第四章 桂林の名物は?
一、もうええ、昼飯は別行動じゃ!
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やがてバスは、とあるホテルの中庭に入って行った。
「おや、ホテルだよ。これは期待できるかもな」
と峪口が言うと、
「どうだかなあ。わしはもう期待しないことにした」
施川は諦め顔で言った。
昨日と同じく茶碗や箸を熱湯で消毒し待つことしばし、運ばれてきた料理はと見ると、
「あ~あ、期待した私がバカだった。魚の種類が違うだけで、メニューはまったく昨日と同じじゃないか」
と、施川が大きなため息をもらした。
「こっちのツアーはこんなものさ。でも施川、昨日はけっこう喰っていたじゃないの」
「まあな、一回くらいは我慢できるよ。でも、もう駄目。他へ行こうよ」
「待てよ。そうはいっても、午後のスケジュールもあるからなあ。『象の鼻山』とか『伏波山』とか……」
「市内観光だろう。そっちもいいよ。ホテルで休もうぜ」
「でもなぁ…、邑中はどう?」
「俺ぁ行ってみてぇなぁ」
「同じだよ、象だの豚だのって言ったって。鏡でも見ていろよ」
「あっはははは……。豚はねえだろうけど、まあ市内観光だからな」
「そぉかぁ~、うんじゃあけぇんべかぁ(帰ろうか)」
「よし。じゃあ峪口ぃ~、頼むわ」
「そうだなあ……、そうするか。添乗員に話してくるよ」
峪口は施川の具合が少し悪いので、ホテルで休みたいと説明し承諾を得た。
ホテルまではタクシーで二十分ほどの距離だという。
ホテルに戻りホテルマンに、どこか、美味いものを喰わせる店を紹介してくれと頼むと、親切に店名と地図を書いてくれた上、入口付近に屯するタクシーの運転手に行き先も指示してくれた。
運転手は小柄な気の良さそうな男で、よくしゃべった。
「日本人デスカ? コンニチハ。サヨナラ。オイシイ。日本人スケベ……」
などと、知っている限りの単語を披露し、市内観光を半日、百五十元でどうだ、と売り込むことも忘れない。
「日本人スケベは余計だろうが、ったく、もう。なぁ、峪口ぃ~。人畜無害のわしを目の前にしてよお」
「へへへっ……、人畜無害だとぉ、笑っちゃうべぇ。なぁ、峪口ぃ~。へっへへへ……」
と豪快に笑い飛ばす邑中だった。
「なに、なんか文句ある?」
「ないない。あっははは……」
「なんだよ。峪口まで……」
と不満をもらす施川。
案内された酒店の前で観光案内は丁重に断わり、運転手に五元のチップを渡して別れた。
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すると直ぐに、店の小姐(女性従業員)が三人の所に飛んで来た。
店内に導こうとするのを制し、峪口は外に置かれたテーブル席を選んだ。
席に座ったところに、まだあどけなさの残る女の子が、お茶と取り皿や箸・茶碗などのセットを持ってやって来た。
続いて注文取りの小姐がおもむろに歩んで来る。
それぞれ役割がわかれているのだ。
「先ずは、冷たいビール!」
「俺ぁはコーラ。あんべぇ?」
「百事可楽ならあるって」
「バ、バイ、な、なにぃ?」
「ペプシコーラならあるそうだ」
「ペプシのことバイ、シーなんとかってゆうのかぁ? うんじゃ、コカ・コーラはなんてゆうんだぁ」
「うんだぁ。可口可楽」
「な、なんだぁ? もう一回ゆってくんど」
「クゥー、コォー、クゥー、ラだな」
「バイ・シーとクゥー・コォーか……、バイ・シーにクゥー・コォーと……」
施川がブツブツと言っている。
「バイでもクゥーでも、どっちでもいいからよぉ、ひゃっこい(冷たい)のをもらってくんどぉ」
施川が口火を切り、峪口が小姐に、とにかく先にビールとコーラを持って来るようにと伝えた。
「冷たいやつよ、冷たいやつ」
「わかっているとさ、日本人の客が多いからね、桂林は」
三人の間を心地よい風が吹き抜けていく。
「おっ、きたきた。……桂林ビールか、どれどれ? うーん、よく冷えている。これならオッケイ! オッケイ!」
ビールを前にすると、施川はすこぶる機嫌が良くなる。
「ほら、邑中も少し飲め」
「ちっとな、ちっと」
峪口と施川は、二杯、三杯と立て続けにビールで乾杯を繰り返した。
だが邑中は、ほんの少しだけビールに口をつけると、残りは地面へ捨ててコーラに切り替えた。
「あっ、もったいねぇな。豚に真珠だ」
「ハゲに整髪料だんべぇ」
「ぶッ!」
「あらぁー、きつい切り替えしだこと。邑中、一本! ふふふふ……」
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そんな三人の行動を、小姐はニコヤカに見守っている。
「ふーう、美味いッ! やっと落ち着いたよ。お姐さんも一杯どう?」
施川がいつも女性にするようにビールを勧めたが、笑顔で体よく断わられた。それも、いつものことだが……。
「さぁーて、なにを注文するかな?」
「うめぇもん頼むべよぉ、峪口ぃ~」
「任せておけよ。ええと、……スープに野菜の炒め物、それとチャーハンか焼きソバだな。どっちにする?」
「俺ぁ焼きソバにすんべぇ」
「両方もらえよ」
「そうするか。後は、メインディッシュをなんにするかだが……。魚は桂魚がいいな、やっぱり」
峪口が桂魚を注文すると小姐は、
『名前を見てもおわかりのように、桂魚は桂林の名物で、上海などで売られているものとは味がまったく違いますよ』
と自慢げに説明した。峪口がなぜと訊くと、
『桂林の名の由来となった桂花(金木犀)の花が川に落ちて、それを食べて育つから、魚の身が良い香を放つのです。川魚にありがちな泥臭さもありません』
と説明を付け加えた。
峪口からの説明を聞いた施川は、
「へーえ、そうなんだ。ところで、焼いてもらえないかな?」
「俺ぁも、それそれ。焼いてもらうべぇ。蒸したのはうんまく(美味く)ねぇ」
「そうだな。……、焼きもあるってさ。但し、アルミホイルの包み焼きだけどネ」
「ふんとは、塩焼きがいいけんどなぁ。ふんで、醤油はあんのかぁ?」
「贅沢はゆわないの、アルミホイル焼きでもあるだけマシだよ。えっ、魚を選べってさ、どう見に行きますか?」
二、食材? ペット?
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小姐に連れて行かれた場所は生きた食材置き場で、鶏、家鴨、魚、そしてなにやら得体の知れない動物が、檻に入れられて所狭しと並べられていた。
ひとしきり見渡した施川が、おもむろに口を開いた。
「なあ、峪口ぃ~。……あれって、モルモットかなあ?」
「うーん……、顔は確かに、モルモットだけど、デカイな。喰うンだろうな、あれも」
「まさか、レストランにペットは置いてねぇべぇ……」
「思い出した。あれはプレーリードックだ。わしんとこの近くのペットショップで見たことがある。日本で買うと、五万か六万円はするぞ」
その動物に、三人が興味深げに見入っているのを横目で見た小姐が、この動物はとても美味しいと勧めだした。
「なんだって?」
「美味いから注文しろとさ」
「俺ぁいんねぇ。冗談じゃあんめぇ。こんなのを喰ったら、サーズになっちゃうべぇ」
「ははははっ…、サーズか。ん? これって雉じゃない、施川?」
「そうだな、雉だよ。ヘーえ、注文してみるか。高いのかなあ?」
「ええとね。一斤だから、……五百グラムで六十元だとさ」
「注文すんべぇ。峪口ぃ~、雉なんて滅多に喰えねぇべ、俺ぁが銭っ子出すからよぉ」
「おっ、太っ腹。そうだな、注文してみるか」
続いて水槽で桂魚を選んでいると、肘まである厚手の手袋をした男が出て来た。
その男は緊張した面持ちで、黒っぽい布が掛けられた一メートル四方の箱に手を突っ込み、太い蛇を掴み出した。
それに気づいた邑中は、キャーッと嬌声をあげて仰け反りながら、
「たっ、たたた、峪口ぃ~。へっ、へび、へび。俺ぁ、俺ぁは長いの駄目だぁ」
と情けない声をあげた。
振り返った峪口も二メートルはあろうかという黒光りのする蛇に、さすがに息を呑んだ。
「ふっ、太い。険悪な顔だな。毒があるンだろうな、きっと」
峪口はヘビを見ると虫唾が走る。しかし、施川は平然と蛇を見ている。
「わしヘビは平気じゃ。小学生のころ、小遣い稼ぎによく捕まえて蛇屋に売ったモンだ。シマヘビとか、マムシが一番高く売れたなあ」
「オメェもすんげぇ苦労したんだなぁ。うっ、うっ、うううう~」
邑中が涙を拭く仕草をしながら言った。
「うんうん、そうナンだよぉ。わしは家なきッ子でなあ。うううう……。おっ、ハサミで腹を割いたよ。アッと言う間だな、うまいモンだ」
施川が驚きの声をあげた。
「うぇーッ! 気持ちわりぃー。俺ぁは向こうさ行ってっべぇ」
邑中は逃げるように席に戻って行った。
男は手馴れた手つきで腹を割き、肝を取り出すと、蛇をポイッと床に投げ出した。
肝を抜かれても、まるでそのことに気づいていないかのように、蛇はグネグネとのたうっている。
「あの肝、どうするのかなあ?」
「日本だと焼酎に入れて、グッと呷るンだよな。恐らく、こっちでも同じだろう」
「それににしてもここの臭いは、嫌だねぇ。獣臭というか蒸れたような生臭い臭い。息苦しくなってきた」
そう言い置いて、施川も邑中のいる席に戻って行った。
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峪口も同じ気分で、桂魚を適当に見繕ってから表に飛び出し、思いっ切り外の新鮮な空気を吸い込んだ。
食事の前に、あんな場面を見なければ良かったと後悔した。
「雉に桂魚、ちょっと注文のし過ぎかもナ。こんなに喰い切れねぇぞ」
「よかんべぇ峪口ぃ~、うめぇとこだけ喰えばよかんべぇよぉ」
三人は、前菜と野菜の炒め物をつまみにジョッキを傾けながら雑談をしていると、やがて桂魚のホイル包み焼きが出てきた。
味は醤油ベースで黒酢味の利いたタレ、強火でタレが焦げて、ちょうどテリヤキ風味になっている。
早速箸をつけた施川の表情が輝いた。
「美味いッ! 焦げた酢豚のタレって感じだけど、これは正解だ。うん、美味い美味い。皮のとこが、特に芳ばしくて美味いわ」
施川は美味いものにありつくと、他人を気にせずガツガツと口に放り込む。
「どれどれ……、ふんとだ、うんめぇ~。施川ぁ~、ゆっくり喰え。取らねぇからよぉ、ガツガツ喰うなよぉ」
と、邑中がからかってもまったく意に介することなく、施川はひと心地つくまで豪快に食べ続けた。
峪口も、確かに上海で食べた桂魚とは一味も二味も違うと思った。
三人は美味いうまいを連発しながら、先を争うように食べ続け、アッと言う間に平らげてしまった。
そして、次の料理が出て来るのを期待して待っていると、やがて雉のスープと雉肉の炒め物が運ばれて来た。
炒め物には雉肉、ネギとクワイにブロッコリー、そして大粒の大蒜と唐辛子がたっぷりと入っている。
大蒜もホッコリとしていて美味い。
しかし、スープにひと口つけた峪口は、従業員を手招きして、
「このスープは味がないよ。塩を入れ忘れたのかな。やり直し、やり直し」
と言うと、やって来た小姐はひと言の言い訳もせず、
「対不起、直ぐに作り直して来ます」
と言って、スープの鍋をさげて行った。
教育も良くできているようだ。上海よりもずっとサービスが良いことに、峪口は関心をいだいた。
「鴨と葱はよく合うけど、雉と葱もなかなか美味い。肉よりもむしろ葱が美味いなあ」
「鴨に比べると雉は少し淡白かな。結論としては、施川さん……」
との峪口の問いに対して、
「鶏の方がうんめぇ~!」
と邑中が先に答えたので、三人は声を揃え、顔を見合わせて大笑いをした。
周りの客と従業員が怪訝な顔でこちらを見ている。