やらもじもじしながら申し訳無さそうに謝ってくる。どうやら袖を掴んできたのはマルコだったようだ。頬の赤さはまだ体調が治りきっていないのだろうな、さっきまでは青だったからそれよりはずっといいが。


「ん? どうしたんだ、マルコ。特に謝ることなんて無いと思うが」


 むしろ私のほうがポカをやらかしているような。血塗れ事件とか。

 一応安全というわけではないので、周囲への警戒は緩めない。


「え、いや、だから……その」


 ますます真っ赤になって俯いてしまった。これはもしや、謝るとかではなく体調が悪いのを言い出せないでいたのだろうか。女性のラタトスクが頑張っている手前、言い出しにくかったのかもしれないな。


 とは言え、彼のほうが症状は重かったので仕方ないことだ。

 それに彼は私の血球をツンツンした時に洗うためにしっかり水に浸かったりと、他の皆より長く水中に入っていた。

 更に濡れた服を着ていた時間もあるし、そのせいで風邪を引いてしまった可能性もある。


「大丈夫か? 風邪か?」


 少ししゃがむようにして高さを揃えると、俯き気味なマルコの額に、ピトリ、と私の額を合わせる。

 体温は……むむ、なんだかどんどん熱くなってきていないか? あれ、マルコ、止まっているがどうした?


「はっ! わわっ!? あ、あう、じっくり見ちゃった……」


 急に再起動すると慌てて飛び退いて、鼻を押さえて上を向いているが、そんなことをしていたら逆に頭が痛くなりそうだぞ……?


「あー、まぁ人間、色々隠したい事情とかあるっすからねぇ。あ、クルスさん、さっきは助かりましたっす。ありがとうございます」


 ぺこり、とラタトスクが頭を下げてくる。


「あぁ、気にしないでくれ、あんなの後衛ではどうにもならないからな」


 私も結局一度死んでいるようなものだしな。


「でも何かしら恩返ししたいっすねぇ……。あ、そーだ、今度一緒にショッピングとか行きませんか? ほら、表向きの事情だと、服とかそういうの買いに行きにくかったりしそうっすし、私が色々お手伝いしますんで」


 ……女性と一緒に服を買いに? これはもしや、荷物持ちに誘われているのだろうか。いや、別に誘われているのに嫌とは言わないが……。でも女性の買い物は長いというからなぁ。


「はい! いやー、最近結構可愛い服とか下着とか売ってるお店見つけたんスけど、女友達と一度行ってみたくて」


 し、下着? いや、そういうのは彼氏と行ってくれ! というか、他にも来るのか?


「あ、マルコ君、一緒に来るっすか? 荷物持ちっすけど」

「ふ、えぇ!? あ、うー、折角落ち着いてきたのに……」

「大丈夫っすか? 首の後ろトントンするっすか?」

「いいでふ……逆効果なだけなんで……」


 ラタトスクがからかうようにマルコに話を振る。

 マルコはずっと上を向いた状態のままだが、本当に大丈夫なのか……? 


「君たち、ちょっと気を抜き過ぎだよ。まだ安全なわけじゃないんだから……」


 無駄話をしすぎたのか、呆れたようにソールに注意される。確かに少々気を抜いていた。申し訳ない。

 さて、気を取り直して奥のほうを散策するとするか。




「ひぇっ」

「これは……」

「エグいな……」

「なるほど」


 それを見ての感想を、ラタトスク、マルコ、私、ソール順に口にする。

 何故これまで攻撃を受けなかったのかが分かった。


 空間の最奥。

 おそらくは祭壇の番人だったのだろう、巨大なイカ……クラーケンの様な魔物が、上方から肌に痛いくらい神聖な気配を伝えてくる何かに侵食されるかのように、薄緑色の肉を纏いぐちゃぐちゃと肉を混ぜるような音を響かせつつ身体を変化させていた。


 ……おそらく、この気配の元はこの迷宮に安置されている神なのだろう、何故表に出ているかは分からないが。


 侵食は進む。私達が着いた頃には殆ど終わっていたのか、特に抵抗もなく頭から胴体、胴体から触手へと、全身隈なく覆われていく。最早原型はほとんど無い。


 全てが終わった後、私の口をついて出た言葉は衝動的なものだった。


「これが……神だと言うのか?」


 この世界の神を私は知らない。だが、目の前の"神"は私のイメージする神とはあまりに別物だった。


 第一印象のみで言うなら翼の生えた巨大な人型に寄ったタコ、だろうか。

 下半身から伸ばされた多数の触手は、うねうねと脈動を繰り返しており、地についた数本のみで巨体を支えるほどの力があるようだ。

 両腕からも触手が伸び……否、あれは纏まり渦のように絡み合った触手が腕の様な形をしているだけの紛い物だ。

 左右の背中から生えた、水中で何の使い道があるのか分からない羽は、禍々しくささくれだった様に歪んでおり、神というより悪魔……否、異形といったほうが納得がいく。

 頭部に相当するであろう場所に存在する二つの眼は、紅く不気味な光を灯していた。


 これは、どう見ても悪魔ではないのか? 欧米人がオクトパスをデビルフィッシュと呼ぶ感覚を今ならよく理解できる。

 ……違う。これでも私は夢の中とはいえ女神と会ったことがある。

 印象こそ大きく違えど、あの女神と会った時や、装備を手に入れた祭壇では目の前の"コレ"と似たような感覚が私の肌を伝っていた。


 ……あ、でもあの女神が実は悪魔という可能性もあるか? ……うーん、否定できない。まぁ神と仮定しておこう。

 どちらか分からないにしろ、肌に叩きつけてくるかのような威圧感は、高位の存在であることを自然と感じ取らざるを得ないものだった。


 そう……言うなれば、その姿形はまさしく――邪神のそれであった。


 さすがの変貌に周りも唖然としている。

 だが、そもそも何故神が表に出てきているのだ? 死んでいるので非活性状態では意識が無いはず、と言っていたのだが。


 ……待て。思い出したことがある。

 あの日、女神に説明を受けた夢の中で、あの自称女神は何か言っていたではないか。

 そう、あれは確か……。


『ちなみに私にボコられたり殺された神族とか悪魔は私の気配を感じると多分寝てても殺意満々で殺しにかってくるでしょうから気を付けてください』


 ……全てが繋がった。

 おそらく、鍾乳洞内部でのサハギンの大群もその結果の一部に過ぎないのだろう。

 ……なるほど、つまり。


「私のせいか!」


 なんということだ。皆に申し訳が立たない。

 女神がどうのなんぞ言う訳にはいかないし、私も息子云々は流石に話したくない。


 ……正確に言うと私ではなく女神のせいなので、あんまり素直に謝る気がしないのはある。だって私、何もしてないし。

 でもそんな事情は巻き込まれた皆には関係ない訳で――。


「……すまない、皆! おそらく、こいつが出てきたのは私のせいだ!」


 土下座でなんとか許してもらえないだろうか……いや、ダメかな、命脅かされてるし。

 敵の前でやるのは間抜けに過ぎる。


「クルスはこいつが何かを知っているのかな?」


 ソールが視線を邪神モドキ……邪神でいいか、に固定したまま聞いてくる。


「詳しいことまでは分からないが……言っておく。こいつはおそらく、神と呼ばれる何かだ!」


 いや悪魔かもしれない。いっそそっちのほうが説得力があっただろうか。


「私はどうにも、こういった輩に狙われているみたいでね……巻き込んでしまって、本当にすまない」


 頭を下げたい限りだが、今この状況で敵から目を話すわけにはいかないので、言葉で謝る事しか出来ない。厚顔無恥な限りだ、自然と顔が俯いてしまう。

 いずれにしても、彼等を本来会うはずもない難敵と会わせてしまったのは私だ。場合によっては、死人も出る……あるいは、誰一人生きて帰れないかもしれない。

 自覚がなかった。女神から忠告は受けていたというのに、間抜けな行動をしていた自分に虫唾が走る。



「……あー、何言ってるんすか」

「え?」


 ラタトスクが言葉を続ける。


「それは私達を舐めすぎっすよ、冒険者なんだからいつ死ぬことも覚悟してるっす。勿論わざとこっちを殺しに来たりしてたら万死に値するっすけど、真面目にやってる仲間に襲いかかってくる奴は後悔させてやるだけっす」


 ラタトスクがいつもと変わらぬ態度で、最後だけは右拳を手のひらに打ち付けると笑いながら言う。そして気楽な様子でクロスボウを取り出すと、邪神へとその先を向けた。


「そうですよ。むしろ、おっぱ……ごほん。お兄さんがこんなのに狙われてるなんて聞いたら、放って置けませんもの。今日の朝から言ってたけど、お兄さんの事、俺、結構気に入っちゃってるんで」


 何やら喉を一度誤魔化すように鳴らしたが、その後マルコは全身の調子を確かめるように骨を鳴らすと、一切怖気づかずに邪神の攻撃に備えるように構えを取った。 

 そして最後。


「ふーん……面白いね」

「え?」


 ソールがニヤリと笑う。基本落ち着いた感じの人だったのに、彼がこんな笑い方をするのを見たことがない。目付きも大分変わってらっしゃる。


「神殺し。漢に生まれたからには、一度はやって見たかったんだよね。未開地に居るっていうドラゴン退治をいずれの目標にしてたけど、その道中でやるなら、中々ありな獲物だよね。ワクワクしてきたよ」


 思ったよりも闘争心に満ち満ちた人だった。恐れるとかそういう程度の段階じゃなかった。

 私をじっと見ていたのも、こいつ戦ったら面白そう的な視線だったのだろうか? バトルジャンキー怖い。


 しかしあんな化物相手に誰一人怖気づいてないな。申し訳ないがラタトスク辺りは怯むかと思ったんだが……。


 あぁ、そもそもこのメンバーは元々私の戦い方に一切恐怖しない奴らだったな。心臓に毛が生えていて当たり前だ。


 ……どうにも、なんとも頼りがいのある仲間たちと組んでいたらしいな、私は。今更気付かされたよ。

 神だのなんだの、大仰な名前に誰より怯えていたのは私だったという事か。なんとも間の抜けた話だ。


 「ははっ……なるほど、私はどうにも柄にも無く狼狽していたらしい」


 自嘲を込めて声に出し、ため息を吐き出すとともに軽く俯いていた目線を上げる。フレンジを使用。……なんだ、大した相手じゃないじゃないか。ただの巨大なタコモドキだ。


「では、邪神退治と洒落込もうか。中々歯ごたえがありそうな相手だ」


 文字通りな。

 愛剣を構えると、目の前の強大な敵に向けて、堂々と宣戦布告を行った。

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