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魔神少女と孤独の騎士(旧:異世界で魔王になる方法)  作者: ワシワシ/三月ふゆ
本編

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24/32

にじゅうさん

38 


 大迷宮。

 泥は大迷宮を下階層より制圧して行った。その行く手を妨げるものは何一つ存在しない。

 深き階層で、ひとりの女が手慰みに竪琴をつま弾いている。金色の髪は彼女の背中を滑り落ち、憂いを秘めた瞳は茫洋とどこか虚ろに彷徨う。

 ローザリンデ姫。亡国ザールの姫であった。生物のけはいのない魔神のさびしい宮殿に、彼女は四十六絃の赤と黒と無色の糸をかき鳴らす。


 運命よ

 汝の冷たき吐息は車輪を回す

 かつて現世うつしよ

 汝のすくいし海より生じしが

 泡沫は生成消滅を繰り返し

 これを逃れんと十人の旅人達が

 異界の岸部に船を漕ぎ出す

 彼らは今いずこ


 今生に

 国は亡び戦士は倒れた

 死者の嘆きが

 恐ろしく研ぎ澄まされた

 冷たい夜を歩く

 亡霊を引き連れ

 憎悪と怒りのままに

 ひとり彷徨い

 力尽きた者に

 運命の分かれ道が

 天秤を揺らす


 汝が戯れのまま

 映し出す破滅の未来に

 投げ入れられた小石よ

 波紋を起こせ

 我は反旗を翻す

 耐え難い悪意の

 自らの死の本能に

 小さき希望の

 ともしびをかかげ

 立ち向かう者よ

 今こそは

 

 おお、いさおしをきけ

 戦士の角笛がこだまする

 


 不意に、つま弾いていた竪琴の黒絃が切れる。ペダルを踏む足は絹の靴に包まれ、とがったつま先には金糸で繊細な刺繍が施されていた。そっと足をどけ、ローザリンデは耳を澄ました。遠くから聞こえて来る。彼女はただ静かにその瞬間を待っていた。大きな質量をもった何かがこちらに迫ってきている。何かがへしゃげる音。倒れ、巻き込まれていく。もう音だけではない。目の前に、黒い渦となった津波が押し寄せる。その深海の底を見るような黒い壁を視界いっぱいに認識したと思った瞬間、彼女は飲み込まれた。

 そのはずだった。

 

「もう少し抵抗なさいな」


 呆れたような声に、ローザリンデは自分が見えない防御壁によって、保護されたことに気がつく。


「『女教皇』様」


 ローザリンデは「何故」と小首を傾げた。空中に浮かぶ巨大なカードから、腰元より上半身だけ突出し、時計の針を無数に突き出したような光背を背負った姿。錫杖を携えた『女教皇』ことハートの女王は肩をすくめてみせた。


「時間稼ぎにしかならなくてよ。それより、ナディアの場所を占ってちょうだい。あの子が見つからないの」


 後半少々焦燥が声音に滲ませながら、ローザリンデにすっと手を差し出した。


「まずは跳躍するわ。手を貸しなさい」


 ローザリンデは両手を自分の胸元に引きつけ、微笑した。

 

「湖面に投げられた小石が波紋を起こしている状況で、未来は不確定となっております」


 筆で描かれたような眉をハートの女王がぴくりと持ち上げてみせるが、ローザリンデは一礼して、差し出された手を拒否した。


「私では、お役に立てないと存じます。お手を煩わせるわけには」

「まだやるべきことがあるでしょう」


 苛立たしげにハートの女王は遮る。


「私は――」

「みなまで言わずともけっこうよ。それとも、もう最後まで『未来』は見えているのかしら? 何もかも視えてさぞけっこうなことねえ」

「――私は。ただ、一番不確定に『揺れる』未来を選んだだけです」


 ローザリンデは、それこそ正気を疑う様なぞっとするほど心穏やかな笑みを浮かべた。春の日差しの元では何も不自然ではない。ただ、この半円球の力場にどうにか泥の津波を回避する空間で、何事もないかのように笑んでいるのがあまりにもちぐはぐで異常なのだった。彼女はけぶるようなまつげを伏せて笑う。


「私にもまだ使い手があると思って生きながらえておりました。褒められるようなことは何一つしておりません。国が滅んで心を痛めております。でも全部消えるなら、私、億分の一の希望にかけてみたかったのです」

「やれやれ、嫌味を言って悪かったわ。遺言などまっぴらよ。惰弱なことを言うのはおよしなさい」

「――そうですか。でも聞いてくださるのですね?」


 ハートの女王は眉をひそめるが、ローザリンデはおかまいなしだ。


「エリアスには気の毒なことをしました。でも、あれが一番効果的に未来へ『波紋』を起こしたから……『るつぼ』の封印が解かれた今、もう私にできることは、何もありません」

「あなたの行く末は『恋人たち』に任せますよ」


 面倒くさそうに言ったハートの女王に、ローザリンデは夢見るように呟いた。


「あの方を、心の底からお慕いしております。あの方は、もう一人の私。私と同じもの」

「……」


 あからさまにハートの女王は嫌な顔をする。会話にならぬと諦めたのかもしれない。やはりローザリンデは気にした様子もなく呟いた。


「何を捨ててもいい。たった一つ得られるならば。でも」


 彼女は少し考え、じっと天井を見やると、何やら心を決めたようだ。深い新緑に染め抜かれたドレスの裾をつまんで静かに椅子から身を下ろした。


「まだ、私にもできることがありましたね」


 茫洋と定まらぬ『未来』を夢見ていた瞳に、熱が灯った。

 ローザリンデ姫はハートの女王の手を取り、彼女たちは地上へ跳躍した。






 ゲテナ統一帝国。

 大陸の中原で多くの国を併呑し巨大化するに至っては、屋台骨が自重で軋む大国である。

 その国の頂点に君臨するヴァレンタイン一世は外套を翻し急いでいた。

 彼は大迷宮の活性化に際して、トーレス選定公などの腹心に矢継ぎ早に方針を与えた後、隠し通路へと向かったのだ。元々想定していたことだが、中でも最悪のシナリオの一つに近い。あまりにも早すぎる。準備は充分ではない。何もかも足りない。その上で、最大の札を切るため、宮殿の最も地下へと向かっている最中だった。事態は一刻を争う。まとう外套が速さに追いつけず後方へ扇状にたなびき、いかにも彼は性急さに憑りつかれていることが分かっただろう。第三者の目があればこそであるが、この秘密通路には誰もいない。急ぐ彼の足元に冷気が押し寄せてくる。重圧感も同時に増して行く。通路の先には何か恐ろしいものがいるのだ。

 若い皇帝が地下の半円ドーム状の空洞に辿りつくと、そこは黒曜石で化粧されたかのように夜空の光景が広がっていた。銀の星々が金剛石ダイヤモンドのように瞬いている。星々は互いに連携し、一つの結界を作り上げていた。

 この異様な空間で、もっとも目を逸らしたくなるもの――壁に、それはいた。

 竜だ。

 巨大な白竜である。

 しかも、この竜ははりつけにされている。

 元は白竜だったのだろう。被膜は杭で無残に縫い止められ、長い弦首のようなそれをだらりと垂らし、獲物を引き裂くための立派な爪は一つ残らず引き抜かれている。あまつさえ、呪われた枷で竜は拘束されていた。

 しかし、それでも竜は圧倒的なまでに強者であった。尋常なものでは、この偉大な存在の前で、僅かにしか正気を保っていられないだろう。

 ぎょろりと半眼に開いた目は、金色の光彩で見たものを発狂させかねない魔力に満ちていた。皇帝はこの竜の前で起動のための宝剣を床に突き刺した。


「起きろ」


 皇帝は宝剣を持つ手に己の魔力を注ぎ込んだ。


「そして働け」


 ぴしり、と何かが剥がれ落ちる音がした。凝り固まり筋肉が硬化していたこの巨大な竜がゆっくり弦首を持ち上げたのだ。竜は皇帝の姿を認めると、赤い口腔を見せて、恐らくはにやりと笑ってみせた。


「守護聖霊に向かってずいぶんな言い草だな、若造よ」

「働かぬ竜に食わせる飯はない」


 皇帝は恐れる様子もなく、一言で切って捨てた。


「庶子はしょせん庶子だのう。上位候補者全部を蹴落として首を刎ねただけあるわ。しかしな、育ちが知れるぞ」

「無駄口を叩く暇はない。地獄の大窯の蓋が外れた」

「――確かにな」

「そなたと回路をつなぐ」


 竜は凝りを解すように左右に揺れた。ぱらぱらと黒曜石の欠片が落下する。


「すでにつないでおるようだが。一時しか凌ぎきれぬぞ。そうか、目論見は失敗したようだな。利用し利用されているつもりで、魔女に一杯食わされたか?」

「食わされたのはこの俺だけではない。あの魔女も想定外の事態であわてふためいておるぞ」


 剣を突き刺した皇帝の足元から幾何学模様の回路が光の筋をどんどんつなぎドームを化粧する金剛石の星々と連結していく。これは帝都防衛の立体装置として機能する。二人は会話しながらも回路構築をこなしていく。

 竜は面白がる口調だ。


「かの魔女もかような崩壊は本意ではなかっただろう。さだめし回避を目指していたようだが、果てに十賢者レポートの予言通りとなったかの」

「あれを描いたのは、かつての魔女自身とその仲間の魔神であるようだがな」

「そなたのような合理主義者が、あれを本気にして大迷宮踏破に制圧研究と対策に走っていたというのが、何度聞いても笑えるのう」

「うるさい。この俺の御世に未来が断絶する。在位中の未来が見えない。ある時点で先が途絶えている。その時陛下のご尊顔が見えます。などとあらゆる予言者から、世界終末予言を雨あられと浴びせられた俺の身にもなってみろ。この俺自身にも僅かとはいえ、直観力とも言うべき予知の能力が備わっているのだ。ゆえにここまで登り詰めた。笑って戯言と流すには、あまりにも未来に揺れがない。一本道過ぎて、逆にそれこそ笑えてきたわ」


 確定事項となれば、あがくだろう、と皇帝は苦虫を噛み潰したように吐き捨てた。


「俺の子飼いの予言者だけではない。草の報告では、亡国ザールのローザリンデ姫も予兆を受けていたようだ」

「あの姫は規格外に予知能力に優れておったの」

「見えたのか」

「食ってみたいと常々思っておった」

「悪食竜め。この俺もいずれ食らう気でおるな」

「さてな。おう、何やら網の隙間に――うむ、かゆいところに手の届く補強がされておるな」

「民草にもそれなりに優秀な者がいる。周辺国も守護聖霊と連結し、結界を構築しているだろう」

「ふむふむ、ティフの火食い鳥がかなり火力を上げておるな。本当はあれも食いたかったのだが、代替わり継承がいつも駄目なようでいて何とかなるあのお国柄は何とかならんかのう」

「密度を下げ、一気に広げるぞ」


 悪食竜の戯言を無視して、皇帝は目を閉じ、更に意識を集中した。





 ティフ神聖国。

 国教会、守護聖霊、首長たる王の三位一体に結界が構築されていく。大聖堂に聖職者たちは祈祷書片手に聖句を唱え続ける。額に大粒の汗が浮かび、ステンドグラスは薔薇色の光を透過させ、床に模様を描いた。

 濁流が狭い路地をたちまちいっぱいにし、多くの人々が呑まれていく。

 生き残った国民は必死にバリケードを築き、僅かにも不浄の泥に触れたものはたちまち皮膚に水泡が連鎖しものの数十秒で姿を変容させて行く。


「諦めるな!」


 軍部のオイエン少将率いる師団は馬上より声をかけ、砦に人々を避難させる。元の姿を忘れた影のような存在が泥より生じて、地上を埋め尽くす光景に、これが終末なのかと絶望の声を漏れ聞こえた。伝播する混乱と悲嘆に、母に抱かれた幼子が天を指さした。


「おかあさん、お空に大きな鳥が飛んでいるよ!」


 分霊したこの国の守護聖霊が、大きく翼を広げ、流星のように空を駆る。彼らは互いを振り返りみた。皆酷い顔をしている。誰かが新たな王の名を呼んだ。隣に立つ者が同じく唱えた。それはいつしか大きな声となり、目の前の暗闇を払わんと励まし合う。

 指さした子供の母親は、そっと我が子の手を握る。


「いっしょに、王様がんばれってお祈りするのよ」


 幼子は、大きく瞳を見開いて頷いた。



 



 各国がそれぞれに対応を迫られる中、『怒れる星傭兵団』の詰所は、緊迫した空気に包まれていた。七子が帰還した後、魔神ジャムジャムアンフが悪びれず顕現したためだ。事情を心得ている面々は、エリアスの動向に気を配るが、この騎士は私情を表には出さず、まずは背後に少女を庇い、その彼女に「待ってください」と止められた。

 不可解に思ったのはエリアスだけではなかっただろう。魔神は頷き、簡単に事態の説明を行った。その内容に驚いたのは、ほとんど全員である。例外は、子だぬきであろうか。その子だぬきは、難しい話に飽きたのか、部屋の隅っこに置いてある籠の中に自ら入って色々一番満足できる角度を探している。それもいずれ飽きるだろう。やがて、青の枢機卿マリアが口火を切った。


「魔神の祖ともいうべき十賢者。その一人が、目の前におるとはのう。彼らは秘法を用いて『船』に乗り、いずこかへ漕ぎ出して『この世の終わり』を観測した、とされるが――それが今で、辿り着く先が再度繰り返しとな」

「そうだね。十賢者レポートの写本が出回ったようだが、象徴的寓話的にしても、大体まあ事実かな」


 ジャムジャムアンフはエリアスの無言の重圧をそよ風ほどにも感じていないようで、実にリラックスした状態で壁に背を預け腕を組んだまま続ける。


「『るつぼ』は、僕らの同胞が抑え続けていたし、もうしばらくは保つはずだったんだが、同じく僕らの同胞が封印を解いてしまってね。次の『断片化世界』へ渡る準備も十分ではない。まして『泥』はこれまでにない能動的な勢いを指向づけられてしまっている。次があるとは言い難い状況で、今回は賭けに出ざるを得ない」

「それはどのようなものじゃ?」


 うん、とジャムジャムアンフはエリアスを指さした。


「まず彼。『るつぼ』の泥を一時的に抑えてもらう」


 え、とあっけにとられたのは七子だ。そんな話は聞いていない。少女は、魔神の説明を受けて、自分が頑張ればいいと思っていた。


「はは、凄い。表情が変わらないのは見事だね。実に禁欲的だ」


 かたきを前に大した自制心だと肩を震わせ笑う魔神に、七子は「止めてください」と口を開きかけた。しかし、肩越しに僅かに視線を寄越したエリアス自身に止められる。


「大丈夫です」

「で、でも」


 差し出がましいことをしようとした――と恥じ入り、俯きかけた七子は、そうではない、とエリアス自身を信じることにした。エリアスは目の前の魔神を許せないはずだ。ローザリンデ姫のことを聞きたいはずだ。しかし、それをしない。今、目の前に迫る事態の緊急性を心得ているからだ。今、しなければならないことを知っているからだ。

 かつて、獣のように喉も裂けよと絶望と憎悪の咆哮をしたエリアスが、決して聖人君子ではないこと七子もまた知っている。この騎士は、見た目とは裏腹に、溶岩のような鬱屈を抱えているのだ。

 少女はそれを見たから、胸が痛くてたまらない。

 幻の中に見た、ザール崩壊の一夜。あれほど悲痛な慟哭を放っていた彼が、それを自分の中に抑え込んでいる。彼に苦痛を強いた存在と、同じものにされてしまった嫌悪に苦しんでも、少女の前では悟らせまいとふるまっていた。

 その痛ましいまでに圧倒的な、不屈の抑制する意思。

 為すべきことを為し、最善を選び取ろうとする。 

 皮肉なことに、魔神の指摘したとおり、どこまでも禁欲的で、だからこそ欲望に忠実なジャムジャムアンフはそれを指して笑ったのだろう。


「正直」


 と、エリアスは真っ直ぐ魔神を射るように見る。


「私は、ほとんど人の範疇を逸脱したような力は持たない。こちらにおられる青の枢機卿猊下よりも格下だろう」


 枢機卿マリアは否定しなかった。彼女の方が確かによほど人外ではある。マリアを崇拝しているキャサリンが弱冠はしゃいでいるが、グレンに生温かくあやされて「んもう!」と雄々しく身をよじっている。

 一方魔神は「それはそうだろう」とあっさり頷いた。


「君は、自分で自分を徹底的に抑圧しているじゃないか。ああ、ちょうどいい。ハートの女王、君は実にタイミングがいいよ」


 空間を引き裂いて、錫杖を携えた上半身のみカードから突き出した女の魔神が現れる。同時に、ふわり、と深い緑のドレスの裾が広がり、絹の靴のつま先が軽やかに着地する。

 金色の髪。けぶるような睫毛に憂いを秘めて伏せられた瞳。

 亡国ザールの姫。

 

「――殿下」


 呆然と、エリアスが呟いた。魔神ジャムジャムアンフの出現以上に、彼の心の虚を突いたのは、間違いなくローザリンデ姫その人で、彼女が騎士を見つめた。

 その瞬間。

 凍えるような濃霧が辺りを包み、炎が噴き出す。景色が左右前後ドミノ倒しのように倒れて行く。黄金の火の粉が舞う。がしゃがしゃと何かが金属音を立て走り去る。これは鎧を着た人間ではないのか。悲鳴と怒声が聞こえ、剣劇の音が入り混じる。冷や汗を掻き、周囲を見回した七子は石壁の存在に気づく。

 この光景は。

 ここは、ザール城だ。これはまた幻なのか。熱気を孕む突風が吹きつけ、少女は視界を奪われる。

 その時、凄まじい怒気の咆哮が空気を割れ鐘のように揺らした。


『おぉおおぉおおおおおおぉおおおおおろぉおおおざりんでぇえええええええええええええ』


 無数の影が取り囲んでいる。

 滝のように垂れ下がるヴェールのクラウン帽子をかぶった淑女は顔がない。

 ゆったりした服の廷臣はおなかに穴が空いている。

 ほっそりした女性は、大事そうに子供の頭部を抱えて離さない。

 身体のあちこちが欠けた騎士たちは剣を構え、切っ先をこちらに向けた。

 彼らは輪を狭め、逃がさぬと包囲する。

 七子を。いや、違う。エリアスとローザリンデ姫を包囲しているのだ。一緒にいた他の人々の姿を探すが、見える範囲にはいない。

 影の中から、ひときわ立派な外套を羽織った男性が現れた。赤地に金の刺繍の入ったそれは、よく見るとかぎ裂きになっている。王冠は傾き、その眼窩は真っ黒で、


『見つけたぞ、ローザリンデ』


 捜していたものを見つけた、と狂おしげに笑った。


「――お父様」


 ザール王は、白骨と化した右手を上げた。


『魔神の非道はいずれ報いを受ける日が来よう』


 そして、と王は姫を指さした。


『売国奴は、我が手で報いを受けさせる』


 恥を知るがいい、と彼は己の剣を抜き払った。ローザリンデ姫は動かない。怯えているためではない。運命全てを受け入れる者の眼だ。

 七子はわけが分からなくなり、咄嗟にエリアスを見上げた。

 止めなくてはいけない。

 彼らの怒りは彼らのもので、第三者の七子は口出しできない。でも、止めなければ。


(だって、あの王様、こんなこと、望んでない)


 ただ、王はけじめをつけようとしている。彼の国民に、許しを請うている。違う、示しがつかぬと、魂の嘆きが聞こえてくる。

 怨んでいない。憎んでいない。ただ嘆き悲しんでいる。死んでも解放されない。囚われたまま、その義務を果たさんと憤怒の炎に己を駆りたてている。もしローザリンデ姫を殺せば、これ以上の地獄に落ちてしまう。

 エリアスは小さく頷いた。彼は己の剣を抜き、王に相対した。


『何故邪魔をする、我が騎士エリアス!』


 怒りを滲ませ、ごうごうと熱風が吹き荒れる。エリアスはローザリンデを庇ったまま、口を開いた。


「私の主がそれを望み、私がまた望んでいるからです」

『何だと』

「陛下、どうかローザリンデ殿下に弁明の機会をお与えください」

『何』


 振り返ってエリアスはローザリンデに言う。


『殿下もまた、真実をお話しください。貴女は我々に真実を話す義務があり、我々はそれを聞く義務があるのです』


 ざわざわと黒い影たちは揺れる。ローザリンデは沈黙し、やがてドレス両端をつまんで、優雅に一礼した。


「私のしたことは何一つ変わりません。しかし、確かに皆様には知る権利がございましょう」


 つまらぬ話でございます、と彼女は語る。


「私には、生まれた時より備わる未来視の能力がありました。その能力は、私に一つの未来を見せました」


 ざわめきは大きくなる。


「百人の犠牲が必要で、百一人助かるなら私は後者を選びます。私はザールの王族ですから、他国が滅んで、我が国が助かるのであれば、後者を選びます。そして、ザールの国民全てが滅ぶか、たった一人の国民が助かるか。選択をしなければならぬのならば、ザール王国そのものをいけにえにしてその一人を生かします」


 エリアスの顔面が青ざめて行く。


「未来を予知した私のところに魔神が訪れ、この世界が何度も繰り返された世界であることを語った時、私は選びました。たった一つの未来を映す水鏡に小石を投げ入れる。最も未来を不確定とする、大きな波紋を起こすその選択を」


 それがこの結果。

 

「エリアス、そなたには過酷な運命を背負わせました。私を憎んでもよいのです。何一つ、それは間違ってなどいない。私は、確かにあの魔神を慕っております。あの方は、私と同じもの。自分自身を憎むことはできません。それは、この選択を否定し、何一つ意味のないものにしてしまうから」


 そう、ローザリンデ姫は胸の前に手指を組んだ。


「だから、私は私の選択を肯定し続ける。私の選択は狂人の選択と言われるでしょう。独善的だと。それでも、私は肯定し続けます。そして、皆様には、私を八つ裂きにする権利がある。それもまた肯定します」


 膝まづき、目を瞑って頭を垂れるローザリンデは、静かに粛清を待つつもりのようだった。

 恐ろしいまでの静寂が辺りを包み、やがて悲痛な悲鳴と啜り泣きがあえぐように唱和する。狂人の戯言だと言うには、事態があまりにもローザリンデの予知したとおりに現実化してしまっていた。大迷宮から溢れ出す泥を止める最終的な手立てが見つからなければ、いずれ彼女の予知したとおりになると、死者たちは理解してしまったのである。


『おおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』


 気も狂わんばかりの咆哮を放ったのは、ザール王だった。


『それでも、許すわけにはいかぬ。ならば、なおさら許すわけにはいかぬ。そなたは王族なのだ。儂は王なのだ。許すわけにはいかぬ、そなたを死者の列に並べねば、我が民に報いることができぬ!」


 血を吐くような絶叫に、ローザリンデは後ろ手に自らの長い髪を左肩に払い、細首を晒した。

 王は血泡を吹き、剣をふりあおぐ。その王の外套を、歪に欠損した小さな子供の影が引っ張った。


『やめて』

『かわいそう』


 子供たちは制止する。


『下がるがよい』


 王は狂気をおさめて優しく言い聞かせ、『誰かある』と呼びかけたが、


『ちがうよ』


 と彼らは首を横にふる。


『おうさま、かわいそうだよ』

『ないているよ』


 王は真っ黒な眼窩から涙を流していた。周囲の騎士たちが膝をつく。廷臣や元帥が王に声をかけ、自らの顔を失った王妃がそっとその手を握る。強張っていた王の手が、剣を取り落とした。鎧の上からでも筋骨隆々たる老元帥ベアー・グリムが慰めた。


『王よ。もはや我らは冷たき死者。生者の世界は彼らの選択に任せましょうぞ。生前の義務に縛られ苦しむのは終わりですじゃ』


 しかし、と顔面を片手で覆う王に、元帥はその肩を叩く。


『生き続ける、そのことを選択し続ける。生あるゆえ生じる苦しみは、見守るに値するものでしょう。さて、剣の師の言うことは聞くものですぞ。それに、ザールはまだ亡びておりませぬ』


 彼はエリアスを振り返った。笑い、何も言葉をかけようとはせず見つめ合う。それだけで、この叔父と甥は通じ合ったようで互いに頷く。

 影の一人が叫んだ。


『ザールは滅ばじ』


 その言葉を皮切りに、影は互いに声を掛け合い、不思議と燃え盛る城は炎の勢いを弱めて行く。

 王はその唱和を受けて、何か憑りついていたものが抜け落ちたようだった。王妃がそっと娘のローザリンデ姫の背中を抱き、声は大きくこだまする。しばらくじっと佇んでいた王は、元帥に断り、エリアスの方へと近づいて来た。


『すまなんだ。儂の苦しみに、そなたを長い間拘束しておったのだな』


 否定しようとしたエリアスに、王は再度詫びてこう言った。


『そなたのいるところがザールだ。ザールは亡びない。そして、そなたは自身を不浄と恥じてはならぬ。何故ならザールはそなたであり、そなたはザールだからだ――よいな』


 はっと、エリアスはと胸を突かれたようであった。咄嗟に、七子の方へ視線を向け、彼は恥じ入るように唇を噛んだ。七子もまた、己の為したことが、どれほどこの真面目な青年に苦痛を強いていたのか再確認して喉がひり付いた。

 誰よりも。

 誰よりも。

 エリアスは自分を恥じていた。

 一人生き残ったこと。

 おめおめと生き恥を晒し、さらには国を滅ぼした原因と同じものになってしまったこと。

 不浄である存在になってしまったこと。

 不本意な隷属を強いられたこと。

 怒りを――日常の中に薄れさせそうになっていたこと。

 彼は恥じていた。

 心底恥じていた。

 

「エリアス、さん」


 かける言葉を持たない。こんな時、言葉は何と無力なのだろう。七子はそれでも伝えたかった。拒絶されることが怖い。例えそれでも、彼に伝えたかった。

 だから、七子は。


「――っ」


 震える指先で、ぎゅっと騎士の指を握った。少女は感謝していた。

 ありがとう。

 エリアスさん、私を助けてくれてありがとう。

 自分を好きになるのは難しい。

 でも、エリアスを好きだと思う自分は嫌いじゃない。好きになれる。こんな気持ちを教えてくれた。誰かを大切に思い、その人の苦しみを思い、その人に感謝し、その気持ちを伝えたいと思う心を。

 あなたが教えてくれました。

 七子は懸命に指を握る。

 握った先から、騎士が弛緩していくのを少女は感じ、彼女もまた緊張を少し解く。

 ザール王は、もしかすると笑ったのかもしれない。彼は自らの王冠を外し、エリアスに差し出した。驚くこの青年に、更には茶目っ気たっぷりに片目をつぶったらしい。


『まずは形からじゃ。そなた石頭じゃからのう。さしずめ、そなたは『死霊の王』か。我らを率いて、堂々世界を救ってみせよ』


 エリアスは珍しく「兜が被れませぬので」と言った後、「不本意ながら小動物も」と冗談か本気なのか分からぬ回答をして、すうっと今度こそ全身の力を抜いた。

 その時、七子は自分の中にある大きな何かが、エリアスへと帰って行くのを感じた。

 

(ああ、私の中にいたもの)


 それは、エリアスが拒否したものだ。魔神としての位階アルカナ。七子が彼から預かっていて、そして今返したもの。


(『死霊の王』は、エリアスさんだったんだ――)


 そう思ったとたん、影であり形を欠いた人々は、色づいて、壊れた鎧も焼け焦げた衣服もするすると時間巻き戻しのように修繕され繕われ、やがて生前の姿をすっかり取り戻して互いに肩を叩きあった。

 エリアスは王冠を被っていない。しかし、彼は全て受け入れたのだろう。


「――力を、貸して頂きたい」


 告げる言葉に、死者たちは口々に当たり前だと応える。エリアスは頷いた。


「大迷宮から溢れる泥に、死そのものの力が幾重にもまとわりついているのを感じます。それを、抑え、取り払う」


 角笛の音が響く。冷たい森に死者の行進を見た時とは逆に、彼らは生前の姿を取り戻して駆け上がった。






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