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十四 ギムナジア《ロディス》1/2

 翌日は晴天だった。一晩眠って多少軽くなった心を奮い立たせて、寮を出る。

 洗いたてのシーツを広げたような、しゃんとして雲ひとつ無い薄青の空、澄んだ気持ちの良い朝の空気、きらめく木漏れ日。授業ではなくて、どこかへハイキングにでも行きたい気分になってしまうような、そんな朝だった。

 教室へ入ると何やら騒がしい。

(あれ……?)

 生徒達が輪を作って、ワイワイと何か騒いでいるようだ。自分の席の辺りが人垣になっているので、どうしようかなと思いつつそれに近づく。

「じゃあ、この人は?」

 女の子の声だった。

 驚いて顔を上げると、声の主は椅子の上に立って、ロディスを指さしている。

 向日葵の花びらのような、眩しい金髪を高く結った、少し年下くらいに見える少女である。活発そうな大きな瞳が愛らしく、彼女の高い声が響いているせいか、教室が何だかいつもより明るく感じられた。

「……ああ、それはロディだよ。ロディス・カスタニエ」

 同級生たちが遠巻きに少女を囲む中、レフがにこやかにそう言ってロディスを紹介する。実家が近くて誰よりも頻繁に帰宅し、姉のいる彼は、この中ではたぶん一番こういう役目に向いている。

「ロディスね! 覚えたわ!」

「え……と……」

 元気よく言って愛嬌たっぷりに笑う少女に、どんな風に返せば良いか分からない。男子校の寄宿舎育ちのロディスにとって、女の子なんて未知の生き物だ。他の友人達と普通に接するので良いものなのだろうか。

「わ、男の子なのに髪が長いんだ。ブロンドっていうより殆どシルバーね、きれーい!」

 言いながら少女はロディスの方に、ひょいひょいと椅子を渡って近づこうとする。けれど、最後の椅子へ飛び移ろうとした時、長いワンピースの裾を踏んづけたまま足を踏み出してしまい──一瞬後にはぐらりと体が傾いて……

「わわわっ!」

 落ちてくる少女を助けようと咄嗟に手を出した。あおりを喰らって自分も倒れ、面食らいつつも受け止める。

「……大丈夫?」

 少女は想像よりずっと軽かった。きつく結わえた素直な金髪が、ロディスの手の上にフワリと落ちた。

「君の髪も、長くてとても綺麗」

「え……」

 見上げる少女の頬が、見る間に紅潮する。

「君、どこの子? 誰かの家族かなにかなの?」

「あの……」

 ロディスにのしかかる体勢のまま、快活だった少女が突然口ごもる。

 思ったままを口にしたつもりだったのだけど、何かまずかったのだろうか。


 そんな瞬間のことだった。

「妹に触るな!」

 突然、教室に悲鳴のような怒号が響いた。

 割って入ってきたのはマルクだった。

 怒鳴られる筋合いは無いのだけれど、何より目の前の少女を妹と呼んだことの方に驚いてしまった。

「妹……?」

「こっちへ来い、アリサ」

「お兄ちゃん……?」

 マルクは、ロディスの腕から奪い取るように少女を引き寄せ、じろりと睨む。

「妹には近づくな」

 どちらかといえば、一言礼くらいあっても良いところだと思うのだけれど、マルクにすればそうではないらしい。授業が始まるからと言いながら、妹の手を引いて教室を出ていってしまう。アリサは不満らしく、名残惜しそうにロディスの方を見つめていた。

 呆気にとられて眺めていると、レフが気の毒そうにポンと肩を叩く。

「朝から災難だな、ロディ。あの子、親父さん達の学会に着いてきたんだってさ」

 彼の家は、両親ともに大学教授なのだ。

「……マルクの妹?」

「そう。しばらく昼間は学校で預かるんだって。ほら、親父さんここの学校に顔がきくだろ。無茶言ったんじゃねーの?」

「ふぅん……」

 少女の柔らかい身体の感触を思い出しながら生返事を返す。何となく……面倒なことになりそうな気がしていた。




 翌日から、アリサは昼休みごろ学校に現れては兄達と食事をして、夕方までを校内で過ごした。

 日が暮れる頃に両親のどちらかが迎えに来ているようだ。兄マルクには授業があるのだから、一人の時間はかなり長いはずであるが、退屈している様子はない。

 神出鬼没の女の子の噂は瞬く間に学校中を巡り、休み時間になると彼女の行く先々、珍しそうに見物する生徒の姿が絶えなかった。

「……と、言うわけ」

 昼食をとりながら、ユリウスにも彼女に関するいきさつを説明する。ユリウスは興味深そうに頷いてみせた。

「ははあ。ついにこのギムナジアも託児所まがいの営業をするようになったわけだ」

「まあね」

「法律違反ってやつだな」

「それは……どうか知らないけど。とにかく、彼女にちょっかい出すとマルクがうるさいから、ユーリ何もしないでね?」

「別に何もしない」

「怪しいなあ……」

 言ってはみたものの、確かにユリウスは興味無さそうな顔をしている。こういう刺激的な事件にはいの一番に顔を突っ込みそうなものなのに。

「あ! ロディ!」

 甲高い声が響く。ロディスははっとして頭を隠すが、既に遅い。彼の銀色の髪を見つけたアリサが、楽しげな足取りでこちらに近づいてくるところだった。

「ロディ、見つけたわ!」

「アリサ……その呼び方、誰に?」

「レフに聞いたの。ふふふ」

 似ていない兄妹なのか、マルクはあんな調子なのに、アリサはすっかりロディスにご執心のようだ。どうやら、ロディスの長くて美しい髪と、紳士らしい物腰がお気に召したらしい。

「この前、ちゃんと話せなかったから、探してたの」

「僕と仲良くしていたら、お兄さんに怒られるよ」

「お兄ちゃんは関係ないです! 私、そーゆーこと気にしないから!」

「そ……そう……」

 僕は気にするんだけど、とは、まぁ言えない。幼い彼女は純真で悪気がないし、そんな彼女に自分は兄に嫌われていると明かして、わざわざ落胆させるのも申し訳ない。

「……随分気に入られてるんだな」

 隣で見ていたユリウスが、呆れた様子で小さく呟く。

「そうよ! っていうかこの人はだれ? ロディ」

 すかさずアリサが

「八年生のユーリだよ」

「ユーリ……?」

 少女はフムと一瞬思案し、それからポンと膝を打つ。

「あ、「ぼんくら王子」ね!」

「は!?」

 突然砲撃を受けたユリウスが情けない声を上げる。

「お父さんもお母さんも、そー言ってるわよ?」

「な……」

「大統領には、とてもふさわしくないんですって。なげかわしい、って、お父さんはいつもニュース見ながら言うのよ。あなたって、よっぽど駄目なのね」

「ちょ、ちょっと……」

 さすがに止めようとしたが、すでにユリウスの耳には届いた後だ。

「き……君なあ! 黙って聞いていれば……」

「あ! わーわーわー! 王子、ちょっと待った!」

 ユリウスが怒鳴り声をあげようとしたところに、彼女を探していたらしいレフが青くなって飛んでくる。

「うわー、王子! とりあえずタンマ!」

 いくらカチンときていたとしても、ユリウスはこんな小さい子を相手に本気で喧嘩をふっかけたりはしないと思うけれど、レフは随分と慌てていた。

「怒らないでやって下さい。っていうか、あんまり吃驚させたり怖がらせたりしないで……」

 オロオロとそう言いながら割って入る。当のアリサは、自分が初対面の相手になかなかの暴言を吐いたことは理解できていないらしい。きょとんとして首をかしげるばかりだ。

 マルクがやってきたのはその後だった。

「アリサ!」

「お兄ちゃん!」

「全く……薬飲んでないって聞いたぞ」

「あ……忘れてた、かも」

「かもじゃないかもじゃ。また倒れたら大変だぞ。ほら、来い。まず保健室だ」

「はあい……」

 しぶしぶ兄の手をとって立ち去る少女を、二人して呆気にとられて眺める。

 彼女を探して走り回っていたらしいレフは、汗をぬぐいながらロディスの隣に座り込んで、大きくため息をつく。

「よかったー……」

「……どうしたの?」

 ロディスが訊ねると、苦笑いのレフは額の汗を袖で拭う。

「いや、さ、俺もさっき聞いたんだけど、あの子、ああ見えて身体がすごく弱いらしいんだ。ナントカっていう、重い心臓病だって」

「え?」

「……ものすごく元気そうだったぞ?」

 意外な話に、ユリウスも憮然とした表情のまま話に混じる。

「俺もそう思いますけど。……でも、今は治療が成功してかなり普通の生活を送れるようにはなってるけど、薬が無いとすぐに倒れちまうよーな状態なんだとか。学校にも通ったことが無いって。ずっと病院暮らしだったみたいで。そういう理由もあって、ここで預かることになったらしい」

「ふぅん……」

 感心とも同情とも取れない声音で、ユリウスは唸った。

 あの無邪気な無遠慮さは、親しい家族以外の人間を知らないせいかと、ロディスは内心納得する。

「そういうことだからさ、ロディも王子も、悪いけどしばらくあの子の好きにさせてあげてよ」

 そういえば、アリサは声は元気だけれど決して走ったりしないし、抱き止めた時の身体は小鳥みたいに軽かった。レフが知らなかったくらいだから他に誰も知らなかったのだろうが、ロディスもマルクにそんな事情のある妹がいるというのは初耳だった。



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