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ビビットイエロー・ダイヤモンド②



 屋敷の自室へ戻ったリアは、靴を脱ぎ、ゆるくまとめていた髪を解いて部屋着に着替える。テーブルに置いていた小さな箱に目を落とすと、それはまるで異物のようで、自分の持ち物とは思えない存在感があった。


 そっと箱を開け、中から取り出したのは、大きな宝石だった。

 澄んだ黄色の中に、銀の光が瞬くように差し込んでいる。ショーウィンドウの中で見た時よりも、部屋の柔らかな光の中でいっそう神秘的に映った。


「……こんなの、どうしよう……」


 声に出しても、答えは出ない。

 こんなもの、生きていて誰かから貰ったことなどなかった。そもそも、どうやって保管すればいいのかも分からない。高価すぎる。綺麗すぎる。自分には似合わない――そんな気持ちが、次々と胸の内から湧いてきた。


 それでも、彼が笑って差し出してきたときの顔は、目に焼き付いている。


「それにしても、初対面で贈り物なんて……竜族って、友好的な人が多いのかも」


 ふっと笑い、ぽつりと呟きながら、リアは宝石をアクセサリーケースの中へとそっと納めた。元々用意されていた指輪やブローチの中に、一際異彩を放つ黄色の光が静かに収まっている。


 蓋を閉じて、大きく息を吐いた。

 どう扱えばいいか分からなくても、どう向き合えばいいか戸惑っていても、それでもこれは確かに今、自分の手にあるものだった。



「なー、レオ。今日のことはギルには内緒な」


 屋敷へ戻る道すがら、キッチンへと向かう廊下で、エルマーが少し早足になりながら言った。


「え? ギルのツケで買い物したこと?」

「それもだけど、それより――」


 そのやり取りが途中のまま、キッチンの扉を押し開けた――そして、二人とも動きを止める。


 中には、ティーカップを片手にしたギルフォードがいた。

 淹れたての茶の香りが漂っていて、机の上には几帳面に束ねられた書類の山が見える。おそらく仕事が終わったのはつい先ほどで、一息付いたら外出するつもりなのだと分かった。


 ギルフォードの目が、静かに二人を見た。


「……お、お疲れさん……」


 エルマーが気まずそうに声をかける。言葉の選び方にも、目の動きにも、無理のない軽さを装った気配があった。


「あぁ。変わりなかったか」


 ギルフォードの返事は短く、いつもと変わらぬ低い声。けれど、その目だけは、じっとこちらを観察するように動かなかった。


「おう、何もなかったぜ! 良い肉買ってきたから、晩飯それにするわ!」

「果物も買った」

「お前ら、買いすぎだろ」


 エルマーは努めて明るく振る舞う。言葉に弾みをつけることで、空気をどうにか逸らそうとした。

 次いでレオンハルトが淡々と告げると、両手に抱えていた紙袋を下ろし、所定の木箱に一つずつ丁寧に果物を移し始めた。彼なりのいつも通りを守ろうとしているのが、動作に表れている。


 エルマーはその様子に目を向け、小さくほっと息を吐いた。

 このまま、何も起こらなければいい。ギルフォードの中に余計な疑念が生まれる前に、日常へと戻っていけばいい。そう思っていた。


 ……はず、だった。


「ねえ。アルフレッド様、なんで市場に来てたんだろう」


 レオンハルトがぽつりと呟いた。無意識の問いだったのだろうけれど、その一言が空気を変えた。


「あ! おい、レオ!」


 エルマーが顔色を変えて振り向く。


「え……エルが内緒って言ってたの、これ?」

「そーだよ! そしてそれは何のフォローにもなってねえ!」


 いつもの調子を完全に崩したエルマーが叫ぶ。切羽詰まった調子に、ギルフォードの視線がぐっと鋭さを増した。

 エルマーを捉えた目は、氷の針のように静かで、今すぐにでも刺すようだった。


「てめぇ、『何もなかった』っつったよなァ?」


 声は低く、けれど確実に怒りを孕んでいる。エルマーの肩が、わずかに縮こまる。


「うっ……それは……いや、その……」


 しどろもどろの返答に、ギルフォードは短く鼻を鳴らした。そして視線を逸らすと、手にしたティーカップを持ち直し、冷める前に一気に茶を飲み干した。


 そのまま、机にあった書類の束を片手で掴み、無言で扉の方へと向かう。

 すれ違いざま、吐き捨てるように言った。


「お前まで、余計な気遣うんじゃねえよ」


 木製の扉が閉まる音が、耳に痛いほどに静かだった。


「レオっ! このバカ!」

「ごめん……」


 エルマーが振り向きざまに怒鳴ると、レオンハルトはしゅんと肩を落とし、申し訳なさそうに呟いた。エルマーはしばらく唇を噛んだままだったが、やがてふっと目を伏せ、力なく手を下ろした。


「……いや、違ぇ。俺こそごめん。ギルの言った通り、いらねぇ気遣ったわ」


 その言葉に、レオンハルトが小さく目を丸くする。


「前にギルとアルフレッド様と話してた時は、普通に見えたけど……仲悪いの?」

「外から見たら普通だろうけど、ギルはあの人のこと、あんま良く思ってないからさ」


 エルマーの口調には、いつもの冗談めいた軽さがなかった。

 ギルフォードがアルフレッドに抱く感情が、単純なものでは

ないことを、彼なりに理解していた。そして彼の中の線引きや、不器用な距離感を、どうにか乱したくなかった――だから、黙っていようと思ったのだ。


「そっか……分かった、もう今度からは言わない」


 レオンハルトは素直に頷いた。その潔さに、エルマーは少し口元を歪めて苦笑する。


「いや。ギルが気遣うなっつってんだから、お前は普通にしてりゃいいと思うぜ」


 まだ、どこか沈んだ空気がキッチンの空間に残っていた。

 何が正しかったのか、間違っていたのか。それは、きっと今日だけでは分からない。


 それでも、生活をすることは止められない。

 エルマーは黙って棚から鍋を取り出し、コンロに置いた。レオンハルトもそれに倣い、残りの果物を箱に詰めていく。包丁の音が遠くで聞こえ始め、やがて、静かな湯気が立ち上る。


 無言のまま、夕食の支度が始まった。



 夕食の時間になる頃には、屋敷の中もすっかり夜の気配に包まれていた。


 温かな明かりが灯るキッチンに、カツン、と控えめな足音が響く。

 扉を開けて姿を見せたのは、普段と変わらぬ歩調で戻ってきたギルフォードだった。片手に新たな書類の束を持ち、もう片方の手には、どこかの露店で買ったと思しき包みが提げられている。


 その顔は、特に何かを引きずっているような様子もなく、ただいつものように落ち着き払っていた。


 けれど、先にキッチンで食事の支度をしていたエルマーとレオンハルトは、思わず顔を見合わせた。目と目が合うだけで、「普通にいこう」という答えが、言葉よりも早くお互いに伝わる。


 とりあえず、今回は本当に――何もなかったように振る舞おう。

 そんな思いを胸に、エルマーはニッと笑って声をかけた。


「おかえり、ギル。ちょうど晩飯できたとこだぜ」

「……あぁ。これ、土産」


 ギルフォードはそう言って、静かに包みをエルマーに手渡した。


「お、なになに?」

「蜂蜜」

「えっ、俺の好きなやつじゃん…!? ありがとな!」

「ちょうど切れてただけだ」

「なんだよー、素直じゃねーなぁ」

「うっせえ」


 大袈裟に喜ぶエルマーに、特に表情を変えることもなく、ギルフォードは近くの椅子に腰を下ろす。彼なりに、先ほどの態度を悪いと思ったのだろう。


「もう運べるよ」


 二人のやり取りを見てホッと胸を撫で下ろしたレオンハルトは、料理を載せた皿をワゴンに積んで食堂と運び始めた。エルマーもまた、出来上がった料理に余計な言葉を挟むことなく、黙々と盛り付けていく。

 ギルフォードは、その様子を、ただ静かにじっと見ていた。


 そうして全員が揃った食卓には、ひりつくような静けさは落ち着いていた。

 食事中、ギルフォードは特に誰とも言葉を交わすことなく、手を進めていた。けれど、その沈黙が不穏なものには感じられなかったのは、どこか彼なりの「もう済んだ」という空気が、そこにはあったからだった。


 やがて食事が終わると、テーブルの中央には、デザート代わりの果物の皿が置かれた。


「今日のデザートです」

「これは……レオが剥いてくれたんだね。ありがとう」

「そうだけど、よく分かったね? リア、すごい」

「ふふ、何ででしょう?」


 見るからに不揃いなそれらは、レオンハルトが剥いたものだ。少し厚めに剥かれてしまった皮や、ところどころ残ってしまった筋の白さに不器用さが滲んでいる。けれど、一つ一つが丁寧に並べられているのが彼らしかった。


「ねぇ。二人は明日、何時にここを出るの?」


 フォークで果物を刺しながら、リアがぽつりと尋ねた。柔らかな声だったが、何か名残惜しさがその響きの奥に潜んでいた。


 テオは頭の中に道順を思い浮かべながら、少し考えるように目を伏せた後、答える。


「早朝に出る予定だよ。休憩挟んだら、丸一日以上は掛かっちゃうし……とりあえず、夜までに下山が目標って感じかな」

「そっか。じゃあ、今日はもう寝ないとだね」

「あぁ。そうさせてもらうよ」


「いやー…それにしても、寂しくなるなぁ。な、レオ?」


 エルマーが果物の皿をひょいと指でつつきながら、笑って言った。

 それに対して、レオンハルトはフォークを持ったまま一拍置いて、小さく頷いた。


「はい」


 たったそれだけの返事だったが、その言い方には温度があった。普段と変わらぬ表情の裏に、寂しさがほんのりと滲んでいる。


「またなんか壊れたら、手紙くれりゃ直しに来てやるよ」


 アイザックが笑いながら、何でもないように言う。その声の軽さは、別れ際の気まずさを和らげるような気遣いにも聞こえた。


 そんな和やかなやり取りの中、ギルフォードは無言のまま、自分のカップに湯を注ぎ直した。濃い色の茶葉が、静かに湯の中に沈んでいく。

 彼の表情は特に変わらなかったが、誰かの会話に時折視線を向ける様子があった。その視線は、否定でも肯定でもなく、ただそこにいる者たちを見守るようなものだった。


 やがてカップを口に運び、静かに一口、茶を啜る。それだけで、どこかその場の空気が整ったような気がした。


 会話は、少しずつ途切れながらも続いていく。

 いつかまた、こうして同じ食卓を囲める日が来ることを、誰もがどこかで願いながら――。



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