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お仕事大好き子爵令嬢は求婚から逃げて海を渡り、異国の地でキマジメ武士と恋をする  作者: 日埜和なこ


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第23話 霊狐泉の清らかな湧き水

 木漏れ日の下で、ふうっと息をついて額の汗を拭うと、春之信さんが先を行く武士たちに声をかけた。

 一同が立ち止まり、こちらを振り返る。

 

「少し休みましょう」

「そんな。皆さんに申し訳ないです」

「慣れない山道でしょう。無理をなさいますな」

「……私、足手纏いになっていませんか?」

「その様なことはありません」


 そう言う春之信さんは、少し大きな木を指し示す。飛び出した太い根っこが丁度よく座れそうな形をしていた。促されるままに腰を下ろすと、彼は腰に挿していた竹の水筒を差し出してくれた。


 ありがたく受け取り、水を一口飲むと同時に、心地よい風が吹き抜けて汗を冷やした。

 すうっと気持ちが落ち着いていった


「馬での移動も疲れていたのでしょう。先ほど、団子屋で休めばよかったですね」

「大丈夫です! 私、これでも体力はありますから」

「頼もしいことです。それにしても、馬にまで乗れるとは思いませんでした」

「一応、子爵家の娘ですから、馬術の心得もあります」

「そういうことでしたか。おかげで予定よりも早く進んでいますよ」

 

 だからこそ、休んで良いのだという春之信さんは肩を寄せるようにして、私の横へ腰を下ろす。すると、お供の人たちも思い思いに休み始めた。

 再び風が吹き抜けた。


 木々を見上げれば、青々とした葉が煌めいている。

 この道を行き来する人はあまりいないようで、少し前までいた賑やかな参道と違い、聞こえてくるのは木々の揺れる音や小鳥の(さえず)りだ。とても穏やかな時間が流れている。


 それにしても、真横に春之信さんがいるのが落ち着かないわ。こうして一緒の時間をすごしてることは嬉しいんだけど、触れる肩が気になってしまう。

 ちらりと春之信さんを見ると、彼は私の動きに気付いて、少し笑みを浮かべた。


「寄りかかってくださって構いませんよ」

「いいえ、大丈夫です!」


 そうはいえど、距離をとることも、そわそわする心を沈めることもできない。私は背筋を伸ばして、息を整えるのに集中するのが精一杯だった。


 一休みした後、再びゆるい上り坂を進んだ。

 その先に、赤い鳥居と石段が見えてきた。鳥居はずっと先までいくつも続いている。まるでトンネルのようだ。


「マグノリアさま、これはなんですか? エウロパでは見ない建造物です!」

「鳥居というのよ。この先は神域だと示すためのものらしいわ。春之信さん、そうですよね?」

「その通りです。薬師殿は、恒和の文化にも詳しいのですね」

「ストックリーの旅行記で読みました」

「本当に勤勉な方だ。では、進みましょうか」


 春之信さんは鳥居の前までいくと立ち止まり、頭を下げた。それに(なら)って私たちも頭を下げる。


「この先には何があるのですか?」

「先ほど参拝した神社の本殿です」

「ほんでん?」

「お祀りする神様のおられる(ところ)です」


 つまり、聖堂みたいなものかしら。

 そうですかと頷き返した私は、不思議な鳥居のトンネルを進んだ先で、再び感嘆の声を上げた。そこにあった小さな建物の周りに、いくつもの狐の置物があったのだ。もしかして、これが本殿なのかしら。


 春之信さんについて行き、再び見よう見まねでお詣りを終えると、私は周辺をぐるりと見渡した。

 木々の中にひっそりと建っている小さな建物の他は、目立った建造物は見られない。てっきり、豪勢な聖堂でも建っているのかと思ったけど、そうではないようだ。


「薬師殿、こちらですよ」


 声をかけられ、慌てて春之信さんを追う。


「先ほどのが、本殿ですか?」

「そうです」

「人が入れるような建物には見えませんでした」

「本殿は神がおわす処ですから、人が立ち入ることは出来ません」

「そういうものですか」

「はい。なので、人が参拝するための拝殿を大きく建てたのです」


 春之信さんは、少し大きな岩の上にひょいと登り、こちらを振り返った。その向こうに何があるのかと好奇心に駆られた私は、すぐ傍に寄って彼を見上げる。すると、大きな手が差し出された。

 岩に登るのを手伝ってくれるようだ。


 へこんでいる箇所に足をかけ、彼の手に指をそっと乗せた直後だ。力強く引き上げられたことでバランスを崩した私は、思わず彼に縋りつくような体勢となってしまった。


 心臓が跳ねた。

 恥ずかしさに慌て、春之信さんから離れようとしたのだけど、彼は当然のように私を受け止める。すると、彼の胸元から仄かな甘い香りが漂ってきた。


「滑りやすいので、お気を付けください」

 

 優しい声音がすぐ真上から降ってきて、私の鼓動はさらに加速する。


 はいとしか返事が出来ず、背中を支えてくれる手を意識してしまった。早鐘を打つ鼓動が、薄いシャツを通して彼に伝わってしまいそうで、どうしたら良いか分からずに立ち竦んでしまった。すると、春之信さんは「ご覧ください」といって木々の合間を指差した。


 木々の隙間から少し離れたところに見えるのは、先ほど立ち寄った神社と賑わう参道だ。小さい人影が動いているのもよく見える。

 

「とても素敵な眺めですね。神様も、こうして木々の隙間から覗いているのかしら」

「どうでしょうね」

「でも、神様はこの山にいるんですよね? 覗き見ないと、参拝客のお願いは聞けませんよ」

「神とは人ならざるものです。さて、目で見て耳で聞いておられるのか」


 くすっと笑った春之信さんは、ちょっとだけ木の枝を上げた。すると、青い空がよく見え、清々しい気持ちになった。


 こんなに素敵な景色だもの。神様だってたまには見ているんじゃないかしら。エウロパの神様にだって目や耳はあるし──あれ、でも私が見たことあるのは絵画や彫刻だわ。本当の神様に会ったことなんて、勿論ない。

 あの絵姿が本当に神様の姿だって、誰が証明できるのかしら。でも、もしも耳や目がなかったら、神様ってどうやって人々の願いを聞いてくださるのかしら。


 今まで考えもしなかった。神様に目や耳はあるのか問題に直面した私が小さく唸ると、春之信さんはまたふふっと笑った。

 私、そんな可笑しな顔をしていたのかしら。


 恥ずかしくなって顔を逸らすと、春之信さんは私から手を放して岩を降りた。

 

「神が覗いているかは分かりませんが、狐たちは木々の間から覗いているかもしれませんよ」 

「……狐?」


 大きな手が、再び差し伸べられる。

 おずおずとその手を取った私は岩から飛び降りると、ちょうど本殿が視界に飛び込んできた。その周辺にはいくつもの狐の置物がある。

 

「この山におわす神の使いは、狐だといわれています」

「神様の使い……では、あの狐の置物にも何か意味があるのですか?」

「あれは祈願者が奉納したものです。神の使いに願いを託すのです」

「そういう意味があったんですね。面白い風習だわ」

「さて、水源はすぐそこです。参りましょう」

 

 彼に手を引かれ、さらに奥へと進めば、木々の合間に大きな岩の洞が見えてきた


 清らかな風が吹き抜け、頬を撫ぜた。


 洞に近づくと、そこはそれほど深くないことが分かった。人一人がやっと入れる程度で、奥には小さな(ほこら)と狐の置物がある。岩壁からは絶え間なく水が流れ出ていた。


「こちらが、ここら一帯を潤す水源の一つ霊狐泉(れいこせん)です」

「これが……」

 

 持ってきたガラス瓶にとった清らかな水からは、まるで魔力のような力が感じられた。

 光にかざした水が、パチパチと輝いている。これで化粧水を作ったら、間違いなく最高のものが出来る。そう確信すると、自然と口元に笑みが浮かび上がった。


 湧き水を採取して帰りの石段を降り始めた頃、空を雲が覆い始めた。さっきまでいい天気だったのに、一降りきそうな厚い雲だ。


「急いで山を下りた方が良さそうですね」


 前を歩く春之信さんが低く呟いた。

 ぞくりと背筋が震えた。嫌な感じがする。敵意……いいえ、これは魔力!


「春之信さん!」


 咄嗟に叫んで、彼の背に手を伸ばした時だった。強い風が背後から吹き上がった。

 木々がざわめき、木の葉が散る。


 明らかな異変に、春之信さんと武士の皆さんが身構えた直後、足元の石段がガタガタと音を立て始めた。かと思えば地面が突き上がり、太い木の根が蛇のようにうねり出した。木々も大きく傾いで今にも倒れてきそうだ。

 このままでは、鳥居が潰されて道が塞がれてしまう。


「エミリー!」

「お任せください。──皆さん、走り抜けてください!!」


 声を張り上げたエミリーはすっかり臨戦態勢だった。両手をひらめかせ、瞬時に強化魔法を発動させる。

 この場にいる武士たちの全身から陽炎が立ち上がるのと、春之信さんが私を抱え上げるのはほぼ同時だった。


 石段を蹴り、駆け降りる。それを妨害するように太い枝が鳥居を叩いた。まるで鞭のようにしなる枝に、鳥居はミシミシと音を立てている。鳥居をなぎ倒して行く手を阻むように倒れ始めた。

 

 春之信さんにしがみ付くしか出来ない私は、この現象を引き起こしている張本人の姿を探った。きっと、どこかにいる筈だわ。ヘドリック・スタンリーの手の者、あるいは本人が。


 感じる禍々しいほどの強い魔力に寒気がした。

次回、本日20時頃の更新となります


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