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一 渡り鳥の門

十三歳だった。


十三年間生きてきて

自分がまだまだ子供だってことはよく分かっているつもりでいたし

実際、子供の自分には出来ないことの方が多いことも知っていた。


でも、この時はまだ――

世界というのは、最終的には僕の味方なんだと思っていた。


それを

疑ってはいなかった。







一  渡り鳥の門




 赤みを帯びた土の目立つ、緑のまばらな平原を、列車は淡々と渡っていた。

 手前に見える草や岩が飛ぶように流れていく。もうかれこれ丸一日以上、人里らしきものを目にしていない。

 ただただ、延々と続くだだっ広い荒れた空き地。走っても走っても景色が変わらない。畑ではなく、森でもなく、人影どころか動物の姿すらない。たぶん、あの霞む地平線の向こうまで、何もない。

 けれど、雑草は皆新しい茎を伸ばしていたし、よく見ると、変わらないようでいて時々小さな白い花が群生していたりもする。夏の青空はちょっともったいないくらい澄みきっていて――これはこれで、悪くない風景のようにも思えた。

 ユーラシア大陸を四つに分けた自治区のうち、エウロとトッカルの北部境界は、そんな、荒野のただ中にある。

 帝都ジュネーヴを出発し、モスクワへ続く、ユーラシア大陸西部横断高速鉄道。モスクワでシベリア横断高速鉄道に乗り換えれば、ユーラシア大陸を横切ることもできる、大陸の重要な動脈のひとつであった。

 空路が市民に提供されることのない現在においては、鉄道は、裕福な者から貧しい移民、難民まで、幅広い層に利用される最も一般的な長距離移動手段であるといえる。

 その三両目にある一等車のコンパートメントに、制服姿の少年がひとり、行儀よく座って、窓の外をぼんやりと眺めていた。

「…………」

 青いリボンで束ねた、白銀にも見える灰金の髪。長い睫毛に飾られた青い瞳、すべらかな頬、端正な鼻梁に、ふわりと閉じられた桃色の唇。

 身じろぎもせずじっと動かない彼の姿は、一見すると女の子どころか、よくできた人形のようにすら見える。美しい少年だった。

 やがて、遠く行く手にポツリと立つ門が見えはじめると、僅かにブレーキの軋む振動が伝わってくる。列車が速度を緩めたようだ。同時に、通路を歩く足音が耳に入り、少年は車内に目を戻した。

「失礼いたします」

 個室の扉が横に滑り、車掌らしき男が姿を現すと、軽く一礼をして顔を上げる。それから、個室に子供がひとりなのを不思議に思ったのか、僅かに訝しげな顔で話しかけた。

「お嬢様、お一人で?」

「……そうですよ」

 少年は微かに不満げに目を伏せ、それから、傍らに置いた革の鞄から何やら書類と身分証らしきカードを出して、車掌に無言で手渡した。

「あ……と、これは、お坊ちゃんでいらっしゃいましたか。あんまり可愛らしいものだから、ついお嬢さんかと思いましたよ」

 まだ若い車掌は、僅かに媚びを含んだ笑顔をみせ、それから、誤魔化すような調子で言葉を続けた。

「フム、なるほど、これから学校に戻られると」


「長旅をおひとりとは、しっかりしてらっしゃる。その上、あのペトルシキム・ギムナジアに通うなんて、頭がおよろしいのですなぁ。ロディス……――」

 学生証に目を落とした車掌の言葉が途切れる。どうやら、彼の名前を読み上げようとして、驚いたらしい。

「ロディス……カスタニエ様」

 エウロ人らしい車掌は、ひどく慌てた様子で預かった身分証を差し出す。少年は、にこやかにそれを受け取った。

「はい」

 ロディス・カスタニエは今年で十三歳になる。

 古典的な封建制度でその体制を支えているエウロ自治区において、北東部の大半を預かる大貴族、カスタニエ公爵家の、一人息子であった。




 荒野にポツリと立つその門が「渡り鳥の門」と呼ばれるようになってから、かれこれ一世紀ばかり経つといわれている。エウロ・トッカル両自治区の境界線上にある主要な管理地区(ゲート)のひとつであり、本来は地名を冠した長い名前が付けられているのだが、今ではこの門をその名で呼ぶ者はとても少ない。

 モスクワへ至る唯一の線路の途中にあることから、エウロ北部の人間がトッカルへ移動する場合は、必然的に皆ここを通ることになる。

 境界を象徴する巨大な門。

 遠くから見ると、ただ門だけが荒野に立ち尽くしているように見える。

 昔はここに車が通れる道路も通っていたが、ロディスが生まれるずっと前に、自治区間の取り決めにより、廃線となったのだそうだ。

 だから今では、この線路を渡る列車だけが、鳥と共に区間境界を越えていく。

 北部境界とは、そんな場所だった。


 やがて列車の速度が緩まり、軋んだブレーキ音を立ててゆっくりと停車すると、どこからか人影が現れる。見るともなしに見ているうちに、幾人もが線路際に寄ってきた。どの者も薄汚れた箱を抱えている。どうやら、食料や簡単な土産物などを売りに来ている商人のようだ。

 この場所は駅ではないので、乗客は降りることはできないが、全員の自治区間移動許可証のチェックが終わるまでは停車することになっている。彼らにとっては商売にもってこいの時間なのだろう。

 買い物をするつもりはなかったが、窓の外は気になる。ロディスは商人達と目を合わせないようにしながらそっと外に目をやった。

 いくつか窓が開いて、そこで物をやり取りしている。金持ちを相手にしたほうがやはり儲かるのだろうか、商人の姿は一等車や二等車にばかり目に付いた。

 北部境界は何度も通っているけれど、こんなに大勢の物売りに遭遇したのは初めてのような気がする。ロディスは彼らが一体どこに住んでいるのか疑問に思い、きょろきょろ周囲を見回してみる。

 この場所は、行けども行けども荒野のまっただ中である。

 巨大な門の影に張り付くように、粗末な集落(集落といっても、立ち並ぶものは家というよりテントのように見えるので、キャンプと言った方が正しいように思える)が見えているのは、ここにいる商人達の家なのだろうか。

 こんな、門の他には何も無い所に、人が住んでいるなんて、ロディスの目には奇異に思えた。

 そんなことを考えつつ外の様子をうかがっていると、うっかり商人のひとりと目が合った。小さな子供を背負った女で、ロディスの顔を見て近づいてくる。

(えっ……)

 欲しいものなど無かったが、笑顔で窓を開けてくれとジェスチャーする女に、このまま無視するのも申し訳ないように思える。相手が幼子を連れた、みすぼらしい格好の女だというのも余計にそういう気分にさせる要因だろう。

 仕方がないので、恐る恐る窓を開けた。

「あの……」

「あれぇ、お嬢ひとりかい?」

 女は無遠慮に車内をのぞきこむと、大人の姿が無いことに残念そうな顔をする。

「はぁ……そうですけど……」

 返答に窮したロディスが曖昧に答えると、女はすぐに気を取り直したようにニコリと笑った。

「一等車で一人旅とは、さすが金持ちの子供はやることが違うねぇ!」

 言葉に嫌みな響きは無かった。汚れた顔の色はよく分からないが、痩せた女の笑いにはどことなく必死さが垣間見える。

「どうだい、両親に土産でも買っていきなよ。エウロのワインは最高だよぉ」

 僕は男なんですけどと、言い直すのも面倒かなと気を取られているうち、ずいと突き出されたワインボトルを思わず手にとる。家では見たことないラベルだなと思いつつ、ボトルをくるりと回してみた。

「親孝行のお嬢にだったら、五千マールでいいよ」

 女はこれ見よがしに子供をあやしながら言う。

「どうだい? 悪くない品だよ?」

(五千……)

 ボトルを受け取ってしまって、突き返すのには勇気がいる。要するに、彼女の術中にはまってしまったのだろう。

「ええと、支払いは普通にマネー(電子マネー)でいいの?」

「いいよ」

 高いのか安いのか全くわからない。けれど、線路脇に立って自分を見上げる日に焼けた女と、彼女の背で泣くでも笑うでもなくぼんやり明後日の方向を見ている幼子を見ていると、この怪しげなワインを買ってやらなければいけないような気になってしまう。

(僕の家はエウロなんだから、エウロ土産は要らないんだけど……)

 ロディスは里帰りを終えてこの列車に乗り込み、これから学校へ戻るのだ。

 けれど、そんなことこの女には関係ないし、だいたい、すでに買ってやらなければいけない気になっている少年にとって、説明する意義もなかった。

(……まぁ、いいか)

 家を出る時に渡されたマネーカードには金が入っているはずだから、彼女が口にしたワインの値段くらいの金銭は持ち合わせているはずだ。いくら入っているのかまでは確認していないから知らないけれど、五千マールくらいなら、迷うような金額で無いことは確かだった。

「お姉さん、ここに住んでるの?」

「へ? あたしかい?」

「うん」

「変なこと聞くお嬢だねぇ。ここには商売しにきてるだけさ。ま、一度来たらひと月も帰らないこともあるけどさ」

「ひと月も?」

「ああ。寝泊まりする場所があるからね。あたしらの村はここからしばらくの所にあるのさ」

「へぇ……」

 そんな所に人が住む村なんてあったのだろうかと思いつつ、小型のマネー決済端末を受け取り、五千の文字を確認してから、ディスプレイに浮かんだ決済承諾の文字に触れる。一瞬後には決済完了の画面に切り替わって、この怪しげなワインがロディスのものとなった。

「まいどあり!」

 女は嬉しそうに端末を受け取って窓辺を離れる。ようやく解放された少年は、ホッとしながらそそくさと窓を閉めて、他の商人に捕まらないよう、逃げるように座席を少し内側にずれた。そして、改めて購入したワインボトルを見る。先ほどの女の荷を見ていると、どう考えてもちゃんとした温度管理など望めそうにない。

(まぁ……別にいいけど)

 一昨年の年号が書かれたラベルを胡散臭そうに一通り眺めてから、瓶をそっと寝かせて鞄に入れる。間違えてその辺にぶつけたりしないように気をつけなければいけない。

 というか、これから学校へ戻らなければいけないのに、こんな所で酒なんか買ってしまって、どうしよう。向こうで宿舎の世話係にでも渡そうか。


 もう一度窓の外に目を戻すと、商人達は皆レールの側から離れ……重い振動が身体に伝わる。まさに、列車がゆっくり動き始めるところであった。

 窓の下の赤い大地が動き出し、商人達の姿が次々と流れていく。皆、列車を見送るようなことはせず、さっさと背を向けていた。

 列車は徐々にスピードを出しはじめ、巨大な渡り鳥の門がゆっくり行き過ぎる。

視界が急に開け――そこには、いつの間にかすっかり傾いた太陽の光が、青空を夜へと繋ぐ、オレンジから紫のグラデーションを描いていた。

 ロディスは思わず嘆息する。

 短い夏の夕暮れは、いつだってとても美しい。

 ここを出れば、あと一晩と少しでモスクワに到着だった。


久しぶりに投稿させていただきます。

舞台は未来の地球、寄宿舎もののジュブナイルサスペンスになります。

よろしければお付き合いください。これから頑張りますので、評価、感想よろしくお願いします。

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