大学
あれから1年 僕は某大学で 宇宙物理研究を専攻している。
例のパソコンは あれ以来なんの変化もなく
奇妙な幾何学文字や 音声など まるで嘘だったかのようだ。
僕の「力」だが・・・だいぶコントロールできるようになった。
妹以外の人間でも 集中すれば「サイコメトリー」することができる。
僕の中で こんな「力」など封印したいという気持ちと
これから先 僕に起こるであろう事の選択肢を多く持つためには
できるかぎりの情報として「力」は不可欠だという気持ちが 常に交錯している。
そして ここにいる人間たちにどう接するべきかを模索中だ。
ここ そう・・・宇宙物理を専門とする者が集まるところ・・・
彼らの言った 自由に接触できる場所 つまり・・NASAに行く一番の近道はここだ。
ここには たぶん いや絶対に いるはずだ・・・ミュースが・・・
今の僕には すれ違う者がすべてがミュースに思える日もあり
そうであってほしくない気持ちのが強いのに気づいて 失笑する日もある。
仲間・・・?探しているのか・・・避けたいのか・・・
この気持ちを共有したいのか・・・ふざけるなと怒鳴りたいのか・・・
僕には 彼らが分かるだろうか いや・・彼らも僕を探す事ができるのか
どこにいるんだ・・ 僕と同じように警戒しているのだろうか
誰に対しても 自然と自分の気持ちをブロックするのにも慣れた。
そのせいか 学内では表面的には仲のよい友人も 何人かできた。
一般的な大学とは違って ここの特殊な研究と煩雑な日常で
あまり 他の学生と関わらなくてすんでいるのが なによりだ。
ただ・・・
今僕が一番疑いつつあるのが 僕の研究室の高田教授だ。
最初に彼の授業を受けた時 何がどうっていうのでもなく ただなんとなく
懐かしい デジャブとでもいうような雰囲気を感じたのだ。
それが ただ単に父に似ているというだけなのか
父 すなわち その・・・生命体として似ているのか
いずれ 分かるだろうが もうどっちでもいいや とさえ思えてきた。
高田教授の講義は いつも確定的な言語だ。
普通なら学説や仮説の繰り返しであるはずの 宇宙について
「おそらく」とか 「たぶん」とかという言葉は決して使わない。
彼は 何故・・何故そう言い切れる!?
他の学生は聞き慣れているのか それが普通なのか
教授の講義とはこういうものだと思っているのか
何故・・何故 彼に疑問を抱かない!?
関わるべきか・・・この疑惑を確認するべきか・・・
でもどうやって・・・
「力」を使えば 簡単だろうが その場合僕の事も知られることになる。
いや もう知っているのかもしれない。
その答えが すぐにやってくるとは その時はまだ知らなかった。