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二 門の民

 列車が行ってしまうと、商人達は集まって荷物の整理をしはじめる。

 日に数回しか列車は止まらない。その間、彼らはモスクワへ行く方と、エウロへ戻る方の線路を行ったり来たりして商売をするのだ。

 渡り鳥の門の麓には、粗末な小屋が並んでいた。商人達が倉庫や寝床にしているのだ。小屋の中は薄暗く、雑多に荷物が積まれている。どれも売り物だが、管理はいい加減だ。

 そんな小屋の奥まった場所の一角に、ひとりの老婆が座り込んで、商人達の帰りを待っていた。足が悪いらしく、杖を持っていて、ボロボロの敷物の上にぺたりと座り込んだまま動こうとしない。

 やがて、重いワインの瓶を抱えた女が小屋に戻ってきて、老婆の元へやって来た。

「はぁ、重い重い」

 大げさに言って、大事な商品(正しくは商品というよりも、盗品である)を、割らないように気をつけて床に置いた。

「売れたかい?」

 老婆が尋ねると、女は上機嫌で腰に下げていた電子マネーの端末を振った。

「ああ、金持ちの子供がいてさ、高く売れた。でも、次はやっぱりワインはやめとこうかねぇ、子連れじゃ重くて仕方ないよ」

「売れたならいいじゃないか。この子のおかげだよ、成功報酬、はずんどくれよ」

「馬鹿言うんじゃないよ、冗談じゃない」

 言いながら背中に背負った赤子を下ろして、老婆に渡す。それから、袋の小銭をいくらか取りだして渡した。

「まいどあり」

 金を受け取った女は子供の顔をのぞき込んで、林檎のように赤く火照った頬をちょっと拭いて、そのまま側の床に寝かせた。赤子はぼんやり目を見開いたままで、ぐったりとして泣きもしない。

 ワインを売っていた女は、今日は店じまいだと言って出ていった。それから、しばらくするとまた別の女が赤子を連れて戻り、小銭と子供を置いて出て行く。

 二人の赤子は、この足の悪い老女の子や孫というわけではない。

 女は、子貸し屋なのだ。

 この子供らは皆、彼女が買い集めたものだ。荒野の商人達の小道具として貸し出され、自らの稼ぎのいくらか分のミルクを与えられている。


「おばあちゃん」

 不意に、小屋の暗がりから声がした。老女の隣に誰か座っていたらしい。

「何だい、ラフィータ」

「ちび、なまえ、まだつけないの?」

 幼子のような物言いに似つかわしくない、凛々と澄んだ声。

 薄暗い中、白い肌が浮かび上がる。そこにいたのは年の頃十四、五ほどの少年だった。亜麻色の髪をした、端正な美貌の持ち主である。

「自分で歩けるようになって、言葉を覚えるまで生きたら付けようかね」

「それって、いつごろ?」

「まだ三年もかかるさ。この子らはまぁ、無理だろうな。愛想が悪いから」

「……また、すぐしんじゃう?」

「たまには生き延びるのもいるさ」

「そうなの?」

「そんなもんだ。全部は死なないよ」

「ふぅん……」

 少年――ラフィータは、つまらなさそうにそう呟いて、泣きも笑いもしない赤ん坊の顔をのぞき込んだ。




 彼らがいつごろから「門の民」と呼ばれるようになったのかは、定かではない。

 そもそもはエウロ人でなく、不法にやって来たケープ難民が村を作ったのだとか、グラデーションズ教会領を追放された信者がベリス自治区を越えてやって来たのだとか、そんな風に言われることもあるが、本当のことを確かめようとする者はいない。境界付近は本来、カスタニエ公爵領であるが、価値の無い荒野に支配の手は全く行き届いてはいなかった。

 とにかく、北部境界のエウロ側には、いずこからか集まってきた最下層の貧民が暮らしている。住んでいた村を捨てて出てきた者、様々な事情により行くあての無い者、そして、そんな者たちが荒野で生んだ子供たち──渡り鳥の門の周囲に、寄り添うように暮らす彼らは、門の民と呼ばれた。

 整備された道も無い荒野、冷涼すぎる気候のせいでろくな作物も取れず、ささやかな自給自足すらままならない。

 目の前の自治区境界(渡り鳥の門)を超えれば豊かなトッカル自治区だが、越えることはできない。それでもここに暮らす。

 多くの者は境界を越えていく者相手に物売りをして生計を立てた。売り歩く商品は様々だが、大抵は不法に横流しされた品物や盗品だ。長時間の旅程の中、他に売店の無い場所での商売なので、案外簡単に売れるのだが、売り上げが全て彼らのものになるわけではなかった。門の民達の上には元締めがひそかに君臨しているからだ。

 しかし、荒野で生きる者たちにとって、商品を提供し、電子通貨で支払われた金を現金に換金してくれる「彼ら」の存在は、生き延びていくためになくてはならないものである。いつか金を貯め、よその土地へ移り住む為に必要な偽造移民許可証も、彼らから買うことができるものだった。

 貧民達は、いつか移民許可証を買って渡り鳥の門を超えることを夢見て、苦しい日々を生きていた。






 色あせた草がまばらに揺れる地平線に、太陽が沈む。

 ラフィータは、冷えた風が渡る平坦な大地に腰を下ろして、もう随分長いこと、桃色に染まった空を見ていた。老婆が店じまいをするというので、小屋を出てきたのだ。


貧しい者たちの命を奪う厳しい土地だが、この広い広い天に訪れる夕暮れは格別に美しい。

「風邪をひくぞ」

 頭上に落ちてきた低い声に、少年はパッと顔を上げる。

 昨日彼をここにつれて来て、明日戻ると言ったきり丸一日以上姿の見えなかった男が、前触れもなく帰ってきていた。

「ハビ、おはなし、おわった?」

「ああ。終わった。大人しくしていたか」

 男の名はハビ・エスピノサ。すんなりと癖のない茶色の髪に、緑色の目をした、まだ若そうに見える男だ。

「おばあちゃんのところにいた」

「子貸しのばあさんか」

「ん。ちびのせわ、てつだった。うたとか、うたって、あそんだ」

「そうか……よかったな」

 男は短く言って、踵を返す。

「そろそろ帰るぞ」

 少年は服の土を払って立ち上がると、ハビの後に着いて、彼の仲間が運転する、錆びたトラックの荷台に上がった。


 ラフィータは、覚えている限りハビと二人で暮らしている。

 自分が何歳かは知らないが、彼が今年で十五だと言っているから、そうなんだろうと思う。

 食べるものや着るものは、いつもどこからかハビが持ってきてくれた。

 そういうものだと単純に考えていたが、最近、子貸しの老婆からは、食いぶちを稼げとよく叱られる。確かに、彼女の所にいる五人の赤子も、己の稼ぎでミルクを得ているのだ。自分だってそうしなければならないのは、もっともなことに思われる。どうしたものかとラフィータなりに考えてはいたものの、サッパリあては無いのだった。

「どうした。酔ったか?」

 いつもならよく話す少年が黙り込んでいるので、ハビは怪訝そうに彼をのぞき込む。

「ううん。へいき」

 ゆるい笑顔を浮かべて、ラフィータは誤魔化す。

 夕闇が広い空を侵食しはじめ、風が夜の冷たさを含み始める。細い体をすり抜ける冷気に少年がくしゃみをしたので、ハビは荷台の毛布をとり出して、薄い肩に掛けた。

「風邪引くなよ、医者はいないんだから」

 男はぶっきらぼうだが、少年にはいつも優しかった。

「ハビは……どうして、ぼくをかった?」

 神妙な顔をして、ラフィータは疑問をぶつけてみる。母はいない。男のハビが子を産めないことくらいは知っている。だからきっと、自分はどこかで買ってきた子供なんだと思っていた。

「はぁ? 買う?」

 しかし彼は、思ったのと違う素っ頓狂な声を上げて、やれやれと肩をすくめた。

「……婆さん何を吹き込んだんだ。買ってきたわけないだろ」

「そうなんだ」

 目を丸くしたラフィータがまっすぐ己を見つめてくるので、ハビは困ったように眉をしかめる。

「お前の母親と……知り合い……だった。前にも言わなかったか?」

「そうだっけ?」

「……説明はしたと思うがな」

「じゃあ……あの、ね、ハビ、ぼく、もんのしょうにんになろうか?」

「は? ……今度は何だ」

「おばあちゃんが、おまえもいいおとななんだから、くいぶちをかせげって」

「婆さん……余計なことを」

 意地汚いが妙に世話焼きの所もある老婆を思い出して、男は苦笑した。彼女がラフィータに説教をしている様子が目に浮かぶ。

「お前に商売は無理だよ。赤ん坊背負って、兄弟のふりでもするか?」

「うん!」

「馬鹿」

「うう……」

 悩みに悩んで出した結論をあっさり否定されたラフィータは肩を落とすが、ハビはニッと笑って、少年の柔らかい髪を乱暴に撫でる。

「じき、俺達はあの集落を出るんだ」

 ハビの言った言葉の意味が、ラフィータにはわからなかった。集落の外には渡り鳥の門があって、門の向こうには荒れ地が広がるばかり。それ以外の世界を、少年は知らなかったからだ。

「お前の仕事なら、そのうちモスクワで探してやるよ」

 がたごと、がたごとと、デコボコの荒れ地を車が走る。

 彼らが仲間と共に渡り鳥の門を越えてモスクワに渡ったのは、それから、しばらく後のことである。

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