表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/32

じゅうよん


F1-Attack



 竹林に囲まれた静寂な石碑群の地に、少女は絵筆で描いたようにじわりと姿を現した。彼女は長袖の紺色の制服姿で、黒いストッキングをはいている。その両腕には、たぬきのぬいぐるみをしっかりと抱いていた。いや、たぬきは、もぞりと動いた。


「ここ、は。元の世界?」


 不安げに少女の瞳が揺らめく。篠原七子。彼女は先ほどまで黒い海にいた。光を目指して歩き出した彼女は、気づくとここ――どう見ても墓地としか思えない場所に立ち尽くしていたのである。周囲を見回せば、整理された区画に石碑がずらりと立ち並んでいる。帰ってこられた、と素直に喜んでよいのか、少女は困惑していた。

 こんなに簡単に帰ってこられるはずがない、という思いと、何かがおかしい、と強烈な違和感が少女の胸を重苦しく覆って圧迫している。

 すぐに七子は違和感に気づいた。目の前の墓。立派なお墓だ。

 何故だろうか。七子は近づき、白御影石の石碑に目を凝らす。


 ――『瑞樹家先祖代々之墓』


 どくん、と七子の心臓は大きく鼓動を一つ打った。

 何だろう。怖い。見たくない。七子は恐ろしくなって目を逸らし、気づく。

 墓周辺は掃き清められ、雑草一つない。墓前灯篭や霊標までぴかぴかとしていて、しっかりと拭き清められている。おそるおそる視線を戻すと、供物台には花や水などのお供えがしてあった。


(きれい、すぎる? お花、も、水も、新しい?)


 今日、誰かが墓参りをしていったかのようだ。

 正体のわからない不安に、戦き、一歩、二歩、と下がる七子の背後で、じゃり、と音がした。驚き振り向いた少女は、そのまま固まってしまう。

 何故なら、七子の背後にいた『男』は、七子の身体を突き抜けたからだ。

 まるで、エリアスの記憶で、ザール王国崩壊の一夜をを垣間見たあの日のように!


(私、やっぱり、帰ってこれて、ない。幽霊みたいになってるの? じゃあ、これも、『誰か』の記憶なの?)


 混乱する七子をよそに、スーツ姿の若い男は供物台に花を置き、手を合わせている。七子に気づくこともなく、やがて、


 ぐらり。


 と、世界が眩暈を起こした。何かが書き換えられた。上書きされた。墓参りしていた男が鈍器で殴られたかのようによろめき、玉砂利に膝をついた。大丈夫ですか、と駆け寄ろうとして、七子は悲鳴を飲み込む。膝をついたまま、目元から額にかけて痛みをこらえるようにする男は、指の隙間から、しっかりと七子を捕えていた。視線が合う。合ってしまっている。

 そして、こう言った。


「――篠原、七子、か?」


 確かに、七子の名前を呼んだのだ。七子は咄嗟に後ずさり、子だぬきを庇うよう胸元にしっかり抱きしめた。


「あ、なた。誰、ですか? 私が。見えているの?」


 男は頭痛を振りきれないのか奥歯を食いしばったが、膝の砂利を払って緩慢に立ち上がる。


「俺は、辻境滝彦」


 七子は、その名前に聞き覚えがあった。暗黒の海で垣間見た記憶の中に、優花がたびたび「滝彦くん」と口にした名前だ。


「? 君は、俺を知っているのか?」

「あの、直接は。く、ラスメイトの知り合いと、同じ、お名前なので――」

「瑞樹優花か」

「えっ」


 言い当てられて、七子はぽかんとする。


「俺はその『滝彦』と同一人物だ。瑞樹優花は俺の知人でもある」


 淡々と言われ、七子はじわじわと足元から不安な気持ちに襲われた。


「つい、たった今『ここ』に来たばかりで、状況がちっとも読めないんだが、君も似たような感じだな」


 一体今はいつだ、と滝彦はスーツのポケットを探り、スマートフォンを取り出した。


「2015年10月1日――君の命日だな」


 冷ややかに告げられた言葉に、七子は凍り付く。


「え、私の、命日?」

「そこからか。少々長くなるが、話をしたいし、君から聞きたい。すると、この墓は君の墓か? 何?」


 滝彦はぎょっとしたように再度石碑を確かめた。


「瑞樹家の墓? 何で俺は――『ファースト階層』では瑞樹家の誰かが死んだのか?」


 そうだ、霊標、と彼は右手の石板を見るために再度膝をついた。七子も気になっておそるおそる背後から目を凝らす。


 ――瑞樹家先祖代々之霊位


 瑞樹家の先祖代々の故人らの戒名、命日、俗名、享年が掘り込まれている。

 一番最後、その名前はあった。


 ――――清廉院知水清白居士 平成二十六年十月一日 


「そんなバカな――」


 愕然とした声を洩らした滝彦に、七子もまた字面を追って驚いていた。


 ――――平成二十六年十月一日 瑞樹有 行年十九才

 

 優花の兄の名前だ。瑞樹有は山岡中学校の生徒会長だった。有名人なので、七子でも名前を知っていたし、兄妹ともに七子の中では『雲上人』だった。

 滝彦は「ちょっと待ってくれ」と七子に言うと、スマートフォンで電話をかけた。


「ああ。俺だ。瑞樹有の――何? そうか。分かった。ちなみに瑞樹優花は? そうか。何? 本当か? 住所を――いや、ナビがあるか。それから、俺は今日車で? ああ、何でもない。じゃあな」


 彼は通話を終わらせ、七子を見下ろすと、こう言った。


「行くところが出来た。同乗可能か分からんが、車で来ているらしいんで、一緒に来てくれるか?」

 

 本来なら、七子は走って逃げただろう。しかし、滝彦と名のった彼の目には、全く邪まなものはなく、それどころか、七子の腕から、子だぬきがぴょこんと地面に飛び降りた。

 あ! と七子が叫ぶ間もなく、ととととと、と走って、滝彦の足元にまとわりつく。スラックスを引っ張り、


「だっこ!」


 たちまち懐いていた。もしかして、と七子は心の汗をかく。


(たぬきさんは、無表情な男の人が好きなの?)


 滝彦はしばらく無言であったが、ひょい、と肩に子たぬきを担ぎ上げた。


「ふうん、触れるな」


 それから、じろり、と七子を見る。


「君はどうも半透明に見える。悪いが、触ってみてもいいか?」


 あまり悪いとは思ってない口調で尋ねた。七子は先ほどのことも頭にあったので、確認までに頷く。結果は、やはり滝彦の手は七子の手をすり抜けてしまった。


「車に乗れなかったら移動が少々面倒だな。時間制限も気になるし、まずは歩きながら話そう」


 今度こそ七子は頷いていた。


 

 

 滝彦の懸念は無用のものだった。七子は、地面と接しているものなら、触ることができるようで、車に同乗することも可能だった。片道三時間はかかるという道すがら、滝彦の話を聞いて七子は顔面から血の気を引いた。 

 ループ。苛め。自殺。報復殺人。頭がパンクしそうだった。何もしなければこれから自分が辿る未来だと言われれば、身体も震え出す。内容もにわかには信じがたいが、すでに事態は充分まともの範疇を逸脱してしまっている。


「あの、じゃあ、辻境さんたちは、ループ、していて。最初の原因になった世界に、黒い本に送られたって、いう、んですか」

「ああ。『ファースト階層』というらしい。それが、この世界だ。さっきも話したとおり、君はこの『正史』ともいうべき世界では、自殺している。経緯はさっき言ったとおりだが、大丈夫か?」


 滝彦は、気遣ったり、慰めたりするようなことは一切しなかった。どこまでも機械的だ。しかし、七子にはそれがむしろ心地よかった。同情されたら、少女は羞恥心とショックで会話することもできなかっただろう。

 運転しながら滝彦はナビを確かめ、


「君はどうも、俺が今まで接触してきた篠原七子とは違うな」


 とひとりごとめいて呟いた。


「え?」

「多少つまりがちだが、会話になっている」

「あの」

「意思疎通ができる」

「は、はい」

「俺は、ループした過去の君とは全く会話できなかった。そもそも会話にならなかった。君は傷つくのにも疲弊しきっていて、生きてるのに死んでるみたいな目をしていたよ」


 酷いことを言う。膝元でたぬきを抱えたまま、七子は思い出していた。暗黒の海で見た記憶――あの延長にある自分を想像する。あの自分がこの滝彦と出会ったら。多分、よい結果にならなかっただろう。


「何があったのか、君の話も聞かせてくれ」


 その淡々とした口調の中に、七子は、かすかに滝彦という人物の労わりを感じた。少女は、たどたどしく、やがて水を得た魚のように『本の中』で起こったことを説明し出した。





「つまり、最後は『暗黒の海』とやらからここにやって来た、というわけか」

「――はい」


 あらかた話終え、最後の『暗黒の海』の話になると、滝彦は考え込む様子となった。


「ここからは、ずいぶん憶測が入ってくるんだが」


 滝彦は慎重に口を開く。


「正直、この一連の不可思議なできごとは、君が犯人だと思っていた。いや、正確には今でも思っている」

「え」


 七子はたちまち言葉に詰まる。運転する滝彦は前を向いたままだ。


「さらに正確に言えば、犯人と言っても、それは君の『Thanatosタナトス』だと思っていた」

「たなとす、ですか?」

「日本語に訳すと、『自己破壊衝動』だな」


 びくっと七子は肩を揺らした。うつらうつら眠りに誘われていた子だぬきが、膝の上で一回転して、腹を見せる。


「無意識の心理を分析する深層心理学の創唱者のフロイト、こいつが人間の『死の本能』に注目して名づけたものだ」

「死の、本能」

「ああ。少し説明しようか。このフロイトは人間の心は、『id』・『自我』・『超自我』からなると考えた」

「イド、ですか?」

「『id』は、『libidoリビドー』からなる人間の無意識だ。『libido』ってのは本能的欲動のことだ。性欲動なんかが代表例だが、さっき言った『Thanatos』もそうだな。死の欲動に該当する」

「……はい」

「人間は、『libidoリビドー』に突き動かされて行動しようとする。だが、自我は、この人間の罪深くて汚らしいと思える不快な欲動を抑圧して無意識層に閉じ込めようとする。健康な人間はこの自我が強いと言うな」


 七子は自分の自我が弱い、と言われたような気がして俯いた。


「抑圧された内容は、夢などであらわになるという。これを利用して、自由連想や夢解釈などで、この抑圧された無意識層での葛藤を自覚させるのが精神分析だ」

 

 少々話がずれたな、と滝彦はステアリングを切った。


「人間の無意識層から発生する『libidoリビドー』、これはすべての心的エネルギーの源だと言われている」


 エネルギーの源、と七子は拳を握った。


「――ああ、もう少しだな。そういえば、君はおとぎ話や神話には詳しいように聞いたが」

「え、あ、はい」


 七子は恥ずかしくなって顔を赤らめた。あまり人に知られたい話ではない。

 

「もののついでだが、ギリシア神話で、タナトスは眠りを神格化した神であるヒュプノスの兄弟で、死そのものの神格だ。どうもこの『物語』は『死』がついて回るな――」


 そう言って、滝彦は車を止めた。ゲートをくぐる。

 目的地に着いたのだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 今折り返しまで読みました。 とんでもないお話に出会ってしまった。傷を抉るような怒涛の展開に読む手と涙が止まりません。気高い人たちが尊く、悪意と罪と無邪気さが重く伸し掛かりますが、最後まで読ま…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ