二、船の物語 知的タケノコの本質
まったく、犬というやつらは、ずっと眠ったまま生きているようなものだ。こんなことを石ころごときに言われる時点で、犬はやはり劣っている。
俺が不快感を表情に出していると、タケノコが話しかけてきた。
「ご機嫌はどうでしょうか。わたしは今日もいい感じに曲がっています」
タケノコとは、地に根を張る植物の竹の幼名である。生命力に満ち、まっすぐに伸びゆく。しかし、このシンテイガクの世界では、そうではないものも多い。曲がったタケノコ姿のまま歩いて移動するような種も存在する。時として空を飛ぶこともあるという。
それは本当に普通のタケノコなのだろうか。
いいや、こいつは知的タケノコだ。
このシンテイガク世界のタケノコは、占いの結果を返すことを役割とし、大人になるとそんな過去は忘れ去ったかのように竹となり、空に伸びていくものだ。
しかし、その中で、智恵を獲得するかわりに、タケノコのまま竹にならない者たちが存在する。
知的タケノコである。
あらゆることを疑うあまりに曲がり、ひねくれた者たちだ。
知的タケノコは、俺がたずねる前に、俺の質問に先回りして答えた。
「わたしは自分の成長の謎を解き明かすために、そして真理を見つけるために旅をしています」
さらに知的タケノコは、俺と犬の会話に割り込んできて、犬に言って聞かせた。
「あなたが覚醒するのは、あなたが犬であることを正しく忘れたときです。犬であって犬でないことを掴み取ったときです。どうか頑張らないでください」
無駄なことをしている。犬が犬から抜け出すことなど絶対にありえないというのに。
しばらく心地の悪い無言が船を支配した。
やがて犬は挨拶を残し、船を支える作業に戻っていった。
「我々にできるのは、犬のために環境をととのえ、見守ることだけなのです」
知的タケノコのつぶやきは、俺以外の誰にもきこえていなかった。
俺の前には、知的タケノコが残されていた。
知的タケノコは、きいてもいないのに、自分の身の上話を始めた。
「わたしがこの船に乗ったのは、自分のためなのです。竹林にいたわたしは、ある日突然に知的タケノコになりました。そのとき、わたしは絶望しました。反り返った自分の身体が気に食わなかったのです。タケノコである以上は、まっすぐな竹になりたいと思うものです。そうなれるとわたしは信じていました」
「なれなかったんだな」
「ええ。それでも諦めきれないわたしは、竹林に伝わる不思議な力を利用して過去に向かいました。もしかしたら、過去を知れば、自分がまっすぐ育たなかった理由もわかるかもしれないと思ったからです」
「わかったのか? 過去に行って、その理由とやらが」
「わかりませんでした。でも、もっと大事なことがわかりました」
「どんなだ」
「わたしが今まで『こうはなりたくない』と思っていた竹たちと対話が成立したのです。実はそれらが出来損ないの竹ではないことを知ったのです。知的タケノコになって初めて、わたしが反面教師にしていたような存在が、自分の先を行く存在であったことを知ったのです」
「……なるほど」
俺はわけがわからないながらも相槌を打った。知的タケノコは俺の混乱に気付きながらも言葉を生み出し続けた。
「そうした知識の獲得は、それが他の知的タケノコたちの見守りによって自分もまた知的タケノコになったのだという気付きに繋がりました。そして、ただの竹に見えていたものも、知的タケノコの一つのあり方だと気付くことにもなりました。
世界は知的タケノコで出来ていたのだという見識を得ることができました。知的タケノコは物理的には分かれているようでいて、一つに繋がっていることに気付きました。さまざまな形をもった知的タケノコたちは、折れたり曲がったりしているようでいて、実は知的タケノコとしてまっすぐだったのです!」
「……ああ、おう」
「要するに、わたしは、自分の反り返ったボディが嫌いでした。ですが、それでも知的タケノコの本質の真っ直ぐ伸びるということを体現していることにようやく気付き、自分を知的タケノコだと認めることにしたのです。こうして理を知ったわたしは、知的タケノコとしての生をみずからの力で切り拓いていくことを決意し、さらなる真理を求めて船に乗り込んだのです」
意味がわからない。いや情報量が多くて理解が追い付かないと言った方がいいだろうか。
たまらず、俺は知的タケノコに「自分の仕事に戻らなくていいのか」と別れを切り出すと、知的タケノコは知的にその意図をくみ取り、すみやかに去っていった。
しばらくすると、また犬が来た。さっきの犬とは別の犬だ。
「あれ、こんなところに、まだ石ころがいたんですね。あなたも犬になりませんか? 人の役に立つのは、とても気持ちのいいことですよ?」
犬は言ってきたが、私は軽蔑した。
おや、おかしいな。私はいま、怒っている。どうやら犬のことを考えるとき、私の怒りが戻ってくるようだ。
怒り。それがこのシンテイガク世界における石ころの役割だったりするのだろうか。
周囲を見渡すと、まだ私のほかにも石ころとして転がっているやつらがいた。私の横にいた石ころが、こんなことを言い放った。
「なんでお前は怒らないでいられるんだ。こんな目的地も知らせず走っている船に、不満の一つもないのかよ」
やはり石ころであっても一様ではない。俺は猫の真似をして、
「目的地がないということは、自由ということじゃあないか」
などと、わかった風なことを言い放った。
そんな時だ。予想外の出来事が起きたのは。
「上をみて!」
見張り台にいた猫がわくわくした声をあげた。
俺は何もしたくなかった。何も見たくはなかった。けれど、船が揺れて、俺は転がり、意識は空に向いた。
――鳳凰だ。




