婚約者に『女性は苦手だ』と言われたので、無理矢理女装させました。え!? 私の婚約者可愛すぎ!!
「申し訳ないが、私は君を愛することはできない。⋯⋯昔から女性は苦手なんだ」
婚約者の執務室に入った開口一番、レオン様は私にそう言った。
レオン様は私の夫となる予定の人物だ。
それなのにいきなり「女性は苦手だから愛せれない」と言われたわけだが、十七年間ただ
令嬢をしていたわけではないので、私はそう簡単に驚かない。
そう言われることは織り込み済みで、もう完全な対策ができている。
そのことを説明するには、どうして私とレオン様が婚約関係になったかを話す必要がある。
私は伯爵家でレオン様は公爵家。家系的にも人間性的にも彼の方が高位で、私なんかと到底関わることのない人物だ。しかしその父親となったら話は別。
どうやら私の父とレオン様の父上様は、昔からの友人らしく、とある宴会で談笑していたところ、なんかよく分からないがノリと勢いで婚約が決まったらしい。
⋯⋯改めて意味が分からない。何をしてんだ、あのクソじじいは。
まぁそんなこんなでも婚約が決まったわけだが、私はレオン様が過去のある経験によって「女性恐怖症」であることを知っている。
故に今日、彼の執務室で初顔合わせをする際の秘策を持ってきたのだ。
「⋯⋯レオン様」
何をしに来たのかと訝しむレオン様に対して、私は無言で微笑みかけた。そして背後に控えていた側仕えに目配せをする。
「な、なんだ⋯⋯? 何をするつもりだ!?」
「失礼いたします、レオン様。少しだけお付き合いくださいませ」
身構えるレオン様を、あらかじめ手配しておいた腕利きの使用人たちが速やかに取り囲む。動揺して抵抗しようとする彼だったが、そこは百戦錬磨の私の手下たち。あっという間に彼を拘束し、用意していた別室へと連れ込んだ。
「シルフィ嬢! 一体何の真似だ!?」
「ふふ、大丈夫ですよレオン様。危害を加えるつもりなんて毛頭ございません。ただ⋯⋯少々『意識改革』をしていただくだけです」
◇
それから一時間後。
「⋯⋯う、うぅ⋯⋯こんな姿、誰かに見られたら⋯⋯」
鏡の前で震えているのは、フリルとレースがふんだんにあしらわれた最高級のドレスを身に纏った人物。
繊細に整えられたウィッグと完璧なナチュラルメイクによって、そこには並の令嬢など足元にも及ばないほどの『可憐な美少女』が完成していた。
そう、無理矢理女装させられたレオン様である。
⋯⋯っ!? え!?待って、私の婚約者可愛すぎない!?!?
心のなかで悶絶しながらも、私は表面上は優雅な笑みを崩さないように必死で耐えた。
もともと中性的で整った顔立ちだとは思っていたけれど、まさかここまでドレスが似合うなんて聞いていない。上目遣いで頬を赤らめる姿は、同性の私すら毒気を抜かれるほどだ。
「レオン様、とってもお似合いですよ」
「からかわないでくれ⋯⋯! 私は男だぞ!? なぜこんな真似を⋯⋯」
泣き目で見つめてくるレオン様に、私は一歩近づいて優しくその手を取った。
「レオン様。あなたが女性を苦手としているのは、過去のトラウマのせいですよね。女性という存在そのものに恐怖を感じてしまう⋯⋯なら、まずは『自分自身が女性の姿になってみること』で、客観的に親しみを持ってみてはいかがでしょうか?」
「え⋯⋯?」
「それに、ほら。鏡を見てください。こんなに可愛らしい『女性』が目の前にいても、何も恐ろしいことなんて起きないでしょう?」
私の言葉に、レオン様は恐る恐る鏡の中の自分を見つめた。
自分の姿だと分かっているからか、いつも感じているような強い恐怖心や拒絶反応は起きないらしい。
「確かに⋯⋯嫌な感じは、しない⋯⋯かも?」
「でしょう? 恐怖症を克服する第一歩です! さあレオン様、今日から少しずつ慣れていきましょうね!」
まあ、半分は私の趣味と、この可愛すぎる姿を拝むためなんですけどね!
完璧なロジックで丸め込まれ、自分の可愛さに困惑しつつも少しずつ自信を取り戻していくレオン様を見て、私は心の中でガッツポーズを決めるのだった。
「……って、本当にこれで克服できると思っているのか……!?」
レオン様は赤くなった顔を両手で隠すようにして、小さく声を絞り出した。
指の隙間から覗く濡れた瞳と、ふんわりとしたフリル袖から伸びる華奢な手首。その破壊力たるや、私の心臓を過剰に跳ねさせるには十分すぎるものだった。
(可愛い……っ! 尊い……っ! なにこの生き物、国宝に指定するべきでは!?)
「もちろんですとも、レオン様! 段階を踏むことが大事なのです。まずはご自身のその愛らしさに慣れていただき、次は『女性(私)とお茶会をする』というステップへ進みます!」
「き、君と……お茶を……?」
「ええ。ですがその前に、本日の特別講習ですわ。そのドレスに合わせた完璧な立ち振る舞いをマスターしていただきます!」
「なんで立ち振る舞いまで習得させられなきゃいけないんだ!?」
悲鳴のようなレオン様の叫びが部屋に響き渡る。
「せ、説得力が全くない……! 君の目が完全に獲物を狙う肉食獣のそれになっているぞ……っ!」
レオン様はドレスの裾をぎゅっと掴みながら、ジリジリと後ずさりする。しかし、背後にはすでに私の手下である優秀な使用人たちが笑顔で退路を断っていた。
「さあレオン様、まずは『淑女の歩き方』からですわ。背筋を伸ばして、顎を少し引いて……そう、そのまま私の方へ一歩」
「む、無理だ! ドレスの裾を踏みそうで怖いし、何より君の圧がすごい!」
恐る恐る一歩を踏み出したレオン様だったが、慣れないスカートの広がりに足を取られ、ふらりと体勢を崩してしまう。
「わっ……!?」
「レオン様!」
咄嗟に手を伸ばし、倒れそうになった彼の腰を抱き寄せる。
ふわっと漂うのは、先ほど手配した最高級の薔薇の香水。間近で見るレオン様の顔は、驚きと恥ずかしさで真っ赤に染まっていた。
「……あ、危なかったですね」
「……あ、ありがとう……。って、私の方が抱きとめられる側になっているのはおかしくないか!?」
はっと正気に戻ったレオン様が真っ赤な顔で私を押し返す。
そのあまりの可憐さと、ほんの少し男らしい意地が見え隠れするギャップに、私の心臓は再び激しい警鐘を鳴らすのだった。
(ダメだわシルフィ……! 試練を与えているはずの私が、キュン死という最大の危機を迎えている……っ!)
「ふふ、まだまだ特訓はこれからですわよ、レオン様! 次は『完璧な淑女』としての度胸試しに挑戦していただきます!」
「な、なんだ急に? いやな予感しかしないのだが……」
「これより、女性専用エリア……そう、この屋敷の奥にある淑女用のお茶会控え室に潜入していただきますわ!」
「正気か君は!?」
レオン様はドレスの裾を跳ね上げる勢いで叫んだ。
「だ、だめだ! いくら格好がこうだからといって、中身は男なんだぞ!? 不審者として捕まってしまう!」
「ご安心ください、レオン様。ここは公爵邸のプライベートエリアにある、普段はメイドたちが休憩に使うサロンです。しかも今は貸し切りにしてありますわ!」
「そういう問題じゃない! 精神的なハードルが高すぎる!」
「いいですか、レオン様。『自分は今、可憐な令嬢である』という自己暗示をかけるのです。女性の空間に足を踏み入れることで、長年のトラウマや『女性=怖いもの』という固定観念を内側から破壊するのです!」
「どんな理論だ! 絶対にただ面白がっているだけだろう!?」
必死でドアのフレームに掴まり抵抗するレオン様だったが、私の手下たちの手によって、そろそろと扉の向こうへと押し込まれていく。
「あ、ちょっと……! シルフィ嬢! 助け——」
パタンと閉まった扉の向こうから、消え入るようなレオン様の悲鳴が聞こえる。
数分後、ドアがそろりと開き、顔を林檎のように真っ赤にしたレオン様が這い出てきた。
「……満足したか……? 私はもう……男としての誇りも何もかも失った気がする……」
「素晴らしいですレオン様! 立ち振る舞いも歩き方も、完璧に可憐な令嬢そのものでしたわ!」
(涙目で恥ずかしがる姿が可愛すぎて、私の理性が吹き飛びそうだけど!!)
「うぅ……もう絶対に嫌だ……早くこの服を脱がせてくれ……」
がっくりと肩を落とすレオン様だったが、その瞳からは最初に見せたような「女性に対する恐怖と怯え」が、ほんの少しだけ薄れているように見えた。
◇
「さて、レオン様。度胸試しも済んだところで、本日のメインイベント……『克服のためのお茶会』を始めましょう」
私は笑顔でテラスに用意されたテーブルへとレオン様を誘導した。
着替えさせようとする彼を「お茶会までがドレスコードです」と言い張り、強引に席につかせる。
テーブルの上には、彩り豊かなマカロンやスコーン、そして甘い香りを漂わせる紅茶がセットされている。
「……君は、本当に変わった人だな」
レオン様はカップに手を伸ばしながら、ぽつりと呟いた。
ドレスの袖口から覗く手が少し震えている。それでも、先ほどのように私から逃げ出そうとはしていない。
「よく言われますわ。ですが、大好きな婚約者様のためですもの。これくらい当然です」
「……大好き、か。君は私の過去を知っていると言ったな。なら、なぜ私が女性を恐れるようになったかも知っているんだろう?」
「ええ。幼少期、高飛車な令嬢たちに囲まれ、無理な要求を突きつけられたり、騙されたりしたことが原因だと伺っております」
レオン様は苦笑いを浮かべ、カップを口に運んだ。
「そうだ。幼い私にとって、身を着飾った『令嬢』という存在は、美しい仮面の裏に何を隠しているかわからない恐ろしい生き物だった。だから、ドレスを着た女性が近づいてくるだけで、息が詰まりそうになるんだ」
彼は自分の綺麗な指先を見つめた。
「だが……自分がこのドレスを着てみて、少しだけ分かった気がする。この重い布地も、締め付けるコルセットも、着こなすのはこんなにも大変なことなんだな。恐怖の象徴だった『令嬢のドレス』が、ただの仕立てのいい服に見えてきた」
「レオン様……」
「それに……君は、私に無理難題を押し付けるわけでも、仮面で偽っているわけでもない。こんなふざけた方法ではあるけれど、私のトラウマを本気で無くそうとしてくれている」
レオン様が顔を上げた。
鏡の前で見せた照れくさそうな顔ではなく、どこか吹っ切れたような、けれど少し照れくさそうな笑みを浮かべている。
「だから……恐怖を感じる暇がなかったよ。君の行動が突飛すぎてな」
「あら、それは褒め言葉として受け取っておきますわ!」
私は胸を張った。
レオン様はくすりと笑うと、おもむろに立ち上がった。
「……シルフィ嬢」
彼は自分のドレスの裾を少しだけ持ち上げ、綺麗にお辞儀をしてみせた。その姿は完璧な淑女そのもので、思わず見とれてしまうほどだった。
「私に新しい視点を与えてくれてありがとう。……まだ、完全に女性が得意になったわけじゃない。だが、君となら……少しずつ歩み寄っていける気がする」
そう言って微笑むレオン様の破壊力は、もはや女装云々を超えていた。
(……待って。私、男としてのレオン様にも、女装したレオン様にも、ダブルでノックアウトされてない……!?)
真っ赤になる私の顔を見て、レオン様は満足そうに「ふふっ」と笑った。
「さあ、シルフィ。今度は君が顔を赤くする番だな」
「な、何を言っているのですかレオン様! 私はただ、レオン様の愛らしさに感服しているだけで……っ!」
「そうか? なら、もっと慣れてもらうために、明日もこの姿でお茶会をしようか?」
「えっ、本当ですか!? ぜひお願いします!!」
「……冗談だ。明日はちゃんと男の服で、君をエスコートさせてくれ。私の愛しの婚約者様」
そう言って優しく微笑む彼の瞳には、最初のような怯えはどこにもなかった。
こうして、私の破天荒すぎる「婚約者トラウマ克服作戦」は、大成功(?)のうちに幕を閉じたのだった。……まあ、たまには息抜きと称して、またドレスを着てもらうつもりだけれど!




