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お仕事大好き子爵令嬢は求婚から逃げて海を渡り、異国の地でキマジメ武士と恋をする  作者: 日埜和なこ


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第27話 愛逢月を見上げて思う

「お銀様、このような姿ですみません」

「お気になさらず。私こそ、おくつろぎのところ失礼します」


 そう言いながら持っていた包みを広げたお銀様は、朗らかに微笑んで、こちらをといいながら私に差し出した。

 包みの中にあったのは、白地の着物だった。藍色の縞柄の上に描かれている花は牡丹かしら。


「浴衣にございます。薬師殿にと思い、仕立てさせました」

「……ゆかた? でも、私は帯を締めるのも慣れておりませんし」

「振袖とは違い、楽なものでございます」


 にこにこ笑うお銀様の御好意を思うと、何と返したらいいか分からず顔が引きつった。

 また苦しい思いをするのはごめんだというのが、正直なとこなんだけど。

 お断りの文句を探していると、エミリーが目を輝かせて私を呼んだ。


「マグノリア様。きっと、コルセットよりは苦しくありませんよ!」

「エミリー……どうしてそんなに着せようとするのよ」

「どうしてって、勿論、マグノリア様に美しく着飾って欲しいからです。一度、着てみましょう!」


 こうして、エミリーの熱意に押し切られ、私は再び着替えることとなってしまった。もう何もしないぞ寝転がるんだと思っていたのに、何たる悲劇だろうか。

 春之信さんが一度退席すると、女中さん達が数人、部屋に入ってきた。


 浴衣の着方を学ぶエミリーは真剣そのものだった。私を着せ替え人形よろしく、練習をする未来が見えてくるわ。


 帯で締め付けられることを覚悟していたけど、その仕上がりに驚いた。


「……そんなに苦しくない」

「どうですか、薬師様」

「涼しいし、着心地が良いです」


 春之信さんがいないので、なんとか言葉を捻り出して、お銀様に応えると満面の笑みで喜ばれた。

 帯を締めていると言っても、振袖の時よりも生地が少し薄いのかもしれない。圧迫感は少ないし、コルセットのようにお腹を締め付けられない。背筋が伸びて気持ちがいいし、何よりも、浴衣の生地がとても軽くて涼やかだ。


「これでしたら、着ていられます」

「ようございました。今宵は二十六夜待(にじゅうろくやまち)です。そのまま夜更けの庭で月夜をお楽しみください」

「にじゅうろくやまち?」

「満月を拝む特別な日のことです」

 

 初めての言葉に首を傾げていると、春之信さんの声がした。振り返ると、そこにいた彼は濃紺の浴衣姿だった。


「正月と文月(ふみづき)の満月は特に美しく、その月光に三尊が現れるとも言われております」

「さんぞん?」

「阿弥陀、観音、菩薩……神とは違うのですが、人ならざる聖なるものです」


 エウロパにはない概念でしょうといわれ、うーんと首を傾げる。天使様のようなものなのかしら。恒和の宗教はよく分からないけど、自然の中に神々しいものを求めるのは同じなのかもしれない。



 春之信さんに手を引かれ、暗い庭へと降りた。

 夜空に浮かぶ輝かしい月は大きく、薄暗い庭の中、磨かれた石畳や白い灯篭が月明かりを浴びてぼんやりと輝いているようだった。

 春之信さんが手にする提灯の明かりは、もしかしたら必要ないんじゃないかしら。

 

「足元にお気を付けください」

「ありがとうございます。恒和の満月はとても美しいですね。明かりがなくても歩けそうなくらい、輝いています」

「そうですね。二十六夜待(にじゅうろくやまち)は特に美しいと云われています」


 春之信さんと並んで歩いていると、風がふわりと吹き抜けた。


「今宵は少し風が涼しいですね。寒くないですか?」

「大丈夫です。むしろ、心地良いです。恒和の夏は過ごしやすいですね」

「夏ですか……文月は、暦の上ではもう秋なのですが」

「え! そうなんですか?」

「国が違えば、季節もずれるということですかね」

「ふふっ、面白いですね。でも、そうするともうすぐ寒くなるんですね」

「ええ。こうして浴衣で外を歩くのも、もう僅かでしょう」


 そう言った春之信さんは、お銀様がもっと早くに浴衣を渡そうとしてくれていたことを打ち明けてくれた。だけど、私が振袖で苦労していたのを見ていた彼が、迷惑になるのではと言ったことで遅れたらしい。


「もう少し早く、お渡しすれば良かったです」

「そんな、気にしないでください。来年、また着ますから」

「来年……そうですね」


 少し驚いた顔をした春之信さんは、目を細めて笑った。

 薄暗い中で見える微笑みにどきりと鼓動が跳ね、頬が熱くなる。

 また来年もこうして一緒に月を見られたら。──言葉に出来たら良かったのかもしれない。だけど、とても気恥ずかしく感じた私は、慌てて話題を変えた。

 

「あ、あの! そう言えば、どうして文に月と書くのですか? この時期に文を書く風習でもあるのでしょうか?」


 我ながら、話しを変えるのが上手いと思ったわ。

 エウロパの月名は神様や皇帝の名前が由来だったりする。文月に当たるJulyは、暦を作ったジュリアスの誕生月が由来だったわ。風流な恒和の人たちだから、きっと、月の名前にもエウロパと違う考え方があるのだろう。

 春之信さんは、特に話題が変わったことを疑問に思わなかったようで、ああと相槌を打った。


「文月には七夕という風習があります。その時に、詩や歌を詠んだり書物を開いて干す習わしがあるんです。そこから文月となったといいます」

「やっぱり風流な由来ですね。エウロパの人々にもその風流さを学ばせたいものです」

「エウロパの呼び方は人や神の名が由来でしたね」

「自分の名をつけた人々は、どれだけ自己主張が強いのかしら」

「名を残すだけの人物だったということでしょう」

「そうでしょうか? それに比べ、時期の風習が由来だなんて恒和の人々は感性が豊かな証拠ですね」


 池の側まできて立ち止まると、春之信さんは可笑しそうに笑みを浮かべた。


「薬師殿は、本当に恒和がお好きなのですね」

「はい。大好きです! 訪れてさらに好きになってます」


 むしろ、私は生まれる国を間違えたんじゃないかって思うくらい、ここでの生活は楽しい。勿論、初めてのことばかりで、子どもみたいにはしゃいでいるだけかもしれない。本当に恒和で生まれ育ったら、エウロパに憧ていたのかも。だとしても、私は今がとても楽しいことに変わりはない。

 

「恒和でこうして過ごすのは楽しいって思うの、おかしいでしょうか?」

「いいえ。ただ……こちらにいられるのは、五年でしたか」


 春之信さんの声が少し寂しそうに聞こえたのは、私の気のせいだろうか。月明かりに照らされた横顔を見て、胸がきゅっと締め付けられた。


 そう、五年が過ぎたら私は恒和を去るかもしれない。

 忘れていた訳じゃないのに、改めて聞かれると、残された時間がとたんに短く感じられた。

 何といって良いか分からずに口を閉ざすと、私を見ていた春之信さんの瞳が切なそうに細められた。


「……そういえば、文月には他の呼び名もあるのですよ」

「他の呼び名、ですか?」

秋初月(あきそめつき)涼月(りょうげつ)


 話題が変わったことに少しほっとした私に、春之信さんは月の呼び名が、涼しくなった秋を表していると教えてくれた。


「それと、七夕月ともいいます」

「たなばた?」


 ええと頷く春之信さんは夜空を見上げた。それに釣られて見上げた先には、数多の星が煌めいていた。


「星に纏わる伝承です」

「星──今夜は月明かりが強くて少し見えにくいですが、あれはミルキーウェイでしょうか」

「恒和では天の川と呼びます」

「川の流れに(たと)えているんですね。素敵だわ」

「その昔、天の川を挟んで、機織(はたお)りの名人である織姫と働き者の彦星という牛飼いが住んでいたそうです」

「恋の物語なんですね」


 恒和の人はやっぱりロマンチックね。

 エウロパの伝説なんて、神様が赤子にお乳を飲ませようとしたときに飛び散った女神のミルクよ。有難みがあるんだかないんだか。そんなことを言ったら、神に仕える方々からお叱りを受けそうだけど、考え方によっては滑稽ですらある話だわ。

 国によっては見方がこうも違うのかと感心しながら、もう一度夜空を眺める。

 

「二人は夫婦となりますが、仲が良すぎて怠け者になってしまいます」

「よっぽど愛し合っていたのかしら。でも、働かないのはいけませんね」

「そうですね。それを怒った神は、天の川を挟んで二人を離れ離れにしてしまいました」

「……自業自得とはいえ、可哀想ですね」

「神も、涙を流す日々を送る様子を見て不憫に思ったそうです。真面目に働くなら、一年に一度だけ逢わせようと約束したそうです」

「それが、七夕の日ですか?」

「はい。なので……文月のことを、愛逢月(めであいづき)と呼ぶ人々もいます」

「めであいづき?」


 私が首を傾げると、春之信さんは提灯を足元に下ろし、私の手を取った。そうして、掌に文字をゆっくり書く。

 爪でなぞられるくすぐったさに、ちょっとだけ身をすくませ、手首を掴む手の温かさに鼓動が早くなるのを感じながら、私は掌に視線を落とした。


「愛でるは愛と書きます。そして、逢う。愛しい人と逢える月を表しています」


 やっぱり恒和の人はロマンチックだわ。

 胸を高鳴らせていると、春之信さんが少しため息を零した。


「一年に一度でも逢える距離でしたら、良いのですが。エウロパは遠いですね」

「……え?」

「いいえ、何でもありません。薬師殿、池に映る月も美しいですよ。橋の上に参りましょう」


 するりと離れていった手が、地面に置かれた提灯を持ち上げた。

 エウロパは遠い。春之信さんは、確かにそういった。もしかして彼も、私と逢えなくなることを寂しいと思ってくれているのかしら。そうであったなら嬉しい。でも、そうか……もしも、後ろ盾を得られなかったら、私は春之信さんと逢えなくなるのね。


 遠ざかる彼の背中を見て、胸の隙間を冷たい風が吹き抜けたようだった。

次回、本日13時頃の更新となります


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