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第8話 一ヶ月も過ぎると、異国での生活にも慣れるものだ

 いつかは白江城下に行きたいと思っている。

 白江城下の大名屋敷にストックリーが出入りしていた記録もあるし、彼が行ったという城下の書庫へも訪れてみたい。彼と同じように恒和の文化を隅々まで見て、歩けたらどんなに幸せか。


 頷くだけではこの期待に満ちた感情を表せない。

 大きく息を吸った私は、精一杯、恒和の言葉を発した。


「行ってみたいです!」


 藤倉様が、満足そうに笑った。


「では、一つ策を授けよう」

「……策?」

女子(おなご)であるマグノリア殿が、ただ行きたいと志願しても大名行列に並ぶのは難しかろう。だが、あちらが来いと申せば話は別だ」

「あちらから? あの、どういう意味でしょうか?」

「白江城下にある大名屋敷には、栄海藩の奥方が住まわれている。奥方がマグノリア殿に会いたいと申せば、殿も同行を許されるであろう」


 なるほどと頷いてみたものの、何をしたらいいのかさっぱり思い浮かばない。


 だって、その奥方様と私はお会いしたことがないのよ。私のことなんて知りもしないだろうし、異国の薬師に会う理由なんてないだろう。


 大名の奥方なら、専任の医者や薬師がいるに決まってるもの。

 つまり、特別な理由が必要ってことね。

 異国の女性を理由にするのはどうか。ううん、それも弱い気がする。私以外にもエウロパの女性はいるだろうし。会う機会だってあったと思う。どうしたらいいのかしら。


 私は随分難しい顔をしていたんだと思う。

 お茶をずずっと啜った藤倉様が、ふうっと深い息を吐いた。


「白江城下の女子の間で、花の露というものが流行っていてな」

「花の露?」

白粉(おしろい)を塗る前に使うものだ。女子だけでなく、役者や男もこぞって買い求めるそうだ」


 化粧水だろうか。

 恒和国では、化粧水は自宅で作ると聞いたことがある。だからこそ、お金を出してまで入手したいとなるには、それなりの付加価値が求められる。巷で売れている()()()()は、恒和で評判の本や浮世絵に描かれていたのがきっかけだって聞いたわ。


 私たち薬師は軟膏を塗る前に保湿液を使って肌を潤すようにと指導するし、魔力を付加した特別な保湿液を作ることもできる。商品開発も、業務の内ではあるから、特別なものを作ることも可能ではあるけど。


「異国のものが出回れば、話題になると思わぬか、ドワイト?」

「上物ができれば面白いことになりそうですな。良い商売が出来るかと」

「うむ。極上品となれば、殿に献上する機会を設けようではないか」

「え?……それって」


 もしかして、私に作れってことかしら。

 目をぱちくりしていると、藤倉様はしたり顔で笑った。


「どうだ、やってみるか?」

「……はいっ!」

「恒和の植物は詳しくなかろう。必要とあらば、屋敷にある書を使うといい」

「あ、ありがとうございます!」

「案内は春之信にさせる。いつでも尋ねて参れ」


 藤倉様がそう告げると、春之信さんは少し頭をたれた。

 この寡黙そうな人と会話が成立するのか、少し不安に思いながら「よろしくお願いします」とぎこちない恒和の言葉で声をかけてみた。すると、彼は切れ長の瞳を見開いて「こちらこそ」と応えてくれた。


 片言でも何とか言葉は通じそうだ。

 胸を撫で下ろしていると、藤倉様が何か思い出したようにして私を呼んだ。


「そうそう、マグノリア殿。文庫には、わしの日誌もあってな。ストックリーと旅をした頃のも残っておるだろう」

「──っ!?」

「わしの字は読みづらかろうが、よければ貸そうではないか」

「良いんですか?」


 前のめりになって尋ねると、藤倉様は上機嫌によいよいと頷かれた。


「分からないことは、春之信に尋ねればよい」


 こうして、私は商館での業務から離れて、大名への献上品を作ることになった。

 それだけではなく、ストックリーに関わる書物が読めるなんて、なんてラッキーなのかしら。


 嬉しさのあまり春之信さんの傍によってその手を握りしめ、もう一度「よろしくお願いします」というと、彼は少し引き気味になって驚いた顔をした。それから視線を握った手に落とし、微妙な間を挟むと静かに頷いた。




 それから、商館と藤倉のお屋敷を行き来する日々が続いた。一ヵ月も過ぎた頃には、春之信さんとも会話が出来るようになった。


 寡黙だと思ったいた春之信さんだけど、話しかければちゃんと答えてくれるし、恒和の言葉を教えてくれる時は親切丁寧だ。さらに、私がエウロパの共通語を教える時は凄い熱心で、会話も驚くほど弾んだ。

 二人で話しているとあっという間に時間が過ぎる。だから、会える日を待ち遠しく思うようになった。


 でもそこに、貴族令嬢の間で流行る劇的な変化やときめきは微塵もない。

 彼の静かな声に耳を傾けたり、無駄のない所作を見ているのは心地が良くてほっとする。揺さぶられようなものではない、不思議な安堵感だ。

 この感情は何なのだろう。


 思い出すと胸が少し苦しくなる。今朝も、それを振り払うようにして、私はドレッサーの前で書物──春之信さんが写し書きをしてくれた藤倉様の古い日誌を捲った。


 几帳面さが伝わる丁寧な文字を指でなぞりながら読んでいると、難しい言葉が出てきた。後で質問しようと思いい、ペンで印をつけながらほくそ笑んでいると、エミリーが声をかけてきた。


「マグノリア様、何をにやにやしているのですか?」

「え? にやにやなんてしてないわよ」

「していました! 藤倉のお屋敷で、何か美味しいものでも頂いたんですか?」

「何を言ってるのよ。私は調べ事をしに行ってるのよ」

「本当ですか? すっごく幸せそうな顔を……あ! もしかして、素敵な殿方と出逢われたとか?」


 ブラシを片手に鏡を覗き込むエミリーは、目を輝かせた。

 素敵な殿方という言葉に反応し、脳裏に春之信さんを思い浮かべた。でも、エミリーが想像する素敵っていうのと違うような気がするな。


 彼女の想像している殿方像は、本国で流行る恋愛小説に出てくる王子様だと思うのよね。キラキラと輝いて、鮮やかな薔薇が似合うような。でも春之信さんは、そういうのじゃなくて、真面目一辺倒で堅実な学者って感じよね。


「あ、図星ですね。どんな方ですか?」

「そうじゃなくて……エミリーが期待するような話じゃないわよ」

「それは、聞いてみないと分かりません! というか、紹介してくださらないんですか?」

「紹介って……」


 エミリーだって一度会っているし、それがパッと思い出せないってことは、やっぱり彼女の想像している出逢いではないのだろう。

 苦笑して、機会があればねと話を濁した時だった。扉がノックされ、どうぞと促せば職場の薬師が顔を出した。


「マグノリアさん、商品開発で忙しいと聞いているのですが、ちょっとだけ手伝ってもらえませんか?」

「薬の調合ですか?」

「それもですが、薬草摘みに手が回らなくて」


 少し疲れた顔をする薬師の男性は、わさわさと髪をかき乱してため息をついた。


「どうしてか、マグノリアさんの軟膏ばかり減りが早いんですよ。調合に人手を回したら、リンデンの花摘みが遅れてしまって」

「そういうことでしたら、お手伝いしますよ。他で代用が出来ないかレシピも見直しますね」

「助かります。では、今日はリンデンの花摘みをお願いします」

「分かりました。レシピは後でお持ちします」

「ありがとうございます」


 ぺこぺこと頭を下げながら、薬師は慌ただしく部屋を去った。


「なんだか、大変ですね。リンデンの花を使ったのって、特別な軟膏なんですか?」

「そんなことないわよ。他の薬師が出してるレシピで同じ効能のものもあるわ」

「うーん……マグノリア様のファンがいるとか?」

「何よそれ。薬師の名前を付けて売り出してる訳でもないし、そんなことないでしょ」

「え、でも! この前、マグノリア様の薬が欲しいって来た武士がいましたよね」


 エミリーの言葉で、春之信さんと初めて会ったあの日を思い出した。


口伝(くちづて)に、広まっているのかもしれませんね」

「私の薬じゃなくて、商館の薬として広まって欲しいわね」

「そうですね。私も後で花摘みのお手伝いにいきますね」

「助かるわ。ありがとう」

「いつまでも花摘みしていたら、藤倉の殿方とお会いできませんからね。頑張りましょう!」

「そうね……って、だから、そういうんじゃないのよ!」


 さらりと頷いてしまい、はっとした。そんな私をエミリーは鏡越しに見ていた。にやにやと口許を緩めている。

 分かってますよって言うけど、きっと分かってないわ!


 鏡の中で、すっかり髪が整えられた私が顔を赤らめていた。

次回、本日15時頃の更新となります


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