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9話 プリンセス編 其の二

 その昔、一人の女の子が住んでいた。父と母の三人暮らしで、どこにでもあるごく普通の家庭で、誰にでもある不安を抱え不満を募らせながらも幸せと呼べる生活を送っていた。女の子の趣味はぬいぐるみで遊ぶこと。パパに買ってもらったクマのぬいぐるみは、食事をする時も夜寝る時も常に一緒だった。お散歩したりごっこ遊びをしたり、飽きることはなかった。


 嫌いなナスを食べるから新しいぬいぐるみ買って。たくさんお勉強するから新しいぬいぐるみを買って。パパ、ボーナス貰ったよね? ね? ぬいぐるみ買えるよね? ね? いい子にするからもっともっとぬいぐるみを買って。他には何にもいらない。お洋服も、可愛い髪飾りも、甘いケーキも、チャーミングな犬も、全部いらない。その代わり、この子のお友達が増えるといいなって。


 父と母は女の子の異常性に気づき始める。我が子が異常だと認めたくなくしばらくの間様子を見ていたが、留まることを知らないぬいぐるみへの偏愛は認めざるを得なかった。父は頭痛に悩まされ、母は夜な夜な枕を濡らした。


 ある日、母は学校の教師に呼び出された。嫌な予感しかしなかった。教師は二三世間話をして場を和ませようとしたが、あまり効果はなかった。母が急かすように尋ねた。「娘が何かしたのでしょうか?」。教師は「何もしていません。ただ、あの子はいつも一人なんですよ。他のみんなが嫌っているんじゃありません。彼女がみんなを避けているのです。ですから、周りの子も避けてしまっています。彼女は心を閉ざしているんじゃないですか?」


 教師の推測は外れていた。少女は心を閉ざしているわけではない。ぬいぐるみを買ってもらうため友達を作らないでいた。

 いらない、全部いらない。友達も……人の友達も。


 優しく言い聞かしても効き目がないと分かった母はきつく躾をした。

 しかし、それでも少女は一向に友達を作らない。少女の部屋には埋め尽くされるほどのぬいぐるみがある。少女は「部屋狭いよ。もっと広いところに住みたい」。我がままな要求に母は怒った。「いい加減にしなさい! どうしてあんたはぬいぐるみぬいぐるみ……学校がそんなに嫌いなの!」。「違うよ! じゃあ友達作る! 作るからいいでしょ!」。「そういう問題じゃないわよ!」


 何をしたってぬいぐるみ。少女の噂は広まり、母は陰口を叩かれているのを知っている。気味が悪いわね、とわざと聞こえる声で言われた時は顔が青ざめた。

 母はやってはいけないことをした。ぬいぐるみを捨てたのだ。


 少女は泣き喚き暴れた。母の制止を振り切り、捨てられたぬいぐるみを探しに奔走した。雨が降っているというのに、傘も差さずに探した。

 その頃、父と母は少女のことで揉めていた。近所に響く大声で怒鳴り、父は母の頬を平手打ちした。


 びしょ濡れの少女はぬいぐるみを抱きかかえて帰ってきた。何も言わずに部屋に閉じこもり、空腹に負けるまでずっと出てこなかった。


 少女は捨てられたぬいぐるみをカバンの中に入れて学校に行った。トラウマが強く残りたまにそのぬいぐるみを確認しないと不安になり授業に集中できなくなった。カバンを覗く挙動は同級生に訝しまれ好奇心を沸かせた。クラスに1人はいそうなガキ大将は強引に少女のカバンを開け、ぬいぐるみを学校に持ってきてることを知られてしまう。


 子供っぽいことを子供が嫌う時代で、少女はいじめの対象となってしまう。しかし、少女にとっていじめは些細なことでしかなかった。彼女の精神は強くむしろ跳ねのけていじめっ子たちを驚かせていた。問題は少女の親にあった。教師からいじめの話を聞き重く受け止めた。なんとかして解決したい。それにはやはりぬいぐるみだ。少女とぬいぐるみを嫌われてでも恨まれてでも引き離そうと考えが一致し、父と母は少女が登校している間に部屋全てのぬいぐるみを外に出し火を付けた。


 火は勢いよく燃え広がる。

 少女は不和で両親に学校のことを伝えていない。

 今日、午前中に授業が終わるなど当然知る由もなかった。だから……


 少女は焼却処分される前に帰宅した。

 両親の狼狽を無視して、火の海に飛び込んだ。

 強靭な精神――体が炎に包まれても痛みを堪えてぬいぐるみたちを抱きしめる。


 父と母がどれだけ懸命に水を運んでこようが、火が消える見込みはない。私は死ぬのだろうと、幼いながら悟った少女は願った。

 生まれ変わったらぬいぐるみになりたい。そしてぬいぐるみと遊ぶ。誰も変だと思わないし、誰も不幸にならない。そんな無茶苦茶願いを。


 少女は目を覚ます。兎のぬいぐるみとなって――







「うぅーー、メロロちゃん……」


「んなアイドルみたいな扱いで残念がるなよ」


 一軒家が富裕層の一部に限る町とは珍しい。階層の多いマンションが並び少し場所を変えるだけで太陽が隠れて涼しい。あとは蟻みたいに人がわんさかいれば都会だと錯覚できる。うん、わんさかいるんだよな、ゴキブリとかじゃなくてあれ、そうぬいぐるみ。


 すげえ癒される……。3階の窓から豚さんが手をちょこちょこ振っている。狐と狸が並んで歩いている。何で動いてんの? という疑問は保留にして、これは女子力が試されんじゃないか、ラテさん?


「ん? 敵じゃないのね」


 ええ! 剣構えてるよこの人……。しかも「超可愛いー! マジ可愛いー! やばくね?」って可愛いを連呼しない。まあ、20歳になって女子高生の如くはっちゃけるのは恥ずかしくもあるが。


「ゴホン。あれ可愛くね? 縄跳びしてるペンギン」


「楽しそうねピット」


「混じって遊んでんじゃねえ!!」


 縄に引っ掛かって手を縦にして謝っている。


 ハニーハートの町。俺らは町の名前にもなっているハニーハートに会いに来た。


『四季柱?』


『四天王みたいなあれよ。四季柱の4人が負けを認めれば私の城の門が開くわ』


『城に入ったら御馳走でも奢ってくれんのか』


『ゆっくりくつろげるところは城しかないわ。ここに長居するつもりなら先に開けといた方が何かと都合がいいでしょ。城の地下に隠しダンジョンもあるし』


『隠してないじゃん』


『文句あんの?』


『ありません』


『四季柱のメロロは別のプレイヤーと戦ってるから通行止めね」


『別のプレイヤーか』


『そう、イケメンよ』


『語気を強めるほどの!?』


『文句あんの?』


『ありません』


『むしろあなたに対して文句があるわ! イケメンになりなさい!』


『暴君だ! いや、暴女?』


 俺とプリセイラ女王の会話。俺は四季柱よりプレイヤーが気になった。


『イケメン以外にもいるんだろ』


『いるわ。いるけど……あれはちょっと奇妙ね』


『獣人?』


『そうじゃなくて、でもさっき見てきたら一人で戦ってたわ。ぱっぱと説明して見に行かなきゃ』


『本音が漏れてんぞー。文句はありません』


『先に言わないでくれる』


『で、他の四季柱は大丈夫なんだろ』


『戦うのだったらハニーハートにして。理由は後で教えてあげる。さようなら』


『いやいやいや、もっと色々訊きたいことあんだけど!』


『うるさいわね。ハーレム作ってるダサ男に興味はないわ』


『ピットは男だぞ』


 ここでピットが紳士のように深くお辞儀をして挨拶をする。


『女の顔して男……悪くないわね』


『はい?』


『早くハニーハートを屈服させてきて。ふふ、いいわいいわ』


 プリセイラはプリンセスランドの設立者で100レベルは本当らしい。限界に達した女王の年齢はいかほどか。見た目は若いままでいられるからな。


 行き止まりにぶつかり引き返そうとしたが、立ち止まりよく観察してみる。左右はもちろん前方もマンションが建ち隙間がない。建物と建物の間が空いていないなんて住みたくない。ラテたちを呼び止め、前方のマンションに入ってみる。

 エントランスに入っていきなり扉がある。まさかと思い開けると外に出れた。そういう仕組みのダンジョンね。魔物は呑気に遊ぶぬいぐるみでいいのか? 絶対弱いぞ。


 1m以上の二足歩行の猫のぬいぐるみが猫背で立っていた。背の低い人間が入っていてもおかしくない。ちっこいぬいぐるみが喋らないので、是非そうであってもらいたい。


「遊園地の着ぐるみの人って近寄りがたいわよね」


 ラテは過去を懐かしんでいる。


「人とか言うな」


 猫は5秒ほどじっとして遅すぎる動作で頭を外す。

 中身は蒸らした様子の美少女……。プリセイラ女王が兜を脱いだシーンと丸かぶりだった。四季柱を知らないはずがない女王の悪ふざけだ。

 青みがかかった銀色の髪に、眠たそうな生気のない目。ボディが見えないから3サイズの確認ができない。変態ピットなら心眼でもって分かるかも。


「脱いで下さい!」


「お前は少し黙ってろ!」


 俺はお前の台詞の後に突っ込みを入れるマシンになりつつあるぞ。


「ハニーハート」


 掻き消えそうな声で自己紹介した。風が吹いたら多分聞き取れない。


「私と戦う?」


「殺しはしない。女王の言い方的に、それでもいいんだよな」


 ハニーハートは首を縦に動かす。


「手加減をしながら戦いたくないわ」


「ラテ」


「もし死にたくなかったらいち早く降参して、お願い。全力で戦わないと腕が鈍っちゃう。私は強くなるためにつまずきたくないの」


 ハニーハートは再び首肯する。


 ラテはブラックローズを構え闘争の雰囲気を作る。空気は張りつめ、緊迫感が溢れだす。猫背のハニーハートは応じるようにラテを睨む。

 一歩踏み込み、ラテはトップスピードに乗り右斜めに斬る。反応できなかったハニーハートのぬいぐるみが破れるが、本体までは届いていない。


 同じ個所を寸分違わず斬ろうとしたラテは片膝を付きブラックローズを杖にする。

 出血している……。ハニーハートは攻撃していない。ハニーハートが傷ついたならば呪いが発動して同じ傷を与えられたと考えられるが全くの無傷だ。


「私の能力ニャー」


 後付け感が拭えず使い方も若干おかしい。「私の能力だニャー」じゃないか普通は。


「引けラテ! 謎解き系の魔法は俺かピットの領分だ」


「くっ……」


 ラテは悔しそうに戦線から逃れた。

 ラテの傷はブラックローズで斬った箇所と一致している。十分な情報だ。


「お前の能力はぬいぐるみと関係している」


 ハニーハートはこくりと頷いた。当てずっぽうで言ったもんを純粋に頷かれて後ろめたい気分になる。真相に迫るために、俺は顔を重点的に狙いを定める。

 魔法剣バラッドの剣先から雷の弾丸が飛ぶ――サンダーショット。


 速度はラテのトップスピードに劣らない。今度はハニーハートは横に跳ねて回避した。さらに顔面にサンダーショットを繰り返し、一発だけは足に撃った。正確な足の運びで攻撃をかわしたハニーハートだがなぜか足の攻撃はかわさなかった。

 俺の左足が痙攣し体が硬直する。やはり俺にも雷の魔法がかかった。


「なるほど、ぬいぐるみの呪いだな。ぬいぐるみを傷つければ傷つけた側を傷つく。猫の頭をかぶれば完璧なのにな。それとも完璧故に魔法が発動しないとかか? 体をある程度曝け出してやっと魔法が発動できる」


「にゃ」


 2回頷いた。

 ハニーハートは手を頬の辺りに近付け指を丸める。招き猫のポーズだ。あざとさを振りまいて、二足歩行の猫は茶色の毛に変色し、クリっとした目、せんべえのような耳に姿を変えていく。猫はぬいぐるみ定番の熊に突然変異した。熊の顔は帽子になっている。


「……クマ」


「語尾を言いたくても肝心の台詞が出てこないのかよ!」


「出てこないクマ」


 俺はピットに作戦指示をする。


「作戦16番だ。告れっかどうかはお前にかかってるかんな」


「僕は妄想が膨らみましたよ。ハニーちゃんがもし裸で着ぐるみを着ていたらと! 現実的なラインで暑いから下着だけと!」


「お前がおっさんだったら後退する髪の毛を毟り取ってた」








 死後に発動し生前の強い意思に反映して他者に乗り移る魔法、【憑依】。

 触れた憎しみのある者を自分の仲間へと引き込む魔法、【感染】。


 生前の少女は【憑依】の魔法のおかげで兎のぬいぐるみになり、魔法そのものも変化する。

 それが【感染】。少女は鍵がかけられていない部屋に侵入し夜まで待った。眠りがついたのを確認し一家全員にタッチした。


 すると人間はリスやパンダ、スライムやゴブリンのぬいぐるみに変えられ人格を失った。ぬいぐるみたちは話すことができず少女の命令があるまでじっとしていた。仲間ではなく女王に絶対忠誠を誓う兵士として少女の言葉を待った。


 少女は人の心を憎んでいる。ぬいぐるみにはなくて人にあるものが心、不要な感情はストレスでしかなく邪魔だった。人と人との交流を全否定し、己の殻に塞ぎこんだ少女は町の人間をぬいぐるみにして楽園を築こうとした。


 【感染】の恐ろしさは変えられたぬいぐるみにも【感染】の力が宿っていること。触れさえすればこちら側の即戦力となる。少女は見つからないのが最優先で少しずつ町の人間をぬいぐるみに変えていった。夜中に酒で酔っている者や一人でぶらついている者は格好の餌食だ。順調に町の支配は進んでいるように見えた。


 行方不明者の急激な増加に町は慌ただしくなり、夜間の外出は特別な場合を除き禁止とされた。なるべく大勢の行動を推奨され、親は子供に同伴し学校へ行くことが義務付けられた。犯人捜索のために町の魔法使いがチームを組み手分けをして捜した。幼い少女には、騒動になる前に実力のある魔法使いをぬいぐるみにする作戦が思いつかなかった。


 やがて魔法使いは動くぬいぐるみを発見しこれを撃破した。ぬいぐるみを操っている本体を見つけ出す班とぬいぐるみを処分する班に分かれ、少女はあっという間に劣勢になる。

 この頃、少女は大きな感情を表せなくなった。ぬいぐるみに表情の変化はない。笑うことも、怒ることも、泣くこともできない。物静かに、動じることなく落ちついて指揮を執った。


 魔法使いに魔法でやられるよりも先に接触するには、やはり数の暴力がてっとり早い。小さな体を活かし死角から魔法使いをぬいぐるみにする作戦はある程度通じた。飢えを知らないぬいぐるみたちは食糧をドブに捨てたり、一斉に建物に火を付けたりして人間側の士気を奪った。


 ぬいぐるみと人間の戦争は何日が経ち停滞する。【感染】以外に力を持たないぬいぐるみ側に、魔法使いのバリアを攻略する術がなかった。

 本体捜索側に動きがあった。はきはきした青年とお調子者の男はかすかな声を聞き逃さなかった。誰の声だ? ぬいぐるみは喋らないというのに。


 兎のぬいぐるみはダンボール箱の上に立って周りのぬいぐるみたちに作戦を指示していた。

 少女のみに与えられた発声能力が仇となった。


 2人の魔法使いは奇襲をかけて兎のぬいぐるみを狙った。複数の魔法の矢は少女の盾となったぬいぐるみらに次々に命中し貫通する。幸いを威力は殺され少女まで届かなかった。ぬいぐるみたちは少女に言われるまでもなく2人の魔法使いにダッシュする。だが、お調子者の方の風魔法により一蹴されてしまった。


 はきはきした青年は力を込め貫通性能と誘導性能を高めた矢を放った。ぬいぐるみが少女をかばい矢は速度を保ちずれた軌道を自動で修正する。少女は必死で逃げ、矢は確実に少女を追跡する。

 死の矢は兎のぬいぐるみを貫き綿が零れた。


「お、お母さん……?」


 兎のぬいぐるみは3体しか生まれていない。少女と、少女の家族だった。

 少女は自らの手で父と母をぬいぐるみにした。余計な感情が働かないように距離を置いていた。

 はずだったのに、母は娘を突き飛ばし矢を受けた。

 父と母いつだって娘を見守っていた。心がないぬいぐるみのバグとも思える行動だ。


 母は守り、父は魔法使いをぬいぐるみにするために攻めた。マンションの屋上から飛び降りた父と同士たちは爆弾を巻きつけていた。上からだけでなく、地上からも自爆特攻のぬいぐるみたちが駆ける。焦ったお調子者の男は最大の風魔法を発動した。隣にいた青年はもろに食らい体は切り刻まれ肉片と化した。父たちも爆弾と共に寸断され生き残ったのは少女と、戦場での経験が浅く味方を殺してしまった男だけとなった。


 父と母を失い、それでもなお少女が助かる見込みはない。

 男はトチ狂ったように少女に罵声を浴びせ、最後の攻撃に入った。

 

 奇跡は2度起きた。

 ――いや、一度目の奇跡に乗った必然であった。


「ちょっといいかしら?」


 プリセンスランドの女王プリセイラは男の腕を掴み攻撃を中断させた。


「もったいない、ああもったいないわね。せっかく面白かった番組がこんなつまらない形で終わるなんて気分が最悪ね。私はね、面白ければいいの。そこの兎、私からチャンスを上げる。だから戦争をさっさと終わらせなさい。そして私を喜ばせなさい」


 うだうだやかましい男を蹴り飛ばし、プリセイラは少女に新たな力を与える。

 少女はかつての人間に戻り、肉体は17歳まで発達した。呆然とする少女にプリセイラが名前を呼んだ。


「あなたの名前はハニーハート。能力は【ぬいぐるみ】。さあ、なりたいぬいぐるみを思いっきり想像してみて。それがあなたの強さとなる」


 少女――ハニーハートは戦争を一気に終結へ向かわせる。四季柱の候補となる強さを秘めた彼女はバリアを壊し魔法使いどもを殺した。【感染】なき今、残った人間はぬいぐるみにできない。理想のために一切の妥協も許さず殲滅した。


 力を手に入れ、力をなくしたぬいぐるみたちは本来の愛すべき対象に戻った。もう命を犠牲にしてまで戦わなくていい。それでもぬいぐるみを壊そうとする狼藉者には然るべき罪を与える。お前のダメージはお前もくらえ。


 ハニーハートは理想の世界を築き、四季柱に任命されることになった。







 熊になりきったハニーハートが接近してくる。

 俺は接近戦を嫌い火の球を放つ。パワーで押してくる熊系のやつは中距離以上間を置けばペースを握られない。

 ハニーハートは川の鮭を狩るように火の球を弾いた。あっさりしすぎて俺が弱いみたいで小癪だ。俺は前を向いたまま後方にバックする。仕掛ける魔法に迷っていると、ハニーハートは爪を出し壁を抉りコンクリートのかけらをぶん投げた。


 予想外の攻撃に驚きつつかわして体の向きを変える。一歩踏み出し、距離を離すと見せかけて体を捩じって魔法剣で突く。殺したくないが殺すつもりでやる。ラテの言うように手加減をしていたらこっちがやられるからな。


 右腕に痛み。唐突にギブスが欲しくなった。

 ハニーハートは左手で俺の腕を殴り、ハイキックで顔面を蹴る。

 眼球が飛び出そうになり壁を壊してダイナミックにマンションの中に入った。


 ……うお、首の骨が折れなくてよかった。折れてたら思考もできないが。口内が鉄臭くて血と唾液と歯をペッと吐いた。2本ぐらい取れたか。


「痛いクマ?」


「いてえに決まってんだろ……。てめえの歯ぁ、全部折って入れ歯にしてやっかんな!」


「怖いクマ」


 ハニーハートは四つん這いになった。熊のポーズ? 他に熊っぽいポーズがなかったのか、扇情的で誘っているようにしか見えん。痛みを和らげる麻酔だありがとう。

 霊長類の着ぐるみに変わった。

 ゴリラ。


「かぶってるぅぅぅ!!」


「? 着ぐるみはかぶるものゴリ」


「ちげえし、熊もゴリラも似たような感じじゃん! ゴリラになった意味ないじゃん!」


「! 着眼点が鋭いウホ」


「ゴリかウホか統一しろよ」


「何になったらいい?」


「俺に訊くなよ」


「サソリとか」


「サソリ? 意外なのチョイスしたな。それでいいよもう」


 ハニーハートは真顔で胸をドンドン叩く。すげえシュール……。

 サソリのイメージと合致した完成度の高い着ぐるみだ。長く獰猛な尾は刺されたくないし、魔物化したら警戒に値する鋏に掴まれて捕食されたくもない。


「言っとくけど、俺に毒は通じないぞ」


「通じないサソ……ソリ」


「つっかかったーイエー」


「もう迷わないソリ」


 俺は部屋で新聞を読んでいたカエルのぬいぐるみをそっと窓の外に投げた。安全圏に避難させた俺の優しさにハニーハートは頬を赤らめ鋏を開いた。矛盾してない? 鋏からレーザー系の波動を射出。挨拶程度らしく避けるのはたやすかった。狭く倒壊する危険がつきまとう部屋をただちに脱し、広々とした場所まで走る。テキトーに放った火の球と波動がぶつかり合い相殺した。


「サソリが波動なんてらしさがない」


「らしいソリ。北の方に生息しているソリ」


 偉く曖昧で説得力がない。俺とハニーハートは魔法の撃ちあいをする。勝っても負けても俺は無事じゃ済まないが、受けた喧嘩は買ってやる。

 サソリの尻尾が3本に増えている。しかも長くなってない? あ、また増えた。9本になった尻尾はヒクヒク動きやばそうだ。


「こんなサソリ見たことねえ」


「まだサソリ。ソリ」


「区切った後に言っちゃったよ」


「地球上のどこかに住んでるゴリ」


「それゴリラ! ウホウホする方!」


 9本の尻尾は地面に刺さり蠢く音が不気味に響く。

 いっぺんに地面から襲ってきたら流石にひとたまりもない。巻きついてきて締め付ける攻撃もある。だからといって尻尾を斬れば俺にダメージが……

 ダメージが……どこに?


 俺は風属性を剣に纏わせ敵の攻撃ざまに空を薙ぐ。地面を突き抜ける尻尾に切れこみが入り緑色の血が噴き出る。周辺を攻撃力の低い風の刃で血祭りにする魔法は、やはり俺に返ってくることはなかった。俺に尻尾はない。当たり前すぎて発見にもカウントされない。


「この尻尾は本物か?」


「モノホン」


 尻尾だけ本物とは何が何だか分からなくなってきた。それに尻尾をいくら斬ったとしても本体に影響はない。


 まあ、ハナから俺が決着をつけるわけじゃないんだが。

 そろそろ時間かな。ここでの台詞は、「お遊びはここまでだ」が相応しい。


「こっから何が見えると思うハニーハート」


「?」


「そっからは角度的にぎり見えねえか。隙間からピットが見えるんだよ、俺の仲間な」


「?」


「ピット!! ここだ!!」


 ピットはパントマイム師のように身動き一つ取らずじっとしていた。俺の合図で木属性の魔法が発動する。大地が激しく揺れ、俺は巻き添えを食らわないように浮遊する。

 怒涛の木の根の奔流が押し寄せる。樹齢数百年は経過していそうなほどに根はぶ厚い。凄まじい勢いで建物を呑みこんでいく。


 羽の生えた生き物か、あるいは跳躍力を備えたバッタにでも姿を変えるのが得策だが、あそこまで準備をさせたピットの魔法の破壊力は60レベルを超える。ハニーハートに抗える規模じゃない。根はハニーハートの体から尻尾まで縛り拘束状態にした。


 殺すべき敵ならばとっくに殺されている。チェックメイト、完全な敗北を与えた。

 ピットは拘束したハニーハートに近づく。


「あなたの美しい顔に傷は付けられません」


「……何者?」


「僕はあなたを攫いにきた者です」


「そうじゃなくて……」


 ピットの魔法は【溜め】。

 俺も誰でも溜めることで強力な魔法を発動できる。ピットは溜めの恩恵を得てぶっ飛んだ威力を解き放てる。通常なら2倍のところ、3倍にも4倍にも膨らむ。俺が時間を稼ぎ、ピットが魔法を溜めて一撃で仕留める典型的な作戦もまだまだ通じる。


 溜め魔法ありきなため、溜めずの魔法は余りにも弱い。雑魚の駆逐にてこずり、タイマンに滅法弱くそこら辺は俺やラテがしっかり守ってやんねえとダメだ。

 溜めている時に防御力が上昇する他、溜め時間を短縮できる。あと、短縮よりもおぞましい魔法があるが、今回はやるまでもなかったな。


 それとピットはポジション的にサポート、回復役だ。溜めてからの回復魔法を使えば折れた歯も元通りになる。殴る僧侶といったところか。有能で有望で優秀。下ネタさえ言わなければ引き手数多の人材だとちょっと誇りに思っている。


「結婚を前提にお付き合いください」


 これだよ。別に下ネタじゃないが、美人と接するたびにプロボーズするのはやめろ。


「人間は嫌い」


 ハニーハートは自分自信をも否定した。


「私はぬいぐるみと生きる」


「でも、ぬいぐるみとはセ……セ!」


「せ?」


「子供を作れませんよね。あなたが死んだらこの町はどうなるんですか」


「私の代で私だけの町は終わり。死んだらおしまい。寂しくない」


 ハニーハートは自己完結していた。いつもならどんどん押していくピットがすでに諦めている様子だ。拘束を解き木の根は地面に戻った。


「子孫を残さないなんて考えられません……。そんなこと、あってはならないんです」


 男に振られた哀れな乙女のようにピットは涙を流して走っていった。おい、どこに行くんだ。そしてこの流れに嫌気が差している俺はどうしようか悩む。


「慰めてきたら?」


「ほっとけ。どうせすぐ別の女に切り替える。あいつはそういう奴だ」


 ラテもたまには慰めたらどうだ、いっそお前とピットが付き合ったらどうだ?

 おっと、それだと俺は正真正銘一人ぼっちになるか。

 ぼっちは嫌だなぁ……。

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