十三 渡り鳥《キリエフ》
おまたせぇ、と、接客用の甘ったるい声のまま、ミミが部屋に入って来る。
「……悪いな、飯まで」
「いいっていいって、マスターも喜んでるよ、ハビが来てからお客が増えたって。
ハビが店で演奏すると客が長居するので、店主は彼を歓迎していた。今日は夕食をふるまうと言って、上の部屋に通されたのだ。
酒場のカウンターにもまだひとつくらい空きはあるのに、そこでなくて二階なのを少し不思議に思ったが……ドアを開けて、この酒場の「もう一つの顔」を知る。
「……」
この部屋には食事がとれるようなテーブルは無く、テーブルどころかまともな椅子もありはしない。仕方なくひたすら存在感のあるベッドに腰掛けた。どうも、飯が旨く食えるような場所ではなさそうだ。
何をする場所なのかは聞かなくてもわかる。この化粧の濃い少女の仕事部屋だ。
「あー……うーん、ごめんねぇ。ここじゃ食べにくいかな」
「いや、それは構わない」
受け取ったプレートを膝の上に乗せて、暖かいパンをちぎる。さっさと食べて帰ろうと思ったのだが、口に運ぼうとすると、少女の白い手がそっとそれを押しとどめた。
手にしていたパンの欠片が皿に落ちる。ミミは男の手のひらを取って、節の目立つ指に唇を寄せた。
「あのね……マスターが、ハビには出来るだけ長く演奏に来てもらいたいって」
「……この街にいる間は、時々世話になるつもりだ」
「よかった……」
「あの楽器……何ていうの?」
「チェロだ」
「ふぅん……とっても優しい音。すてきね」
「……そうか」
「とってもすてき」
抵抗しない男の手をとって、その指を口に含む。最初は恥じらうようにおずおずと、やがて、深くくわえ込むように。柔らかい唇と舌が蠢いて、淫らな音を立てながらゆっくりと長い指を吸った。
「…………」
フワフワと揺れるウサギの飾りを、ハビは無表情のまま見下ろしていた。どうやらそこのプレートに乗った美味そうな食事ではなく、彼女の接待の方が、店主のもてなしのメインらしい。
やがて、少女は空いた手を男の身体に這わせ、布越しに太股を撫で上げる。
「……料理が冷める」
ミミの肩がプレートに触れて、カタリと食器が鳴った。
「あとで、暖め直してくるわ」
「俺をたらしこんでこいと言われたか?」
ため息交じりにそう言うと、ミミは少しむくれた様子で顔を上げる。
「……んもう、ハビってば不感症?」
「子供には欲情しない」
「あっ……ひどいなあ。ミミ、結構人気者なのにな」
「お前が可愛くないとは言ってないよ」
膨れるミミの頭にポンと手を乗せる。全くの子供扱いであったが、それで彼女は年相応の顔に戻ったようだ。パッと明るく笑った少女は、媚びた顔の時よりもずっと眩しく見えた。
「あ」
「……なんだ」
「笑った。はじめて」
ミミは嬉しそうに言った。笑ってないつもりはなかったハビだったが、彼は元々表情に乏しい。
「……そうだったか?」
「そうよ、ちょっと怖かったもん」
機嫌を直した様子で少女が膝に抱き付くので、食器がガタガタ揺れる。慌ててプレートを持ち上げて、男はため息をついた。
「やっぱり、ここで飯を食うのは違うな。悪いがこれ、包んでもらえないか?」
「外で食べるの?」
「腹を空かせて待ってる奴がいる」
「奥さん?」
「いや、子供かな」
「ふぅん。小さい子?」
「大きいような、小さいような……」
「あはは、なあにそれ」
「……本当にそんな奴だからな」
言ってハビは苦笑した。
「ふぅん……あ、ねえ、その……ハビ……」
自分の役目を思い出して表情を曇らせる少女に、男は苦笑する。
「分かってる。明日からも世話になるから。マスターには終わった(・・・・)って言っとけ」
「よかった……じゃあ、明日も楽しみに待ってる」
娼婦の少女は、そう言って嬉しそうに笑った。




