じゅういち
お知らせ:
ルビについてご指摘がありました。再掲載時にすべてルビが外れてしまったようです。お見苦しくて申し訳ありません。更新が優先となりますが、おいおい直して行きたいと思います。
また、ご感想本当にありがとうございます。何度も拝見し、更新のエネルギー原動力およそ9割とさせていただいています。おってお詫びとなりますが、作品更新に力を注ぐため、返信等は控えさせていただこうと考えております。誠に申し訳ございません。重ねて御礼、お詫び申し上げますとともに、作者の尻叩きによろしければ今後とも応援いただければ幸いです。
32
ゲテナ統一帝国の『塔』内。
皇帝がその腹心の宮廷魔道士カーミラに下知して去った直後である。
運動ができるほどの広さの『塔』内は、天井に設置された照明灯により、決して暗いものではない。
しかし、拭いきれない暗がりは、どこか陰惨さをまとうかのように足元に重く凝っている。
それは毒性を薄めた大迷宮の『瘴気』にも似ていた。大本である『何か』を無理やり『装置』で封じている代償のためであろうか。
室内の中心には、その『装置』である丸い物体が設置されている。
通称『鳥かご』だ。
一人残ったカーミラは、滑らかな光沢の緋色のドレスローブの裾を引きずりながら、ゆっくりと『鳥かご』の周囲を歩いた。二つ名である『鮮血の魔女』に相応しい真紅の頭髪が、その背中を滝のようにしな垂れ落ちて行く。『鳥かご』は楕円形をしている。カーミラはぴたりと足を止めた。
「魔を封じる鉄」
ヘンナにより染められた赤い爪で、空中に手首を使ってしなるように字を描く。これはシステム起動のキーであった。
「模倣共感による硝子障子」
カーミラは十指を使って、空中に鍵盤を弾きこなすかのように次々と字を打ち込んで行く。肘まで描かれた花のような幾何学模様は禍々しい血色に染まり始めていた。
「異様な風体の女」
肉厚の唇を舐めるように呟きながら、タン、と最後のキーを入れると、合言葉を口にする。
「『うつぼ船』」
船は、まるで生まれたばかりの赤子がむずがるように、ぶるりと身を震わせた。その表面には金色の蛇の模様が浮き出て、ずるりずるりとはい回る。
カーミラは満足げに熱い吐息を洩らすと、
「さあ、『夢』見なさい。どこまでも深く深く、そして遡るのよ。根源、開闢たるその点まで、あなたが手がかりなの。どうかいい結果を出してちょうだいな」
子守唄代わりに囁く。
皇帝はもしこの女宮廷魔道士の所作を目にしたら、驚いたかもしれない。
何しろ、カーミラは全く皇帝の命令に沿わない術の行使をしていたのだ。
彼女が命じられたのは、いわば人柱の魔神版であった。
捕獲した魔神を核として、瘴気を抑え込む永久装置を作るように、この計画は何年も前から始動していたのである。
その繊細優美にして神の御業と他の専門家をして称えられた装置が、目の前の『鳥かご』だ。
実際に優花が魔神を捕えたことで、計画は一気に躍進することとなるはずだった。
しかし、カーミラは『鳥かご』を本来の目的で使用する気は微塵もなかった。
彼女を咎める者もこの場にはいない。
ほとんど数百年に一度の才能と称賛される魔道士カーミラ及び協力者である赤の枢機卿メシ=ア両名の功績によって、装置は開発された。
つまり、装置の仕様は、カーミラでなければ分からない。彼女が人払いをすればそれまで。凡人の横やりなど入るはずもなかった。
「うまくいっているようで何よりですな」
人払いにより無人の静寂が保たれるべき室内に、暗がりから穏やかな声が、不気味な反響を伴ってカーミラへとかけられた。
カーミラは肩越しに振り返り、小首を傾げて蠱惑的に微笑む。童女さながらの無垢な笑みは、相反してどこまでもおぞましい非人間性を取りこぼしてしまっている。むしろ、故意にけはいを漏れ出させているのだ。彼女はさらさらこの相手には己の本質を隠すつもりなどなかった。
「メシ=ア殿。お待ちしておりましてよ」
艶やな笑みは、女の媚態を肉感的に振りまいて、相手を誘惑せんとする毒花そのものであった。
しかし、相手もさるものだ。毒婦の吸い寄せるような色香など微塵も感じとらぬ風情で胸の前でルーラー印を切った。
「敬虔なる同志淑女をお待たせしてしまうとは、私の不徳のいたす限りです」
謝罪した男は四十代半ばほどであろうか。黒々とした頭髪はうねるように肩へと流れ落ち、口元には温和な笑みを刷いている。
この男こそ、ルーラー教会の頂点に立つ赤の枢機卿メシ=アであった。教皇はもはや病床にあり、青の枢機卿も政治的にほぼ無力化した今、ルーラー教会を支配するのは、メシ=アに他ならなかった。聖人のように慈愛深く容色人望ともに優れ、その人心掌握術においては右に出る者がないとされるメシ=アは、慈悲を垂れたまま異教徒を制圧することにかけても極め付け才能を発揮した。
この男の本質もまた、極端に振り切れているのだ。
愛を説きながら、悲しみの表情で相手を拷問するなど造作もない。
突き抜けてしまったがために、雲の上に楼閣をこしらえ、堂々君臨することができる。
人の形をした異形であった。
そして、怪物は人の中に怪物を見つけ出すことができる。彼らの嗅覚は腐臭と惨劇を嗅ぎつけるのに長けていた。
二人は仲の良い友人のように並び立つ。
「お気になさらないで。それより、ご覧になって。私たちの作品は、今回はうまく動いてくれるかもしれないわ」
「確かに。まあ、失敗しても、エネルギィは必要分は溜まりました。次の世界に渡ることもできるでしょう」
「ふふっ」
うふふ、とカーミラは狂おしげに身をよじった。ああ、と切ない溜息が零れ落ち、そのままメシ=アにしなだれかかる。白い繊手が男の顔を撫で回し、やがては哄笑へと至った。
「ああ、『恋人』よ。どうか姿を現して。その醜悪で滑稽で美しい皮を脱いで、ひと時の逢瀬を愉悦で塗りこめてしまいましょう。もう浸食は充分、あなたは食い破れるわ」
赤の枢機卿と呼ばれた男は、奇妙に歪な笑顔を浮かべた。その顔面に、ぴしり、と亀裂が入る。痛みなど男は感じていない。自我が圧倒的なそれに食い荒らされてく感覚も、違和感も、恐怖すらもない。
全てを凌駕して、その圧倒的な存在に中身から食い破られる。
それは神に対峙した法悦にも酷似していただろう。ならば男は自ら望んだのだ。
自分を全て内側から食い荒らされて、男は官能にあえぐ女を腕の中に閉じ込めた。
「メシ=アを完全に『私』で置換したよ。ああ、『恋人』よ、生身ではずいぶん久しぶりじゃないか」
「ええ、長かったわ。私一人地上に置いて、自分は大迷宮でひきこもりなんてひどいひと!」
「すまないね、これでも忙しくしていたんだよ」
「知っていてよ」
拗ねたように女はつんと顎を逸らす。
「私が人間に身をやつして地上で歴史を誘導している間は仕方ないと思っていたわ。でも、大迷宮が地上に現れた後、すぐに会いにきてくれてもよかったのに! と駄々をこねたいところだけれど、暗躍はあなたの本領発揮だものねえ」
「ふふ、君もね」
女を抱きしめる男の頭髪は銀色であり、捩じくれたS字の黒い角がぬらぬらと明かりに照り映えた。
魔神ジャムジャムアンフ。彼の秘められた二つ名は、『恋人』という。正確には、
「ようやく二人で戻れたわね、『恋人たち』に!」
そう、『恋人たち』というのだ。
「さあ、祝福しようじゃないか」
「ええ」
「「――このおぞましき誕生に!」」
二人はかつて一人の魔神であった。いや、一つの『位』が二つの人格で構成される枠なのだ。その意味で、彼らは同一人物でもある。
逆に、ハートの女王とハートの王は同一存在ではなく、『位』は別々にあった。
「『女教皇』と『教皇』にも長らく顔を合わせていないわね。正気を保っている仲間は貴重でしょう? 今度立ち寄ってくれるように伝えてちょうだい」
「確かにね。その点でいうと、『塔』や『戦車』は全く酷いものだよ。彼らはほとんど気が狂ってしまったようだ。正気でいるのはあまりにも耐えがたい長旅だったからだろうが、仲間が次第に狂っていくのは辛いものだよ」
ジャムジャムアンフは悲しみに満ちた表情で心からの言葉を吐き出した。
仲間はかつて大勢いた。しかし、何度も世界を渡る『長旅』に耐えきれず、次々と消失して行った。時に彼らに賛同してくれた人間を新しい魔神として空位となったアルカナに補填しながら、ここまで辿り着いた。
しかし、彼らはやはり耐えられないのだ。あまりにも長く、繰り返し訪れる崩壊の時に、精神の寿命の方が先に限界を来てしまう。残っている古参の仲間は五指に足りるほどだ。
「彼らは、次の『旅』には耐えられまい。ほとんど元の人格が擦り切れている。今度こそ、旅の終焉としたいものだ」
「ええ、心得ていてよ。大迷宮――『うつぼ船』にはもう乗りたくないわ。彼女で、最後としましょう」
二人はそっと寄り添い、目の前の小さな『鳥かご』を見守った。これは、まさに『うつぼ船』そのものの形をしていた。そう、まるで精巧なレプリカのように――この二人の魔神は、もっと大きなうつぼ船のミニチュアを作っただけに過ぎなかったのである。
「私たちは」
「僕たちは……」
「絶対に消えたりしないわ。この運命を覆してみせる。どんな犠牲を払っても」
「まったく、存在の消去をうたう神などクソくらえというものだよ」
いよいよ『鳥かご』の表面を這う蛇の数は全体を埋め尽くすほどで、不気味な威容を晒している。
「行きなさい、境界を突き抜けて、宇宙のビッグバンたるその点へ――!」
遡れ!
ほとばしる光の中、小さな小さな影が、さっと猫の子のように装置めがけて横切ったのを、二人の魔神は気づいて、それでも咎めなかった。
『鳥かご』の中に囚われた魔神は篠原七子という。
今回の世界で、運命は次第にずれつつあり、魔神達の期待もまた最大値へと高まっていた。
「今度こそ。今度こそ運命を塗り替えて――!」
『最初の階層』で――そう祈るように捧げられた声を、夢見る少女が耳にしたのかどうかは、分からなかった。