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0.5秒の隙間



 昼食を終えると、ギルフォードがナプキンをテーブルに放り出しながら立ち上がった。


「俺は外でやることある。先に戻ってるかもしれねぇが、お前らは好きにしろ」


 そう言い残して手早く代金を払うと、さっさと店を出ていった。彼なりの気遣いなのか、それとも本当に急用なのか、言葉の端からは読み取れない。


「……ギル、どこ行くんだろ」

「さぁな。ま、あいつのことだし、いつもの鍛錬場か屋敷のどっかじゃねえかな」

「そっか……」


 エルマーが肩をすくめるように言って、コップの水を飲み干す。レオンハルトは何かを言いかけて、それを飲み込んだようにただ静かに頷いた。


 やがて、三人は席を立ち、店の扉をくぐって通りへと出る。

 澄んだ風が通りをなでていき、街並みの石畳が陽光を照り返していた。

 しばらく歩いたところで、ふとエルマーが足を止め、振り返るように二人を見た。


「なぁ、せっかくだからよ――今日はリアが行ったことねぇ場所、巡ってみねぇ?」


 思いついたような声に、レオンハルトが瞬きをする。リアは目を丸くし、それから少し頬を緩めた。


「え、いいの? でも……二人は、時間とか大丈夫?」

「俺は模擬戦やってねぇから、屋敷の仕事の時間になったら戻るわ。今は問題なし!」

「僕も、今日は夕方まで予定はないよ」


 リアの問いに、二人が口々に答える。その声に気負ったものはなく、ただのんびりとした小春日和の午後のような軽さがあった。


「……うん。じゃあ、ぜひ連れてってもらいたいな。まだまだ知らない場所、いっぱいあるから」

「じゃ、決まりだな、」


 その言葉に、エルマーが満足げににんまりと笑い、レオンハルトも微かに笑みを浮かべる。

 こうして、三人のちょっとした小旅行が始まった。



 最初に向かったのは、広場を経由してたどり着ける星見の丘。

 里の外れに位置する小さな丘で、周囲は木々に囲まれている。足元にはこぢんまりとした小道が続き、草の匂いがほんのりと漂っていた。


「すごく見晴らしがいいね。星が綺麗に見えそう」

「おう。夜はほとんど街灯もねぇからな。満天の星空ってやつが見られるんだ」


 エルマーが誇らしげに言う。

 リアは、靴音を立てながら小道を登り、やがて見晴らしのいい場所へと出た。そこには古びた木のベンチがひとつだけ置かれていて、座ると、里の屋根と山の稜線が遠くまで見渡せた。


「……すごい。里にも、こんな場所があったんだ」

「リアの目、キラキラしてるね」

「もう。レオ、変なこと言わないで」


 くすくすと笑い合う三人の声が、木立の間を抜けて小さくこだました。


 次に訪れたのは、竜の祠と呼ばれる場所だった。

 木々の合間を抜けると、そこには静かな石の祠がひっそりと佇んでいた。清められた空気の中、苔むした石碑や神聖な灯籠が並び、薄暗がりの中に冷んとした感触が漂っている。


「なんか……ひんやりしてるね」

「うん。僕、ここ……苦手なんだよね」


 ぞわぞわと肩をすくめたレオンハルトが、腕をこすりながら真顔になる。

 リアが思わず吹き出すと、エルマーも釣られて笑った。


「お前、霊感でもあんのかよ」

「違う。ただ、空気がいつもと違うっていうか……」


 祠の奥には、竜族の歴史や、人間との縁を綴った石碑が並んでいた。そのひとつひとつに古代文字が刻まれ、絵や文様も織り込まれている。

 レオンハルトは相変わらず少し震えながら、まじまじと石碑を見ながら口を開く。


「ここ、結婚の儀式が行われる場所なんだって。こんな不気味なところで……」

「それは確かに……神聖すぎるっつーか……」


 エルマーの言葉に、リアとレオンハルトは視線を交わして小さく笑い合った。


 そして三番目に足を運んだのは、図書堂と呼ばれる里の小さな図書館だった。

 外観は石造りで、静かな佇まいを保っている。扉を開けると、木の匂いと紙の香りが混ざったような落ち着いた空気が広がった。


 本棚には竜族の歴史書や物語の写本が整然と並び、頁を捲る音がどこかで微かに響いていた。


「静かで、すごく落ち着く場所だね」

「俺は字が多いと眠くなっちまうから、あんま来たことねぇや」

「ふふ、エルらしい」


 図書堂の隅には、らせん階段が設けられており、登りきると時計台の展望室に出た。

 そこから見えるのは、先ほど訪れた星見の丘。見晴らしの良いその景色を眺めながら、三人は思い思いに椅子に腰かけていた。


「今日は……なんか、すごくいい日になったなぁ」


 リアがぽつりと呟くと、エルマーとレオンハルトも同じように頷いた。


「たまには、こういう日がないとダメだろ」

「うん。本当に、そう思うよ」


 窓から吹き込んだ風が頁の隙間をめくり、優しく三人の髪を撫でていく。

 少し遅い春の午後。何気ない、けれど忘れられない一日が、静かに流れていた。



 図書堂を出た瞬間、午後の日差しが優しく降り注ぐ。石畳がほんのり温かく、空には白い雲が穏やかに浮かんでいた。


 そんな中、レオンハルトと肩を並べて歩いていたリアの前に、ふいに見知った姿が現れる。


「あら、今日はよく会うわね」


 涼やかな声に、リアは目を瞬かせた。

 振り返れば、白銀の髪をゆるやかに結い上げたリーゼロッテが、穏やかな微笑みをたたえて立っていた。相変わらず整った佇まいで、風景の中に溶け込むように自然だというのに、その瞳だけがどこか張りつめたものを秘めている。


「こんにちは。少し時間があったので、二人に里の施設を案内してもらってたんです」


 リアの言葉に、リーゼロッテは僅かに目を細めた。


「まあ、素敵ね。……実は今から、うちのお店で使う薬草を摘みに山に行こうとしていたの。リア、山の中にもまだ行ったことないのでしょう? 良かったら、一緒にどうかしら」

「えっ、私も……?」

「ええ。緑がたくさんで、気持ち良いわよ」


 思わぬ誘いにリアは一瞬戸惑った。エルマーとレオンハルトを見ると、反対している様子はない。その姿を見たのと、リーゼロッテと二人きりなわけではないこともあって、リアは小さく頷いた。


「じゃあ、もしご迷惑でなければ……行ってみたい、です」

「良かったわ。では、ご一緒しましょう」

「おいおい、山なんて……」

「ふふ、私がいるんだから心配ないわよ」

「僕も」

「そうだけど……」


 そのやりとりを傍らで見ていたエルマーは、少しだけ不安そうな顔を見せながら口を出す。しかし、すぐにリーゼロッテに言葉を返されて、口を結びながらリアの肩を軽く叩いた。


「気をつけろよ。……危ねぇから、一人になんな」


 なぜか必要以上に心配そうな目だと感じて、リアは思わず笑みを浮かべる。


「うん、大丈夫。ありがとう、エル」

「ああ。レオ、ちゃんと見てろよ」

「うん。分かってる」


 エルマーはそれ以上は何も言わず、レオンハルトにだけ小さく頷きを送って、ギルフォードの屋敷へと戻っていった。


 残された三人は、大通りの裏手にある小道を抜け、山へと向かう。

 足元には苔むした石が敷かれ、時折小さな虫が跳ねる。木々は背が高く、光がところどころで葉の隙間から差し込んでいた。


「このあたりの薬草は、資料に載っているものが中心よ。リア、持ってて」


 リーゼロッテが差し出した紙には、薬草の絵と効能が丁寧に記されている。リアは感心しながらそれを受け取り、レオンハルトと一緒に探し始めた。


「リア、これは?」

「違うよ、もっと葉の縁がギザギザしてるよね?」


 何度もやりとりを重ねているうち、ふとリアは草むらに夢中になり、気がつけばレオンハルトから少し離れてしまっていた。レオンハルトは集めた薬草を、リーゼロッテに頼まれて軽くまとめている最中だった。


「あ……やだ。ついこんな奥まで来ちゃってた……」


 立ち上がりかけたそのときだった。背後から軽い足音が近づく。

 リーゼロッテだった。いつの間にかリアの背後に立っていて、その顔には笑みとも無表情とも取れない表情が浮かんでいた。


「リア。こっちに、似た薬草があった気がするの。少し見てくれない?」


 リーゼロッテだった。少し先の木立を指さしている。陽射しの切れ間から差し込む光が、彼女の髪に淡く揺れていた。


「えっと……はい、すぐ行きます」


 リアは資料を抱え直し、小走りで彼女のもとへ向かう。資料を確認しながら、促されるままにリーゼロッテのあとを追った。


 ゆるやかな斜面を踏みしめながら、二人だけで森の奥へと進んでいく。

 途中、風に枝が揺れて木漏れ日がきらきらと揺れた。しばし沈黙が続いたのち、リーゼロッテがぽつりと話しかけた。


「この山、古くから“竜が守っている”って言われてるの。リアは知ってる?」

「え、そうなんですか?」


 リアが驚いたように目を丸くすると、リーゼロッテは薄らと笑みを浮かべて頷いた。


「ええ、古い言い伝えなのよ。山の奥深くに竜が棲んでいて、悪いことをしようとすると里に災いが起きるんですって。だから、あまり立ち入らないようにしてきたって」

「へぇ……なんか、絵本みたいなお話ですね。なんだか怖いようで……守られてる気がして、安心しますね」

「ふふ、そうね。……けれど、油断は禁物よ」


 短い何でもない会話だけど、リアの心に不思議な静けさをくれたその言葉は、風にさらわれて静かに消えていった。


 そのうち、何やら少し開けた場所に出ると、リーゼロッテはゆっくりと周囲の葉に目を落とした。つられてリアが視線を落とすと、隣から不穏な声が落ちてくる。


「……ふふ。本当に、驚くわ」

「え?」

「何も知らないあなたが、あんなふうにギルの隣に座ってるのを見るなんて。私の何がだめだった……?」


 その声は穏やかだった。けれど、押し殺した感情のひびが混じっている。静かに、確かに滲み出る怒りと悲しみが、言葉の端々に宿っていた。


 リアは困惑しながらも、一歩だけ距離を取る。


「私、どれだけ……どれだけ努力しても、ギルは私を見てくれなかった。なのにどうして、ギルはあなたのことを見ているの?」

「リーゼさん、そんなことは……」

「あなたは何も知らない。あの人がどれだけ、私にとって――」

「落ち着いてください……! あの時のことは……私も、気になっていて……できれば、ちゃんとお話が――」

「それ以上、近寄らないで!!」


 ピシャリと、怒鳴るような声。

 瞬間、リーゼロッテがリアの差し出した手を強く振り払った。


「きゃっ……!」


 振動で体勢を崩したリーゼロッテの足が、斜面の小石に滑る。


「リーゼさん!!」


 とっさに、リアの手が伸びた。

 掴んだ。確かに掴んだはずだった――けれど、その体重は竜族ならではで想像以上に大きく、リアの身体ごと二人は一緒に斜面へと引きずり込まれた。


 その瞬間、木々の向こうで声が上がった。


「リア?」


 レオンハルトだった。


「! レ――」


 はっとしたように、遠くからリアの名前を呼ぶ声に、答えようとした次の瞬間――


 ――ザッ、ザザザッ……!


 枯葉と小石を巻き込んだ落下の音が、すべてをかき消していった。リアは咄嗟にリーゼロッテの身を守ろうと丸まったものの、地面の感触は止まることなく遠ざかっていった。


 やがて、ごつん、と背中を打ち、二人はようやく止まった。


「う……」


 少しだけ視界が暗くなりかけて、でもなんとか目を開けると、森の景色が斜めに揺れていた。頭の奥がじんわりと痺れて――でも、まだ意識は残ってる。

 あちこちに痛みが走り、呼吸が少し浅くなっている自分に気が付く。身動きは思うように取れない。すぐ隣には、ぐったりしたリーゼロッテの姿。


 上を見上げれば、高く遠い崖縁。あそこまで声が届くとは思えなかった。


 ――ここからじゃ、助けも呼べない。


 リアは歯を食いしばった。

 レオンハルトは、すぐ近くにいた。リアが彼から離れてしまったのだって、ほんの僅かな時間だった。薬草をまとめていたのだって一瞬の出来事だろう。――いずれにせよ、誰にでも起こりうる、ごく自然な隙だった。


 だから、誰の責任でもない。

 ただ、ここは――あまりにも深く、静かすぎる場所だった。



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