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 あれから数日後の昼下がり。

 穏やかな陽射しに包まれた小道を抜け、リアはギルフォードたちと共に、竜族の王宮の前に立っていた。


 外壁には緑の蔦が這い、ところどころから赤い薔薇の花がこぼれるように咲いている。その奥には、丁寧に手入れされた中庭が広がっていた。風に揺れる花々は、まるでこの訪問を歓迎しているかのようだった。


「すごく綺麗ですね……。どれも、元気に咲いてて」


 リアが目を細めると、ギルフォードが隣でそっけなく応じた。


「毎日のように、庭師が手入れしてるからな」


 そう言って、赤い薔薇の一輪に指先でそっと触れた。

 その何気ない仕草に、思わず三人の視線が集まる。言葉には出さないが、誰もが心の中で同じことを思っていた。無意識のうちに絵画のような構図を作ってしまう彼の佇まいに、誰もが言葉を失いかけた。


「お前本当、黙ってたら……アレだな」

「は?」

「口を開くとこうだもんね……」

「なんだお前ら。言いてぇことがあんならはっきり言え」

「何でもねーって」


 荘厳な外観の建物は、金と緑を基調とした装飾がほどこされ、遠目にも王の威厳を象徴するようだった。その堂々たる存在感に、リアは思わず息を呑む。


「立派な建物……今日は、王様はいらっしゃるんでしょうか?」

「いねぇ。……先に言っとくが、変な奴がいたら無視しろ」

「王様はいるし、王宮に変な奴なんていないだろ」


 エルマーがやれやれとツッコミを入れた直後、重厚な扉がゆっくりと開く。そこから顔を出したのは、見覚えのある長身の青年――ヴィルヘルムだった。


「おや、リア。久しぶりだね」

「ヴィルヘルム様……!? お久しぶりです。どうしてここに……?」

「朝から王様に用があってね。今ちょうど、帰るところだったんだよ」


 懐かしい顔に声を弾ませるリアに、ヴィルヘルムは穏やかな笑みを向ける。


 その背後で、ギルフォードが小さく呟いた。


「……ここには寄っただけだ。すぐ帰る」


 踵を返そうとしたその時――


「ギルフォード!」


 朗らかな声とともに、奥から陽気な雰囲気をまとった男が現れた。


「げっ……」


 ギルフォードが嫌そうに呟いた声に、エルマーとレオンハルトが同時に反応する。


「会いに来てくれたのか。歓迎するよ」

「勘違いだから歓迎すんな。帰る」

「相変わらず冷たいなあ」

「それ以上寄るんじゃねぇ、クソ親父」


 男は金髪に緑の瞳を持ち、にこやかに笑っていた。

 その姿を見たリアは、瞬時に記憶を遡る。


「え……親父、って……」

「正真正銘、ギルの父親だよ」


 レオンハルトが代わりに答えながら、軽く頭を下げる。


「アルフレッド様、お久しぶりです」

「おお、レオンハルト。いつも息子が世話になっているね」

「はぁ!? 俺がこいつらの世話してんだわ!」

「やべえ、否定しきれねぇ俺がいる」

「僕も」

「おやおや?」


 くだけた会話が飛び交う中で、リアの中に、ある記憶が蘇る。


「あの……市場でお会いしましたよね?」


 あのとき――

 まるで通りすがりの旅人のように現れた男が、眩しいほどのイエローダイヤモンドを「土産だ」と渡してきた。まさかその人物が――


「ああ。あの時は世話になった」

「……まさか、王様……?」

「おや。誰も私のことを話さなかったんだね」


 笑って頷くその姿こそ、王――アルフレッド・ランヴェルグだった。


「そうだったんですね……。てっきり、観光客の方かと……」

「リアの顔を一目見れたら、それで良かったんだ。しかしギルフォードの嫁となれば、つい贈り物をしたくなってね。……あれは、少し派手だったかい?」

「派手というか、私には高すぎると言いますか……」


 リアが戸惑いながらも困ったように微笑んだとき、背後から凍りつくような気配が走った。


「おい」


 ギルフォードだった。低く、抑えた声。だがその目は、じりじりと怒りの熱を帯びていく。


「土産、だと?」

「なんだ、別にいいだろう? 息子の嫁に贈り物をするくらい、父親として当然じゃないか」

「あ? てめぇ、父親ぶってんじゃねぇぞ」


 ギルフォードの声がさらに低くなる。

 ヴィルヘルムとレオンハルトは顔を引きつらせ、エルマーは明らかに一歩引いた。


 だが当のアルフレッドは、ワインでも勧めるような調子でにこやかに笑い続けていた。


「なんて言われようと、私はお前の父親だよ」

「……っっっ、クソ親父……!!!」


 リアの視線がギルフォードへ向く。その横顔には、押し殺された怒りと、言葉にしきれない複雑な感情が滲んでいた。


 そんな空気もどこ吹く風といった様子で、アルフレッドは自身の顎を撫でる。


「さ、良かったら中に入ってくれ。案内役は私が務めよう」

「王様、これから公務があるのでは?」


 ヴィルヘルムが控えめに問うと、アルフレッドは肩を竦めて答える。


「時には、公務よりも優先すべきことがあるんだよ。そうだろう、ギルフォード?」


 その一言に、ギルフォードの眉がぴくりと動いた。

 幼少期、息つく間もないほど詰め込まれた教育。家族らしい時間など、一度もなかった。


「ギルフォード様……?」


 隣でリアが不安そうに声をかけてきたのを見て、彼は何も言い返さず、ただ深く息を吐いた。


「……早く終わらせんぞ」


 リアはその一言に、思わず笑みを漏らした。


「はい。ありがとうございます」


 ヴィルヘルムとアルフレッドは、そんなやりとりを見て顔を見合わせる。

 こんなギルフォードを、今まで一度でも見たことがあっただろうか――。


 こうして、旧き竜族の記憶と現在の王が交差する、特別な一日が静かに幕を開けた。



 王宮の中でも、とりわけ陽当たりのよい一室。大きな窓から午後の光が注ぎ込み、金と緑の装飾に柔らかな彩りを添えていた。


 そこで、即席の茶会が開かれていた。


「静かなお茶会でございますこと」

「カミラ。ギルフォードに、私と口を訊いてくれるように言ってくれないか?」

「てめぇは黙ってろ」

「ふふ。だそうですよ、アルフレッド様」

「くっ……」


 円卓の中央には、カミラが手際よく用意した茶器と、蒸気の立ちのぼるハーブティー。皿には素朴なクッキーが並び、どこか懐かしい香りが室内を優しく包んでいた。


「どうぞ。こちらは本日摘みたてのローズマリーにございます」


 小柄な体に見合わぬ力強さでポットを扱いながら、カミラが朗らかに言う。その横顔は何十年も王宮の台所を支えてきた者の、それそのものだった。


「相変わらず、完璧な手際ですね」

「おやまあ。お褒めにあずかり光栄ですわ、レオンハルト様」

「僕も見習わないと……」


 レオンハルトが感心したように呟くと、カミラは涼しい顔で軽く会釈を返す。使用人という立場でありながら、彼女の所作にはどこか“王宮の柱”とも呼ぶべき風格があった。


 けれどその一方で――


「………」


 テーブルを挟んで座るギルフォードは、明らかに居心地悪そうだった。

 椅子に浅く腰掛けたまま、組んだ手の上で指先を細かく動かし、一定のリズムを刻んでいる。沈黙に耐えるための密かな逃げ道のように、その目線は窓の外を彷徨い、あからさまに“帰りたい”が滲み出ていた。


 ヴィルヘルムが視線を向けたが、言葉にはしない。誰もがこの場の雰囲気を壊さぬよう、慎重に口を開く時をうかがっていた。


 しかし――


「……この前は、助かった」


 低く、唐突なその声が、静かなテーブルにぽつりと落ちる。


 全員がギルフォードを見る。彼の視線は、真正面のヴィルヘルムに向いていた。


「……ああ、ペンダントのことか?」


 ヴィルヘルムは目をぱちくりと瞬かせたあと、ふっと柔らかく笑った。


「リアとリーゼが無事に見つかって、本当に良かったよ」


 その言葉に、リアは驚いたように瞬きをし、首を傾げた。


「……ペンダント?」


 問いかけると、ヴィルヘルムは静かに頷き、あの雨の日のことを語り始めた。


「あの時、天候も悪くて不安だったからね。狼族の加護が宿ってるペンダントを、ギルに貸したんだ。嗅覚強化の加護があってね。役に立ってくれて良かったよ」

「そうだったんですか。そんな大切なものを……ありがとうございます」


 リアはすぐさま立ち上がりかけて、慌てて深く頭を下げた。


「おかげで助かりました。皆さんにご迷惑をお掛けしてしまって……」

「いいんだよ」


 ヴィルヘルムは目を細め、穏やかに言う。


「こういう時に使わなければ、加護を受けている意味がないからね。……あのあと、ギルがペンダントだけを返しに来てさ。すぐ行ってしまったから、リアの容体がどうだったか、ずっと気になってたんだ」

「気にかけてくださってたんですね……」


 リアが胸に手を当てて言うと、隣のレオンハルトも姿勢を正し、真剣な声で続けた。


「兄様。僕からも、ありがとう」

「礼には及ばないよ」


 ヴィルヘルムの声は、終始柔らかかった。

 その響きに、張り詰めていた空気がふっと緩み、温かな余韻がテーブルを包む。


 カミラが、静かに追加のティーカップを置いた。


「こうして皆様がお揃いで、穏やかにお茶を召し上がるのは、実に嬉しいことでございますわ」


 茶の香りが、再びゆったりと広がっていく。


 ギルフォードは、リアの横顔をちらりと見てから、そっぽを向いてカップに手を伸ばす。何も言わないが、組んでいた指先はもう、リズムを刻んではいなかった。


 かつて冷え切っていたこの王宮に、少しずつ、優しさが戻り始めている。

 その気配は午後の陽のように、静かに確かに差し込んでいた。



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