第31話 おきゃんな私を、これからもよろしくお願いします
春之信さんと二人きりになった部屋はしんと静まり返った。
「側によっても、よろしいですか」
それまで黙っていた春之信さんの声に、どきりとした。どうぞと頷けば、彼は私と向き合うようにして座りなおし、額を畳に擦りつけるように頭を下げた。
「貴女の側を離れたのは、不徳の致すところ……本当に、申し訳ない」
「助けに来てくれたじゃないですか!」
「貴女を守れなかった」
「春之信さん……そんなこと、ないですよ」
私はハンカチに包んでおいた朱色の簪を取り出し、 顔を上げようとしない春之信さんの前に、そっと置いた。
「これがあったから、私、あの場を切り抜けられました」
「この簪は……」
顔を上げた春之信さんは、血で汚れた簪を手に取る。そうして、今にも涙を流しそうな痛々しい顔で私を見た。
「初めて人を傷つけました。でも……私はこの簪に救われました」
簪を握った春之信さんの手に手を重ねると、大きな手がぴくりと反応すると、熱い滴りが私たちの指先に落ちてきた。
「春之信さんは、これを見るのが辛いかもしれません。でも、私には大切な思い出です。だから……持っていていいですか?」
「……マグノリア殿が望むのであれば」
そっと彼の指が開く。
汚れた簪を受け取ってハンカチに包み直し、私はポケットに戻した。そうして、服の上から軽く叩いて笑う。
「もう一度、私に貴女を守る機会を与えてくださいますか?」
涙にぬれた眼差しが私を見つめていた。
よろしくお願いしますと返せば、春之信さんの大きな手が私の手首を掴んだ。引き寄せられ、しなだれるように彼の胸へと寄り掛かった私は、温かな手に抱き締められる。
「もっと、私を頼って下さい」
「……春之信さん?」
「どうすれば、貴女を恒和に繋ぎ止めることが出来るか、ずっと考えておりました」
耳に触れる声が熱を帯びているようだった。
優しい声に、全身が熱くなっていく。聞こえてくる鼓動は、私のものなのか。それとも、頬を当てている春之信さんの胸から聞こえてくるものか。
「マグノリア殿。これからも、私の側にいてください」
これは都合のいい夢なんじゃないか。もしかしたら、あの甘い香りが見せる夢の中にいて、都合のいい妄想が繰り広げられているんじゃないかしら。
一瞬考えたけど、春之信さんの胸から届く優しい香りが、これは現実だと教えてくれた。
「春之信さん……私……春之信さんが、好きです。ずっと、側にいさせてください」
少しだけ春之信さんの腕が緩んだ。そっと顔を上げると、見開かれた漆黒の瞳と視線が合わさる。でもまたすぐに、私の視界は彼の着物の柄で埋め尽くされた。
耳に優しい吐息が触れる。
「お慕いしています」
熱っぽい声が告げた言葉をかみしめて、私は彼の大きな背中に両手を回した。
こうして、盗人騒動はひとまず解決となった。
今回のことでターナー商会は恒和への入国許可書を取り下げられることになったと、ドワイト商館長が言っていた。それに、その後ろ盾でもあるスタンリー家もただじゃすまないだろうって話だ。
でも、ヘドリック・スタンリーはまだどこかに潜んでいる。もしかしたら、今もなお私を逆恨みしているかもしれない。
不安は残る。それでも私は、恒和国で春之信さんと生きていく。そう、心に決めた。
◇
あくる日のこと。
私は春之信さんと連れ立って、藤倉様の部屋に続く縁側を歩いていた。これから私たちは、藤倉様に心を通わせたことを報告する。
藤倉様は、春之信さんをよろしくと私にいった。でも、まさか恋仲になるなんて想像していないだろうし、歓迎してもらえるか考えたら不安になるわ。
エウロパ諸国に置き換えて考えたら、なかなかに凄い話よね。
国外の娘が突然現れて、そこそこお家柄の良い貴族子息が「国外の娘と一緒になります!」ていいに行くのよ。それも、春之信さんのお家は大名家に連なる武家。救いは彼が嫡子じゃないことくらいだ。
あれこれ考えると、今すぐ報告しないで、ちょっと様子見をした方が良いんじゃないかって気になる。
でも、春之信さんの良いところは真面目さだから、報告に行くと言い出したのを止めることは出来なかった。
前を歩く大きな背中を見つめ、彼の言葉を思い出す。
『貴女とのことを、隠したくはありません』
どうやら、春之信さんの中では黙っていることも隠していることになるみたい。
もしも知られた時、どうして黙っていたんだって大騒ぎになることもあるかもしれないわよね。それくらい、国外の娘と恋仲になるなんて珍しいだろうし。
報告と同時に怒られたりしないかな。
考えれば考えるほど不安になって、指先が震え出した。
だけど、私を迎えた藤倉様はしたり顔で「報告とはなんだ、春之信」とあっさり尋ねた。同席される春之信さんの父、啓義様は少し微妙な面持ちだけど、母であるお銀様はご機嫌なご様子だ。
これって、もしかして、分かっていている?
内心顔を引きつらせ、背中にびっしり汗をかいている私の横で、春之信さんは姿勢を正した。
「お祖父様。私、春之信はマグノリア殿を妻に迎えたく、その旨をお伝えしに参りました」
真摯な眼差しで、はっきりと告げた。
藤倉様がふむと頷けば、彼はさらに話を続ける。
「部屋住みの身でありながら、我が儘を申すこと、お許し下さい。私は……いかなることがあっても、マグノリア殿を守り、共に歩みたいと思うております」
首を垂れた春之信さんの横で、私も座敷に手をついた。
「藤倉様。恒和のことは知らないことばかり。作法も、武家のことも分かりません。それでも、お許しいただけるのでしたら、生涯、栄海のために精一杯、働かせていただきます」
精一杯の言葉で許しを請う私たち。
きっと藤倉様は許してくれる。そう分かっていても、恥ずかしさと不安で指先の震えが止まらない。
しばしの無言が、私の背を冷たくしていく。
押し寄せる不安の中、ずずっと、藤倉様がお茶を啜る音を響かせた。そうして、ほうっと吐息をついたかと思えば、大きな笑い声を上げた。
「はははっ! いやぁ、そうなるのではないかと思うていたが、予想を上回る速さだったな!」
驚いて顔を上げると、笑いながら膝を叩く藤倉様の姿が飛び込んできた。それから、頷いて微笑まれるお銀様と目が合いう。さらに横を見れば、啓義様が眉を下げて「まことに」と呟いた。
やっぱり、皆さんそろって分かっていたのね。
不安が吹き飛ばされ、もの凄いウェルカムムードにどっと恥ずかしさが込み上げてきた。さっきまで不安がっていた私って、バカみたいじゃないですか?
呆気にとられている私を見て、藤倉様はしたり顔となる。
「歓迎されるとは思っておらなんだか?」
その質問に大きく頷いて返答すれば、また大笑いされた。
「はははっ! 藤倉の嫡子であれば許すことは出来ないが、春之信であれば問題なかろう」
「……そう、なのですか?」
「わしは兼ねてより、異国とより深く繋がりをもった象徴が欲しいと思っていた」
「象徴?」
「そうだ。エウロパと繋がれば、この国はより豊かになる。その象徴だ」
突然の話に驚き、私と春之信さんは顔を見合った。
「この栄海藩は、国外との交易のおかげで潤っているが、それを疎ましく思う藩もある」
「疎ましく……」
「内陸の国元ともなれば、なおのことだ。ゆえに、ドワイトには今以上商売に精を出してもらって、恒和の国中にエウロパの良さを広めてもらわねばならん」
つまり、藤倉様は交易によって恒和国をより良くしたいということか。その邪魔をする者たちをどうにかするより、有無をいわせる隙を与えないくらい、商館の力を大きくしたいと。
「しかし、国外の者が大きな顔をすれば、反発も生まれるのではありませんか?」
「であるな。だからこそ、エウロパとの繋がりが富を生むと知らしめる象徴が欲しいと思っていた。わしとドワイトの友好では、そこまでたどり着けなくての」
苦笑を浮かべた藤倉様は、春之信さんと私を交互に見て頷く。
「二人が夫婦となれば、恒和国とエウロパ諸国の結びつきを表すに丁度良いとは思わぬか?」
藤倉様は、どこまで先を見ているのだろうか。
ただの薬師でしかない私に、何が出来るのか考えると、とてつもない不安が押し寄せてきた。
横に座る春之信さんを見ると、彼は静かに頷いて「心配はありません」という。
「私たちの繋がりがより多くの富となることを、必ず証明いたします」
「よくいった、春之信」
上機嫌で膝を叩いた藤倉様は、宴の用意だと声を上げた。すると、閉ざされていた襖が開き、お雪ちゃんとエミリーが飛び出してきた。
「マグノリア様、おめでとうございます!」
「お蘭様! 雪は嬉しゅうございます。お蘭様が、姉上になられるのですね!」
腕に飛び込んだお雪ちゃんを抱きしめ、胸の奥がきゅっと苦しくなる。
そうか。春之信さんと生きていくって……新しい家族が出来るってことなんだ。そんな当たり前のことに今更気付いた私は、ふと国の家族を思い出した。
お母様は歓迎してくれるかしら。
一抹の不安に押し黙ると、私の肩にそっと春之信さんの手が添えられた。
「お国のご家族にも、手紙を出さねばなりませんね。出来れば、一度お会いしに伺いたい」
恒和を出るのは難しいのだろう。少し申し訳なさそうな顔をした春之信さんは、私の髪をそっと撫でる。
そうよ。私は春之信さんと生きていくって決めたんじゃない。今更、親が恋しいとか言ったら、それこそお母様に笑われるわ。
「ありがとうございます。そうだ、皆さん写真を撮りましょう!」
目頭に浮かんだ涙を指先で拭って笑うと、首を傾げた春之信さんに「ほとぐらひ、とは?」と尋ねられた。
あれ、もしかしなくても、恒和国では魔導写真が知られていないのかしら?
「エウロパの魔道具で、鏡に映った姿を絵にすることが出来るんです」
この説明であっているのかな、と思いながら話すと、聞き耳を立てていた藤倉様が、一度撮ったことがあるぞと口を挟んできた。その横で、啓義様はあまりいい顔をされていない。もしかして、写真が嫌いなのかしら。お雪ちゃんは、面白そうといって大はしゃぎだ。
賑やかな中で、しばらく思案する様子を見せた春之信は、ふっと笑う。
「ほとぐらひ、興味深いですね」
「きっと、素敵な思い出になりますよ!」
この後、ドワイト商館長に色々と報告をして、写真を撮る用意をしてもらうことになったのだけど、初めての写真撮影に藤倉家は大騒ぎとなる。
出来上がった写真が海を越えて届くのは、ほんの少し先になりそうだった。
◇
春が訪れた。
風は少し冷たいけど、温かな陽射しの中で草木が芽吹き、藤倉の庭も可愛らしい花が咲き始める。
春之信さんが、一本の庭木の前で立ち止まった。甘く優しい香りが漂ってくる。
「マグノリア殿の花もそろそろ咲きそうですね」
「私の花?」
ふと見上げると、そこには白木蘭が蕾をつけていた。そういうことかと分かると自然と口許が緩んだ。
春之信さんと顔を見合って笑う。
「今思えば、私がマグノリア殿に惹かれたのは、あの木の下だったのでしょう」
「……あの木の下?」
「木に登る女子に会ったのは、初めてでした」
春之信さんの言葉で、リンデンの木に登って足を滑らせた日を思い出した。
おきゃんという言葉を初めて知った日でもある。そうだ、弥吉さんにそう言われて、その後、春之信さんも何度となく私を、おきゃんだと言っていた。
「……淑女の方が良かったですか? リンデンの下で本を読むような」
恥ずかしい姿しか見せていないような気がして、もじもじしながら問えば、春之信さんはゆっくりと首を横に振った。
「それはそれで絵になりそうですが。おきゃんだからこそ、目が離せなかったのです」
「……それって、恋心とは違いますよね?」
「そうですしょうか?」
「そうです。何だか、放っておけない子どもを見守っていたように聞こえます」
「近いものはありますね」
「ほら、恋というより保護欲ですよ」
ちょっと拗ねて唇を尖らせると、春之信さんは驚いたように目を見開く。
「保護欲と言われたら、そうかもしれません。ですが……」
私の頬に触れた春之信さんの指は、いつも変わらない温もりを伝えてくれる。そうして──
「行く水に数書くよりも儚きは思はぬ人を思ふなり」
いつぞやの和歌を口ずさんで、切なそうに微笑んだ。
「あの……不勉強で恥ずかしいのですが、その意味が私には分からないんです」
「行く水とは、川を意味します」
「川?」
さらさらと流れ行く川を思い浮かべる。そこに文字なんて書けないわ。
壱、弐、参……きっと、書きながらもその文字は崩れてします。書けたとしても、それは流されてしまう。なんて虚しいのだろう。──はっとした。
春之信さんを見上げると、彼は少し気恥ずかしそうな顔をしていた。
「……おきゃんな貴女を見守るうちに、私の中で保護欲が情欲に変わりました。客人の貴女に情欲を抱くなどあってはいけないと、己を諫めもしました。その時、ふと思ったのです」
いつもより、饒舌に語る春之信さんの指が熱い。
「貴女は私のことなど何とも思っていないだろう。そう思うと、この気持ちは虚しく儚いものだ……そして、行き場のない思いを和歌でお伝えしました。貴女が和歌を読めないと分かりつつ」
「……直接言ってくれたら良かったのに」
「それは少々、格好がつかないかと」
「そうですか?」
「貴女が思いを寄せてくれるとは、微塵も思っていませんでしたから。しかし、今思うと女々しい和歌ですね」
苦笑を浮かべる春之信さんは、私の頬に寄せた手を引っ込めようとした。それを遮るように、私は手を重ねる。
「ふふっ。確かに、春之信さんの印象とは少し違いますね。でも、そんな一面もあるって知ることが出来て、嬉しいです」
黒曜石のような瞳が輝いた。
わずかに眉を下げた春之信さんは「敵いませんね」と呟く。
「貴女は、どんな私でも受け入れるのですか?」
「そうかもしれません。だって……春之信さんも、おきゃんな私を受け入れてくれたでしょ?」
「マグノリア殿……これからも、貴女の全てを見せてくださいますか?」
「ふふっ、私、隠し事が苦手なんで、覚悟してくださいね」
ふざけて答えると、春之信さんはふっと笑って「それは楽しみだ」と言いながら、もう片方の頬にも手を添えてきた。
熱い手が頬を包み込み、私の顔をそっと上へと向ける。
少し上がった視線の先に、幸せに満ちた春之信さんの笑顔があった。
「これからも、よろしくお願いします」
「はい。これからも……お慕いしています」
綺麗な微笑みが近づいてくる。
あまりの近さに恥ずかしくなって、思わず瞼を下ろすと、柔らかくて熱い思いがそっと唇に触れた。
マグノリアと春之信さんが結婚するのには、まだまだ乗り越えなければならない事があります。マグノリアの行きたいといっていた白江城下にも、きっと物語があります。ですが、ひとまず完結となります。
いつか再開させることができましたら、その時はまた楽しんでいただけるよう執筆を頑張ります!
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