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 柚希は、病室の窓の外を見つめていた。

 秋の風が木々を揺らしている。

 その景色は懐かしいはずなのに、胸にはぽっかりと穴が空いている。


 ──私は、誰と笑っていたんだろう。誰、だっけ……?


 夢の中で、誰かの声を聞いた気がする。

 優しいのに、必死に叫ぶような声。

 手を伸ばしても、その人の顔は霧に溶けて消えてしまう。


「……だれ……?」


 唇から漏れた声を、蓮司が拾った。


「大丈夫。無理に思い出すことはない」


 いつの間にか、彼はベッドの傍に腰を下ろしていた。

 落ち着いた瞳が、揺れる不安を吸い込むように真っ直ぐ射抜いてくる。


「大事なのは今、君が生きていることだ。そして俺がそばにいること。……それ以上、何が必要だ?」


 柚希は反論しようとした。

 でも、その言葉は心の奥の不安に寄り添い、呼吸を落ち着かせてしまう。


 彼の声は、安心と同時に“思考を止めさせる力”を持っていた。



 ***


 


 その頃、直哉は柚希の実家を訪れていた。

 インターホンを押すと、玄関の扉がゆっくり開き、母親が顔を出した。


「直哉くん……」


 そこに温かさはなかった。

 驚きでもなく、むしろ迷惑そうな影が浮かんでいた。


「柚希さんのことを、教えてください。俺、事故のあと会わせてもらえなくて……どうしても、確かめたいんです」


 必死に言葉を重ねる。

 だが、母親の目は冷ややかだった。


「……直哉くん。あなた、もう来ないでくれる?」


「え……?」


「今、一番彼女に尽くしてくれているのは朝倉さんなの。病院のことも全部任せているし、私たち家族にも本当に良くしてくれる。なのに、あなたは……病院で騒ぎを起こしたって聞いたわ」


 胸の奥が凍りついた。


「ち、違います! 俺はただ、柚希さんに──」


「恋人を名乗るのはやめなさい」


 母親の言葉は鋭く、突き刺さった。


「彼女は混乱しているのよ。そんなときに余計なことを言って、傷つけるつもり? ……正直、邪魔なの」


 “邪魔”。


 その一言で、膝が崩れそうになる。



 「……直哉」


 奥から父親の声がした。

 廊下の暗がりに立つその顔も、怒りを隠そうとしない。


「二度と家に来るな。……わかるな?」


 低く響く声。

 その背後で、柚希の妹が小さく呟いた。


「……お母さんの言うとおり。柚希には、朝倉さんがいるから」


 家族全員が、彼を締め出す空気を纏っていた。


 直哉は何かを言おうとしたが、声が出なかった。

 視界が揺れ、足が勝手に玄関の外へ後ずさる。


 ドアが閉まる音は、まるで世界から切り離される合図のようだった。



 夜道。


 スマホの画面を開いても、未読のままのトークルームが映るだけ。

 既読がつかない。

 返事もない。

 そして家族すら、自分を拒絶した。


「……俺は……恋人なのに」


 声は夜風に飲まれ、消えていった。


 胸の奥で、不協和音が響いていた。

 愛と現実の間で、狂った音が広がっていく。


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