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お仕事大好き子爵令嬢は求婚から逃げて海を渡り、異国の地でキマジメ武士と恋をする  作者: 日埜和なこ


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第21話 花の露に足りないものがある?

 部屋がしんっと静まり返る。

 頬がじわじわと熱くなっていくのが分かり、私の頭の中は真っ白になった。


 だって、まさか私に似合うって基準で、春之信さんが意見するなんて思っていなかったもの。これは、どう切り返すのが正解なのだろうか。

 返事に困っていると、お雪ちゃんが首を傾げた。


「……お兄様、何と言ったのですか? エウロパの言葉では分かりませぬ!」

「男が使うなら爽やかな柚子の香りだが、薬師殿に合うのは茉莉花でしょうと」


 再びさらりと言ってのける春之信さんの言葉を聞いたお雪ちゃんは、一瞬きょとんとする。お銀さんと志乃さん、それに女中さん達も動きを止めた。


 ここにいる全員が、春之信さんの真意が分からずにいた。

 だって、真面目一辺倒な春之信さんだもの。そう言った浮いたことを言うなんて誰も思わないじゃない。


 いや、真面目一辺倒だからこそ、彼にはそういった甘い意図はないのだろう。純粋に、私に合うのを考えてくれたと考える方が自然だ。自然だけど……考えを巡らせる私の胸を締め付けるに十分な言葉だった。


「あ、あの……恒和の方に売るものですから、私では参考にならないかと」


 あわあわとしながら返事をすると、春之信さんは茉莉花の瓶を手に取った。そして、それを私の手に乗せる。

 

「もし()()()()()に贈るのでしたら、こちらを選びます」


 好いたという言葉に、どきんと鼓動が跳ねる。

 待て、私の心臓。勘違いをしているんじゃない。


 春之信さんは(たと)え話をしたのよ。別に私を好きだと言ったわけじゃないわ。そうよ、好意にだって色々な意味があるじゃない。家族だとか、友人だとか。商品を贈る相手が、恋仲の相手とは限らないわ。ほら、奥様が大好きな弥吉さんだったら、きっと奥様のために買うわ。きっと、春之信さんは多くのことをひっくるめて考えて──私ったら、何を焦っているのかしら。


 困惑しながらエミリーを振り返ると、目を細めて笑っている姿があった。今にも黄色い声を上げそうな顔だ。


「お兄様、今度は何を言われたのですか?」

「好いた相手に贈るなら、あちらだと言ったのだ」

 

 一瞬の静けさの後、その場にいた全員が声を揃えて、()()と驚きの声を上げた。

 皆で驚いているということは、やっぱり、彼の言葉が意味深に聞こえるってことよね。

 

 でも、真面目一辺倒な春之信さんよ。そうよ、アドバイスをしてくれただけ……よね?

 ただただ困ってしまった私は「ご意見ありがとうございます」と返すのが精いっぱいだった。


 残った花の露は、お試し会に来られなかった女中さんへと渡してもらえるよう頼み、今日は解散となった。


 

 予想外に春之信さんの意見を聞けたことに、未だ鼓動の早まりを感じつつ、私は戻った部屋でレシピ帳を開いた。


 どちらも高評価だった。

 嬉しいけど悩ましいわ。こうなったら、ドワイト商館長に両方とも提出してしまおうかしら。材料の調達とか、予算的な問題とか、色々踏まえて商品化しやすい方を選んでもらってもいいわけだし。

 

 取り分けておいたサンプルの小瓶を開けると、華やいだ香りがふわりと広がった。


 これでいいと思うけど、少しだけ何かが足りない気もするのよね。その何かがいまいち分からないし、皆さんからは不満の声はなかったから、問題ないわけだけど。

 首をひねっていると、エミリーがお茶をもって部屋に入ってきた。


「マグノリア様、お疲れ様でした。お茶をお持ちしました」

「ありがとう。いただくわ」


 レシピ帳を閉じてエミリーと向き合うと、彼女は意味深な笑みを浮かべる。あ、これはさっきのことを突いてくるパターンね。


「春之信様ったら、大胆ですね。皆さんの前で、愛の告白をされるだなんて」

「……そういうのじゃないと思うわよ」

「でも、マグノリア様を好きな人といってました!」

「あれは好意のあるって意味でしょ」

「ええ。つまり、恋仲になりたい相手へ贈るプレゼントを選ぶならって話ですよね」

「飛躍し過ぎよ。でも、まあ……そこに引っ掛かってはいるのよ」

「愛の告白ですから、気にしない方がどうかしてると思いますよ」

 

 だから、どうしたらそういう話になるのよ。

 両手を合わせて、満面の笑みを見せるエミリーに大きくため息をついた。


「……百歩譲って、春之信さんが私に贈るならって意味で言ったとするわよ」

「譲らなくても、そういう話です」

「話の腰を折らないでちょうだい。もしそうだとしても、譲渡品には茉莉花の方が相応しいと判断したってことよね?」

「贈答品? まあ、そうなるんですかね」

「今回の目的は、大名への献上品を作ることよ。よく考えてごらんなさい。貴婦人が、喜んで庶民の殺到する品を買うと思う?」


 貴婦人という言葉に、エミリーは小さく、あと声をこぼして動きを止めた。


 エウロパで身分の高い者たちの愛用品は全てオーダーメイドになる。きっと、恒和国でもそうだろう。となれば、大名家に献上するものは、一回きりではなく、繰り返し納品される御用達の品を目指すべきよね。

 それくらいしないと、白江城下の大名屋敷にいる奥方様に届かないかもしれないし。


「庶民の間で噂になれば、興味をもって買いに行かせるだろうけど……それでは、大名家御用達にはなれないと思うの。だって、大名家はエウロパで言うところの上級貴族よ」

「言われてみれば……ランドルフ侯爵夫人が愛用されていたものも、私なんかが買えるものじゃなかったです」

「そうでしょ。だからこそ、庶民受けよりも贈答用としての付加価値を考えないといけないの。だから、春之信さんの言葉が引っ掛かってるの」

「ううっ……私には難しすぎます」

「私にも判断が難しいわ。ドワイト商館長に相談するしかないかしらね」


 苦笑しながらカップに口をつける。

 ふわりと薫る花の香りに肩の力が抜けた。考えることは山のようにあるけど、この一口が、少しだけ気持ちを落ち着けてくれる。


 ふとカップの中を見た。

 ゆらめく琥珀の液体は、しっかりとハーブのエキスがいきわたっていて、喉に流すとその優しさが染み渡る。恒和で淹れた方が、エウロパの水よりも柔らかく感じるのよね。


 もう一度、カップに口をつけ、ゆっくりとお茶を味わう。そうして気付いた。


「ねえ、エミリー。恒和の水って、柔らかいと思わない? 雑味が少ないというか」

「お水ですか? そうですね。ハーブの風味もとっても優しくなりますし……お水もそのまま飲んで美味しいんですよ!」

「そのまま……」

「贅沢ですよね。こんなに美味しいお水を、暑い日は朝から庭に撒くんですよ。草木だけじゃなくて、縁側の周りとか道にまで。何ていったかな……打ち水?」

「ああ、水を撒いて涼しくする方法ね。本当に、恒和は水が豊富よね」


 エウロパでは水が貴重な国も少なくない。ろ過して煮沸までしないと飲めないような場所もあるくらいだ。だから、紅茶や珈琲がよく飲まれるわけだけど。


「もしかして、湧き水はもっと美味しいのかしら?」

「湧き水ですか? 山に登らないと、それは無理そうですね」

「でも、井戸水よりも綺麗よね。……ねえ、それで化粧水を作ったら、凄いものが出来ると思わない?」

「確かに特別感は出ますね」

 

 なるほどと頷くエミリーと顔を見合った。

 そうよ。今回作るのは、大名に気に入られる特別製でなければならないのよ。庶民が羨ましがるような。


「……春之信さんなら、湧き水のことを知っているかしら」


 ふと疑問を口にすると、エミリーの顔がぱっと笑顔になった。すくっと立ち上がった彼女は「呼んで参ります!」といい、私が止める間もなく春之信さんを呼びに行ってしまった。

 行動力があるのはありがたいけど、なんだか少し不純な動機を感じるわ。


 ほどなくして、エミリーに連れてこられた春之信さんは「湧き水ですか?」と不思議そうに首を傾げた。


「試作品に、何か物足りない感じがするんです」

「充分よい仕上がりかと思いましたが」

「ただ商品として売るのでしたら、そうでしょう。でも、献上品とするには何かが足りないかと」

「なるほど。それでしたら……霊孤泉が良いかもしれません」

「れいこせん?」

「水源の一つです。少し山を登りますが、早朝に向かえば、日暮れ前に戻ることも出来ます」


 そこまでいって、春之信さんは口籠った。何か不都合のある場所なのかしら。


「あの……もしかして、女人禁制とかって場所ですか?」

「いいえ、そうではありませんが……盗人の件も解決していませんので、薬師殿の身に危険が及ぶのではないかと案じておりました」

「考えすぎじゃありませんか?」


 真面目にな顔にしわを寄せて考える春之信さんは、私を見て小さくため息をついた。


「薬師殿、私とお祖父様は、商館内部の者が盗人を手引きしたのではと考えております」

「──っ!? ま、まさか……」


 突然のことに私は言葉を失った。

次回、本日17時頃の更新となります


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