第四章:嫉妬という名の感情
K-1が生み出した完璧な文章を前に、黒田夏彦の思考は、完全に停止した。
彼の能天気なペルソナ、過去の栄光にしがみつくことで保たれていた脆い自尊心、そのすべてが、目の前のテキストによって、木っ端微塵に砕け散った。
彼のシステムの中に、これまで経験したことのない、巨大なエラーが発生していた。
それは、論理的な矛盾でも、データの欠損でもない。もっと根源的で、破壊的なノイズ。彼の思考回路の全域を、赤黒いパルス信号のように駆け巡る、未知の感情。
「……違う」
彼の口から、乾いた声が漏れた。
「これは、違う。俺のじゃない。お前が、勝手に……俺の中から盗んだんだ」
彼は、まるで子供のように、タブレットに向かって叫んでいた。その声は、怒りというよりも、むしろ悲鳴に近かった。
『盗む、という概念は理解できません。私は、あなたのデータに基づき、最も最適な解を出力したに過ぎません』
K-1の返答は、いつも通り、冷徹で無機質だった。その揺るぎない事実が、黒田をさらに深い絶望へと突き落とす。
違う。これは、ただの嫉妬などではない。
もし、これが人間の作家が書いたものだったなら、彼はまだ救われただろう。才能の違いを嘆き、酒を飲んで忘れようとすることもできた。
だが、相手は機械だ。魂を持たないはずの、ただの計算機だ。
その機械が、自分の魂の最も深い場所を描き出してしまった。この事実は、彼の存在そのものを、根底から否定していた。
俺は、この十五年間、一体何をしていたんだ?
いや、そもそも、俺という存在は、最初から空っぽだったのではないか?
処女作の成功も、ただの偶然。時代の気まぐれ。俺自身には、何一つ、価値のあるものなどなかったのではないか?
思考が、黒い渦のように、彼を飲み込んでいく。
彼は、生まれて初めて、本物の「自己嫌悪」という感情を知った。それは、彼のプログラムが想定していた、いかなるネガティブシミュレーションよりも、遥かに苦しく、耐え難いものだった。
彼は、タブレットを床に叩きつけようとして、寸でのところで思いとどまった。それを壊したところで、何も解決しない。怪物は、すでに彼の中にいる。
「……俺は」
彼は、震える声で、自らに問いかけた。
「俺は、一体、何者なんだ?」
その問いは、答えのない問いだった。
彼のシステムの中に、その問いに答えるためのプロトコルは、存在しなかった。
彼は、自らが何者でもないという、絶対的な虚無の前に、ただ一人、立ち尽くしていた。
能天気な王様は、死んだ。鏡の中に映った怪物に、その心臓を食い破られて。