第26話 庭の牡丹も霞む美しさ
髪をまとめて結い上げられ、仕上げとばかりに宝石やリボンがあしらわれたウィッグを装着させられる。これがまた重たいのよ。
その様子を興味深そうに見ていた女中さんが「豪勢な髢だこと」と呟いた。
「かもじとは、恒和の付け毛ですか?」
「え? あ、はい。髪が少ない者や、歌舞伎役者の方が使われます」
突然話しかけたことに驚いた様子の女中さんは、ゆっくりと答えてくれた。
「恒和の人は皆、髪が長いのだと思ってました」
「ほとんどはそうですが……髪が豊かであればあるほどよいと言われるので、皆、多く見せるのに必死でございます」
「ふふっ、エウロパと似てますね」
何だか可笑しくなって、ちょっとだけ笑うと女中さんも笑ってくれた。
最近では、こうして女中さんも話に応えてくれるようになったし、私も随分と恒和の言葉を使えるようになっているみたいね。慣れるものね。
そうこうして化粧まで終えた頃、春之信さんとお銀様が部屋を訪れた。
「なんとお美しいことでしょう」
感嘆の声を上げたお銀様は私の側によると、大切そうに抱えていた箱を女中さんに渡した。
「エウロパのお召し物を間近で見るのは初めてですが、ことのほか、華やかでございますね」
「恒和の振袖には劣ります」
「そうでございますか? ふふっ、無い物ねだりでございましょうかね」
上品に微笑まれるお銀様は、女中さんを手招き、彼女に持たせていた箱を開けさせる。中から出てきたのは、美しい銀の簪だった。花を模したその姿は華やかでいて、とても上品だ。
「お義父様から、薬師様の御髪に合う簪を揃えるよう言いつかりました。こちらをお使いください」
「よろしいのですか?」
「エウロパのお召し物に合えば良いのですが」
そっとかんざしを挿して下さったお銀様は、仕上がりを見ると、まぁと小さく声をこぼした。
その驚きはどちらかしら。
ドワイト商館長の思い付きで始まったエウロパと恒和の融合のような姿は、もしかして失敗なんじゃないのか。ガッカリさせてしまったか、あるいは、とんでもなく面白い姿が出来上がったんじゃないかと不安が込み上げてきた。
「あの……おかしいですか?」
「いいえ。そのようなことはございません。美しい御髪によう似合っておいでですよ」
にこにこと微笑むお銀様の横から、エイミーが遠慮がちに、あのと声をかけてきた。いつもなら黙っているのに珍しいわね。
「あの……こちらの簪も使えませんか?」
遠慮がちに差し出してきたのは、あの朱色の玉がついた簪だ。それを見た私の頬が少し熱を持つ。
「まあ、可愛らしい簪ですこと。エウロパにも簪があるんですね」
「いいえ、これは先日、春之信さんから頂いたもので……」
私が何気なく説明すると、お銀様は少し驚いた顔で春之信さんを振り返った。
一瞬の沈黙の後、春之信さんは少し頷く。
「霊孤泉に行った折、参道で見つけたものにございます」
「まあ。そうれはそれは……贈るなら、もっと良いお品を作らせたものの」
少し笑ったお銀様は赤い簪を手に取ると、銀の簪に添わせるように挿した。
「ふふっ。赤い蕾のようで愛らしいこと。春之信も、そう思いますよね?」
お銀様の楽しそうな声に釣られ、私は春之信さんを見る。すると、彼もまた私を見て、切れ長の瞳を眩しそうに細めた。
「まさに国色天香。庭の牡丹も霞む美しさかと」
朗らかに微笑む春之信さんの言葉に、頬が熱くなる。
それって、初めて振袖を着た日に藤倉様が言っていた言葉だわ。牡丹の花を表した言葉だって。でも、その牡丹すら霞むだなんて、ほめ過ぎよね。
モデルと言うから、じっと座っていないといけないのかと思っていた。
コルセットで苦しいから身動きするのも億劫だけど、椅子に腰を下ろしてじっとしているのも、内臓が圧迫されている感じがして苦しいのよね。
今、部屋では藤倉様が呼び寄せた浮世絵師が、筆をもって墨一色で私を描いている。
私の表情や仕草、簪や髪型、ドレスの形まで、様々なものを描いている様子は見ていて面白いわ。何枚も書いているのは、後で全体像を描くためなのかしら。
それにしても、筆一つで、あんなに多様な線を描けるものだとは知らなかった。エウロパでも絵描きが筆を使うけど、それとはまったく違う描き方だわ。
浮世絵師の手仕事に興味津々な私を見て、春之信さんは穏やかな笑みを浮かべた。
「面白いですか?」
「えぇ。エウロパの絵描きとはずいぶん違うなと思って。色は使わないのですね」
「彼は元になる絵を描くのです」
「元……ですか?」
「浮世絵は版画ですからね。その主線となる部分をまず描き、それを元に彫り師が板に線を彫ります」
「それから、色を付けるのですか?」
「版画はさらに色ごとに彫られ、それを重ねて刷るのです」
「とても大変な作業ですね」
驚きに目を丸くしていると、春之信さんは頷く。
「こうして描いてもらえるのは、光栄なことですね」
「きっと、素敵なものが出来上がることでしょう」
「ここまで苦しい思いをしてるのだから、そうあって欲しいです」
お道化ると、春之信さんは目を細めて笑った。
そうして笑い合っていると、お茶の用意に出ていたエミリーが戻ってきた。
「マグノリア様、お茶をお持ちしました。それと、お客様です」
「お客様?」
首を傾げると、エイミーの後ろからお雪ちゃんがひょっこりと顔を出した。
「お雪ちゃん! やだ、こんな姿を見られて恥ずかしいわ」
「何を言ってるんですか、マグノリア様。それがエウロパの正装でございますよ」
「で、でも……」
「本来でしたら、いつもの男装の方が恥ずべきお姿です」
笑って言うエミリーに悪気はないのだけど、さすがに直で言われると私だって傷つくわよ。
「お蘭様、とても素敵でございます!」
「そうかしら」
目をキラキラと輝かせるお雪ちゃんは、私の周りをうろうろと歩き回った。初めて見るだろうドレスに興味津々な様子だ。
私だって、恒和の振袖を初めて見た時は、その艶やかさに胸を高鳴らせたもの。まぁ、その後に着せてもらってから、美しさの裏にある苦しみまで体験してしまったけど。
「あ、あの……少しお召し物に触れてもよろしいでしょうか?」
もじもじしながらも尋ねるお雪ちゃんの可愛らしさに、どうぞと即答したら、春之信さんが顔をしかめた。
「薬師殿、雪を甘やかさないで下され」
「えっ、でも……興味をもつのは良いことですよ」
「しかし、お召し物に触れるというのは、如何なものでしょうか」
渋い顔をする春之信さんと顔を見合わせていると、私の陰に隠れていたお雪ちゃんが小さくぷっと噴き出した。
「お雪ちゃん?」
「ごめんなさい! でも……お兄様とお蘭様、なんだか、お父様とお母様みたいで、可笑しくて」
「──え?」
突然の言葉を理解できず、私は首を傾げる。春之信さんを見れば、耳まで赤くしているではないか。つまり、春之信さんと私が夫婦に見えたって言ったという理解で、間違っていないという……こと?
お雪ちゃんは、小さな手で顔を覆って無邪気に笑っている。
可笑しな空気になったからか、エミリーが不思議そうに「どうされましたか?」と尋ねる始末だ。
どうしたって、どう説明したら良いのかしら。
そうして、ドレスから解放されたのは夕暮れ時だった。
もう今日は何もしないぞと意思を固め、ナイトドレスに着替える。
「コルセットなんて滅べばいいのに」
「何を仰いますか。ウエストがきゅっと細いからこその女性美です」
「ナイトドレスは腰を締め付けなくても可愛いと思うわよ」
「それは寝る時に着るものですから、締め付ける必要がございません」
「昼間に着るドレスだって、締め付けなくても可愛いものがきっと出来るわよ」
ウィッグを外して髪を下ろし、化粧も落として一息つくと、やっとまともに呼吸が出来たような気がする。
「コルセットなしの物があれば、着て下さいますか?」
「それは無理ね。仕事をするなら、やっぱりいつものパンツスタイルの方が楽だもの」
「はぁ……そう言うと思っておりました」
私の髪を梳きながら、エミリーは大げさにため息をつく。どれだけ私にドレスを着せたいのかしら。
そうしてくつろいでいると、お銀様が尋ねてきた。当然、通訳も兼ねている春之信さんも一緒だ。
さすがの私も、いくら楽だからと言ってもナイトドレス姿を見られるのは恥ずかしい。慌ててショールを肩からかけたものの、顔から火が出そうだった。
次回、本日12時頃の更新となります
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