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はち



→-5


「有君、よかったんか?」


 背後から有を止めた礼津は、片手で椅子の背を引いて、ゆっくりと有の隣に腰掛けた。

 意思を確認する礼津に対し、有は思いもかけぬことを聞かれたように、一瞬目を見開いて礼津を見上げる。

 礼津としても、滝彦の言葉を否定したところで、他に代案を持てない以上、よかったかも何もないのだが、尋ねずにはいられなかった。

 本意ではないのなら、とことん有の味方をしてやるつもりだった。

 最善は常に正しいとは限らない。

 同時に、批判するしかできないなら、正しくない最善の方がよほど建設的だとも理解していた。

 滝彦の言い分も、半分以上どころか、よく分かる。

 発狂しないだけ、いい方だとすら思う。

 しかし彼は、その筋を通す時、年下にも手加減をしなさすぎる。

 ならば、礼津は、有の側に立たねば、バランスが取れないだろう。

 これが本当に正しいかはわからない。

 事態を改善するのか、もっと悪くするのか、ただその時その時選択していくしかないのだ。

 とはいえ、正直、二対一でも、分が悪いと礼津は思っていた。


(俺、役に立たんかもしらんけど、子供に無理させたらいかんて)


 礼津は有の回答を待った。

 じっと礼津を見る有の目は、不安定に揺らぎ、すぐに真っ直ぐな光を帯びる。

 彼は彼らしい慎重さでこう言った。


「俺は、優花の兄貴だから。妹を守らなきゃいけないんだ」

「お、おう。せやから、ええんか、押し切られてるんやったら、俺」


 味方するで、と最後まで礼津は続けることもなかった。

 有は、はっきりと言う。


「今回の優花だけじゃない。これからも、何度も優花がひどい目に合うっていうんなら。全部の優花を、守ってやらなきゃいけないんだ。だから、いいんだ、れっちゃん」


 ありがとう、と。

 有は、はにかむようにして言い切る。

 礼津はしばらく何を言われたのか脳まで理解が及ばなかった。

 緩慢に滝彦の方を見やる。

 隣席した教師の田所の方に視線をやり、何故か浅く頷かれて力を得、再び滝彦を見る。


「な、なあ」

「ああ?」


 黙って珈琲を啜っていた従兄弟は、本当にふてぶてしかった。

 この状況で人事のようにしている姿は、図々しいとも言えるだろう。


「えぇえええ。滝彦さん、聞きましたか? これ、聞きましたか? お前その汚れきった心漂白剤で真っ白に浄化されてくやろ、なっ!?」

「や、止めろよ、れっちゃん」


 有は赤面し、礼津を止めるが、色々とスイッチが入ってしまったらしい彼の家庭教師は「うよっし!」と奇声を上げ、いわゆるガッツポーズを取った。


「やったろ! うん、やったろう! 今回だけやない、全ての七子ちゃんと優花ちゃんを守ろう!」

「ちょっ、れっちゃん、俺が悪かったから、繰り返すの止めてくれよ。恥ずかしいって、うわあ、何これ何の罰なの、うわああああ」


 頭を抱えている有と暴走している礼津に、静観していた田所は、ごくわずかに唇の端を持ち上げた。


「うっとうしいでしょう」


 横合いから、滝彦が言う。

 田所は少し考え、目元を伏せた。


「――いいえ」


 なかなかいいチームワークですよ、貴方達は。

 そう、生徒から強面ぶりを嫌い抜かれている女教師は回答したのだった。

 騒がしい二人を後目に、彼女は「それで」と聞き返す。


「どうやって巻き込むつもりですか」

「一骨も二骨も折っていただきたい。よろしいですか」

「――是非もありませんよ」


 答えた田所に、滝彦は「では」と臆面もなく頼んだ。


「篠原七子の両親を学校に呼び出していただけますか」

「……構いませんが、何故」

「ちょっと実験したいことがありましてね」

「実験?」


 二人のやり取りに、礼津と有も騒ぐのを止めて清聴する姿勢となる。


「篠原七子が十二時過ぎに『本』に取り込まれたなら、すでに彼女はこの世界から『消失』している」

「あ、ああ」


 礼津は曖昧に相槌を打った。だからなんだ? である。


「篠原七子の『消失』が十二時であるにも関わらず、彼女の『失踪』が発覚するのは大体十九時から二十一時の間だな。田所先生、山岡中学校の平日の授業、ホームルームも含めて何時までですかね?」

「そうね。SHRが十六時十五分までですから、長引いても十六時半から十七時でしょうか。あとは部活動のある生徒は学校に残りますが、篠原さんは特に部活動には参加していませんね」

「ありがとうございます。つまり」


 滝彦はぐるり、と全員の顔を見た。


「十二時から十七時にかけて、篠原七子は学校から『消失』しているにも関わらず、どの回も、このことについて騒ぎになっちゃいない」


 はっと有が目を見開いた。田所も口元に手を当て、考え込んでいる。

 一人事態についていけない礼津が辺りを見回した。


「は? どういうことや?」

「それを確かめる」


 ばっさりと切り捨て、滝彦はキャリーケースファイルから印刷済の上質紙を取り出す。


「ざっと今回のタイムスケジュールと、これまでのトライ&エラーに基づくフローチャート作って来たんで、目、通してもらいたいんです」


 横柄なら横柄なりに、仕事はする滝彦であった。






 そして。

 田所により、呼び出された篠原七子の母親、篠原瞳子しのはらとうこは、娘とよく似た不安そうな顔つきで、授業中の教室へと案内された。

 父親の方は平日の昼間のためか、自宅に不在だった。

 夫人曰く、在宅の仕事だが、今日は打ち合わせで外出しているらしい。

 外出先から呼びつけるには、理由が弱いだろうと、瞳子のみ学校に出向いてもらった。

 先ほどから、しきりと瞳子は田所以外のメンバーを気にしている。

 不審者である大学生二人に、高校生一人も一緒についてきているから、困惑にも拍車がかかるのは当然だ。

 全員出向く必要あるんかな、と礼津も考え口にもしたが、滝彦はしれっと「構わないだろう」と一蹴した。


(しかし、めっちゃ不審がられてるで)


 一応、有がここの卒業生であることや、大学生二人は適当な理由をつけて説明したが、そもそも学校に急に呼び出されたこと自体、腑に落ちないのだろう。


「あ、あの、いったい何なんでしょうか」 


 まるで怯える兎のようなそぶりに、礼津はこちらがなんだか悪いことをしているような気がしてきた。

 彼らはやがてある教室の前に立つ。

 『3-A』のプラスチック表示札を見上げ、当惑顔に瞳子が振り返った。

 そこで、彼らはそれぞれに驚くことになる。

 礼津は、篠原七子の葬儀・告別式で、少女の顔をすでに知っていた。


「ッなんで……」


 冴えない顔色で、礼津は漏らした。

 滝彦の話では、すでに『消失』しているはずの篠原七子が、机に座って、黒板を見つめていたからだ。


「篠原七子ちゃん、無事やんか……」


 逆によかった、とさえ礼津は安堵の溜息を洩らしたが、


「え、あの」


 オロオロした様子で、瞳子は礼津を仰ぎ見た。


「うちの娘が何か?」

「あ、いえ、すみません。や、娘さん、楽しそうに授業受けとるなーって、あ、あはは」


 何故娘のことを知っているのか、など問い詰められれば、色々と言い訳が崩壊していきそうな誤魔化しである。

 しかし、瞳子の反応は、礼津の予想を斜め上に裏切っていた。


「あの……娘が、見当たらないようなんですが」

「へ? は? いや、でも、あのう、後ろから、二番目の、あ、えっと、窓側から三列目の子、違いますかね?」

「いえ……あの、すみません。私にはよく」


 次第に瞳子の目には、困惑から不審へと色を帯びて行く。


「いや、あの、でも」


 混乱したのは礼津も同じである。

 問いを重ねようとしたのを、後ろから滝彦が脛を蹴った。


「あいたっ」

「どうも。田所先生、いいですか」


 田所は無表情に瞳子に声をかけた。


「失礼、どうぞ、こちらの方へ」

「え、あの。でも、娘――七子は?」

「そのことでお話が」

「あ、はい」


 ぴしゃりと言われ、瞳子は口を噤んだ。

 一言で生徒のみならず、父兄の口を噤ませてしまうとは、恐れ入ったと礼津は震えあがる。

 別の部屋へとぞろぞろ一同移動する中、歩調も遅れがちとなる礼津の頭をぐるぐるとまわるのは、疑問符の嵐だった。


『あの、七子は?』


 瞳子はそう言った。

 見えないのか?

 篠原七子の母親は見えない。


(篠原七子の母親は)


 違う。

 見えないのではない。


「ああ」


 礼津の頭の中を読むように、滝彦が低い声で訂正した。


「俺達が、見えないはずのものを見ているんだ。篠原七子の母親は、見たままのとおり、娘の『消失』を認識している」

「ええっと、滝彦さん。それだとですね」


 礼津は心底ぞっとした。


「さっき俺らが『認識』した篠原七子ちゃんって、何なのかなってとっても疑問に思うわけなんですが」


 滝彦はニヤリと笑った。


「何なんだろうな」


 礼津は再度二の腕をさする羽目になった。 





 一方、腕をしきりとさする従兄弟を後目に、滝彦は考えることとなる。 


『あの、七子は?』


 見えている方がおかしいと結論づけておきながら、同時に思う。

 篠原七子の母親は見えない。

 父親はどうか?

 何故見えない?

 そして何故周囲は見える?

 何故『何か』は学校での『消失』をなかったことにしようとしているのか?

 十二時から十七時。

 学校の時間だ。

 失踪発覚までの空白の時間は十七時からおよそ十九時。

 すぐに騒ぎが起こらないのは、『何か』が篠原七子の学校での『消失』を穴埋めするからだ。

 それによって利を得ることがあるのか。

 利を得る?

 逆か?

 日常から非日常へと線路の切り替えは一度ではない。

 二度だ。正確には三度か。

 一度目は篠原七子の『消失』。

 二度目は篠原七子の『失踪発覚』。

 三度目は瑞樹優花の『消失』だ。

 これらの段階を経て、事態は加速して行く。

 篠原七子の『失踪』が『発覚』するまでは、実際は何も事件など起きていないことになっている。

 つまり、無事学校の一日が終わった後に、非日常へとスライドして行くのだ。

 やがて『指導室』の扉の前で、一行は足を止めた。


「どうぞ」


 田所に促され、全員部屋へと入る。

 滝彦は次の段階へとフローチャートが進むのを感じながら、自身に何度目になるか分からない問いを発した。


 やはり、これは篠原七子自身が招いた『終わりのないやり直し』なのか? と――











29





 ティフ神聖国、レジーナ河川域から王都側に展開する本陣。


「――酷い」


 こんなの酷い、と白い巫女装束姿をした瑞樹優花みずきゆうかは、人と魔による戦場の光景に眉根を寄せた。

 彼女は現在、ルーラー教会から派遣された護衛の騎士を引き連れ、本陣の天幕を出て、戦況を見守っていたのだ。

 十分距離を取っているとはいえ、レジーナ河畔の水面を渡る風は、血臭を天幕まで運んで来るように思えた。

 何よりも、人々の戦意と恐怖の波紋を優花は肌で感じていた。 

 全てが異常で歪いびつだ。

 魔神による無差別攻撃もそうだが、七子とエリアスの凸凹主従が行った戦闘は、人的被害以上に、大地に孔を幾つも穿つなど、破壊の痕をまき散らしている。

 それは、この少女の目に『悪』の象徴として、はっきりと焼き付けられてしまった。

 彼女の傍には、侍女が三名付き添い、何くれと世話を焼こうとするが、優花は長い袖で振り払うように拒絶した。


「ユウカ様……」


 思わしげに声をかけかけた侍女に、優花は薄絹をまとわせた肩を震わせる。


「こんなの、酷いよ」


 気が付くともう一度繰り返している。

 優花には信じられなかった。

 人が簡単に殺されてしまう光景。

 彼らにだって家族があるのに。


「私。何もできないかもしれないけれど。でも、皆はそんな私に優しくしてくれたよね。期待してくれたよね。だから、私、やるよ。私、絶対止めてみせる」


 決意。

 それを口にすることで、優花は自らがやるべきことを明確に自覚する。


「ロン。手伝って」

「お任せください」


 優花に付き従う鮮やかな金髪の護衛騎士――コジモ司祭から推薦を受けたロン・バーは心からの笑みを浮かべて、その胸に拳を当てる。

 騎士の礼だ。

 彼の装束のあちこちには、金色の十字が縫い取られ、正当なるものの証立てのように、陽光を反射している。

 ロンのみならず、ルーラー教会というこの世界の権威にも、自らの決意を後押しされたようで、優花もまた花咲くように微笑んだ。

 とても心強かった。

 空色の瞳を持つロンが優花の前に姿を現したのは、ほんの半月前のことだ。

 同年代の少年であることも加え、気安さから打ち解けるのも早く、たちまち二人は友情を築いた。

 しかし、優花は、このロンがその青く澄んだ瞳の奥に熱い信念を持っていることも知っている。


(魔族が、ロンの家族を奪ったって聞いた。本当に酷いよ。大切な人を奪われて、ロンは苦しんだ。かわいそうだよ。もうロンみたいな人を作っちゃいけない――)


 だから、私が、と優花はロンと目を合わせて頷く。


「祈りましょう」


 背後に控えた侍女のヘレナがそっと囁く。

 見た目の冷淡さに反して、優花に尽くしてくれる頼りになるお姉さんのような存在だ。


「ユウカさま、あたしたちも一緒に!」


 普段は姦しいコルネリアとビアンカの二人の侍女も両手の指をぎゅっと組み合わせ、応援してくれている。


(大丈夫、私、皆のために、やってみせるよ。争いなんか、しちゃいけないんだ!)


 このために、自分はこの世界に呼ばれたんだと思う。

 彼女は十指を組んだ。

 《紅の魔女》と呼ばれるらしい宮廷筆頭魔道士のカーミラや、ルーラー教会の枢機卿に教わったとおりに、彼女は手順ルールを開いていく。

 祈り。

 平和を祈る心。

 邪悪を憎み、邪悪を生み出すものを閉じ込める。

 一人では難しいかもしれない。

 しかし、ロンがいる。

 彼は『増幅器』だ。

 優花の『祈り』がもたらす『封印』の力を増幅してくれる。


(祈ろう。みんなのために。私ができることを、しよう!)


 この邪悪を、封じ込める――!

 優花の身体から金色の光が放たれる。

 光はロンと共鳴し、それは虹色の油膜となって波紋を描く。


「ああっ」


 誰かが感極まったような声を上げた。

 オーロラのカーテンが、河畔域へと押し寄せていく。

 ゆっくりと。

 ひたひたと。

 やがて加速をつけて、次第に波となる。

 そう、まるで津波のように押し寄せる。

 一点を目指して。

 邪悪な者を目指して。

 この光景を作り出した者へと目がけて。

 これを封じ、これを捕えるために。

 何故なら、優花は願った。

 この現象を作り出した存在の無力化を。

 拘束し、力を奪い、人々の平和を――


 その目指す先は、




「篠原七子」




 ことり、と象牙の駒が倒れた。

 チェス盤である。

 駒の指し手は、よく手入れされた赤い爪をしている。

 対面する者は、捻じれた角を持つ魔神。

 彼は片頬杖をつき、


「《恋人》よ。君の駒『達』は、実に能く補佐する」


 と称賛の言葉を贈った。



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