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三、船の物語 石ころの明らめ

 シンテイガク世界の鳥は飛ばない。シンテイガクの世界はとても穏やかに治まっているので、鳥は飛ぶ必要がなく、他者を助けねばならないような事態でもなければ、飛ぶことはない。


 ただし、唯一鳳凰と呼ばれる大鳥だけが、普段から物理的にも精神的にも空を飛ぶのだ。


 犬や猫や知的タケノコ、そしてほかの石ころたちも、みなで空の一番高い場所を飛ぶそれを見上げていた。


 俺は、見ていられなくなった。


 あまりにも眩しかったのだ。


 俺を少しだけ転がしてくれと犬に頼んだら、犬はしっぽを振りながら願いを聞いてくれた。


 俺の意識は鳳凰から外れた。


 鳳凰は、特に船に降り立つこともなく、ただ舞って、いつのまにか姿を消したようだった。


 鳳凰は何もしなかった。本当に何もしなかった。俺と同じように、何もしなかったのだ。


 それでも、姿を現しただけで、この船を変えてしまった。


 俺の前に、またしても犬があらわれた。これで三度目だ。


 前に言葉を交わした犬なのかどうか、わからなかった。


 あまりに犬離れした雰囲気だった。犬であって、犬ではないように感じられた。


 俺は知的タケノコのように、よく観察してみた。


 その犬には、この世界の犬が必ず持っている一部が欠けていることに気付いた。


 ――尾だ。


 ほかの犬が元気よく振っていた尾が無かった。


 そして、俺の目の前で、その大事件は起きた。


「僕は本当に犬なのでしょうか。悠然と空を行く鳳凰を見て、ふと、そう思ったんです。違うあり方だって、選べるんだって」


 犬の疑いに、知的タケノコが答える。


「さっきまで君が振り回していた尻尾は、狭義の忠義であり、存在の証明であり、強烈な束縛であった。君は、他者から認めてもらわない限り、犬としての存在を保てない悲しみを背負わされていた。けれども、今はもう君を縛っていた尻尾はない。犬ではない新しい尻尾を選ぶこともできれば、わたしのように尾のない存在にだってなれるんだ」


 犬の瞳に、強い光が宿った気がした。


 そして、犬の背中には燃え盛るような深紅の翼が生えた。


 犬の身体は変形し、美しく、無駄の少ない、空を飛ぶための肉体に変化した。


 船からはみ出すような巨大な翼で羽ばたいて、浮き上がる。


 船を盛大に揺らし、水面に波紋が広がっていく。


 犬が、あの犬が、鳳凰になった。空へと舞い上がった。


 生まれたての大鳥が飛ぶ先の雲は掃われ、その部分を中心に晴れになり、強い陽光が降り注ぐ。


 鳳凰の飛翔を見送りながら、俺は静かに思った。


 シンテイガク世界における犬は、覚醒が最も難しい存在とされている。そんな犬であっても、美しい出会いがあれば、悠然と空をゆく鳳凰にもなれる。


 船が自由の象徴であるなら、鳳凰は超自由の象徴なのだ。


 俺と犬の道は分かれた。


 でもこれは悲しいものではなく、嬉しさを伴う別れの場面だった。


 憧れによってなされるのではなく、船の上を飛ぶ鳳凰をみて、「あれ、自分はもしかしたら鳳凰かもしれない」というふとした疑いから始まった軽やかなものだった。


 どんな存在でも鳳凰になり得るし、鳳凰を見届ける存在になり得るのだ。


 じゃあもしかして、私も鳳凰になれるのだろうか。


 ――いや、そんなわけがない。


 俺は自分に自分で腹を立てた。


 俺は限りなく凡庸なのだ。犬のように媚びることも、猫のように遊ぶことも、知的タケノコのように言葉に頼ることもできないのだ。


 そういえば、俺のほかの石ころはどうしているのだろう。ほとんど姿が見えないのだが、やはり鳳凰に感化され、心変わりをして、なにか違うものに姿を変えたのだろうか。


 まあいい。シンテイガクの世界は、そういう願いが叶う場所でもあるのだから。


 置いて行かれたとしても、俺は石ころでいい。


 俺はせいぜい石ころらしく、ここで何もしないことをし続けようと思う。たとえ船が海に沈んでも、最後の一人の乗客として、ただ存在し続けてやろうと思う。


 俺は自由に身をゆだねるのだ。


 ああそうだな。今まで気づかなかったけれど、ただ坐して居ることこそが、俺の役割だったのだ。


 無理に変わる必要もない。


 あの犬が鳳凰になったからといって、自分もなれるなんて思わないことだ。


  ★


 俺は列に並んでいた。


 沈んでいた船に犬が迎えにきて、俺を背中に乗せて船から運び出したのだ。


 それは葬送だった。


 山の頂上まで続く長い葬列。


 弔われるのは、いつぞや船で会話を交わした知的タケノコだった。


 ちなみに、ここで葬列に並んでいる猫や犬たちは、かつての仲間たちではない。何世代もかけて、知的タケノコのもとに集った新しい仲間たちだった。他の仲間たちは、ほとんど知的タケノコより先に鳳凰に運ばれた。同じ時に乗組員だった者たちは、残すは俺だけになっていた。


 棺を担ぐのは顔も知らない犬たちだった。猫が時々振り向きながら先導して、不規則なリズムで進んでいく。


 山の頂上近くに到達すると、儀式が始まった。


 棺が開かれ、寿命を迎えて安らかに魂を手放した知的タケノコの姿が見えた。


 親族のタケノコだろうか。小さな知的タケノコが、亡くなったタケノコの生前最も大切にしていた書籍の一節が途中まで書かれた紙を投入した。彼の自作の物語の一節だった。


 その後、参列者たちは亡くなった者に対して、自由に別れを告げていく。


 俺の番がまわってきた。


 もはや石ころでいる時間が長すぎて、まともに声や言葉を出したりはできないのだが、精いっぱい表現を試みる。


 この知的タケノコは、語り部として多くの存在とかかわり、悠久の時を有意義に生きたらしい。おつかれさまと声をかけたかった。


 しばらくすると、葬列はすべて陰に呑まれた。


 大きく広がった翼が、知的タケノコを迎えに来たのだ。


 俺は、その鳳凰を知っていた。


 船から飛び立っていった、かつて犬だった一羽の鳳凰だ。


 迎えに来たのだ。


 鳳凰は山頂に降り立つと、足で優しく棺を掴み、また空へと駆け上っていく。


 鳳凰は一体どこへ行くのか。それは鳳凰しか知らない。


 ★


 夜の闇を炎が照らす。


 気のすむまで思い出話は続いている。


 晴れやかな表情で山を降りる者も増えてきた。


 はるか遠くまで。二羽の鳳凰が、天空を飛んでいく。何も語ることはない。ただ美しい尾を輝かせて飛んでいる。空の最も高い場所を譲り合っているようにも見えた。




【船の物語 終わり】


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