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一、船の物語 犬の献身

 シンテイガク世界の船内にいることに気付いたとき、俺は何者でもなかった。何者になろうとも思わなかった。だから床板に転がる石ころになったのだろうか。


 なに、悪いことだとは思わない。俺は従順な犬にはなりたくないし、自由気取りの猫にもなりたくない。タケノコなんて得体のしれないものにだってなりたくないし、悠然と空を飛ぶ鳥なんぞ見たくもない。


 ――何も望まない存在でありたい。


 俺に残された欲望は、そのようなものだった。


 俺は、船に揺られながら怒っていた。何かにつけて怒っていた。なぜ怒っていたのか、今となっては、もうわからない。ただ怒っていたという事実だけが俺の後悔として残っていた。


 俺は放っておかれたいのだ。何者かになったところで、その役割に苦しむだけだ。役割がないのが役割でありたい。この船の中であれば、それが許されると思った。


 俺のほかにも石ころがいた。俺と同じように怒りを失ったように見える者もいれば、懲りずに全方位に怒りをまき散らしている者もいた。


「君は怒っていないね」


 そう声をかけてきたのは猫だった。


 興味がないくせに、暇つぶしがしたいのだろうか。それとも自分の自由を確認するために、自分の意志で動けもしない石ころに話しかけているのだろうか。


 俺のほうこそ、おまえになんか興味がない。


 けれども、俺に声をかけてきた者をないがしろにしたら、俺は俺が許せなくなりそうだと思った。


 だから俺は無視をあきらめ、猫に言葉を返した。


「猫は、どうして船に乗っているんだ?」


 猫は柔和に微笑みながら、前足で私をもてあそび、言うのだ。


「君は、何にとらわれているのかな。開口一番に存在の理由をきくのは、こだわりの証拠だよ。私はね、私がいつから船にいるのか、どうして船にいるのかなんて、考えもしない」


「なるほど、だからこそ猫は、猫になったのだな」


「どう考えてもらっても構わない。この船は自由の象徴なのだから」


 猫は、気のすむまで私を転がした後、飽きたのだろう。しなやかな動きで走り去っていった。


 ――船は自由の象徴。


 猫はそう言った。


 けれども到底そうは思えない。


 たしかに大海原をゆく船は、かなり自由に航路を選択できる。たとえ漂流していたとしても、それも一つの自由ではある。


 ただし、その船の中で、さっきから何度も俺の横を往復している者がいる。


 自由にしている猫のような者ばかりではないのだ。


 俺は駆け回りつづける犬たちのなかの一匹に語りかけた。


「お前は、なぜそんなに働いているんだ?」


 犬は迷いなく答える。


「こんにちは、石ころさん。皆さんの幸せが、僕の幸せなんです」


 この世界における犬は、ひたすら他者に奉仕し続ける存在だ。逆らうことはない。自分の力をいつも最大限に振り絞り、他人のために消費するのだ。


「そんなお前が、どうして自由の船に乗っているんだ?」


 俺の問いに、犬はまたしても迷いなく答えた。


「僕は生きていることに感謝しています。誰かのためになることをしたいんです。みんなが支えあう素敵な船の一員になりたいんです。この船を動かすために必要なことなら何でもやります」


 俺はその言葉に不快感を抱いた。「石ころは動けないよな」という皮肉としてとらえたわけではない。


 はっきりとした理由は説明できないが、俺は従順がきわまった犬の言葉にあまりにも大きな物足りなさを感じたのだ。


 俺は石ころになってから、ずっと犬を見下している。


 この世界における犬は、本当にどうしようもない存在だ。


 他人のために生きる宿命から逃れられない。逃れようともしない。自分が他者よりも多くの重荷を背負わされていることを考えもせず、まぬけなことにしっぽをブンブン振り続けているのだ。


 シンテイガク世界には、こんな昔話がある。


 ある子犬が、鳥が空を飛べないことをバカにして、囃し立てた。飛べない鳥は悲しんだが、子犬を覚醒に導くために、怒ることはしなかった。かわりに、空の最も高い場所を飛ぶとされる鳳凰があらわれて、大きなくちばしで子犬を上空高くまで連れていった。


 急なことで驚いた子犬だったが、上空高くの足がすくむような高さから世界の広さをみて、自分はなんと小さなことにこだわっていたのだろうと前足で頭を抱えたのだった。


 しかし、シンテイガク世界では、多くの犬はこうした体験をしても、成犬になるにつれて覚醒からは程遠い思考をするようになっていく。他者のために生きようと思うあまり、自由を捨てて他者のいいなりになる道を選んでしまうのだ。それでも、シンテイガクの世界の生物や非生物たちは、犬を優しく見守りながら、時々手を差し伸べるのだった。


 この昔話がもたらす結論は、犬はどうしようもないってことだ。



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