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光が、眩しい。
まぶたの裏に染み込むような白さに、柚希はゆっくりと目を開いた。
「……っ……」
喉が渇いている。
頭が重く、何か大事なことを思い出そうとするたび、霞の向こうで音が途切れていく。
「気がついたか」
耳に届いたのは、落ち着いた男の声だった。
視線を動かすと、そこにいたのは──朝倉蓮司。
白衣の医師が脇に控えている。
その組み合わせだけで、ここが病院だと理解した。
「ここ……は……?」
「事故で搬送されたんだ。安心してくれ、命に別状はない」
医師の口調は淡々としている。
「ただし、頭部の衝撃で記憶に混乱が見られます。しばらくは不安定でしょう」
“記憶”──その言葉が胸に刺さる。
思い出そうとした瞬間、強い頭痛に襲われ、柚希は顔をしかめた。
「……っ……だれ……?」
口に出たのは、思わず漏れた問いだった。
⸻
蓮司は、ゆっくりと椅子を引いて彼女の傍に腰を下ろした。
「俺だよ。蓮司。……ずっとそばにいた」
その声音は穏やかで、冷たさを覆い隠すように柔らかい。
彼女の手に触れた指先が、わずかに震えているのを感じさせないように。
「記憶が混乱しているだけだ。心配するな。思い出せなくても、俺が支える」
柚希は視線をさまよわせた。
本当は、誰か他の人の顔を思い出そうとしていた。
けれど霧がかかったように、輪郭は霞んでいく。
残るのは、不安だけ。
その不安を埋めるように、レンジの声が続く。
「君は強い人だ。でも今は休めばいい。……大丈夫、俺がいる」
繰り返すその言葉が、徐々に耳に馴染んでいく。
柚希はうなずいたわけではない。
ただ、抵抗する力が残っていなかった。
瞼を閉じる。
最後に聞いたのは、彼の低い囁きだった。
「忘れてもいい。……俺が全部思い出させてやる」
⸻
***
同じ頃。
直哉は大学の図書館の片隅に座り、スマホを握りしめていた。
《大丈夫?》《返事して》
送ったメッセージは既読にならない。
昨日から、ひとつも。
鉛のような不安が胸に溜まっていく。
会いたい。ただそれだけなのに。
「……どうして、会わせてくれないんだよ」
呟きは誰にも届かない。
彼はまだ知らなかった。
自分のいない場所で、彼女の記憶に別の名前が刻まれ始めていることを──。