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第9話 リンデンの木の下での再会を喜ぶべきかしら?

 中庭に出た私は、思わずため息を零してしまった。


 大きなリンデンの木には、乳白色の小花がわっさりと広がっている。木の下に立てば蜂蜜のような甘い芳香が漂ってくるし、初夏を迎えるこの時期は風邪も穏やかで心地いい。木陰でお茶を飲んだり本を読んだら穏やかな気持ちになるだろう。


 だけど、収穫をされた様子が全くない。これじゃ、ため息もつきたくなるわ。


 脚立(きゃたつ)を木にかけ、足場がぐらつかないか確認をする。そうして、籠の持ち手を腕にかけた私は軽い足取りでそれを登った。

 こんな姿をお母様が見たら卒倒するだろう。

 でも、ランドルフ侯爵家でも薬草園の手入れを手伝っていたし、こうして木に登るのは慣れたものだったりする。

 

 丁寧に花芽を摘んで、枝にかけた籠へと入れる。そう繰り返して作業を進め、どれくらい過ぎたか。


 少し離れたところから私を呼ぶ声がした。

 振り返ると、中庭の入り口にエミリーの姿があった。よく見ると、彼女の後ろには見知った武士の姿が二つ。


「あれは弥吉さん? と……春之信さん」


 いつぞや軟膏が欲しいといって現れた武士、弥吉さんはご機嫌そうだ。あの時の困り顔とは打って変わった様子ね。それと、彼の後ろからついてくる春之信さんは、いつもと変わらない静かな表情だ。


 木ノ上から見ていると、春之信さんがこちらに気付いた。目が合うと、彼は切れ長の目を少し見開く。

 もしかしなくても、私が木に上っているのを驚いているのかしら。女が木に登っている姿をみたら驚くのは、どの国も同じなのね。


「マグノリア様、お客様ですよ!」

「ぷれんてす殿! 以前はお世話になり申した」


 木に近づいてきた弥吉さんは少し驚いた顔をした後、そういって頭を下げた。


「ちょっと待っていてください。降ります」


 脚立(きゃたつ)の上から話しかけるのは失礼だろう。いそいそと地面に降りようとした私が、木の枝にかけていた籠に指を伸ばしたその時だった。

 脚立が、ぐらりと傾いだ。


 まずい、倒れる。──咄嗟(とっさ)に手を伸ばして枝を掴んだ直後、脚立が激しい音を立てた。すぐにエミリーの悲鳴が響き渡り、小鳥が飛び立った。


「マグノリア様! お怪我はございませんか!?」

「だ、大丈夫よ」


 私は木にしがみ付き、枝に足をかけた何ともみっともない格好で落下を免れることが出来た。

 ほっと安堵して見た先に、顔面蒼白なエミリーと弥吉さんがいる。春之信さんはどこかしらと思って探すと、すぐ横でガタガタと音がした。


 建て直された脚立の足元を、春之信さんがしっかりと押さえている。


「降りられますか?」

「ありがとうございます。あの……少し待ってください」


 木の枝に引っかけた籠の方を見やり、手を伸ばす。だけど、さっき手を伸ばした時に指先で弾いてしまったのか、籠はほんの少し遠ざかっていた。ひっくり返って摘んだ花が無駄にならなかったのは良かったけど、さてどうしようかしら。


 何度やっても、ほんのちょっと指が届かず、虚しく空を掴むばかりだ。もう少し頑張れば、届きそうなんだけど。


 指先をプルプル震わせながら伸ばしていると、私の体はぐんっとと後ろに引き戻された。


 肩が、とんっと何かにぶつかる。

 何事かと驚いて視線を動かせば、私の腰に見慣れぬ男の腕があった。さらに視線を上げると、そこに綺麗な春之信さんの顔があるではないか。


 切れ長の瞳が私を見ていた。

 睫の長さまで分かってしまう距離に、何とも言えない恥ずかしさが胸をざわめかせた。


「あれを取れば良いのですか?」


 春之信さんが静かに問い、武骨な指が指し示す籠を私は見やる。はいと頷けば、小袖に隠れた逞しい腕がちらりと見え、小さな籠はいとも容易く回収された。


「無茶をされる方だ」

「……すみません。助かりました」

「先に降りてください」


 籠を受け取った私は、促されるまま、脚立を降りた。


「マグノリア様、無茶をされないでください!」


 地面に足を下ろすと、泣き出しそうな顔のエミリーがしがみ付いてきた。その横では、脚立を抑えていた弥吉さんが私の顔を見て安堵の息をつく。


「ぷれんてす殿は、なかなかの()()()()ですな」

「……おきゃん?」

「活発で、男のような娘ということです。無茶は、ほどほどになされよ」

 

 脚立を降りてきた春之信さんが、ため息交じり教えてくれた。

 これはつまり、褒められていない……むしろ貶されていると受け止めるべきだろうか。

 別に、女として見て欲しいとか思っている訳ではないけど、複雑な思いが込み上げてくる。

 

「ご心配をおかけしました。あの、ところで、お二人は私に用があったのでは?」


 こほんっと咳払いをして尋ねると、春之信さんが弥吉さんを見た。


「この者が、薬師殿に礼を申したいと」

「……礼?」

「はい。そのついでに日誌の写しを、もう一冊お持ちしました」

「藤倉様の日誌!?」


 春之信さんが着物の合わせ目に挿していたものを取り出す。丁寧に紐で綴じられた書物だ。それを受け取った私は、さっそく捲った。そこには、春之信さんの綺麗な文字が綴られていた。


 私はすっかり、日誌に夢中になっていた。

 期待で胸をときめかせ、視線はすっかり手の中だったから、この時、私は春之信さんの表情の変化に気付けなかった。

 彼が目を少し細め、微笑むように私を見ていたなんて、全くね。


 早く日誌を読みたくてそわそわしていると、エミリーが手元を覗き込んだ。


「何が書かれているんですか?」

「藤倉のご隠居が、昔ストックリーと旅をした時の日記よ」

「ストックリー? マグノリア様の憧れの学者さんですね!」

「ええ。こんな貴重な書物を読めるだなんて、幸運だわ」


 日誌の中を見たエミリーは首を傾げ、よく分からないという顔をする。彼女は、恒和の言葉を読み書きできないし、興味がないのかもしれない。

 ふと顔をあげると、そこにいた春之信さんは、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。


「何度も申しますが、それほど貴重なものではございませんので」

「そんなことはありません。ストックリーと旅をされた人物は少ないので!」

 

 春之信さんは何を言ってるのかしら。

 ストックリーの書籍は数多あれど、彼と共に旅をした人の記録は少ないのよ。そんなの、お宝級の書物に決まっているわ。しかも、藤倉様が書き記したものとなれば、きっと、複製なんてものはないだろう。いくら春之信さんが書き写してくれた物といっても、扱いには気をつけないといけないわ。


 頬が緩むのを抑えきれない。

 胸にしっかりと書物を抱きしめると、横でエミリーが少し引き気味に、良かったですねと言った。


「先日頂いたものも、読めなかった場所があるんです」

「後で、ご説明します」

「ありがとうございます!」


 咄嗟に春之信さんの手を掴んで礼を言えば、切れ長の瞳が見開かれた。

 しばらく無言で見つめ合うようにしていると、春之信さんが低くいいえと呟く。


「……貴女を手伝うよう、お祖父様からもいいつかっておりますゆえ」

「本当にありがとうございます」


 喜びに打ち震えていると、横でエミリーがしみじみと「マグノリア様にも、ついに春が」とか何とか呟いた。

 何を言っているのかしら。お礼をするのに握手をするのは当然じゃない。


「マグノリア様って恋に興味がないと思ってましたが、意外と、大胆なんですね」

「え……?」

「やっぱり、素敵な殿方と出逢われていたんですね」


 にこにこと笑うエミリーの視線が、私の手に注がれた。

 いや、だからこれはお礼の気持ちを現したものであって、他意はないのだけど。──急に、自分の行動が気になりだし、ふと春之信さんの表情をうかがってみた。

 表情が固い。困っているというより、少し照れているようにも見える。


「……こ、これは! 違うんです。ごめんなさいっ!!」


 次第に、自分の行動が恥ずかしいもののように感じて、体温が一気に上昇した。耳の先まで熱い。きっと、今の私は真っ赤な顔をしているに違いないわ。

次回、本日17時頃の更新となります


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