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二人の従者と異国の感触



 小さく、戸を叩く音がした。


 夢の底からゆっくりと引き上げられるように、リアはまぶたを開けた。あたりはほんのりと明るく、どうやら朝を迎えているらしい。けれど時間の感覚はまるでなかった。目覚めたばかりの頭はまだぼんやりとしていて、ここがどこだったかを思い出すのにも少し時間がかかる。


「おーい、姫様?」

「えっ」

「あ、寝てたのか。悪いな!」


 勢いよく戸が開き、ひょいと顔を覗かせたのは、見知らぬ少年だった。


 深い焦茶色の髪と、明るく笑う瞳。そして背中には、昨日見たものと同じ、小さな竜の翼。年の頃は自分とそう変わらないように見える。けれどその無邪気な明るさは、リアにとってあまりに異質で、戸惑う暇も与えられなかった。


「俺、エルマー。ギルフォード様の従者ってやつな」

「あ、どうも。よろしくお願いします」

「そんな堅苦しくなるなって! 気軽にエルって呼んでくれていいぜ。飯できたけど、食えるか?」

「ご飯……」


 その言葉に、リアは思わず腹の奥がきゅうと鳴くのを感じた。空腹の感覚すらぼやけていたが、誰かの明るさに誘われるように、身体が思い出していく。

 こく、と小さく頷くと、エルマーは「よし!」と声を上げて笑った。


「あ、そうだそうだ。飯は食堂で、全員揃って食うから、呼んだらそこまで来てくれよ。他の時間に何か食いたかったら、隣にキッチンあるから何でもドーゾって感じだな」


 言いながら、エルマーは先に立って歩き出す。リアは毛布を整えながら、遅れないようにその背を追った。廊下は前日よりも明るく見えて、エルマーの後ろ姿もどこか眩しかった。


「もちろん、今日のとこは案内するからよ。ついてきてくれりゃいいぜ」


 道中のエルマーの説明によれば、彼らはこの屋敷で生活しており、今はギルフォードとリアだけがここに滞在しているらしい。そして、従者も二人。つまりエルマーと、もう一人いるということだ。


 食堂の扉をくぐると、昨日と変わらず、高圧的な態度でギルフォードがどっしりと座っていた。そしてその隣には、また見知らぬ人物が控えていた。


「姫様、こちらレオンハルト。俺と同じく、ギルフォード様の従者」

「奥様、初めてお目にかかります。主人のギルフォード様に仕えております、レオンハルトでございます。お会いでき光栄です。何卒よろしくお願い申し上げます」

「あ、はい。私はリアと言います。ご丁寧にありがとう、よろしくお願いします」

「レオ、お前固ってぇな」

「普通だが……」


 レオンハルトと名乗った少年は、静かな声音で言いながら、ぴたりと礼儀正しく頭を下げた。その物腰はまるで貴族のようで、けれど彼自身はどこかぽやんとした空気をまとっている。丁寧な言葉遣いの一方で、目元はどこか眠たげだった。


 そのときだった。


「おい。お前ら姫様だの奥様だの、気持ち悪りぃんだよ」


 いきなりギルフォードが声を出して、椅子を引いた。その不機嫌な声音に、リアは思わず背筋を伸ばす。だが、それをさらりと受け流したのは、他でもないエルマーだった。


「いやでも、ギルの嫁になんだろ? 俺ら、何で呼んだらいーか分かんねぇし」

「まだ結婚してねぇだろうが」

「遅かれ早かれするんだろ? な、レオ」

「……多分」

「黙ってろレオンハルト!」


 怒鳴るギルフォードに、レオンハルトは一歩も引かず、どこか首を傾げて静かに肯定した。そのやりとりに、エルマーがけらけらと笑いながら「だってよ」と肩をすくめる。


 言い争っているのか、仲がいいのか。何とも言えない三人のやりとりに、リアはぽかんと口を開けたが、ふと我に返って言葉を挟んだ。


「あの、リアでいいですよ。そっちの方が呼ばれ慣れてるので」


 そう言った瞬間、場の空気がふわりと和らいだ。


「お! マジか! じゃあ、有り難くそうするわ!」


 エルマーがにっかりと笑い、レオンハルトは静かに「了解」と小さく頷いた。一方、ギルフォードはチッと舌を打って視線をそらす。


「なら最初からそう言え」

「お前がピリついてっから言いにくかったんだろーが! なあ、リア?」

「え、えっと……」

「はぁ? てめぇも、もっとはっきり喋りやがれ」


 またわちゃっと騒ぎ出す二人に、リアは戸惑いながらも、なんだか少しだけ笑ってしまった。


「こちら、お召し上がりください」


 そうして、レオンハルトが差し出してきた皿を、リアは思わず手を止めて見つめた。

 生肉……? それと、おそらく洗っただけの根菜……? 調理というより、素材そのままを並べただけに近い。


 ぎこちなく視線をギルフォードに向けると、彼はフンと鼻を鳴らしただけだった。この食事で過ごしていれば、人間もそうだと思われているのも仕方がないのだろう。


(これは……私には無理……)


 けれど、出されたものを拒む勇気はない。ただ、皿の端にあった見覚えのある青菜だけを、そっと一口運ぶ。噛みしめるたびに、淡い苦味と水分が広がって、どうにか人間でも食べられることに安堵した。

 周囲を見渡せば、美味しそうでもないけれど、普通に口に運んでいる。


「口に合うか?」

「……慣れるまでは時間かかりそうです」

「ま、最初はそんな感じだよなぁ」


 エルマーが笑って、少し汚れた口元をぬぐいながら言った。


「レオも最初の頃、野菜全部残してたし。なあ?」

「……そうだったか?」


 ぼそりと呟くレオンハルトに、エルマーが「お前ほんと忘れっぽいよなあ!」と肩を叩く。どこか不思議なやりとりだったが、それを見ていると、少しだけ緊張が和らいだ。


 まだ、すべてが異質だ。でも、明るい声と静かなまなざしが、少しずつ、居場所の輪郭を描いていく。



 食事が終わると、ギルフォードは特に何を言うでもなく椅子を引いて、すぐに食堂を出ていった。

 リアは彼の背を目で追いながらも、気まずさをごまかすように皿を手に取る。


「あの、エル。レオンハルト。片付け手伝います」


 差し出す皿を受け取るより先に、エルマーがばつの悪そうに笑った。


「ありがとな。でもそれ、俺たちの仕事だからさ。リアが気ぃ使うと、逆にギルに怒られんだよね」

「でも、何か……」

「いいっていいって! 休んでな!」


 そう笑って、彼は軽々と皿を持ち上げ、レオンハルトの方へぽんと渡す。レオンハルトは無言のまま受け取ったが、どこか自然な連携に、長い付き合いを感じさせた。


 結局、手持ち無沙汰のまま、リアは食堂の扉へと向かう。


「あ、リア!」


 背後から呼び止めたのはエルマーだった。振り返ると、彼はまるで何かを思い出したように手を打った。


「今日さ、ちょっと里を案内する予定だったんだわ。ギルは何も言ってねーっぽいけど、ルナもそんなこと言ってたろ?」

「あ……うん、確かに」

「だから悪ぃけど、ちょっと準備しといてくんね?」

「準備って……着替えたりとか、ですか?」

「そうそう。まあ気張る必要はねぇけど、外はそれなりに広いからな。あとで迎え行くから、それまでに頼むわ!」


 そう言って、彼は食堂の奥へと戻ろうとする。が、その途中で何やらレオンハルトに耳打ちをし、二人で何か短くやりとりを交わすと、レオンハルトだけがこちらに歩いてきた。


「リア。お部屋の中のご説明をさせていただきます。よろしければ、ご一緒に」

「あ、うん。お願い、します」


 思わず言葉を区切ってしまったのは、彼の距離の詰め方がどこまでも丁寧で、まるで接客されているような不思議な感覚だったからだ。だが嫌な感じはなく、むしろ妙に落ち着いてしまうのが不思議だった。


 自室に戻ると、レオンハルトはほとんど音を立てずに中へ入り、淡々と説明を始めた。


「クローゼットにある服は、すべてご自由にお使いください。サイズも概ね人間の標準に合わせておりますが、合わないものがあれば調整いたします」

「えっと、ありがとうございます……」

「こちらのドレッサーにございます化粧品類も、必要であればお使いください。調香油や肌用の塗布薬など、人間に害のないものを選んでおります」

「こ、こんなにたくさん……!?」


 開けられた引き出しには、見たこともない容器や瓶がずらりと並んでいた。香りだけで言えば、高級品といっても通るようなものばかりだ。村にいた時には、とてもじゃないが見たこともないものばかりだった。


「すべて、ギルフォード様からの贈り物でございます」


 あの感じで、これ全部を贈り物として用意したというのか。にわかに信じられず、リアが容器や瓶をまじまじと眺めていると、さらにレオンハルトが言葉を続けた。


「バスルームは奥にございます。そちらも、いつでもご自由に。お望みであれば、入浴のお手伝いも可能です」

「えっ」


 リアは一瞬時が止まったようになった。頬が熱くなるのを感じながら、ぶんぶんと手を振る。


「い、いえ! 大丈夫ですっ、一人で入れます!」

「かしこまりました。お申し付けいただければ、いつでも対応いたします」


 きっぱりと断ったのに、レオンハルトはどこまでも淡々としていて、恥ずかしさだけが一方的にリアの方に押し寄せてくる。彼にとっては、きっとそういうことも業務のひとつなのだろう。


 レオンハルトは一礼して、足音もなく部屋を後にした。

 扉が閉まり、しんとした空気の中で、リアは小さく深呼吸をついた。


「とりあえず、準備してみるか」


 そっとクローゼットを開ける。布の手触りひとつひとつに、まだ慣れない異国の感触を覚えながらも、それを身にまとうために、リアは少しずつ手を伸ばしていった。



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