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十八 ギムナジア《ロディス》 3/3

 正門を出て街道を下り、それから路地中に入って細い道を何度も曲がる。

先に立って歩くジルの後ろを、二人は珍しそうに辺りを見回しながら続いた。

 古いアパートメントが立ち並ぶ狭い通りで、すれ違う人の身なりなどを見ても、貧しい者の暮らす地域のように思われた。

「おい、こっちだぞ」

 こういう場所には、二人ともあまり足を踏み入れたことが無い。恐る恐る周囲を見まわしつつ、導かれるままに狭いアパートの入り口に入る。

 掃除はされているようだけれど、階段も通路もとても狭くて、何だかここが家だとはとても思えない。

「ほら、着いたぞ」

 ジルは鞄から鍵をとり出して、飾りっ気の無い玄関ドアを無造作に開ける。さっさと入れと言って中に入っていく少年の背中に、二人はおずおずと続いた。

 狭い玄関に申し訳程度の玄関ホール、そこから続く短い廊下。ミニチュアのような家だったが、整理されていて清潔だった。

「えと……お茶くらいいれるから、その辺座れ」

 ジルも少し緊張している様子だった。

「誰もいないのかい?」

 彼らの他に人のいる気配がしないので、ユリウスが尋ねる。

「父さんがいるけど、今は留守だ。でも今日は帰ってくる」

「今日は?」

「うん。隣町で働いてるんだけど、遠いから泊まり込みになることも多いんだ。休みの前の日には帰ってくる」

「それは……悪い時にお邪魔した?」

 説明されて、ロディスはハッと後悔するが、ジルは笑って首を振った。

「……いいや、構わない。友達が出来たって知ったら、父さんも喜ぶと思うから」

 それはまるで、彼らの他に友人がいないような物言いだった。


 小さいがよく掃除されたキッチンに立って、ジルはてきぱきと紅茶を入れる。ロディスもユリウスも、ダイニングテーブルに座って大人しくその様子を眺めていた。背が低いので、小さな子供が台所に立っているようではあったが、彼の所作は手慣れていて無駄が無い。

「父がいる」と言ったところからも、この家にジルの母親がいないことは容易に推測できる。死んだのか、離婚したのか、そこの所は不明だが、ロディスもユリウスもそれに触れるつもりは無かったので、そのまま口をつぐんでジルの動作を見ていた。

「……何だ、お前らが大人しいと気味が悪いな」

 言いながらジルがテーブルに紅茶を運ぶ。

「じゃあ話そうかな」

 ユリウスがおもむろに口を開く。

「君、その帽子、教室だけでなく家でまで脱がないのかい?」

 ユリウスの指摘はもっともだ。確かに、自分の家に帰って帽子を脱がないなんて不可思議だ。しかし、ジルは頭を押さえて小さく言った。

「……関係ないだろ」

「背が伸びないぞー」

「放っといてくれ」

 ユリウスが茶化すような調子だったので、ジルは少し安心したようにいつもの語気を取り戻して開き直った。そしてまもなく、

「……って、あ。父さん、帰ってきた」

 父が帰ってきた気配を察知すると、大きな帽子をしっかり被ったまま、パッと顔を輝かせて玄関へ駆けていく。

 ガチャガチャとドアの開く音がして、おかえり、とジルの明るい声が小さく聞こえてくる。低い男の笑う声が響いて、それから何やら話しながらリビングに親子が姿を現す。

「やあ、いらっしゃい! この子がお友達を連れてくるなんて珍しい」

 姿を見せたのは、ジルとはあまり似ていない、くすんだ茶色の髪をした、大人しそうな男だった。たぶん、口数の多くないタイプか、子供か人付き合い自体が苦手な類の人間なのだろう。気を使って二人に明るく挨拶をしたのがちょっとだけ白々しい。

「父さんだよ」

 ジルの言葉に、ユリウスとロディスは、立ち上がる。

「お邪魔しています」

「仕事が忙しいとジルに聞いた。上がりこんでしまって申し訳ない」

 思い思いの挨拶を口にする二人の少年を代わる代わる見て、男はどことなく弱々しい笑顔を見せる。

「はは、さすがはペトルシキム・ギムナジアの生徒さん。しっかりしたお坊ちゃん達だ」

「でも二人とも、全っ然常識がないんだよ、父さん。こっちはもう、毎度毎度つき合わされてさ……」

 ジルの方は、父親の前だといつもより子供らしい気がする。

「こら、お友達に向かってそういうことを言うものじゃないぞ。良家のご子息ばかりなんだから、お前と話が合わないのは仕方がない。

「そうだけど……」

「全く、誰に似たんだか、口の減らない子ですみません。どうぞ、仲良くしてやってください」

 そう言って、ジルの父親は自室に引っ込んでいった。夕食はと追いかける息子に、後で食べるからと廊下の奥で答えているのが聞こえてくる。それを聞いて、ロディスはチラリとユリウスに目配せした。言わんとすることは分かったのだろう、ユリウスは、ちょっと残念そうに残っていた紅茶を飲み干す。

「……ま、また学校で一緒に遊べばいいしな」


「お待たせ、バタバタして悪いな」

「ジル、僕たちそろそろおいとまするよ」

 ジルが戻ってきたときには、二人ともすっかり帰宅の準備を整えていた。

「え? でも、来たばっかりだろ?」

「父上が帰宅されてるのに、飯も食わせず部屋に押し込めたのじゃ、申し訳がないからな」

 ユリウスがニコリと笑うのを見て、二人の気持ちを理解したらしい。

「あ……う、うん。悪いな」

「今度は寄宿舎の僕らの部屋に遊びにおいでね」

「あと、また来るからそのつもりで」

「……分かったよ」

 ジルは少し名残惜しく思っているように見えた。

「じゃあ、街道まで送る。道、ややこしいから迷うだろ」




 すっかり日の暮れた道をゆっくり歩く。

 六歳でギムナジアに入って七年。今までは、街に出てくることなんて滅多に無かったのに、今はこうして三人で夜の街を歩いている。

 ギムナジアの生徒達とは生まれも育ちも全然違うジルと過ごす時間は、ロディスにとってあらゆる意味で驚きに満ちたものだ。そしてそれは、ユリウスにも同じであっただろう。

 粗野で、無学で、移り気なくせに他力本願。今までは、こういう街に住むような市民に対してあまり良いイメージは無かったのだ。けれど、今はそれが自分の勝手な思い込みであったとはっきり分かる。反省して視野を広げなければならないと思った。

「……ジル、君に出会えたから、だよね」

「え?」

 聞こえるように言ったつもりはなかったのに、ロディスの独り言は予定外に大きく響いたようだ。二、三歩前を歩いていた二人が立ち止まってこちらを見る。

「何を恥ずかしい台詞を真顔で言ってるんだ、ロディ」

 言い終わると、ユリウスがはっとした顔で、深刻ぶって頭を抱える。

「愛の、告白……?」

「はぁ?」

「ちょ! ユーリ!」

 ユリウスの隣でジルが真っ赤になって俯いているので、何だか自分でも妙なことを口走ってしまったかのような気持ちになってしまう。

「いや、僕は、だから……こういう風に街に出てくるのなんて、今まで無かったから……その……」

 何に対して言い訳をしているのだか分からない。ロディスはかぶりを振って気を取り直す。

「だから、もう、ユーリが曲解するからだよ。僕たち二人とも、今までジルみたいな友人はいなかったでしょ。だからさ、中々に貴重な経験だと思って。知らないことだらけで、とても楽しいし」

 せっかくうまくからかったつもりだったのにロディスが冷静に説明するので、ユリウスは面白くなさそうにむくれるが、やがて納得した表情に変わる。

「ふむ……まぁ、そういうことなら、僕だって友人が増えることは嬉しい。ジルだってそうだろ?」

「え……?」

「む、どうなんだよっ」

 ユリウスに急かされて、ジルは照れくさそうに口ごもる。

「え、と……僕は……勉強だけ出来ればそれでよかったけど……まぁ、その……悪くは、ない、かな」

 その言葉が彼なりの精いっぱいのイエスであることを、少年たちはよく理解していた。ユリウスは嬉しそうに頷き、ロディスは真面目な面持ちで受け止める。

「君は……本当に熱心なんだね」

「……法学校に進みたいんだ」

 街灯を受けて石畳に落ちる自らの影を見つめながら、少年はか細く、けれどきっぱりとそう言った。

「弁護士になりたい」

 昼間の、真剣だった横顔が思い出される。それは、ロディス達が持っているような甘くて曖昧な未来の予定ではなくて、切実で真摯な将来の目標だった。

 法学校といえばどこも難関だし、弁護士資格を得るのには、さらに険しい道が待っている。ペトルシキム・ギムナジアからも法曹界を目指す生徒は多いが、かなりの秀才でもなかなかに難しい道だ。

「君……」

 ロディスの顔がとても真剣なのを見て、ジルは安堵したように言った。

「……笑うかと思った」

「なぜだ、笑わんぞ。なあ、ロディ」

「うん。だけど、大変だよ」

「分かってるよ」

 無謀なチャレンジだからな、と、言いながらジルはにっこりと笑った。

 それはとても清々しい笑顔で……ロディスは、こんな顔で笑う少年を、初めて見たような気がしていた。

「弁護士なぁ。確か、アキームの母上がそうだったぞ、今度呼んでやろうか。試験のコツを聞いてみよう!」

「……ユーリはすぐそういうことを言う」


「王様すぎるよな」

「あはは、確かに」

「なんだいなんだい。僕だってジルのためを思って言ってるのに。友達甲斐の無い奴だ」

「そう思うんだったら、授業の邪魔をしにくるなよ」

「えー、邪魔なんてしてないって!」

 静かな通りに、少年たちの笑い声がこだましていた。


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