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八 渡り鳥《キリエフ》

 どんな田舎町でも、夜の酒場といえばそれなりに賑わっているものだ。

 ある夜、その男は、ふらりと店に現れた。彼は店主と一言二言言葉を交わしてから、小さな椅子を持って店の隅の壁際まで行き、背負っていたハードケースを下ろすと――大きな楽器(チェロ)を取り出した。

 男が腰を下ろしていよいよ弓を構えても、週末の愚痴と自慢に忙しい客達ははじめ、誰も見向きもしなかった。場末の酒場に集まる客の、音楽に対する反応は、そのくらいで普通であっただろう。けれど、喧騒の中で彼はお構いなしに調弦をはじめ、やがて──

 それは、歌い始めた。

 力強い音は狭い店内を一瞬にして満たし、大声で笑ったり怒鳴ったりしていた客達の間を、あくまで優雅にすり抜け、そして──


 埃っぽい店の天井に、天使の羽のようにフワリと消えていく。

 愛想のなさそうな男の指から生まれるとは思えない程に、音は表情豊かに舞い踊る。時に軽やか、時に重厚。たった一台の楽器が奏でるメロディは、鮮やかで美しい情景を聴く者の心に浮かび上がらせた。

 男の演奏は、不思議と聴く者の心を捕らえるものだった。その場にいた誰もがひととき疲れや不満を忘れ、お喋りを止めて彼のチェロに耳をすませる。前を通りかかった者は思わず足を止め、やがて店のドアをくぐる。

 男が弾いたのはとても古い曲だった。店内に居る誰もがおそらく曲名はおろか、耳にするのも初めてであっただろう。

 しかし、いつの間にか店の座席が足りない程に集まった客は皆、静かに杯を傾けながら、男のチェロが奏でる豊かな音楽に耳を傾けた。


 次の日から、文化や芸術などといったものとはほど遠い下町の酒場で、夜になると時々、そのチェリスト――ハビ・エスピノサの演奏を聴くことができるようになった。

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