父祖たちの墓碑銘
救国戦争後に昭和生まれでなお生存した人物の中でも特に長命だった坂本重満という人物がなくなったことは当時の新聞で非常に取沙汰された。彼の子孫は23世紀まで存続したことが明らかになっており、以下はその系譜。
重満 1972-2075
勇一 1999-2053
隆義 2026-2108
景吉 2055-2131
道隆 2090-2148
◇
坂本景吉にはこれといって自慢することはなかったが、他人から見て奇特に映るのは、彼の曽祖父が百年以上生きたということである。
かつて人生百年時代と言われていた頃も今ではすっかり遠い昔となってしまい、寿命や幼児死亡率は20世紀初頭に比べて遜色ない程度になってしまったが、それでも一世紀を越えて生き永らえた人間が一族にいるということは極めて特筆すべきことのように思えた。学生運動や赤軍のテロの余燼がなおくすぶっていた時代に生まれ、将軍歓呼の声が響き渡る時代に死んだ。しかし決して時流に安く載せられることなく、物腰の落ち着いた人物だった。だからこそ天寿を全うしえたのだろう。そして、皺だらけで死んだその姿は、まさしく歴史その物を経験した人物に特有の、異形の像が醸し出すような荘厳さに満ちていた。
だからこそ、彼が死んだ時、景吉はひどく悲しんだ。ただ、親しい人を亡くしたというだけではなく、あまりにも多くの喜びも悲しみも味わい尽くし、長い時間を過ごした人間がその命を宇宙に返却しなければならない、あるいはようやく返却できたということが、言葉ではどうしても表現しきれない、多すぎる面を持った感情として湧き上がって来たからだ。
曽祖父の名は重満と言った。
景吉には年盛りの一人息子がいる。
息子は祖父の声を知らない。生まれた時にはもはや重満はもはや故人となっていたから。ゆえに景吉は重満の話をよく息子に伝えていた。無論、当局に目くじらを立てられない範囲でだが。
バブルやゼロ年代のこととかコロナ・パンデミックのことについてよく語ってくれたものだった。遠い昔のことではなく、つい最近のこととしてだ。
紛れもなく彼にとっては人生の一部だった。ただ、景吉自身にとってそれは遠い過去のおとぎ話だった。
逆に重満にとっては晩年に経験した信じられない現実の出来事の方がたちの悪い幻想だった。
2068年八月に京都から全国に中継された哲雄の就任演説の内容を、胃下垂の手術のために聞き損ねた彼は孫から聞いた。その時の素っ頓狂な声をいまだに景吉は覚えている。
「将軍だって……何かの冗談じゃないのか? 江戸時代に戻ってしまったのか?」
二百年ぶりに征夷大将軍という称号が復活したのを、誰もが奇異でありえないことだと思っていた。ただ一部のインテリが本気でそれを支持していたに過ぎない。
哲雄への政府全権移譲を問う投票用紙には、『はい』の円が中心にすえつけられ、『いいえ』の円はただ端に小さく描かれただけ。もし仮に『いいえ』の方を塗りつぶそうものなら、どんなことをされるか分からなかった。
こうして、どれだけありえない、信じられない現実も、一度受け入れられてしまえばまるで当然の常識のようになってしまう。一つや二つの時代を経験したことしかない人間がそれに抗うのは生易しいことではない。
それでも重満は、複数の常識も社会情勢も異なる時代をまたいで生きていた。価値観が絶対的な物ではないと知っていた。そんな人間の元に鞠養されたおかげで、今この時代を覆う狂気にも隆義も景吉も犯されずに済んだのだろう。だが逆にそれは、家族を一生このねじくれた思想の桎梏の中に監禁しておくことにもなった。
重満が奇跡的に穏やかな死を遂げたために、景吉は父もまた同じように安らかに逝けるものだとばかり思っていた。
2104年の秋の日。将軍渡辺哲勝が甲子園に出席し、戦没者の哀悼と若者への祝辞を述べる様子がTVで全国に中継された。そして隆義と景吉はその試合を見物に来ており、将軍が異様な様子を目の当たりにしていた。
球場の入り口には哲雄と哲幸の肖像画が飾られ、誰もがそれを畏敬の念で見やった。
観客の誰もが大声で叫ぶ。
「閣下万歳! 万々歳!!」 そして拍手。これが長いこと続いた。もし途中で勝手にやめれば、不敬とみなされる危険があった。
人々の長ったらしい拍手喝采を腕で将軍は制した。そして、司会者が次に、
「先の戦争の全ての犠牲者をしのび、黙祷!!」
その後の数十秒を置いてようやく、哲勝は壇上から話し始めた。哲雄に比べればあまり重々しさ、荘厳な感じはなく、どこか気さくな穏やかさがあったが、それでも権力者としての矜持を誇ろうとする近づきがたさがあった。
「私の祖父は君たちと同じように、平和な時代に生きることを望んだ。しかしそれは、国家を富ませ、栄えさせねばならないという重荷のゆえ叶わなかった。私の祖父はこの世から旅立つ時まで、この国の安寧のために悩み続けたのだ」
誰もが、神君の苦労に思いを馳せ、深くうなだれている。この中に、どれだけ神君と同じ息を吸った者がいるだろうか。次第に減ってきているのだ。
実際の哲雄を知らないからこそ、彼らはますます幻想の哲雄を想像し、その素晴らしさに興奮してその血を引く将軍を崇敬する。
「諸君! 我が祖父、偉大なる神君に愧じぬよう命を燃やせ!」
球児たちはそれに呼応して応、と叫んだ。
隆義にとっては、最高権力者の元でこのパフォーマンスに耐え続ける時間はいささか毒だったようだ。
隆義は無理を押して出席し、家に帰ると急いで暖を取った。
その時だった。隆義が血を吐いたのは。
景吉は何も見ていないふりをした。せずにはいられなかった――景吉の祖父がまさにそれを起こし、間もなく亡くなったからだ。
重満の息子、つまり景吉の祖父に当たる勇一は、父よりも先に亡くなってしまった。1999年に生まれた以上、人間の本来の寿命からすればおかしくないくらいの歳で亡くなったわけだが、それでも救国戦争の終わった翌年(2053年)、まだこの世の全てが荒廃の絶頂で息を引き取ったことは実に悲しむべきことであった。
病床で勇一はこうつぶやいたという。
「平和な世界が見たい……」
顔も知らない祖父の姿を想像して、景吉は思わず遠くを見やった。
長い戦乱の時代を乗り越えて、ようやく繁栄を取り戻しつつある日本を祖父にも見せてやりたかった。
景吉は、時折果たして今の時代が、それ以前の日本より素晴らしい時代だったのかと疑問になるのである。無論そんなことを人に告げれば嫌われるだけではなく、情報局などに目をつけられる可能性もある。
景吉は、自分の祖父が若くして亡くなったことはもしかしたら幸運だったのではないかと思ったが、無論そんなことを父にも息子にも告げることはできなかった。
わずかな遺骨を家に保管しているに過ぎなかった坂本家は、一家の家運が向上したおかげで墓を持つことができた。
重満自身は、『南無阿弥陀仏』と記された墓に若い頃は参っていたのだろうが、もはやそのような種類の墓は、この時代誰も持ってはいなかった。あの手の墓標は全て建材か記念碑に転用されてしまったから。
キリスト教徒やムスリムでもないなら、もう人々が信仰心を捧げるのは仏ではなく渡辺哲雄だ。
「神君よ、栄光を与えたまえ」
勇吉にとっては哲雄とは、突然ニュースに名前の頻出しだした、よく知らない一介の軍人でしかなかった。
そんな人間の恩寵を祈られても、勇吉にとってはさして嬉しくないし喜ばしいとも思わないだろう。だがよく考えてみれば数百年前の人間ですら国家的な記念日においては、哲雄の祝福を受ける者とされているのだ。このあたりのいい加減さは、歴史のない伝統としては当然かもしれない。
幼い頃のあの瞬間の話をするたび、勇吉という人間の非業の運命を道隆は哀れんだ。そして、自分がどれだけの犠牲(『尊い』などという枕詞は生き残った人間の身勝手な評価に過ぎない)の上で今日の安穏をむさぼっているか、恥じるように省みた。勇吉にとってはこういった悲惨なだけの話が、道隆にとっては自分の特別な生の意味を補強する材料となってしまうのである。
自分の息子とはいえ、このあたりは正直受け付けない部分ではあった。もう哲雄とその子孫が統治するのが自明の理となっている時代、あの日々の現実が薄れているのだから仕方がないのだろうか。
母、島仙子は、景吉が生まれた年に亡くなった。
仙子は勇一の死を悲しんだが、彼自身も重満を悲しませて逝かねばならなかったのだ。
長生きすればするほど、人間の誕生と同時に死にも立ち会わなければならなくなる。
生生流転というべきものなのだろう。歴史の証人もまた、次々とこの世を去り、とどまっていることなどほとんどない。故に、そのような人物を知り、接したことは、景吉にとっては自身の存在を特別なものとする事実となっていった。
だが、誰もがそのような歴史の長さを実感させる者を持てるわけでもない。一人の人間を最初は政治家として称え、そして神として崇めるようになる過程を親子は見てきた。
街中のスピーカーから将軍の演説を流すようになり、いつしか哲雄を神君として称える放送が鳴り、そうやって時代は移り変わっていった。
重隆は毎日野球の練習で遅く帰って来る。
汚いユニフォームを誇らしげに見せつけてくる。今、彼の人生で最も大きな関心事は、甲子園に出場することだ。景吉は、若い頃の自分を思い出すように不安げになり、懐かしい気持ちになる。
「無茶するなよ」
「でも、神君閣下に恥ずかしい姿を見せたくないから……」
愛国心旺盛なこの息子は常に哲雄のことを敬愛している。
各世帯に必ず一つは置かれている渡辺哲雄の肖像に毎朝重隆は深い一礼を捧げる。神君への崇敬は国民の義務ではあるが、息子はそれを喜んで行っていた。
それが景吉は恐ろしくなる。
景吉自身も昔からそれを義務のように行っていた。少しでも怠れば、必ず先生から厳しい叱責を受ける。
何かを知り過ぎている人間は、この国にはいらないということだ。
神君の『昇天』後に生まれた道隆には、哲雄のその後の統治は素晴らしい物であった、ということしか知らされていない。哲雄に関するあれこれは伝説化され、歴史として研究することはほとんどタブーのようになっている。
だからこそ、人々は何かを知るよりはもっと別の、肉体的な事象に入れ込む。その一つが崇拝であり、競技であった。
一家は野球についての話をよくしていた。苦難の時代にあってもそれは人間の力を感じさせるからである。救国戦争以来、長らく中止となっていた甲子園が2063年に再開されたことは、人々に明るい時代の始まりを予感させた。だが、重満にとっては予感させただけで終わった。
もはやそれは平和な時代の証ではない。力を誇示する瞬間だ。
22世紀現在、甲子園は神君に捧げられる神聖な行事だ。
試合の始めには必ず救国戦争の犠牲者を悼み、国歌を斉唱する。そして、将軍が出席し、誰もが彼の長寿を祈る。
今やこの行事は、強き人間の鑑を広く国民に知らしめる瞬間なのである。
だが景吉は、それに熱狂することができなかった。一人一人の選手の活躍を熱心に見守ることはできても、将軍の健康とか徳政を祈るということには何となく現実味が湧かない。
無論、国家に関わることだ。そっちの方が大事だと言われてしまえば返す言葉がない。だがそう言われて素直に権力者の善性に期待するほど景吉は、無邪気になれなかった。だが権力者の方では、ひたすらに国民の忠誠心に付け込もうとする。
神君を称える歌が流れるたびに人々が静止する。
重隆にしてもそうだ。キャッチボールをする時でも、バッティングセンターで練習をする時でも、必ず哲雄の言葉が流れる時にはきちんと立ち止まる。今や国民に呼びかけるスピーカーが至る所に設置されているのだ。石像の中にも、台座にも、建物の支柱の中にも。
そして景吉もそれに従った。本当はこんなことはしたくもないのだが、しかし他人も同じように立ち止まる時、一体感を感じる自分があることに、何とも言えない恐怖を感じる。第一次立憲時代の末期も、同じように強権的な社会だったというではないか。その時と同じ道をこの国はたどっていないか、と不安でならない。
その流れに、あらゆるスポーツも、野球界もまた従わされている。
景吉が気になったのは、いつから甲子園は頑張る子供たちを応援する瞬間ではなく、君主を称える装置になったのか、ということだ。
重満が、甲子園がそういう風になってしまったことをあまり嘆いている記憶はなかった。無論、下手にそういうことを言える雰囲気ではなかったのもあるが、気づけば、そういう風になっていたように景吉は思う。
甲子園の試合に哲雄が列席したのは何回かあるが、少なくとも今ほど格式ばって、露骨なプロパガンダを披露する空間ではなかった。哲雄は、試合を開けるほそ平和な世の中になったことを純粋に喜んでいる様子だったし、あまりにも政治的な内容を云々することもなかったからだ。
甲子園に関してそういう色合いが目立ってきたのは哲幸の時代になってからだ。哲幸は哲雄の後を継いだ人物であるために、哲雄のことを理想化し、哲雄の時代の歴史を美化しなければならない使命があった。故に、あらゆることを自身の統治の正統性を証明するために使わなければならなかったのだろう。
このことを調べたいと思い、景吉は最寄りの図書館で司書に色々と尋ねた。
「哲幸将軍が甲子園の開場式に初めてご出席になったのはいつのことですか?」
司書は受付の奥から古い記録を引っ張り出して、
「当時の新聞によれば、2088年とのことですね……しかし、どうしてですか?」
「一体、いつから甲子園はこういうイベントになったのか気になりましてね。2023年の試合が有名だそうですが」
「仙台育英のですね? 若き日の神君閣下がご観戦になったというあの……」
「そのような試合なのですか?」
相手は相当愛国心が篤いらしく、哲雄の生涯に関する興味を示すとにわかに上気した顔、
「神君閣下が生前お書きになったメモが、建国廟付属の文書館に保存されているそうです。確かそこに、閣下のご尊顔が映り込んだ映像も保管されていたはずです」
今の時代には、あらゆることの存在理由が哲雄という一人の人間のに紐づけられている。その過程で、虚構の伝説が現実として語られるように調整され、重満のような同時代人の反応は漂白されてしまう。
重隆は自分より年下の子供が好きで、よく遊びに付き合ってあげている。この日も河原で玉投の指導をしていた。
景吉がその様子を川辺の上から眺めていると、初老の男が横に立って話しかけてきた。
「君の息子も昔よりはだいぶ大きくなったな?」
「ええ。おかげさまで」
OBであり、コーチを務める奥村貞昭だ。
「素晴らしいよ。彼の体は日に日に強くなり、戦場で戦うにも有用なものになりつつある」
それはあくまでも褒め言葉のつもりだったのだろう。
「もうすぐ戦争が始まるんだ。球児たちにもいつか優秀な兵士として戦ってもらわねばならないからな」
貞昭は言った。この平穏な風景と、戦乱の地獄は同じ空の下に存在しているのだ。
「太平洋の情勢は逼迫しているんだ。今こそ日本がカスカディアやオーストラリアを倒し、ミクロネシアを解放するんだ。そうでこそ日本男児の心意気をこの競技で鍛えた甲斐があるというものだ」
貞昭には野球の球がきっと砲丸や銃弾に見えているのだろう。そして球場は演習場か何かのように見えているのだろう。
それが全ての人間の願いでないとしても、この国の多くの人の願いであることに変わりはない。
「それくらい、立派な人にはなってほしいものですけど」 はぐらかすように景吉は言った。
「ああ。彼は本当に有望な兵士だよ」
戦争が始まる前の一時は、勝ち負けではなく、純粋に競技を楽しもうとする風潮があったそうだ。しかしここ半世紀の凄惨な歴史は、生き残るためなら何でもして勝利しなければならないという強迫観念を国民に持ち込ませてしまった。貞昭はまさに、時代の様相に適応して生まれ育った人物だった。
貞昭が単なる頑迷な愛国者であるというわけではない。指導者としてはしごく真っ当な人間だ。ただ、多くの人間の運命を左右する一大事になると、偉い人間のために他者の命を差し出すことに躊躇がなくなるだけだ。彼もまた、戦後間もない時期、極限の貧困を耐えた生き残りだった。
重隆たちが貞昭に気づくと手を振った。それに対して貞昭も笑顔で手を振ってこたえた。
手持ち無沙汰に息子とキャッチボールをしている時、野球から離れて、勇一の話になった。
「ひいじいさんは、長生きだよね。ひいひいじいさんがものすごく長生きだっただけで」
「ああ。あの時代に五十歳も生きていられただけで十分幸運だよ」
「昔は百年生きることくらいなんともなかったっていうけど、現代じゃ信じられないことだよ。四十歳生きられたらもう十分長生きってくらいかな」
道隆は、そういう年頃だからなのだろう、死というものを強く意識しているらしかった。死ぬまでに、自分が何を果たせるか、そのためにどうしたらいいのか、気になって仕方ないらしかった。だからこそ、死ぬまでにどうやって人はあがいたか、ということに興味を持つようになる。
「ひいじいさんの不幸は、神君の偉業を見ることができなかってことだ。新しい時代を生きるには、あまりに歳を取り過ぎていた」
生まれる時期が悪かった、と言いたいのだろうか。
景吉はそれに反論することはできなかった。
隆義は、勇一は若くして死んだなどとは一言も言わなかった。そんなことを言えるわけがないだろう。無念な死にざまを目撃しているからには。
貞昭は、死と隣り合わせの日常を生きていた。だから、人間の出世のためなら何でも他人を駆り立てようとする。
重隆は帰るといつも漫画を読みふけっている。半世紀以上前にかつて名を馳せた、昔のキャラに囲まれて寝るのだ。実際重隆は架空の人間に自分の生き様を見いだすのが好きだった。
重隆は好んでスポーツ漫画を読んでいる。第二立憲時代の広い時期に渡って著された古典の名作だ。
しかしそれらは検閲を通して、国家が有益な物とみなしたから流布しているのである。国民の精神を育成する効果のあるものだけが選び出され、それ以外は朽ち果てるか、発禁処分にされた。故に、今それらの作品がこの国から生まれる可能性は低いと景吉は諦めていた。にも拘わらず、いまだにその古代の遺産を今の時代に宝だとありがたがっている連中もいる。重隆は、そういう事情に関してはほとんど興味を持たなかった。
2106年の予選が始まり、重隆を取り巻く日常は一気にせわしなくなってきた。ただ練習のためだけではなく、将軍に対して恥じないように生きねばならないのだから重圧は半端なかった。神君がどれだけ英雄的に戦ったか、テレビやラジオでひっきりなしに放送する季節が始まって来た。だが、景吉は政治的な物との関わりなしに、競技を楽しみたいと思っていた。しかしそれは不可能なのだ。未だかつてそれは政治との関わりなしに存続したことはないのだから。
景吉は、自分自身の矛盾に苦しんだ。
それでも、景吉は何かに熱狂したいという欲望を捨てることができなかった。
哲雄に対する熱狂でなければいいのか? 結局何かに我を忘れて期待や喜びを振り向けること自体が間違ったことではないのか?
そろそろ隆義は立つこともままならなくなってきた。この世を去るべきかどうか問われているのだ。
景吉は、隆義にあと少しは長く生きてほしいと願う。もうすぐ寿命が近い人間を無理に生かそうとするのが残酷だと分かってはいるが、それでも、と言わずにはいられない。
そして隆義自身もまだやすやすと黄泉へ旅立つ気はなかった。自分の衰えを自覚すればするほど、未練を残さず逝くためにやり残したことを果たそうとする覚悟で己を奮い立たせているのである。そしてそれがついにある日、結実した。
病床にありながらも、突然として隆義は景吉に言った。
「外に、出してくれないか?」
「どうしたんだよ親父、急に」
上半身を起こし、
「孫の姿を見に行きたいんだ」
「日差しが強いが、いいのか?」 景吉は心配そうに。
隆義は元気そうに言った。目が前途豊かな少年のように輝いている。
「晴れ姿だよ。あれを見ないからには死んでも死にきれない」
景吉は、あえて隆義の願いに反対しなかった。人間は、後悔のないように死にゆくべきなのだから。
人は、自分の願いを果たすために死ぬのを望むものだ。けれど本当は、その願いが誰かに強要されたものであるとは限らない。だとしても、それを否定するのが景吉は怖かった。だから結局、人の願いを優先させるしかないのだ。




