第5話 男装は恒和国の男性にも奇妙に見えるようです
目の前で口をぽかんと開いたままの武士は、小さな目を見開いて、横に立つ若い武士を振り返る。
「この女子は、な、何と申したのだ?」
「言葉が聞き取れないと……高羽殿が早口すぎたようです」
ゆっくりと話す彼は、私をちらりと見た。今、わずかだけど彼の言葉が聞き取れたわ!
どうやら私の言葉を理解してくれたみたい。
私よりもずいぶん若く見えるけど、そのいで立ちは間違いなく武士のものだろう。腰に刀を差しているし、着物もずいぶん品質が良く見える。年上の彼よりも家格が上なのかもしれないわね。
それにしても、二人ともとても艶やかな黒髪で、瞳も黒曜石のようだわ。恒和国の人って、本当に黒髪で黒い瞳なのね。
二人を見比べていると、年上の武士が首筋をしきりに擦った。
「ゆっくり話せば伝わるか?」
「あー……私が分かる言葉は、少しです」
「相わかった」
「ありがとうございます。……困っているのは、何ですか?」
「ここに大層効く軟膏があると聞いて参った」
「軟膏……薬ですね」
断片的に聞き取れた。どうやら、この武士は薬を求めているようね。それだったら、通訳を待たずに診療所の商館医のところへ案内した方が早いかもしれない。
「医者のいるところは」
方角を指差して、場所が違うと説明しようとすると、武士は「ぷれんてす殿を探している」と言った。
「今朝方、その者の薬が大層効くと聞いてな。しかし、医者にそのような名の者はいないと言われたので、困っておった」
「あー……えっと、多分それ、私です」
もしかして、入港時に役人へ渡した軟膏の話を聞いたのだろうか。
この商館にいる薬師でプレンティス家の者は、当然、私だけだ。似たような家名の者はいないはず。とすれば、ぷれんてすというのは私のことになる。いないといわれたのは、商館の通訳が私の名前を把握していなかったか、思い出せなかったのだろう。私は新参者だから仕方ないわね。
自分を指差して、ぎこちない笑みを口元に浮かべると、武士は目が飛び出るんじゃないかってくらいに見開いた。
「藤倉殿! 腕の良い薬師は女子だと聞いていたが、どう見てもこれは男子の装束であろう? もしや、騙くらかされておるのではなかろうか。それとも、板木殿の聞いた話が嘘ということか?」
「落ち着いてください、高羽殿」
早口でまくし立てる武士を、若い武士が宥めようとしてる。
それにしても、あまりの早口で、ほとんど聞き取れなかったわ。えっと、ふじ何とかって若い武士を呼んだことと、おなご──女の子って意味だったかしら──それと、騙す、騙される? そんな言葉を聞いた気がする。
あぁ、先輩からは、日常会話くらい大丈夫だろうって言われたのに、これでは全く話にならないわね。聞き取れないのは致命的だわ。
私が小さくため息をつくと、武士は口を閉ざしてこちらを振り返った。同時に、庭の植木に停まっていた小鳥がぴちちっと鳴いて飛び立っていく。
勇気を出して話しかけたものの、やっぱり、言葉の壁は高いわ。
疑わしそうに私を見るのは年上の武士。彼は低く唸った。
「まことに、そなたが……」
「マグノリア・プレンティスです」
「女子の作った薬とは聞いておったが……はて、異国の女子は裳を履いているものではないのか? あの娘のような」
困惑しながら何事か言い、武士は私の服をまじまじと見たかと思えば、エミリーの方に視線を向けた。
彼の言葉を半分も聞き取れなかったけど、この見比べられる感覚には覚えがあるわ。本国でも、同じようにひそひそと言う男たちがいたもの。
「あ。あの、マグノリア様……私、何か失礼をしたのでしょうか? 恒和の方々は、お怒りなのでしょうか?」
「違うわ。どうやら、私を探していたみたい。でも、私の格好を見て、人違いじゃないかって疑ってるのよ。女に見えないのかもね」
「……だから、ドレスをお召しになって下さいと言ったんです!」
ぷるぷると震えたエミリーは拳を握って声をあげた。これ幸いと、私にドレスを着せるつもりじゃないでしょうね。
彼女の勢いに気圧されながら横を見やると、武士達も一歩、後ずさっていた。
「その話はまた今度にしましょう。貴女の剣幕に、彼らが圧倒されてるわよ」
知らない言葉で怒鳴られたら、私だってたじろぐわ。例え、自分に向けられたものでなくてもね。
一つ咳払いをして、私は彼らに再び声をかけた。
「私は女で、薬師です。この姿は──」
動きやすいから男装をしているって、どう伝えたらいいのだろうか。言葉に詰まって、開きかけた口を引き結ぶ。服装の説明をどうするか、次までに考えておかないといけないわね。
それにしても、困ったわ。
言葉に詰まって小さく唸ると、若い武士が口を開いた。
「武家の娘が男児として育てられた話を聞いたことがあります」
「おお、なるほど。お家の事情で男児として育てられたという話は、私も聞いたことがある。相わかった」
何を言っているのか、さっぱり分からなかったけど、どうやら、若い彼が助け舟を出してくれたみたい。
眉間にしわを寄せていた武士は、ちらりと私を見た。にこりとも笑わないけど、敵意はなさそうね。
とりあえず、誤解は解けたみたい。
でも、この調子では薬を必要としている人が誰なのか、状態を知ることも出来なさそうね。やっぱり、医者のいるところに連れて行く方がいいかも。困っていると「お待たせしました」と声がかかった。
振り返ると、通訳の男性が立っていた。
もう少し早く到着してくれても良かったのよと、文句が口をついて出そうになった。当然、グッと堪えたけどね。
「エミリー、会計の人を呼んできてくれるかしら? 調合部屋で彼らの話を聞くことにするから」
「分かりました!」
「通訳さん、彼らが薬を欲しいといっています。通訳をよろしくお願いします」
「了解しました」
温厚な笑みを浮かべた男性は、武士たちに自分が通訳として間に立つことを説明してくれた。彼のおかげで、状況をすぐに把握することも出来た。
武士の話をまとめると──
「貴方が懇意にされてる蕎麦屋の娘さんが火傷痕を気に病んでいるから、その痕を治す薬が欲しいということですね」
「その通りです。どうにか出来ないもんですかね?」
「実際の痕を診た方が良いのですが……」
「やはり、そうですか」
困った顔で武士──高羽弥吉はつるりとした顎を摩ると、ため息をつくようにふんっと鼻で息を吐いた。
「見られたくないと言って、外に出ようとしないんです。無理に引っ張ってくることも出来やしませんしね」
「だから、薬だけでも。と言うことですか」
頷いた弥吉さんは少し視線を逸らすと、それにと話を続けた。
「火事に巻き込まれた蕎麦屋は、周りの助けもあって再起できたが、懐事情が良くなくてね」
「……支払いを心配している、と」
「そういうことです。三ヵ月前、火傷を負った時は薬がよくなかったのか、痕が残ったのでしょうかね。なんとかなりませんか?」
薬の出来というよりも、きちんとした処置をしていなかったのだろう。
恒和国では医者の診療は薬の値段の何十倍、下手をすれば何百倍もするそうだ。庶民のための診療所もあるらしいが、常に満員だって聞いたこともある。それを考えたら、医者に診てもらうのを諦める庶民がいるのも頷ける。
この商館にある診療所は法外な金額を請求しないんだけど、そういっても異邦人に診られるというのは、勇気がいるのかもしれない。
「私が払うと言ったら、そこまで世話をかけられないと、蕎麦屋の旦那も断ってきたんでね」
「だから、せめて薬を届けたいと考えていた時に、私の話を聞いたんですか?」
「はい。……蕎麦屋の娘は十五になったばかりでね。これから良い出会いもたくさんあるだろうに。私にも十を迎えた娘がいるんで、それを思うと……」
頷いた弥吉さんは切々と語った。
他人の娘まで思いやるとは、何という人の良さだろうか。これが所謂、人情というものか、はたまた親心か。出産どころか結婚すらしていない私には、到底想像もつかない心意気ね。
ふと首筋に視線を感じて横を見ると、話を聞いていた通訳も涙ぐみながら私に熱い視線を向けている。まぁ、同情したくなる気持ちは分かるわよ。
同情して傷跡が消えるなら、世話ないのだけど。
次回、本日22時頃の更新となります
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