第22話 マグノリアの身を案じる春之信
春之信さんは静かに頷くと、藤倉様と盗人について語り合ったことを打ち明けてくれた。
「薬師殿を香りによって酩酊させたということは、ただの鼠ではないでしょう。恒和の幻術師が関わっているかもしれません。しかし、お祖父様に上がってきた報告では、関所の記録に鼠の目撃どころか、怪しい出入りすらなかったそうです」
「……つまり、盗人は外に出ていないってことですか?」
「関所を越えずとも出ることは可能です。海を泳ぐか、あるいは……内部の者であれば、騒ぎに乗じて手引きするのは造作もありますまい」
「で、でも! そんなことをして何の得になるんですか?」
藤倉家は商館と大きな繋がりを持っている。その藤倉家に損害を与えたりしたら、常識的に考えて大問題だ。下っ端がやらかしたら、強制送還まっしぐらじゃない。盗みを働くことに何一つ、メリットはない。
「薬師殿を陥れ、得をする者が一人だけおります」
「……そんな、商館にそんな人はいません!」
「貴女に求婚をしていた男です」
衝撃の発言に、私は口を開けたまま動きを止めた。
私に求婚をしていた男って、ヘドリック・スタンリーのことよね。でも、彼が恒和に来たとしても、商館に入り込むことは出来ないだろう。そもそも、乗った船だって、栄海の港に着くとは限らない。
「だとしても、私を陥れることに得なんて……」
「得をするという言い方が納得できぬなら、報復と考えてみてはどうですか?」
「報復……」
「聴いたところによると、その男は薬師殿の後ろ盾となられている家門と、仲がよろしくないそうですね。身勝手な男であれば、自身の破滅を他者のせいにすることもありましょう」
「それって、ただの八つ当たりじゃないですか!」
「女人を侍らせ、無体なことをするような男と聞きました。であれば、自身の求婚から逃げて夢を叶えようとする貴女を快く思っていないでしょう。女のくせに、と」
眉間にしわを寄せ、いいにくそうに最後の一言を口にした春之信さんは、膝の上で固く拳を握りしめていた。
「はじめは、我が家のいざこざに巻き込んだのかと思うておりました」
「……いざこざ?」
「藤倉は大名に連なる有力な武家です。古くから国内外の交易船が停泊する関外を管理する役目を担っているおかげで、潤っているのも事実。それゆえに、取って代わりたいと思う者が現れるのは今に始まったことではありません」
エウロパでも、よくある話だわ。ランドルフ侯爵家も大きな港を抱えているため、他勢力と常に睨み合っているもの。そのバランスが崩れれば、戦争だって起きる。
藤倉家や栄海藩の裏事情は分からないけど、もしも、エウロパを訪れた春之信さんが私と同じような目に合ったら、私だってお家事情に巻き込んだかもって思うだろう。
「藤倉のことなら、お祖父様も手を尽くすことが出来ます。しかし、商館のこととなりますと……手を出すのにも、限界があります」
「春之信さん……」
「もしものことが起きてからでは、遅いのです」
厳しい眼差しが、真っすぐに私を見ていた。そこから真剣みが伝わり、胸がきゅっと痛んだ。
確かに、私も不思議に思う点はいくつもあった。その中で一番引っかかっていたのは、夜の施錠だ。
商館に入るためには表門と裏門がある。どちらも、施錠は魔法の鍵で行っている。その鍵で開ける以外は直接魔法を行使する必要がある。ただ、当番の者以外が魔法を使えば、警報が鳴る仕組みにもなっている。あの夜は、静かなものだった。
そもそも恒和国には魔法という概念がない。内部に手引きをする者がいなければ、夜に侵入は不可能だわ。勿論、施錠する前に忍び込んで息を潜めていたとも考えられるけど、そうすると、どうやって出ていったのかが問われる。
内部の者が手引きしたと考えると、腑に落ちる。だけど、だからといって大人しくしていたら、何もできないわ。
私は深く息を吸い、胸の前で手を握りしめた。
「……ヘドリック・スタンリーと繋がっている者がいたとしても、私は、じっとしていられません」
「薬師殿!」
「だって、いつかは捕まえなくてはいけないんですよ。ヘドリック・スタンリーは、もう上陸しているかもしれません」
「だからこそ外に出るのは危険なのです!」
「だったら、さっさと捕まえた方が良いじゃないですか。私、囮にでも何でもなります!」
声を荒げて言うと、春之信さんは目を丸くして動きを止めた。
守ろうとしてくれる彼には申し訳ないけど、私はチャンスを逃したくない。それに、邪魔をする男に負けて堪るもんですか。
春之信さんの漆黒の瞳を見つめ、静かに「お願いします」といえば、彼は深いため息をついた。
「私を、霊孤泉に連れていって下さい」
私が梃子でも動かないと分かったのだろうか。春之信さんは、もう一度ため息をつく。
「本当に、おきゃんで困る。……少し時間をください。供の者を揃えます」
「春之信さん……」
ありがとうございますと礼を口にしようとした時だった。春之信さんの手が、私の手に重ねられた。
「一つだけ、約束してください」
「約束ですか?」
「はい。決して、私の側を離れないと」
「……分かりました。お約束します」
手を握りあうと、春之信さんは真摯な眼差しで「この春之信が、薬師殿の御身をお守りいたします」と静かに告げた。
◇
早朝、馬に跨がり目指した場所は、賑わう町から離れた農村をすぎた先だった。山の麓にある馬宿で乗ってきた馬を預け、私たちはお詣りをするため大きな神社に向かった。入山祈願というものらしい。
神社に続く参道は随分と参拝客でに賑わっている。屋台も並んでいて、床几台と呼ばれるベンチのようなものに腰かけた人達は、お茶を飲んだり食事をしたりしている。ちょっとした観光地のようだ。
きょろきょろと辺りを見回して歩いていると、春之信さんが声をかけてきた。
「気になるものでもありましたか?」
「神様にお詣りすると聞いて、どれほど厳かな場所かと思っていたのですが、ずいぶんと賑やかなんですね」
「そうですね。ここは参拝を口実とした、一つの娯楽の場ですから」
「娯楽?」
「例えば、ほら──」
春之信さんが指さした先には、いくつもの旗が並んでいた。それには人の名前と思われる文字が書かれている。
「あの旗は何ですか?」
「のぼり旗です。あれは芝居小屋に出る役者の名ですね」
「お芝居が観られるのですか?」
「ええ。この神社の成り立ちなどを演目にしているそうです」
「食事が出来るところもあり、芝居が観れてお土産も買えるとなれば、立派な観光地ですね」
「神社の運営も何かと物入りでしょうから、あの手この手で参拝客を呼び込む努力をしているのでしょう」
春之信さんの説明になるほどと思い、ふと馬宿のあった辺りを思い出す。あの辺りも随分と賑わっていたから、この神社の恩恵というのは周辺に住む者たちにとって大きいものなのだろう。
露店に並ぶ色とりどりの簪や櫛が目についた。思わず足を止めると、春之信さんに立ち寄りますかと尋ねられた。
「……いいえ。今日の目的は霊孤センの湧き水ですから」
「簪は、お守りでもあります」
「お守り?」
断った私に構わず、春之信さんは露店の前に歩み出た。その中にあった、朱色の玉が先端についた簪を手にする。そうして、「これをいただこう」といった彼は、さっさと支払いを済ませると、私に向き直った。
「失礼つかまつる」
そういって、彼は私の髪にそれを挿した。
「私ではうまく挿せていないかもしれますん。侍女殿に直して頂くと良いでしょう」
「あ、あの、春之信さん、これは……」
そっと簪に触れると、彼は静かに微笑んだ。
「朱色には魔除けの力が宿るといいます。貴女を守る誓いとして、受け取って下さい」
生真面目な春之信さんらしい、所謂けじめといものなのだろうか。
理由はどうあれ、突然の贈り物を嬉しく思った私の頬は、自然と火照りを覚えた。きっと、この赤い簪に負けず劣らず、顔が真っ赤になっているわよ。
エミリーが手早く髪を結いなおして簪を挿し直してくれる間、頬のほてりが静まるのをただただ祈った。
お詣りをすませた後、私たちは賑やかな参道からそれた道をしばらく進んだ。それは、神社の裏手にある山へと続いていた。
山道は踏み固められているとは言え、でこぼことした木の根や石ころが転がっていて、歩きにくさ満点だ。
そんな中、春之信さんやお供として来てくれた武士の方々は、平然とした顔で歩いている。皆さん履いているのは藁で編まれた草鞋というものだけど、擦れて痛くないのかしら。想像するだけでも痛そうだわ。
「マグノリア様、リスがいましたよ! 恒和にもいるんですね」
「本当だわ。豊かな森なのね」
「あれはブナの木でしょうか」
田舎育ちのエミリーは、山を歩くのが好きなのかもしれない。生き生きとした表情で周囲を観察している。
私はといえば、少しだけ息が上がっていた。薬草園の手入れで土いじりは慣れているけど、こうして山を登るのはそう滅多にないから、無理もないけど。
次回、本日19時頃の更新となります
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