十六 ギムナジア《ロディス》2/2
「え……?」
「何だお前達、こんなところで」
青ざめた顔を付き合わせて唸っていた少年達に、呆れ気味に声をかけたのは、今いないと話題に上ったばかりのマルクだった。
アリサは元気そうな様子で、兄と手を繋いで……どうやら、これから帰るところのようである。
「アリサ……!」
ジルは少女に駆け寄って、すがりつくようにして肩を震わせた。
「わ、な、お前何だ! アリサに触るな……」
みすぼらしい風体の少年が突然妹に飛びついてきたので、マルクは慌てて止めようとしたが、
「お兄ちゃん、ジルはお友達なのよ」
アリサが得意げに制止した。
「ね、ジル」
「……っく……アリサ……よかった……」
ジルはとうとう泣き出してしまった。
何が何だかわからない。ロディスもユリウスも、それからレフとアキームも、呆然として見つめている。
「ジル、泣いちゃった? 私のこと、心配した?」
友人の涙声に、アリサは少し満足そうに笑った。
「……どこを探してもいないから……」
「ふふふ、ごめんね」
アリサの病気は外から見て分かるようなものではないのかもしれないが、それにしても、さっきまで苦しんでいた病人には見えない笑顔だ。
「アリサ、そろそろ行くぞ?」
マルクに促されると、アリサは泣いている友からあっさり離れる。
「うん、お兄ちゃん。じゃあ、ジル、また……」
「ちょっと、待ちなよ」
そう言って前へ出たのはロディスだった。
「アリサ、ジルに謝って」
「お前、何…」
「マルクは黙って。僕はアリサに言ってるんだよ」
有無を言わせぬ調子でマルクの言葉を遮る。声が冷たい。そこにいる皆が気付いた。ロディスが怒っている。
「嘘をつくのは良くないって、誰も教えてくれなかったの?
そして、その言葉に全員がやっと思い至ったのだ。
重い心臓病で、発作を起こした人間が、ニコニコと兄と手を繋いで帰路につくはずはない。これは、アリサの悪戯だったのだ。
「わ、私……そんな……つもりじゃ……」
そこにいた誰もが動けず、固唾をのんで見守っていた。
「謝って。でないと、帰るなんて許さない」
「ロディ……」
少女は、怯えて兄の影に隠れようとした。マルクは妹を庇おうと動くが、ロディスは許さなかった。
「アリサ。僕は君に言ってるんだよ」
細いアリサの手首を掴む。その力が強いのに、少女はますます恐ろしくなり、こぼれそうな大きな瞳にいっぱい涙を溜めて、乞うようにロディスを見上げた。
「発作が起きたって、嘘をついたんでしょう?」
「あ……の……」
「違うの?」
「そ……だけど……」
「そんなことをすればジルがどんなに心配するか、考えなかった?」
「だ……だって、ジル、すぐに帰っちゃうって、言うから……私……」
「君はもう大きいんだから、自分で考えないといけないんだ。そういうのは、君の体が他の人より弱いとか、そういうことは関係ない。君はジルと友達になったんでしょう、だったら、何を言えば彼が悲しむか、心配するか、困るか、嫌がるか……ちゃんと考えて、やっていいことと悪いことを区別しなくちゃいけない。僕の言ってること、わかる?」
ぽろぽろと涙をこぼすアリサに、ロディスは淡々と続けた。
「今日君がしたことは、やっちゃいけないことなんだ。だから、君は今ジルに謝るべきだ。でないと、もう友達でいてくれなくなるかもしれないよ」
怯えていたアリサだったが、ロディスが自分をいじめようとしてきついことを言っているわけではないことを、彼女なりに理解したようだった。口を閉じ、もう言い訳はしなかった。
「君は素直な子だから。わかるよね、アリサ」
少女は泣きながらコクリと頷いた。
暗い水面に外灯の光が映り込んで、ゆらゆら揺れる。
もう、すっかり夜だ。
「……二人とも、悪かったな」
ジルがポツリと言った。
静かになった庭で、少年が三人、並んでベンチに座っていた。
驚いたのと安心したのとで、アリサ達が去った後も、ジルは暫く泣きべそをかいていたが、やっと落ち着いた様子だ。
「別に悪くない。なあ、ロディ」
「……うん。今日は君、大変だったね」
ユリウスもロディスも、真面目な顔で首を振る。
「う……ん、まぁ、それは大丈夫。でも……サボっちゃったのが問題かな……」
ジルは泣きはらした顔で笑って、それから少し困ったように、持っていた鞄に目を落とす。
「サボった? ……というと?」
ロディスは首をかしげた。彼の仕事は夕方には終わっていたはずなので、今の台詞は不思議に思えたからだ。
「授業」
短く答えたジルだったが、ロディスもユリウスも今一つ呑み込めないといった顔で目をしばたかせる。
「……やっぱり知らないんだな」
それでも二人ともきょとんとしているので、ジルは仕方なさそうに苦笑しつつ答えを明かした。
「この学校には本科以外に、夜間クラスがあるんだよ」
言ってから、おもむろに膝の上に置いた鞄を開けて、中から何冊かの本を取り出した。
「数学と、化学……」
「ほんとだ」
「夕方、お前達の授業が終わってからはじまるんだよ」
「へぇ。知らなかった!」
「君はここには働きにきているだけだとばかり……」
考えてみれば、夕食の時間前には寄宿舎に戻ってしまうので、その後の学校のことはよく知らなかった。
「……夜間クラスは貧乏人の為に開かれているんだけど、うちはそれすら払えないから。昼間校内で働くことで学費を免除してもらってるんだ」
「昼間働いて……夜は、勉強?」
「まぁ、そういうこと。あとお前らの授業が無い休みの日には、時々昼間にも授業がある」
「へぇ……すごいな」
「うん。やっぱり君は偉い奴だ!」
ユリウスは感慨深げに言い、ロディスも深く頷く。ジルはそんな二人の顔をかわるがわる見て、それから、腑に落ちないといった様子で薄く笑った。
「……あのさ、いつも思うんだけどさ。どうしてお前らはそうなんだ?」
二人からの尊敬のまなざしを受けて、ジルはどことなく居心地が悪そうだ。
「普通さ、お前らみたいないいとこの坊ちゃんは貧乏人を相手にしないだろう? もっと、こう……偉そう、だったりするほうが「らしい」っていうか……」
「……」
当たり前のことを言ったつもりのジルだったが、ロディスもユリウスも無反応だった。いや、よく見ると考え込んでいるらしい。
「な。なんだよ」
二人の反応の真意を量りかねたジルは、訝しげに目を細める。
「……よくわからん」
帰ってきたユリウスの返答は、真顔でちょっと間抜けなものだった。
「うん。あ、でもユーリは普通に偉そうだよ。誰に対しても」
「え? そんなこと無い。断じて無い」
「あると思うけどなあ……まぁ、ジルが言ってる偉そうとはちょっと違うけどね」
ジルは黙って二人のやりとりを聞いていた。
「……あ、ねぇ、ジルの受ける授業って、どこの校舎であるの?」
「え? あ……お前らの授業をやってる建物は使ってないよ。東側の空いてる校舎」
「旧四年校舎?」
「たぶんそれ」
「おお! 見に行ってもいいかい?」
興味津々のユリウスは身を乗り出す。
「……別に見られて困るようなことはしてないけど、お前ら、邪魔するだろ」
「しないしない! 外の窓からちょっと覗くだけ」
「うーん……」
「なあなあ、いいだろうー?」
「うーん……」
夜間クラスで学ぶジルにとってみれば、このギムナジアの本科といえば『羨ましい』とすら思わないほどに遠い存在の名門校であり、二人が身に着けている制服は計り知れないほどに眩しいものだ。
けれどその後、ジルはそのことを口には出さず、三人はあれやこれや、他愛ない話をして過ごした。
夜間クラスの話題はいつの間にか教室の設備の話になって、それから机の話になって、机に置きっぱなしの教科書の話になって──そして何故か最近遊んだゲームの話になって、最後には、今日遊んでいたアキームのコンピューター・ゲームが面白かったのでまたやろう、みたいな話題に一応着地する。
庭師の少年はいつの間にか、ロディス達の前でよく笑うようになっていた。




