九 ギムナジア《ロディス》 2/3
「ああ……眠い……」
始業式と課題提出は午前中で終わり、ロディスとユリウスは寮の食堂を目指していた。そろそろ昼食の時間なのだ。特に朝を抜いたユリウスは、眠いのと空腹なのでぐったりうなだれて、爽やかな夏晴れの庭を歩いている。
「宿題、全部提出出来てよかったね」
「眠いー……」
さっきから彼はそれしか言わない。
「ランチを食べれば元気になるよ。君のことだから」
「や、むしろ絶対眠くなる。寝不足だから」
青白い顔で眩しそうに日差しを避けるユリウスを見て、ハッと昨夜のことを思い出した。
「……あ。そうだった」
「なんだいー?」
「ユーリさあ、どうして昨日は自分のベッドにもどらなかったのさ」
「昨日……? あ、ああ、昨日ね」
気のない返事は頼りない。空腹なだけでなく、二日酔いなのだろうか?
「頼りないなあ」
「食べてないからね、なにしろ。っていうか、昨日は君が悪いんだぞ、ひとりで勝手に床で寝てしまうから。酔うとあんなどうしようもなく起きないなんて、僕は迷惑したぞー」
しかし、出てきた事実は意外なものだった。いや、事実なのか?
「い……意味がわからないんだけど。起きないって……」
確かに昨晩の最後の方の記憶はないけれど。
(床で寝たって、僕が?)
「あーあ、ヤコフ、そろそろ戻ってるのかなぁ……」
昼食のメニューが気になるらしいユリウスは先に行ってしまう。
「ちょ、ちょっとユーリ、人の話を真面目に聞いて……って、あ」
言いかけた言葉だったが、視界によぎった人影のせいで途切れてしまう。
「何だ? ヤコフ?」
「違うよ。ほら……」
振り返ったユリウスに、ロディスは新しい話題のよぎった方向を指す。遊歩道の先の木陰に、見覚えのある人影がちらちらと動いている。
「あっ!」
背が低いせいで、庭木の裏に回るとすっぽり姿が見えなくなってしまうが、あれは――先日の少年だった。
「発・見!」
「ちょ、ちょっと!」
パッと顔色を変えて走りだそうとするユリウスを慌てて止める。
「いきなり行っちゃ駄目だって、前に言ったでしょう」
「そうだけど、もたもたしてたら逃げられる!」
「君、あの子を狩りの獲物かなにかと勘違いしてるんじゃない?」
「してないって。ああもう、大丈夫だから!」
そう言ってロディスの手を振り切ると、ユリウスは少年の方へ駆けていってしまった。
あの少年……ジルとは、この間少し話をしたのだと説明をする暇も無かった。あっという間にみえなくなる背中を見失わないように、慌てて後を追う。
学校の広い敷地は、じつにその半分以上を庭園が占めている。
手入れの行き届いた広い芝生の広場もあれば、ちょっとした浅い森のような遊歩道もある。だいたいどこも丁寧に手入れをされている、気分の良い庭だ。
「やっと見つけたぞ!」
「うわっ! お、お前は……」
突然茂みから現れたユリウスに、警戒の体勢をとって身構えたジルだったが――
「この間は驚かせて悪かった!」
「……は?」
開口一番勢いよく謝られて、呆気にとられた顔で間の抜けた声をあげた。
慌てて追ってきたロディスがユリウスに追いついたのが、丁度そのタイミング。謝るなら、もっとすまなさそうにすればいいのに。
「だから、すまなかった。仕事の邪魔をしようと思ったわけでも、びっくりさせようと思ったわけでも無かった」
堂々と謝るユリウスだったが、彼の言葉はまっすぐで真面目だった。
「君と友達になりたくて話しかけたんだ」
「え……」
意外な言葉に、ジルは目を見開き、ユリウスを見上げた。
「……友達?」
「うん。そう、友達!」
ジルはポカンとして返事を返せずに黙り込む。ユリウスは残念そうな顔をして、背の低い少年の顔を覗き込んだ。
「あれ、だめかい?」
「え? いや、その……そうじゃなくて。どうして……?」
ジルは小さくなって口ごもるが、ユリウスは彼の表情の変化に気付いていないように、明るく続ける。
「どうして? 変なこと聞く奴だな、君も。すごい偉い奴がいるなあーと思ってさ。話してみたいと思った」
「えっ、偉い!?」
「ああ、その年で大人と一緒に働いているのだろう? 尊敬するぞ、普通!」
こういう風に、人をはっきり褒める時のユリウスは、偉そうなのに少しも嫌みがない。それは確かに、彼の美点のひとつであるといえるだろう。ユリウスはそのまま、ニコニコ笑って続けた。
「ユリウスだ。友達はみんなユーリって呼ぶぞ。あと、こっちの可愛らしいのはルームメートのロディ」
ジルの返事を待たず、もう友達確定のつもりらしい。紹介されたので、ロディスはすいと前に出て微笑む。
「やあ、ジル、こんにちは」
「えっ?」
まだ聞いていない少年の名を口にした途端、ユリウスはハッとロディスを見た。まぁ、そうなるよねと思いながら、ロディスは苦笑する。
「この前、偶然見かけたから、彼と話をしたんだよ。説明しようと思ったのに、君、どんどん行ってしまうんだもの」
「な……何ーっ! ずるいぞ、そういうことはもっとあらかじめ……」
「ゴメンってば」
「むむむ……僕が一番最初に見つけたのに……」
せっかく今、彼にちゃんと謝って、友達になって欲しいと言えたところなのに、こういう言い方をしたら台無しなのだけど……ユリウスは、手柄を横取りされたとでも思っているのだろう。
「また君は人をそんな風に……」
「だって、面白いじゃないか。珍しいじゃないか!」
「ユーリ!」
「庭師の友人なんて、中々に貴重だぞ、ぜひ欲しい!」
「ご、ごめん、ジル……」
すっかり二人のペースに圧倒された様子で、ジルは二人の顔を代わる代わる見ていた。てっきり、今ので怒らせてしまうかなと思ったけれど、少年はぷいと横をむいて呟いた。
「……別にいい」
二人に、新しい友達ができた瞬間だった。
「よっ、おかえり王子、ロディ」
食堂へ行くと、昨日まで休みで不在にしていたヤコフが二人を出迎えた。
「ヤコフ! 戻っていたのか」
「おう。新学期だからな。俺が居ないと困るだろ」
食堂もすっかり活気を取り戻していた。プレートを受け取ったロディス達は顔見知りの生徒と挨拶を交わしながら、いつもの窓際へ座る。
「やっと友達になれたなあ!」
ユリウスはニコニコ顔、この上なく上機嫌である。
「いきなり友達扱いするのもどうかと思うけど、一応ね」
「えっ、もう友達だぞ」
「……君はそうだろうけどさ」
「そうだとも!」
新しい友人を作るのが大好きなユリウスだが、彼――ジルのことは、本人もそう言っていたように、よっぽど希有だとでも思っていたのだろう。ついさっきまで眠い眠いと文句ばかりだったのが嘘のようにはしゃいでいた。
「……あのさ、ユーリ」
「なんだい?」
今なら何を言っても喜んで承諾するような気がしたので、ロディスはかねてからの懸案事項である、あの話題を切り出してみることにした。
「僕、この間の鐘楼のことが気になってるんだけど……今度また、見に行ってみない?」
「えっ……」
勢いで首を縦に振るかなと思ったが、さすがにそれはなかったようだ。ユリウスは笑顔のまま固まってしまった。
「やっぱり怖いから嫌?」
「え……あ、と……別に、怖いというわけじゃなくて……」
言いよどむユリウスの顔に、はっきり怖いと書いてある。やっぱりなと思いながらロディスは続けた。もう少し押してみよう。
「僕、あの日見た人影、幽霊じゃないような気がしてるんだけど」
「……幽霊じゃない?」
「うん。だって、すごくはっきり見えていたし」
「は……はっきり見えたら、幽霊じゃないのかい?」
「や……それは、分からないけどさ。だからこそ、確かめてみたいなって。気になるんだ」
「そ、そうか……ま、全く、ロディは何にでも興味を持つなあ。あはは……」
このやせ我慢をうまく利用して、行く方向で乗せたいのだけど。
「こういうのは、幽霊なのかそうじゃないのかがはっきりしない方が怖いんだよ。そう言ってたのはユーリじゃない」
「えっ? えー……と……」
しどろもどろのユリウスはやっぱり鐘楼に行く気は無いらしい。まぁ、それならそれで仕方がない。
夜、ひとりで鐘楼へ行くとすれば――行くのは構わないのだが、ロディスには部屋に出入りするあの木をひとりで登ったり降りたりできるかどうかの自信が無い。降りたはいいが登れずに部屋に戻れないなんてことになったら最悪だし、そういう意味では、やはりユリウスも一緒に行って欲しい。
「ぼ、僕は、むしろ、幽霊がはっきり見える方が恐ろしいというか……あー、いや、怖いってわけじゃなくて、決して! そもそも、一度見えてるものを何度も確認するとか、そーゆーのは相手に失礼というか……だいたい幽霊だってさ、暇じゃないと思うし……そうなると、どう考えても、次行っても結局見えなかった、みたいなことになるわけであって……」
どうにかして連れ出せないものだろうか、と。ちょっと意地悪な考えを巡らせながら、ロディスは、行けない理由をへ理屈でまくし立てるユリウスのオーバーアクションに、彼の明るい金髪が揺れるのを眺めていた。




